太陽(2005)のレビュー・感想・評価
全11件を表示
人間、現人神、自然
ひとりの〝人間〟が〝現人神〟として扱われる不条理。もともと天皇自身が神であるということを望んでいたわけではない。戦争の犠牲者をこれ以上増やさないため人間宣言をするに至った昭和天皇の内面の孤独と葛藤。全編を通して、監督の人間昭和天皇へのリスペクトと同情を感じた。 モヤがかかったような妖しい雰囲気、ソクーロフらしい幽冥界のような防空壕から、地上に出るとそこは戦後の焼け野原。 戦争で消失した命の記憶を消し去ることはできない。ソクーロフの戦争に対する憎しみ、哀れみの感情も込められていた。 アメリカは軍事力では日本に勝利したけれど、日本に太陽光のごとく降り注ぐ天皇の影響力を消すことはできない。〝自然〟が人間の勝敗など一切関係なく存在し続けるように、生物を愛する昭和天皇は自然の一部のようだった。 ラストが秀逸。皇后が帽子を脱ごうとして髪の毛に引っかかって取れない。それを天皇が黙って取ってあげるやりとりはとても自然で、仲の良い夫婦の日常そのものだった。 日本人はみなそれぞれの天皇論を持っている。しかし、いったんそれは脇に置いて、ソクーロフの渾身の表現を日本人が味わわずにどうする。能動的で成熟した鑑賞者としての振る舞いが重要だ。 なぜ敗戦のその日が描かれていないのか。ソクーロフが意識的に回避しているとしか思えない。日本人が描くべき課題、宿題としてバトンを渡されたように感じた。
極光(オーロラ)
劇中で「極光(オーロラ)」のエピソードが興味深くて、オーロラは太陽からの電子が地球に衝突して輝く現象だから、太陽を日の丸や天皇に見立てているのであれば、オーロラとは天皇が日本国民に及ぼす影響力を示しているのだろうと思った。
イッセー尾形の勇気
ロシア人監督だからここまで淡々と描けたのだろうが、実際に顔マネや口グセまで含めて模写するのは日本人俳優としてかなり勇気が必要だったろう。気負い込んだ終戦決断のシーンなども無く、御前会議を含めた日常スケジュールを粛々とこなしていたらいつの間にか戦後になっていた、というあたりが妙にリアルに感じる。この監督のヒトラーやスターリンを描いた作品も観てみたい。
日本最大のタブーの中のタブーの叫び
邦画の世界には、テーマとして扱っていけないタブーが数多く存在する。 《セックス・特に性器》 《大量虐殺》 《精神薄弱者》 《宗教》 《差別》 etc.etc.…。 中でも、タブー中のタブーが《天皇陛下》である。 セックスでは大島渚が『愛のコリーダ』、 大量殺戮では深作欣二が『バトルロワイヤル』etc.日本を代表する巨匠達がタブーに挑戦し、話題となったが、1人の人間として天皇陛下の胸中に迫った映画は、コレまで1本も存在していなかった。 神聖なる天皇陛下が感情を露わにするのは、創り手にとっても観客にとっても、日本国民として有り得ないからだ。 ごく普通に台詞を言わせるキャラにすること自体、危険な行為なのである。 そんな禁断の果実をロシア人の監督が創れるワケがない、と思っていたが、今作を観終わると、外国人だからこそ成立できたんやなと実感した。 《天皇陛下=人間》と云う思想は、外国人の持つ客観性が必要不可欠だからである。 戦争前から、現人神様として崇められた天皇の存在は、日本全土が焼け野原になりアメリカに負けた瞬間から、間違いだと全否定される。 では、天皇陛下は一般人になるのか?と思いきや、そうではない。 天皇は、国家の象徴へと変わる。 「何なんだ!そのアヤフヤな存在は!? 天皇はみんなと同じ人間ではないのか?! いい加減にしてくれ!!」 という叫びが、天皇自身からスクリーン目掛けて投げつけられたのは、映画ファンとして面白く、日本人としてショックな内容であった。 戦争に対し、絶えず葛藤する天皇陛下を熱演したイッセー尾形の姿勢は凄まじい。 モノマネではなく、憑依の域に達しており、終始圧倒された。 テーマがテーマだけあって敷居が高く、わかりづらい部分が多かったが、彼の超越した演技を目の当たりにするだけでも一見の価値がある。 そうやってノンキに感想述べられるのは、クドいかもしれないが、今の日本が平和だからこそだろう。 戦争と平和、そして、天皇の意味について改めて考えさせられる深い味わいの映画であった。 では、最後に短歌を一首 『人はまた 平和を願ふ 我もまた 太陽は云ふ 嵐の果てに』 by全竜
賛否の分かれる作品だが見る価値は絶対有りと言う映画だ!
昨日は2001年世界同時多発テロ事件発生から丁度丸10年を迎えた日だった。改めてこの10年の歳月を振り返ると、実に様々な出来事が、国内、国外共に多発し、このテロ事件絡み及び、その他の出来事であっても、戦争・紛争、それから非常に大規模な地震と津波が世界各地で起き、合わせて世界経済の破綻の連鎖も後を絶たない。こうして並べるとネガティブな出来事ばかりだが、しかし人生悪い事のみ起こる訳では無いのと同様に、新しいミレニアムを迎えている人類の時間軸の中で、或る意味、膿出しの10年が過ぎたと考えれば、この先90年位の世界情勢は明るい方向へとシフトして行くものと考えても良いだろう?と私は思うのだ! そうして考えるなら、この『太陽』が描いている時代も我が国に於ける20世紀最大の事件の起きた時代であったとも言えるし、第二次世界大戦と言う近代化の戦争の負の人類史の汚点とも言える最大の悲劇の時代だとも言える。この戦争を契機に、天皇陛下は神ではなく国民と変わらぬ、同じ人間であると、「人間宣言」をされた歴史が大きく動いた瞬間でもあった。皇室を描く事はタブーと言われる、そのタブー映画を仕上げたのはやはり我が国の映画界では無く、外国の映画人である、アレクサンドル・ソクーロフ監督の手による。 しかしこの映画を2006年に公開出来た事自体が珍しい事件であり、素晴らしい事でもあると思う。こうした皇族の方々の想いは、中々描かれる機会は少ないし、「本当の天皇陛下のお気持ちは一体どうなの?」と気持ちを顧みる事も中々許されないのが普通だからだ。 3、11が起きて、天皇陛下が異例のビデオメッセージ会見を国民に向けてされたのは、みなさん記憶に新しいと思うけれど、『英国王のスピーチ』もそうであるが、人間と言う側面から天皇陛下や、皇族、或いは『英国王のスピーチ』などの王室と言う存在について改めて想いを巡らせて見て行くのは、非常に興味深いものが有る。この『太陽』については、公開時は、大変大きく評価が割れ、賛否両論で、右左派に限らず、国民一人一人が、皇室に付いてイメージする処もみなそれぞれに違う、多様性な考えの自由を持つ事が出来る自由の国であると言う事が浮き彫りになったのも事実だと思う。 今日では、直接的には政治と関係の無いところでも、長い自国の歴史の中で育まれて来た皇室と言う制度が存在する日本に暮す事は、やはり日本人として、幸せな事だと私は思っている。特に今日の様に、国民の希望が反映されにくい社会の中に有って、自国の伝統を護り継承する象徴である皇室が存在している事は、日本人に無意識レベルで大きな安らぎをもたらしていて下さるように思う。今年の311の震災で、改めて日本が世界の中でどのような位置を示していたかが浮き彫りになった。この世界で人々が生きて行く事は、決して楽な事ばかりでは無い。何しろ69億人もの人々の平和を維持して行く事がこの地球では必要とされているのだから! しかしその厳しい現実の中でも日本人が世界の人々に大切にされていたと言う事が実感出来た現在、その信用こそは、この70年前の焼け野原から、懸命に生きて来た日本人一人一人が、日々働き、築き上げて来た勤勉と言う、日本人の美徳が成し得た成果だと思う。 今回明らかになった世界の国々の人達からも大切に思われている日本人と言う幸運を噛み締め、決して過去と言う負の遺産は変える事は出来ないが、改めて日本と言う、世界でも愛される希有な国に生活出来ていると言う喜びと自覚を胸に、今回の311では、世界の人達から多くの温かい援助を受けた、その事実を決して私達は忘れずに、今後、世界の人々の温かな親切に恩返しが出来る様、また私達一人一人が、勤勉に、日本人の美徳を伸ばして励んで生きて行ける事を私は望んでいる。その日本人の霊性の祀り事を司る、皇室の御役目はとても大切な伝統である。この映画は、その素晴らしさに気付かせてくれた作品として、大切な私の映画の1本となった。
イッセー尾形さんの演技は見物です
戦中戦後の昭和天皇の物語です。 昭和天皇は、摩訶不思議な“間”を持った人ですが、それに加えてロシア人監督の演出のせいもあるのか、ちょっと退屈な印象の映画でした。ストーリー的にも大きな起承転結はないし…。 まあともかく、今年この映画を見ることは、特別な意味がありますね。 イッセー尾形さんの演技は見物です。
全11件を表示