「この男、ヒクソンに激似ッ!」姿三四郎 かせさんさんの映画レビュー(感想・評価)
この男、ヒクソンに激似ッ!
直木賞作家・富田常雄の同名小説を、黒澤明が映像化。
【ストーリー】
姿三四郎は、柔術家を志し、会津より上京した齢十七の若者。
神明活殺流に入門するが、複数人にて一人の紳士をおそう、卑劣な待ち伏せに参加させられる。
だが紳士は強く、小さな体で風のように立ちまわり、神明活殺流の門下生たちは、またたく間に全員が川に投げこまれた。
その紳士こそ、あらたに警察の武術指南役となった矢野正五郎。
強さにあこがれる三四郎は、その場で弟子入りする。
だが一本気で折れることを知らない三四郎は、たびたび町でケンカしては、正五郎と衝突する。
冷たく突き放しつつも、三四郎を見守る正五郎。
だが正五郎がおらぬ折、講道館に檜垣源之助という柔術家が乗りこんでくる。
檜垣は良移新当流の達人。
兄弟子がやられるも、三四郎は謹慎を言いわたされており、その場での敵討ちはかなわなかった。
やがて来たるであろう檜垣との対決を予感しつつ、三四郎は技をみがき、必殺の山嵐で、立ちはだかる柔術家たちを次々とうちやぶる。
黒澤監督のデビュー作。
自分が初めて見たクロサワ作品でもあります。
当時大ヒットしたそうですが、現在見られるのは、戦時中や戦後に検閲された、ツギハギの映像。
なんでそういうことするかなあ……。
カットされた映像は完全に散逸して、二度と見られぬと思われてましたが、その場面をふくむフィルムが、なんとロシアで見つかったそう。
旧満州で接収されたフィルムで、現在ではそちらをつぎ足した91分の映像が見られます。
元の79分バージョンは、話飛びすぎて、センスの欠片もない編集されてます。
「この部分は戦時中から戦後に失われた」
みたいな白地に字幕のみの画面が出たとき、こっちの頭も真っ白。
「は?」
ってなりました。
物語を愛さない者たちの手がくわえられたそのバージョンは、文字どおり「話にならない」代物でした。
原作の富田常雄は、講道館柔道の有段者としても有名です。
その父親は、姿三四郎のモデルだった西郷四郎ふくむ、講道館四天王の一人、富田常次郎。
創始者・嘉納治五郎の手足となり、柔道の世界普及に熱心に努めました。
自分原作小説が大好きで、もう何回読んだか憶えてません。
ストーリーでは三四郎が対戦相手をポンポン投げては殺すのですが、実際にあった観覧試合などは、それなりに穏当だったよう。
投げて殺しては、嘉納治五郎の「精力善用 自他共栄」の教えは、額縁に入れておキレイに飾った努力目標かい? ってなりますしね。
ちなみに原作では講道館を"紘"道館、映画は"修"道館と、架空の武道団体としています。
映画版は発音を変えたかったのでしょう。
対決相手の武術、神明"活殺"流は神明殺活流でしょうが、良移心当流、天神真揚流などは実在の武術名を出してます。
作中では、最終的に蹴散らされるライバル武術家あつかいですが、いずれおとらぬ立派な古武道です。
講道館とは、たがいに段位を送りあったりして鍛錬しあう仲で、そこまで殺伐とはしてない、と思います。
さて、主演の藤田進。
記事タイトルにもしたように、あのヒクソン・グレイシーに激似。
そう、ブラジリアン柔術の達人で600戦無敗(のちにあれは売り出すためのウソと当人が告白)で、日本の格闘家ふくめ世界中の猛者たちをボコリまくったあの、グレイシー柔術のヒクソン兄貴です。
桜庭和志が出てくるまで、日本人格闘家みんなが物陰にて、もののあはれにハラハラと打ち涙ぐみ袖をぬらした、あのグレイシー柔術の筆頭です。
その前身となる武術を伝えたのは、柔道家の前田光世。
正体は、勘当されて姿を消した西郷四郎である、みたいな伝説もありますが、真偽はさておき、姿三四郎役が激似っていうのは、格闘技ファンとしておもしろみを感じます。
いつか完全版、出てこないかな……と儚い望みをいだきつつ、原作本引っぱり出して、この文章を書きました。