スイミング・プールのレビュー・感想・評価
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面白い構成の話だと思った
最初観終わった時は、よくわからなくて
何度も録画していたラストの方の映像を見直して
思った、私なりの解釈
ジュリーとジュリアは別人
ジュリアはジョンの実在する娘だが
ジュリーは、ミステリ作家サラが
ジュリアを見ながら想像で作り上げた別人格の
実在しないキャラクター
実際はジュリアは、性に開放的な奔放な娘ではなく
彼女にそういう妄想を重ねてジュリーとして見ていた
サラにとっては、「殺人と捜査」が核のミステリ作家と
しての殻を破りたい、読者や出版社から要求される
手堅いミステリではなく自由な発想で作品を書きたい
という欲求の現れがジュリーの言動という形で現れた、
という事ではないかと思う
誰とでも寝るジュリー=読者や出版社の意向に
合わせて創作するサラ
フランクを殺すジュリー=そういう意向という鎖から
解き放たれたいというサラの願望の実現
なので、フランクは現実には存在していないし
殺されていない
殺人は「スイミング・プール」という本の中で起きた
出来事
この映画そのものの内容が「スイミング・プール」
という作家サラ(ジュリーの母=この場合はサラ、の
創作が元というややこしい設定だが)の想像の産物、
と考えると、つじつまが合うと思う
面白い構成の話だと思った
追記:
プールに浮かぶ木の葉やゴミ=好まぬ読者や出版社の
象徴、
何度もサラが十字架を取り外す場面は
がんじがらめの自分を解放させたい欲求の
現れかな、と
***************
・・・ぶっちゃけた話、スポンサーからくどくど
観客に受ける映画、金になる映画を作れ、と言われて
キレた監督が、裸だしゃあいいんだろと
開き直って、作家の話にかこつけて憂さ晴らし
したような気がしなくもない
凝った娯楽映画。サラが素敵
色んな要素が織り込まれていて、シリアスそうに見えつつ、ユーモラスな場面もあり、見せ場もあちこちに作ってある。娯楽映画だとは思うけれど、凝っていて面白い。
全体の構造は、ストーリーが、二重の入れ子式になっていて、その境目はいまひとつハッキリしないようだ。観ているといつの間にかサラの創作である内側のストーリーに引き込まれている。終盤で、またいつの間にか外側に戻ってきている。これはサラのつくり話だよというヒントは与えてくれているようだけれど、いまひとつハッキリとはしない。そのため、色々な解釈が可能になってくると思うけれど、それは楽しめるポイントでもあり、粋だと思う。
サラは、冒頭では、いやな女だとな、こんなふうになりたくないものだ、と感じたけれど、終盤に近づく頃には大好きになってしまった。管理人の男を受け入れる場面では少し驚いたけれど、人間としても女としても優しさを感じさせて、それはそれでなかなかいい。
サラに限らずジュリーなどもそうだけれど、ステレオタイプの人物の登場で終わらせず、人間の中味の面白さや意外さに焦点を当てているところがいい。
解釈は観客次第
オゾンの中でも大好きな作品で、久しぶりに再鑑賞しました。物語は、現実に起こった事ともサラの創作とも取れるので、解釈は観客次第。寒いロンドンから開放的な南仏で、サラとは対極なジュリーが生み出されたとしたら、文芸の極みですよね。シャーロット・ランプリングの気品、リュディビーヌ・サニエの若さ、オゾンの優雅さを上質なサスペンスとしてまとめた素晴らしい作品です。
プールサイドの二組の男と女…妄想が暴走するプールサイド…これこそ「映画」ですね…
①sensualでintriguingなplot.②ヒロインが女流ミステリー作家という設定。③冒頭のギスギス中年女とラストのソフトな美しさの中年女とを演じ分けたシャーロット・ランプリング。初めと終わりとの間に何があった?④リュディビーヌ・サニエとジャン=マリー・ラムールとによるプールサイドのシーンは、これまで観てきた映画の中でも最も淫らなシーンの一つ。⑤ジュリーが現れた夜、その直前にベッドに入ったサラが(物音に?)再度ベッドに起き上がった後、画面が一瞬暗転する。⑥自殺?(ジョンの女癖に悩んで?)何らかの理由で母を失い精神の平衡を失ったジュリーが冒した罪を隠蔽するためマルソルに体を開くサラ。⑦ジョンが女たらしということはジュリーの台詞にあるだけ。⑧ジョンが別荘に一緒に行ってくれない、後を追って来てもくれないことで、彼がサラを最早女としてではなく自分の抱えるベストセラー作家(金を稼いでくれる)としか見ていないことを悟る。⑨以上から、この映画の大半はサラが新しく(ジョンへの面当てに)書いた『スイミング・プール』という小説の話だったという解釈は如何?
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自宅(CS放送)にて鑑賞。ラストで一気に幻想的になるが個人的に嫌いでは無いプロット。南仏のロケーションや天候が印象的に切り撮られておりプールのシーンも綺麗に纏められている。“ジュリー”役のリュディヴィーヌ・サニエは好みが分かれる顔立ち。主演の“サラ・モートン”を演じるシャーロット・ランプリングは知的な印象があり、物憂げな表情が良かったが、妙なダンスが可笑しかった。この二人、惜し気も無い脱ぎっぷり──特にC.ランプリングは'46年生まれなので、本作の製作された'03年当時57歳の計算になる。60/100点。
・鑑賞日:2011年10月2日(日)
これぞサスペンス!
衝撃受けました。最後のあの展開には。終わった後の歯痒い感じすごく好きです。え?え!?みたいになりました。こういう映画大好きです。
ここからは私の考察
最後にすれ違った子はジュリアと呼ばれていました。ジュリーが父親のことを男グセが悪いといっていたことからも本妻の子ではなかったんだと思います。恐らく母親は旦那に捨てられて娘と車で自殺しようとしたのかと。その復習という意味も込めてジュリーの母の原稿を置いていったのではないかと思います。原稿を旦那が見た後にジュリアと会った時の顔どことなく浮かない顔をしていたような気がするのもせいかと。ジュリアとすれ違い、父居ますか?と聞くまでの主人公はジュリーの父親に最後の最後まで隠し事をされて居たということなのでしょう。そして隠された全てを知る主人公。
ラストの手を振り合うシーンはまたその後あとにフランスに訪れたのでしょう。その時に居合わせたのはジュリア。しかし主人公はジュリーを懐かしむ。
1つ謎なのは何故、喫茶店の男を殺したのか。これに関しては主人公を守るためとジュリーは言っていました。ここが個人的に一番難解ですね。
最後に、作家が賞を獲るのは痔にかかるようなものってすごい表現だなと思おました、
あまり面白くはないけれど
あまり面白くはないけれど、見入ってしまった。
ジュリーとジュリーの母親、父親、主人公、男たちとの関係が、はっきりとは描かれず、目線や態度でわかる。
ジュリーもまた本を書くのか。今後のお父さんとの関係が気になる。
あと最後どうしてジュリーがサラに気づかず素通りしたのか、わからない。
現実と妄想が曖昧で観客を翻弄する映画
終盤にそこまでのシーンには妄想が混ざってるとわかるのだけど、どこが現実でどこが妄想なのか如何様にも解釈できるようになっていて観客を翻弄するタイプの映画。
デビットリンチ監督の作品などとは違い、緻密に計算して観客を煙に巻いている感じが好きになれなかった。
各キャストの魅力はあるがストーリー????
これがフランス映画さって言われても・・・的な映画です。いやー他のレビュアーも書いていますがはっきりいってストーリー本当によくわかりません。
小説書くためにフランスに行った先で奔放な編集長の娘と出くわすんですが
最後は殺人犯しちゃうし、その本人と編集者であった娘は別人だったリで正直誰がみても同じ感想でしょうが、リュディビーヌ・サニエのみずみすしい肢体は非常にセクシーです。ここだけかな。
ラストは 、はぁ?!………
見た後にここまで頭に
ハテナが現れたのは正直初めてです😓
笑
ストーリーはラストまでスムーズに、そして官能的に進んで行きます〜
ここで個人的にオゾンさんが凄いなぁーっと思ったのは、
若い女優さん(名前は知らん)の裸が結構あります💦
それが凄くキレいなので、おばさん(8人の女にも出てた人)がとても醜く映る。
この描写がとても
印象的でした。
ところがどっこい、
この後におばさんが脱ぐわけ! 最初は凄いビックリした💦
でも何故かあの醜い描写が、消えて おばさんが綺麗に見える!そして若い女優(サニエやった?)が少し劣ろえて見える。
これは 僕だけかな?!
まぁとりあえず
謎が多い作品だったので、原作を読んでみまぁーす💪💪💪
不思議な世界に浸りたい時はこの映画をお勧めします😲
良しも悪しきも2人の女。
この作品には相対する女が2人登場する。中年の女と若い女、イギリス人とフランス人、知性的な女と官能的な女、上品な女と下品な女、神経質な女と奔放な女、覗く女と見られる女・・・。この女たち、サラとジュリー。
サラを演じるシャーロット・ランプリングは、私の大好きな女優。若い頃の彼女は儚げで、哀しげな、“霧の精”のような女性だった。その瞳を見たとたん、彼女は私の女神<ミューズ>になった。後年、年を重ねた彼女は、その人間離れした雰囲気から、徐々に“生きた”大人の女性へと変貌していき、今まさに、ノリにノっている大女優となっている。前作『まぼろし』で、はじめてオゾン監督とタッグを組んだ彼女は、愛する人を突然失った女性の心理をエレガントに繊細に演じた。そして本作では、ハイミスのミステリ作家のイメージどおり、ギスギスしていて、不機嫌、ファッションセンスも皆無の“油っけのない女”。男からすると到底お付き合いはごめんこうむりたいと思わせる女。冒頭のサラは、口をヘの字に曲げたとってもイヤな奴。作品は売れているが、編集長(明確にはされていないが、2人は過去に愛人関係にあったと私は確信している)だっていいかげん彼女にはうんざりしている様子。彼は、ご機嫌をとるためと、厄介払いのために、自分の別荘(プール付き)に滞在することを彼女に勧める。
所は暗いロンドンから、光溢れる南仏のリゾート地へ!青い空、木々の緑、憧れの南フランス!彼女のバカンスは静けさの中に満ち足りて進み始めた。しかし彼女1人の世界を、邪魔する者が現れる。編集長の娘ジュリーである。ジュリー演じるリュディヴィーヌ・サニエもオゾン作品には欠かせない若手女優。前作『8人の女』では、まだ幼さの残る末っ子を演じていたが、本作の彼女の官能的な美しさはどうだろう!これぞとばかりに見せびらかせられる肉体。ひきしまった肢体、ツンとはった豊かな乳房、みずみずしい小麦色の肌・・・・。それは官能美を超えた、正に神が創りたもうた女性美そのもの。その若々しい肉体に対して、中年女の肉体は、節くれだち、シミが浮き、なまっちろいハリのない肌・・・。悲しいかな、やはり若さに勝てるものはないのか・・・。
私はさらに、この2人の指先に注目してみた。作家であるサラは、キーボードを打つ指先がよくクローズアップされる。ゴツゴツしていて、あまり手入れされていないまるで男の手のようだ。それからジュリーの指は、このテの女によくある、黒っぽいマニュキュアをしているが、そのマニュキュアがはげかけている。本当にオシャレに気を使う人は、指先まで美しいものだが、ジュリーのようなはすっぱな女には、指先まで神経がゆきどとかない。このあたりの役作り、さすがである。
この相反する2人、反発しあう仲から、徐々に変化を見せる。サラは作家としての本能からか、まるでストーカーのようにジュリーの行動を観察しはじめる。そしてジュリーも見られていることに気づきながら、サラに好意を持ち始める。このあたりから2人の間に母子のような絆が生まれ、その絆がやがて起きる殺人事件によって、共犯者のそれになる。見かけとは逆に、幼い頃亡くした母への愛に飢えているジュリーは、サラの中に母を求め、自分の殻に閉じこもっていたサラは、南仏の光の中で、次第に官能の扉を開きはじめる。クライマックスで、何と彼女は全裸で男を誘惑するのだ。さえなかった肉体は、このとき、本物の成熟した女性への肉体に変化する。表面からではなく内面から滲み出る官能。このときの彼女の神々しさ、美しさ!
そして迎えるラストシーンで、「売れる本」しか出版しない編集長と対峙する彼女は、艶然とした微笑を浮かべ、物腰も自信に溢れた優雅なものに。彼女は自分の作品に対しても、人生に対しても、成熟した本物の大人の女性への自信をとりもどしたのである。取り残された編集長は、きつねにつままれたようにキョトンとするばかり。しかし、ここでキョトンとするのは彼だけではなく、オゾン監督が最後の最後までとっておいたトリックのため、見ているわれわれもきつねにつままれた状態にさせられる。このラストシーンで我々は再び謎に満ちた南仏のプール・サイドに引き戻されてしまう。空の青さを写し取ってきらめく水面のごとく、現実と虚構が入り混じり、冷たい水に入った時の、冷たさと心地よさそのままにオゾン・マジックに浸り、心地よい謎を抱えて夢見心地で映画館を後にできるのである。夏の午後のスイミング・プールのような、この不思議な感覚にいつまでも浸っていたい―――。
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