「自分のような異教徒にも強烈な体験がもたらされたことは間違いないことなのです」パッション(2004) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
自分のような異教徒にも強烈な体験がもたらされたことは間違いないことなのです
パッションとはキリストの受難のこと
キリストの最後の12時間を聖書に極めて忠実に描いています
途中様々な聖書の中のエピソードがイエスの一瞬の回想として挿入されます
死後三日目の復活はごく短くエピローグとしてあります
1973年のロックオペラ映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」は最後の7日間を描いていました
現代のようなそうでないような描写ですがこちらのロケ地は本物のイスラエルの砂漠でした
本作は良く似ているされる南イタリアのマテーラでロケされています
ほらあの「007ノータイム・ツーダイ」でもロケ地だったところです
普通の日本人に取ってはキリスト受難のあらましは「ジーザス・クライスト・スーパースター」の方がわかりやすいかもしれません
何故なら本作は聖書を読んで、全て内容を知っていることを前提に撮られているからです
自分はキリスト教徒ではありません
だから聖書も一般常識としての理解程度のことに過ぎません
単なる知識でしかありません
その知識すらどこまで正しいのかも怪しいのです
つまり、ただの映画好きの普通の日本人です
そんな人間が何故に本作を観るのか?
心の何かが本作を求めていたのか、そうでないのか
それすら自分のことなのにわからないのです
それでも何故か観たくなったのです
本作には単なる映画的な喜びや娯楽の要素は皆無です
イエスへの身体的な痛みを、観衆に感じさせるような克明さで映像にこれでもかと延々と突き付けられる映画です
キリストへの信仰が篤い人なら、キリストの受難シーンの痛みを我こととして、その凄惨さを受け止めて宗教的な感動体験になる映画なのかも知れません
ではキリストへの信仰の無い自分はどうだったでしょうか?
屈強なローマ兵二人が全力で棘のある鞭で無数の傷で血だらけのイエスを痛めつける様を遠巻きに眺めるエルサレムの群衆と同じ目線で観ているのです
本作を観ること自体が野次馬の群衆と何も変わることがないのだと思います
時は西暦30年4月7日
冒頭の紀元前700年は旧約聖書のイザヤ書53章の5でこの日のことが預言された年代のことです
ペドロや弟子達が眠りこけてイエスから叱責をうける「ゲッセマネの祈り」の有名なエピソードから始まります
西洋絵画の宗教画の主題に取り上げられることが多い名シーンです
レオナルド・ダビンチの壁面で有名な「最後の晩餐」のあとの深夜の出来事です
場所はエルサレム東の郊外にあるオリーブ畑の山のゲッセマネの園
エヴァンゲリオンの渚カヲルのように突然現れる不気味なフードの男は悪魔でしょう
この後にも時折現れたり、様子を離れて見ていたりします
劇中、全ての役者達は英語で話さず、イエスや弟子達が話したであろうアラム語で、ローマ人ならラテン語で話します
そこまで忠実に再現しようとしています
力尽き朦朧となったイエスの代わりに十字架を運ぶのを手伝わされるキレネのシモンなど聖書に書かれたことを、実際はこうであったであろうと克明かつ写実的に再現されます
二人の黒衣の女性
中年の女性はもちろん聖母マリア
若い方の女性はマグダラのマリア
二人に寄り添う若い使徒はヨハネ
ローマ帝国は三代目の皇帝ティベリウスの時代
「この人を見よ(エッケ・ホモ)」という有名な言葉を群衆に語るのはローマ総督ピラト
その妻はクラウディアです
彼女が渡す白い布で、二人のマリアはイエスが100回以上鞭打たれてできた広場の血溜まりを拭き取ります
その白い布が「聖骸布」になるのでしょう
擬人化された悪魔と、クラウディアが白い布を渡すこのシーンだけが本作に於ける映画的な演出と思われます
十字架に両手首と両足首を釘でうちつけられるシーンは、観衆自身がその痛みを自分の事として感じられるような映像です
釘が抜けないようにイエスが打ち付けられた十字架を裏返して反対側に突き出た釘の先端をハンマーで曲げるシーンはあまりにもリアルです
死んだのか確認するために「カシウス確しかめろ」と隊長から槍を投げ渡され、その槍でイエスの脇腹をつくローマ兵がカシウス・ロンギヌスです
その槍こそ、エヴァンゲリオンで有名になったロンギヌスの槍です
十字架から下ろされて遺骸を聖母マリアが抱く数多くの芸術作品のテーマとなる「ピエタ」のシーンで本作の物語は終わります
イエスの復活はエピローグ的に短く紹介されるのみです
こうして、あたかもキリストの受難を自分も目撃した群衆の一人であるかのような体験を映画で得るのです
キリスト教徒には大きな意味のある体験であると思います
自分のようなそうでないものも、衝撃を受ける体験でした
この人を見よ!
心臓が引き裂かれるような恐ろしい光景!
めちゃくちゃに虐待された血と傷におおいつくされ、むざんな姿
その姿を目撃した群衆の一人と同じ体験であるのだと思います
戦争はウクライナで泥沼のように続き、アジアでも戦雲が巻き起ころうとしています
日本では大物政治家が撃ち殺され、キリスト教から派生した邪教がいかに地下でとぐろを巻いていたのかが白日の下にさらされました
もはや誰を信じて良いのかも分からないのです
そんな2022年の夏が終わろうとしています
互いを愛しあいなさい
そのイエスの言葉は、21世紀の現実の世界にはあまりにも理想に過ぎて非現実的だと思います
しかし本作を見終わった自分には深く染みる教えに変わろうとしているのです
自分のような異教徒にも強烈な体験がもたらされたことは間違いないことなのです
メル・ギブソンの暴力のリアルな表現を得意とする彼の作風は、本作を撮るために神が与えたもうた能力であったのかも知れません