それでもボクはやってないのレビュー・感想・評価
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日本の司法制度の問題点を暴き出している
本編が始まる前に映し出される
「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」
また、本編で何度も引用される
「疑わしきは被告人の利益に」
しかし、捜査・検察側の思惑は
「一人の無辜を罰しても十人の真犯人を逃すなかれ」
「疑わしきは我々の利益に」
これは、やはり
「99.9%の有罪率が裁判の結果ではなく前提となっている」ことの表れでしょうか。
被告人である主人公は、冤罪であるにも関わらず電車で痴漢したとして被害者本人である女子学生に現行犯逮捕される。
その後も主人公は一貫して無罪を主張し続けるが、
刑事・検察からの犯人と決め付けたマニュアル的・拷問的な取り調べを受け続ける。
主人公の担当弁護士、家族、友人などの協力に加え、
最終的に決定的な目撃者が名乗り出てくれるにも関わらず
途中無罪判決を出す公正な裁判官から頭の固そうな裁判官に引き継がれたこともあり
結果はハッピーエンドではなく有罪判決。
法曹三者の視点(検察、裁判官、弁護士)から思ったことを三点ほど。
一点目
捜査はどうあるべきか。
「言いたくないことは黙秘してよい」と
口では形式的・マニュアル的に言いながら
実質は拷問的に吐かせようとしているのはいかがなものか。
最近、司法制度改革の一環で
取り調べの可視化(録音録画)というのが義務づけられるようになるらしいが、
注意していただきたいことは対象となる事件は
殺人、放火などの重大事件(全刑事事件の2%にあたる)に限定されて痴漢は含まれていないということ。
殺人、放火だけに限らず痴漢事件などでも
映画で描写されているような取り調べがあることは
想像に難くないと思うのだが。
そしてもう一点、この取り調べの可視化というのは
限定的にとはいえ捜査・検察側も承認しているものなのだが、
それは無条件的なものではない。
つまり、捜査・検察側はこの承認と交換に
大きな武器を手にしている。
それは大きく二つ、司法取引と通信傍受の拡大です。
簡単に言えば、
司法取引とは、容疑者が他人の犯罪事実を明らかにすれば、見返りとしてその罪が軽くなるという制度。
通信傍受とは、捜査で盗聴を行うこと。
司法取引や通信傍受に関する提案はほぼ捜査側の要求通りとなっているため、追い込まれていたはずの捜査側が、終わってみれば大きな成果を得た形となっています。
二点目。
裁判官とはどうあるべきかということ。
一人目の裁判官は無罪判決をだすのを恐れることなく
「裁判で一番やってはいけないのは無罪の人を罰すること」
だと言っていましたが、結果的に左遷されてしまいました。
質より量?それで良いのでしょうか。
三点目。
弁護士とはどうあるべきかということ。
主人公の弁護士は、誤解を恐れずに
「民事だけを扱う弁護士は、弁護士ではなく代理人である」
と述べていました。
弁護士法1条の通り、
弁護士は社会正義を体現する仕事です。
社会正義の形は様々にあると思いますが、
近年あるエリート=渉外弁護士という風潮には
疑問を感ぜずにはいられません。
もちろん、エンディングはハッピーとはいきませんでしたが、
それもドキュメンタリーならでは。
司法制度の多岐に渡って問題点を炙り出した
良い作品だったと思います。
それでもボクはやってない
今は裁判員裁判制度が施行されているが、日本の裁判の問題、国家、検察、冤罪を淡々と描いている作品。
私は女ですがもし、旦那が、家族が、身近な友人が・・
そう考えると本当に怖くなる。
一度は見ておくべき社会派映画問題作の一本。
淡々としていてちょっと飽きる部分もあり、もっとめりはりがあると良かったが、作品としては凄く良い作品だと思う。
"とりあえず有罪になった"
それでもボクはやってない。
"十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ"
当たり前に起こりうることの怖さ
人が持つ様々な種類の感情の琴線にびんびんと、触れてくる。
そういう脚本、ストーリーの映画って、いい映画なのかな、と思う。
この映画は被疑者の視点から痴漢事件冤罪を描いていて、当然被疑者に感情移入する。その点では、誰がどう考えても不当にしか見えないことが世の中こんなに往々にして起こっている・なされているのか、という怒りと恐怖を覚えた。
しかし一方で、もしこの事件を新聞で読んだとしたら?と考えてみる。映画にも織り込まれていたように、被害者感情に共感してしまう自分を容易に想像できてしまう。
日本の司法の構造として、いつ冤罪が起こってもおかしくないという現状を、絡み合う複数要素を分かりやすく提示し、シンプルに簡潔に、映画を纏め上げている。
加瀬亮が良い◎
こわい こわい 逃れられない・・・
周りの制作関係者が困った映画
ドキュメントでやればいい作品。
ただ見やすくしている意味では映画でもあり。
おそらく周防監督はしこふんじゃった・シャルウィダンスの
ワンパターンな手法・イメージを脱却したかったようだ。
ただ周りの関係者はこんな作品を望んでいない。
奥様も望んでいなかったはずだ。
会った事はないが。
前作を知っている客は期待していない。
自己満足の作品といわれるわけです。
言われているかどうか知らないが。
多分作り手はラストのどんでん返しが書きたくて
周りに迷惑をかけた感がある。
この作品で利益が出たとしてシャルウィダンスの
おかげと理解してほしい。
次作ははみんぞ。無料のテレビであっても。
シャルウィダンス2なら借りてでもみるが
今まで見てきた法廷モノの価値観が覆る、これが法廷のリアル
劇場公開されたのが2007年1月。
見た時点で年間ベストワンだと確信した。
(7月に公開された「河童のクゥと夏休み」も良かったが)
とにかく、今まで見てきた法廷モノの映画やドラマは何だったんだ!?と思った。脳天をガツンとやられ、衝撃を受けた。
法廷モノのよくあるパターンは、正義感溢れる弁護士もしくは検事が悪事や不正を暴き、正義を掴み取る…というモノ。サスペンスたっぷりで、法廷モノにハズレ無し!とさえ思っていた。
しかし、本作で描かれていた事は全然違った。
法廷には善も悪も無く、ただ裁かれる者と裁く者だけの無情な世界。
全ての物事は淡々と進み、被告には人権もプライバシーも無く、弁護士も検事も大声を上げて正義を訴えたりせず、裁判長も小槌を叩いたりせず、被害者(この場合は痴漢を受けた女子高生)は囲いで覆われた証言台でボソボソと話す。
こんな法廷劇は見た事なく、新鮮と言うより、これが法廷のリアルなのだろう。
お陰でイイか悪いか、他の法廷モノをまともに見れなくなってしまった。どうしても本作と比べてしまう。
キムタクの「HERO」なんて漫画。「ダークナイト」で証人席のマフィアが突然拳銃を取り出し、それをハービー・デントが殴って奪い取るシーンさえ失笑しそうになった。
徹底的に取材・調査したであろう脚本の力。
展開は淡々と進むが、緊張感はたっぷり、思いのほかテンポも良く、エンターテイメント性も抜群。
役者からも名演を引き出し、全てを見事にまとめ上げた周防正行監督の手腕に感服。
ラスト、結局主人公は有罪となるが、そこにこの映画を作った意義を感じた。
正真正銘の傑作。
ものすごーく淡々と進行していきます
傍聴前に…
朝に来て、午後には出て行く、サラリーマン
映画「それでもボクはやってない」(周防正行監督)から。
現在の刑事裁判の問題点に真正面から向き合い手がけた
異色の社会派映画、として話題を呼んだ作品である。
以前、紹介した国民健康保険がないアメリカの実態を、
ドキュメンタリーで表現している映画「シッコ」
(マイケル・ムーア監督)と同じような感覚で、観終わった。
気になる一言は、警察署のワンシーンを川柳にしたフレーズ。
朝の通勤ラッシュで痴漢行為をし、その容疑をあっさり認め、
午後には、取り調べを受けていた警察から、職場に復帰する。
そんな皮肉を込めた、川柳となっている気がした。
身に覚えのない痴漢容疑で逮捕されても、
「やってないことの証明は、非常に難しい」ことを知ったし、
「本当に無実でも、無罪になる保証はない」ことも理解した。
ますます、裁判制度に不信感を持つようになったのも事実。
最後に画面に映し出されるテロップが物語っている。
「裁判所は、真実を明らかにする場ではない。
裁判は、被告人が有罪であるか、無罪であるかを、集められた証拠で、
とりあえず判断する場所にすぎないのだ。
そして、僕はとりあえず、有罪になった。それが裁判所の判断だ。」
PS.不謹慎かもしれないけれど、同じ痴漢行為でも
「パンツの上から触れば、迷惑防止条例違反、
パンツの中へ手が入れば、強制わいせつ罪」という知識は、
飲んだ時のネタに使えるなぁ、と思ってメモをした。(汗)
真実を伝えられないもどかしさ
満員電車。こわ・・・。
ついに観ました!観ましたよぉ~!
たくさん並んでるのにいつもレンタル中だったこの作品。
世間の注目度の高さに期待が膨らみっぱなしだった訳です。
ようやく観た感想はというと…。
「こわ…」
今は電車に乗る機会も少なく、まして満員電車なんて
東京に通っていた学生時代以来ほぼご無沙汰です。
それでも当時は痴漢に間違われる怖さは日々感じていたし、
実際に友人の中には間違われてニラまれたなんて話もザラ。
荷物が多い日なんてそりゃもう大変です。
女性専用がある訳だし、男性専用車両もあったらいいのになぁ…
まあ無いものは仕方ないので、満員電車に乗るときは「両手吊革」。必須ですね。
見終わった後に残る現在の警察、検察、裁判所の恐ろしい体質。
それを話には聞いていても実際に全く分かってなかった自分の無知さ。
「こわ…」
同じ「冤罪」をテーマとした作品として
ケビン・スペイシーの「ライフ オブ デビット・ゲイル」を思い出しました。
日米の違いやそもそものアプローチは全然違いますが
冤罪の怖さを思い知らされて衝撃を受けた作品。
まだ観てない方は興味があれば是非観てください。
※他サイトより転載(投稿日:2008/02/11)
憤り
裁判支援に立ち上がる人々に絆の大切さを感じずにいられませんでした。
この映画は、上映時間は147分もあったのですね。でも全然長く感じませんでした。もっと判決が出たあとのことも引っ張って欲しかったくらいです。
冤罪を扱った裁判ドラマなら、これまでの邦画では被告側に感情移入して、検察や裁判所が悪玉として小憎く描かれることが多かったのですが、この作品は本当に細かく裁判の実情とその背景まで描き込まれていて、まるでドキュメンタリーを思わせるように、悲壮感にとらわれず、悲観的にもなることなく、しかもユーモアたっぷりに描いていることに好感が持てました。
これだけの内容を、時間をかけ、独自に脚本に書き下ろされた監督の情熱に脱帽です。監督の情熱とは裏腹に、表現は客観的に事実関係を丁寧に追っていきます。長い時間を調査に充てていただけに、取り調べから裁判にかけて、リアリティに富んでいました。もしこの作品で描かれているとおり罪なく、こんな所に押し込められて、自白を強要される羽目になったら、恐怖です(>_<)!
そういう映像の積み重ねを見せられると、見ている側のフラストレーションは、監督が意図した通りに否が応でも高まっていきます。そして、痴漢冤罪支援団体や親友や元カノまでも加わって、一丸となって裁判に挑む道筋は、すごく自然でした。この部分が一番感情移入できて、盛り上がりましたね。
ところでこの作品は、映画以上に重いテーマを残してくれました。
やってもいない事で罰を受けるわけがないと普通の人は、こころのどこかで思っているでしょう。しかし現在の代用監獄制度という密室で、拷問に近い質問攻めに会うと、ついついやってもいない罪を根負けして認めしまうという冤罪が、現在も起こっています。
「罪を裁く裁判官こそ、裁かれるべきである。」という主人公のこころの叫びは、まさに言い得ていたりです。以前「オーラの泉」で江原さんが、裁判官は地獄に堕ちる人が多いと言てっいたのも、裁判の生産性を高めるために、被告の証拠や抗弁に耳を片づけずに有罪判決を出してしまって、それが帰天後に真実に気づいて、誤審の罪の意識の重さに墜ちる人が多いのではないかと思いました。
もう一つ、気が重いのは数年後に迫った陪審員制度です。有罪か冤罪か究極の結論を求められたとき、現在の裁判官と同じ重荷を民間人が負わされることになります。この作品を見て、自分が陪審員となった場合に正しい判断ができるかどうか、とても不安を感じました。
劇中裁判官が司法研修生に、裁判の目的は何かとしいう問いがありましたが、その答えは、無実の罪の人を出さないためという答えを出していました。
無実の罪の人を出さないためもこれから司法に関わる全ての人に、正しく見て、正しく判断できるよう「無私のこころ」を大事にして、先入観で犯人と思える人にレッテルを貼らないように心がけていきたいものですね。
さらにこの作品での冤罪事件と同様に思えたのが、いじめ問題です。
学校という密室で、ひたすらいじめの事実を隠蔽しようとする学校や教育委員会に対して、被害者側の子供や父兄は、この作品の被告人と支援者たちと同様の思いを抱いているのに違いありません。
いじめにあって息子さんが自殺した上に、いじめた方から証拠がないのをいいことに誣告罪で逆提訴されるなんてことすら起こっています。
ひとりひとりが無関心でいると、いつわが身もまた、理不尽な出来事の当事者にされてしまうことが起こるかもしれません。
映画『それでもボクはやってない』を見て、そういう現代であるからこそ、人々の絆の大切さを感じずにはいられませんでした。
万能なシステムはないので
たまたま仕事でこの半年間に30名くらいの現役弁護士のみなさん・裁判官・検事の卵の方々にインタービューをする機会があり、そのインタビュー目的とは別のところですっと腹落ちしたことが2つあって。
1.これまで「弁護士」の知り合いが一人もいなかったので・・・「弁護士」が総体的な「職業」としてしか理解できていなかったのが、具体的な「人」と紐づけて実感として理解できるようになったこと。
2.「裁判」という制度(現場)が「人」によって動いていることは知識としてはわかっていたけれど、そこに関わる「人」が自分の頭の中では無機質なシステムの一部だったのが、はっきりと血の通った「人」によって動いているんだという実感が備わったこと。
この映画は「痴漢えん罪」という理解しやすい事例を使いながら、それ以外のあらゆる刑事裁判における問題点を伝えている。監督である周防さんも、この映画に関するあらゆる評論も、それについてはほとんどが触れているところ。
映画の中で語られる、裁判は「それが真実かどうかを見極めて正しい判断する場でなく、今ある限定的な情報の中で、とりあえず白か黒かを決める場所だ」という現実。
正しいかどうかはわからないけれど、その問題点は、「裁判」という領域だけでなく、「政治」でも、「医療」でも、もっと近い僕らの「会社」や「学校」でも、すべてのシステムが内包しているんじゃないかという感じさえする。
「システム」というのは自分から縁遠い存在であればあるほど、目にすることがない領域であればあるほど、「システム=あるインプットに対してできるだけ正しい1つの答えを出している」という期待を抱きがちだけれど、実際にはその「システム」のほとんどが不安定で、常に真実だけを目指して動いているとは言えない、さまざまな思惑の結果としての「人間の感情」で成り立っているんだということを、しっかりと認識したほうがよさそう。
今日電車で乗り合わせた2人分の席を占領して大いびきをかいて居眠りしている人が、いつか自分を裁く弁護士かも知れないし、自分を治療する医者かも知れないし、自分の子どもを教える学校の先生かも知れないということ。
たとえば「テレビ」についてもそう。「お菓子会社」についてもそう。
この映画を見て、多くの人が憤りを感じると思う。ただそれは「痴漢えん罪」を始めとした刑事裁判制度に対する憤りにだけではなくて、ひとつひとつのシステムに対して向けなければいけない感情なんだ、と思ったりもする。
それに対して、さあ、明日から何をすればいいんだろう、なんて考えることがしっかりとできれば、世の中もっと良くなっていくのかもしれないなあ、と。
ま、そんな重い話はさて置き、娯楽としてとても楽しめる映画でした。そぎ落とす作り方をしていて、テンポが素晴らしい。2時間30分という長尺ながら、尿意を忘れるおもしろさという触れ込みだけれど、この日はすごい寒くって、紅茶をがぶ飲みしながらみてたので、さすがに最後はきつかったっす。うう。
怖い。怖すぎる。冤罪はこうやって作られる。
周防正行監督の『Shall we ダンス?』以来11年ぶりの作品。その11年ぶりの作品は、これまでの周防作品とは全く異なる社会派の映画。しかもその内容は、単に映画と言う枠を超え、ほとんどドキュメンタリーと言ってもいい様な、非常に重い、意味のある内容となっています。
重すぎます。通常、映画と言うものは娯楽作品なので、何らかのストーリ展開や、明るい結末に向かって、何らかのドラマがあるものですが、この作品には一切そう言う要素はありません。それが先の「ほとんどドキュメンタリー」と言う感想に出ています。敢えて結末は記しませんが、「えーーーっ!」と言う、結構救われない結果(ほとんど結末を言っていますね)になっています。無実の人が、犯罪者に仕立て上げられていく。怖すぎます。これほど救われない映画は珍しい&初めてです。
この作品では、周防監督自身がいろいろなメディアで公言しているように、日本の裁判制度の問題点が凝縮されています。警察の留置場に長期間拘留しての威圧的な取調べ、通知されない被疑者の権利、(特に痴漢犯罪では)行われることの無い捜査と被害者証言だけでの犯罪立証、やる気の無い当番弁護士、被告側への過度な立証責任などなどなど・・・。まぁ、当番弁護士の件に関しては、この映画の場合はいろいろとその理由もあるんですけどね。それにしても怖すぎる話です。日本の刑事裁判の有罪率は99.9%だそうで、70%~80%程度と言われているアメリカの有罪率と比較すると驚異的です。この有罪率の異常は低さは、日本の警察・検察が優秀であるという(本当か?)理由を差し引いても、明らかに異常。これでは裁判ではなくて、単に量刑を決めるだけといっても過言ではないですね。劇中、「裁判官も官僚だから」という意味合いのせりふが出、また、無罪判決を裁判官が書く難しさも語られていますが、それでも酷すぎます。これを見ると、犯罪者にならないためには、自己防衛しかないということを心新たにしました。おっさんばっかりの電車に乗るとかね(笑)。いろいろと考えさせられますよ。
主役の金子徹平役の加瀬亮ですが、何と言うか、何処にでもいそうな青年の役を非常にうまく演じています。ああいう普通の役って、結構難しいんじゃないですかね。それと、金子の弁護をすることになった新人弁護士須藤莉子役の瀬戸朝香。彼女って、何か、結構弁護士役多いですね。まぁ、結構硬いそう言う雰囲気のする女優さんですが。一番いい、と言うか、怖いと思ったのが、裁判官室山省吾役の小日向文世。小日向さんって、パッと見、フンワカした雰囲気で優しい感じがする人ですが、ドラマなどでは、結構こういう冷たい役が多いですね。イメージと、役柄の、どちらが本当の小日向さんなのでしょうか? 最後にTIPS。監督の苗字”周防”の読み方ですが、”すおう”ではなく”すお”が正しいそうです。
つまらなかった!
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