「必死に光を目指す「日陰者」の姿。」ミリオンダラー・ベイビー すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
必死に光を目指す「日陰者」の姿。
◯作品全体
作中、「なぜそこまでして…」と思う場面が多々ある。ダンはなぜ赤字なのにボクシングジムを経営するのか、エディはなぜ失明を覚悟して最終戦に挑んだのか、マギーはなぜ30歳を超えてボクサーを志すのか…それぞれ答えに近いニュアンスを語れど、明確ではない。ダンとエディにとっては「長年のボクシングへの情熱」といえば確かにそうだが、それだけではないはずだ。マギーはそもそもボクシングとの出会いがあまり描かれておらず、練習とバイトを掛け持ちして過酷な試合に挑む姿には「なぜそこまでして…」という疑問符が浮かぶ。
この疑問をセリフではない部分で理解させてくれる演出があった。それは影だ。前半は特にそうだが、三人がカメラに映るとき、表情が見えないほどの影に覆われる。エディが現役最終試合の話をしているときには、逆光の立ち位置でまったく表情が見えない。通常の会話のシーンであれば影を使えど真っ暗にすることはそうそうない。あるとすれば悪役や姿を見せない人物を映すときくらいだろう。マギーがサンドバッグを黙々と叩くシーンや、ダンが事務室にいる時にも同じくらい濃い影があった。
3人とも影の中にいる存在なのだ。暗い過去が…とかではなく、「日陰者」なのだ。ダンは有望株のボクサーに見放されたセコンド、エディは王座挑戦すらできず引退したボクサー、マギーは30歳を過ぎた貧乏なアルバイト。どれも枕詞に「単なる」という言葉が付く存在だ。その中でマギーはリングに光を見出し、アルバイトのまま終わっていく自分自身に光を浴びせるため、必死の足掻きをみせる。そしてその姿は何者でもないままのダンとエディにも微かな光を注ぐ。かすかな光を強調するための影なのだと思う。
エディが初めてマギーに助言するシーンや、ダンが本格的にマギーを指導することを決めるシーンは影と光の演出が印象的だった。影の中から一歩踏み出し、光を浴びる演出。まるでダンから救い出されるように歩を進めるのがとても良い。「なぜそこまでして…」という疑問は、日陰者である自分をなんとか日向へと向かわせようとする「影の演出」が答えだ。王座というスポットライトへと挑む、彼らの力強さのエクスキューズとも言えるだろう。
後半30分はとてもつらかった。長く日陰者として生きてきた人間が、意を決して踏み出すリスクを容赦なく描いていた。挑戦は年齢も社会的地位も後がない人間にとって、どれだけ大変で危険なことか。周りの人間はもちろん、運までも味方にしなければならないその立場を、これほどまで冷酷に映している作品もそうそうない。
しかし、全身麻痺となったマギーが命を絶つことを望むラストは納得できるものだった。これまで日陰にいた人間が「生きていれば何かある」、「生きていることが希望だ」という言葉を素直に受け止められるだろうか。有り金をはたいて、体に傷を負ってリスクに挑んだ人間に、障害を負ったうえでもう一度振り出しに戻ってやりなおせと言うほうが残酷だ。ダンがマギーの望み通りにしたことも、同じ日陰者だからこそ理解できたのだろう。マギーを過去の人間にして日陰へ戻っていくラストカットはとても寂しく辛いものだったが、何者でもなかったマギーがダンの記憶の中で輝いていることは、せめてもの救いのように感じた。
マギーが対戦相手を憎んだり、対戦相手に物語の時間を与えなかったところも見事だ。本質はそこではなく、「なぜそこまでして…」と思わせる程の、何者かになるという情熱なのだから。最後はその光が閉ざされてしまうわけだが、表舞台へと挑んだダンの軌跡と三人の心の揺らぎは、決して無意味なものではなかったと感じた。
〇カメラワークとか
・影を作るこだわりがすごかった。単純に影を付けるのではなく、顔を覆ってしまうほどの真っ黒な影。名俳優を使っておきながら顔を見せない画面を作るのは相当勇気がいるだろうけど、よくぞここまで、と思った。
・一番印象的だったのはダンがマギーのコーチとなることを呑むカット。夜のジムで握手する二人をシンメトリーのような影のシルエットにしていた。一心同体、というような画面がかっこいい。
〇その他
・序盤のダンとマギーの関係性の見せ方が上手だった。無下にする師匠側と熱心な弟子という構図は、物語的に面白くしようとして師匠側に辛い過去とか作りがちだし、やりすぎだろうってくらい弟子を冷たくあしらう(でもそれは良心で…みたいな)っていうテンプレがあるけど、そのテンプレにかすりつつ、そのままのレールには乗らない、絶妙な感じがあった。ダンはマギーに断りをいれてるけど、別に冷たいわけじゃない。他のジムをすすめたり、年齢を聞いて難しいことを率直に伝えてる。熱意に負けて、すこし優しくしたりする過程があるのも人間味があって良かった。言葉や行動にテンプレ的嘘くささがないのが良かった。
・ラフプレイを煽る相手セコンドとかマギーの家族の冷たさは、少し薄っぺらさを感じてしまった。実際にああいう人間もいるんだろうけど、物語としては悪の役割を押し付けすぎてる気がする。