「「事実」の裏に隠されたもの」十二人の怒れる男 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
「事実」の裏に隠されたもの
言わずと知れた名作中の名作で、今さら解説など必要としない傑作密室劇である。
冒頭、12人の陪審員達はリラックスした中にもどこか審理に対して軽く考えている節が見受けられる。
確かに、蒸し暑い陪審員室で「評決を出して下さい」と言われ、チャッチャと片付けますか!とならない方が不思議だ。
私が「十二人の怒れる男」を観るのは2回目だからかもしれないが、そんな浮わついた男たちのなかで唯一8番(ヘンリー・フォンダ)だけが言葉少なくじっと窓の外を見ている、その事が殊更に強調されているように見える。
彼はこの時、何を考えていたのだろう。この後明かされる彼の行動を考えると、部屋に入った時点からこの後の議論プランを綿密に考えていたのでは、と思ってしまう。
会議でも何でも良いのだが、時として議題とは全く関係のない事柄が議論の大勢を決めてしまう時がある。
時間の制約であったり、関心の薄さであったり、議題に対する知識のなさであったり、その要因は様々だ。
だが確実に、論じられるべき事柄の裏でそれらは大きな影響力を持ち、「事実」など簡単に吹き飛ばしてしまう。
8番は結論ありきの陪審員の姿勢に異議を唱え、「自明の事実」とされている証言を一つ一つ検証する場に残りの陪審員を引き込んでいく。
「議論するまでもない」と思われていたことに「本当にそうだろうか?」と疑問を提示し「明白とは言えない」と結論付けていく様は圧巻のタフさだ。
根拠のない決めつけにNOを突きつける、痛快さ。
しかし忘れてならないのは、彼の考えに同調していくものたちは決して「裏に隠れた余計な事柄」から解き放たれてはいないということだ。
最初に8番に同調する9番の老人は「彼の勇気ある発言に心動かされた」のだし、5番の男が同調したのは10番に対する反発なのではないかと思われる節がある。
単純に「良かった、良かった」とならない脚本の秀逸さが、この作品の大きな魅力だと感じる。
我々が考える「事実」とは、とても脆いものだと痛感させられる映画だ。