「テーマは『ペルソナ』...21世紀の『シャイニング』?」シークレット ウインドウ f(unction)さんの映画レビュー(感想・評価)
テーマは『ペルソナ』...21世紀の『シャイニング』?
原作者がスティーブン・キングということもあり、「主人公が小説家」「孤独な山荘」「妻を襲う」「壁に描かれた"SHOOTER/SHOOTHER"の文字」「犯人はお化けのせい?ストーカーのせい?」といった展開はいかにも『シャイニング』(1980)。
しかし、実際にお化けが存在していた可能性も否定しない『シャイニング』に比べると、今作は幻覚の存在を明確に否定。
「犯人は自分だった」というネタバレの要素が強いどんでん返し系作品だ。
不眠という要素も相まって、『ファイト・クラブ』(1999) 『メメント』(2000) 『インソムニア』(2002)といった20世紀末〜21世紀初頭の映画作品の潮流に載せて語られるべき一作。
少し後になると『複製された男』(2013)や『二重螺旋の恋人』(2017)『告白小説、その結末』(2017) がある。
『ファイト・クラブ』という衝撃作がありながら、かつてテレビで繰り返し放送されたのがこちらの作品だったのは、今作の方がマイルドなため規制に引っかかりにくく、尺もちょうどよかったか。
原作では超常現象の存在を全面に押し出しているという『シャイニング』だが、映画版では父親の犯行を、本人の狂気によるものかそれともお化けが本当に存在しているのか、曖昧にしている。
それに比較すると、本作は明確にストーカーの存在を否定。
主人公の狂気が犯行の原因だとし、精神疾患やパーソナリティ障害的な問題に帰している点がモダン。
本作には、原作との相違点はあるのか。
ちなみに『シャイニング』の原作刊行は1977年、映画版公開は1980年。
『シークレット・ウインドウ』の原作は1990年発表『秘密の窓、秘密の庭』。日本においては『ランゴリアーズ』に収録。
「ストーカーは主人公の作り上げた別人格で、彼の妄想だったんだね。よくあるオチだ。犯人は自分だったんだよ!寝ている間に、夢遊病のように犯行していたんだね!」などと批評し低評価するのは容易いが、「なぜ主人公の別人格はそのような犯行を犯したのか?」と問いを立て、説明していく作業は楽しい。
主人公が盗作の疑惑を晴らするために取る行動の1個1個が、疑惑を晴らされると困るかのように、自分自身の手で破壊されていく。
主人公の内面における善悪の葛藤、とも取れるが、ラストにはもはや清々しさすらあり、「本当の自分」の解放とも言える。これが悪の勝利。
疑惑を晴らすための行動を自己破壊する理由は、悪の側の立場でしか合理的な説明がつかない。
けれども悪の側から善の側を見たときに、主人公は善の顔によって何に蓋をしていたのだろうか?
主人公は、盗作を行っていないにもかかわらず、なぜ「自分が盗作をした」という疑惑を自分自身にかけるのか?
それは「善の顔」は仮面を意味する、剥ぎ取りたいもの、破壊したいものだからだ。
「善の顔」に盗作疑惑をかけるのも、盗作を「寝取り」に重ね合わせているから。
妻を寝取られた主人公は、その恨みを自分自身に向け、盗作に寝取りを重ね合わせることで、善の顔が破壊されたとき、同時に寝取り男への恨みを晴らそうとしている。
結局妄想の域にとどまらず、現実の行動に出てしまうのだが。
寝取り=盗作
寝取り男=善の顔
寝取り男を倒す=善の顔に勝ち、悪の人格が勝利する=本当の自分の解放
これはどうやら『JOKER』にもまた近く、「ペルソナ」という人類永遠の課題に帰着する話題だ。我々が普段見せている姿は「真の姿」なのだろうか?社会生活を送る上での「仮面」ではないか?我々は真実を見せるべきか?いや、仮面を剥げば争いを生む。真実は人を傷つける。方便も必要......と。クリストファー・ノーランが毎回、自分の作品の中に盛り込む要素でもある。彼はまた自分の作品を通じてこうも語りかけてくる。映画は方便だ、と。真実ではないが、映画の見させる夢が、人々に希望をもたらし、社会生活を回していくのだよ、と。
さてつまり、この映画は、社会生活において自己の安全を保証する「ペルソナ」を破壊してしまう男が、その過程を、自己の中で葛藤の物語に仕立て上げるお話なのだ。
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・振り返ってみると、冒頭で主人公は、車に乗りながら何やらブツブツと呟いている...これもまた、主人公内部における別人格との葛藤であったわけだ。
・劇中で2回ほど、カメラが窓ガラスや鏡を透過するズームイン演出がある。今後はこれについて記事を執筆したい。
>「善の顔」に盗作疑惑をかけるのも、盗作を「寝取り」に重ね合わせているから。
なるほど! それをなぞらえていたのですね。
モーテルのシーンが何回かフラッシュバックのように映されたのは
深層心理にそれがずっとあり、これが殺人のトリガーになっていることを示していたのね。雑誌のページを破ったのも「善と悪の戦い」の一環と。納得。
伏線を回収しない雑な映画だなと切り捨てていただけに新鮮でした。
(まあそれでも雑な映画ではある点は変わりませんが)
良い視点をありがとうございました。