新宿泥棒日記のレビュー・感想・評価
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新宿の記録フィルム
長らく私の中で幻の映画が日の目を見た。
その1本がイエジー・スコリモフスキ監督「早春(DEEP END)」で近年リマスター公開されました。当時、日本でも大人気だったアイドル・ジョン・モルダー=ブラウンを主演にポール・マッカートニーとつきあっていたジェーン・アッシャーを相手にしたティーンエイジャー映画かと思いきや無茶苦茶変な映画でしたが結構好きな映画です。
そしてもう1本が大島渚「新宿泥棒日記」これは観るまで、どんな内容か想像できずに今回の35mm限定上映で観る事ができました。かつてベルナルド・ベルトルッチ監督は自身の「パートナー」と「新宿泥棒日記」は時代に判を押された古臭さがあると評しました。
私は今回「新宿泥棒日記」を観た感想は古臭さは、それ程感じませんでした。主演の横尾忠則さんや唐十郎にしても今の若者にもいそうな感じで親近感が持てました。紀伊國屋書店が主な舞台で実在のお店を舞台に演技の素人を主演にしてベテランをワキに配するラディカル性は大島渚監督にしかできないですね。この映画は白黒映画なのですが、ときたまパートカラーになったりします。(スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」や黒澤明の「天国と地獄」でも使われたアレ)そのパートカラーの使い方が物語上必要かと思えばそうでもないんですけどねぇ・・・。しかし今回フィルムで観た唐十郎の着てた着物の柄やマネキンに塗る紅色がなんとも生々しい〜
今回の上映会は私の中で記念碑的な場でした。
もし◯-nextで観てたら、あ〜つまんないで途中で観るのをやめてました。
過去の作品をリマスターでなくオリジナル35mmフィルムで観れたのは貴重な体験でした。
本作は新宿での再度の暴動を煽動し、最終的には日本に革命を起こすのだと主張する映画だ だからラストシーンがああなのだ
本作の内容を理解するには、まず1968年10月21日月曜日、国際反戦デーに起きた「新宿騒乱事件」の事を知らなければならない
そうでなければ何もわからないだろう
いまでは知らない人も多いだろう
現在からは想像もできないような大規模な騒乱事件が新宿駅で発生していたのだ
あらましはこうだ
その日の夜9時頃、中核派などの過激派約2000名が角材などで武装して新宿東口広場で集会を開いたが、やがて投石を始め暴動となった
暴徒は新宿駅に乱入、駅構内の施設、レール、信号機、電車を手当たり次第に破壊して回り、はては電車のシートを薪代わりにして放火し駅の東口を炎上するに至った
これにより新宿駅だけてなく首都圏の国電は大混乱となり翌日昼前まで麻痺状態となった
野次馬は2万人にも達した
午前零時を過ぎた頃、機動隊が新宿駅に突入、暴徒となった過激派を検挙
騒乱罪で約700名以上を逮捕してようやく終息をみた一大騒乱事件の事だ
冒頭に写るのは1968年の新宿東口広場
中盤にカラーで写るのもおなじところ
そこがこの新宿騒乱事件の現場だ
裸になってみせるのは唐十郎 29歳
終盤のテントの中での由比小雪の演劇は唐十郎の主宰する前衛演劇集団「状況劇場」によるもの
彼らは1967年8月から新宿三丁目の花園神社の境内に「紅テント」を張って公演をしていた
しかし翌年1968年6月に地元商店会と神社から公演内容が公序良俗に反するとされて神社の使用を禁止されてしまい公演の場所を失う
そこで1969年1月3日に新宿西口公園に勝手に「紅テント」をはり、東京都の中止命令を無視して公演を強行する
この騒動が唐十郎が逮捕された「新宿西口公園事件」だ
その2週間後の同年1月18日には東大安田講堂を占拠する過激派を、機動隊が突入して2日間に渡る大攻防戦の末に強制排除する「東大安田講堂事件」が起きる
本作は1969年2月15日公開
「新宿騒乱事件」からまだ4ヶ月ほど
「新宿西口公園事件」はほんの1ヵ月半前
「東大安田講堂事件」はわずか1ヵ月前のことだったのだ
こうした騒然した余韻がくすぶっている中で本作は撮影され公開されたのだ
冒頭の世界各都市の時刻のテロップは何か?
ベトナム反戦運動や既存の体制への反抗運動は、例えばパリの5月革命と呼ばれる騒乱のように世界各地に巻き起こっていた
つまり、この新宿の騒乱もこうした世界的な政治運動と同じものであるという主張なのだろう
そして12時の時計の針を何者かがむしり取る
これは午前零時に新宿騒乱事件において機動隊が突入を開始した時間だ
日本時間12時はグリニッジ標準時3時であり、3時の針をむしるのも同じ意味だ
革命の芽を摘み取られたと抗議している映像だ
劇中挿入されるフォークギターをかき鳴らし、歌を歌う若者たちの映像
あれは新宿フォークゲリラだ
1969年の1月頃から新宿西口地下広場に若者たちが集い、反戦ソングやフォークソングを歌うようになった
この集会は次第に多くの人数を集め始め、やがて週末になると数千人規模に膨れ上がっていく
無届けの集会であるし、新宿騒乱事件の再発も危惧されるから警察はこの集会を取り締まるのだが、警官がくると解散するが、警官が去るとまた集会を始めるので「新宿フォークゲリラ」と呼ばれるようになる
そこに、この集会にベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)も加わり、いよいよ政治的色彩を帯びて、新宿騒乱事件が再発しそうな雲行きになっていくのだ
ベ平連については各自でお調べ願いたい
つまり本作のタイトルの意味とは新宿を泥棒してやるぞ!という宣言だったのだ
泥棒=革命の解放区とするということ
冒頭で唐十郎が褌一丁の裸になってなにを盗ったのか確かめててみろ!と啖呵をきるのは、まだ新宿を盗ってはいないということ
これから盗るという意味だ
この寸劇はつまり新宿騒乱事件を表現したものだ
唐十郎は過激派の役を演じ、彼を捕まえようとするものは機動隊を演じている
そして唐十郎が褌に隠れていた下腹の入れ墨をみせると、遠山の金さんに平伏する悪人のようになるのだ
その入れ墨は薔薇のようにも牡丹のようにも、菊の紋章のようにもみえる
革命がなったその暁には、我らこそは日本の支配者に君臨するだろうという主張に読み取れる
つまり本作は新宿での再度の暴動を煽動し、最終的には日本に革命を起こすのだと主張する映画であるのだ
だからラストシーンがああなのだ
ラストシーンで写されているのは、これは1968年6月30日日曜日の新宿東口駅前交番襲撃事件の光景だ
壁の時計は深夜1時半を指している
これが新宿騒乱事件の導火線だったのだ
しかし半世紀後の私達は知っている
新宿フォークゲリラもまた1969年6月28日機動隊に排除されたことを
本作公開の4ヶ月後のことだ
そしてこの年の12月には総選挙が行われたのだ
その結果は、日米安保条約の延長を主張する自民党は国会での議席を増し、それに反対をした社会党は約50議席も減す大敗を喫してしまう
それが本作公開の10ヵ月後の結末だ
国民は日米安保条約の延長を望み、このような過激な反対運動を全く支持しなかったのだ
新宿を盗むどころか、国民からそっぽを向けられて70年安保闘争は完全に敗北したのだ
こうして過激派の闘争は袋小路となり、よど号ハイジャック事件、あさま山荘事件、連合赤軍事件に至り、決定的に国民から見放されていったのだ
本作の若者たちとは?
即ち団塊世代だ
団塊世代の出世のピークは1949年だから、彼らは20歳ごろだったのだ
彼らの若かりし日々の武勇伝の物語に過ぎない
全ては集団ヒステリーに過ぎなかったのだ
今から思えば、当時のソ連や中国や北朝鮮の陣営の工作にまんまと操られて踊らされていただけなのだ
信じられないだろうが、その三国は平和勢力であると彼らは盲目的に信じ込んでいたのだ
ストーリーや登場人物が語る内容なんかに、新宿を泥棒するという宣言以外に何の意味もない
考えるだけ無駄だ
むしろ、本作はリビドーと結びついた暴力衝動が彼らの政治闘争と自称するものの本質であったことを吐露していることに注目するべきだ
鈴木ウメ子がヒロイン
日本そのものを象徴している
鈴木とは一番多い名字
ウメ子とは、サクラではないということだと思う
桜では軍国主義のイメージに繋がるためだ
軍国主義ではない日本を象徴する花がウメということだろう
彼女は二人の男に犯される
一人目は60年安保闘争、二人目は70年安保闘争だ
横山リエだけが女優として映画の中にいる
あとは映画に登場する本人が本人役をする
紀伊国屋で書籍を万引きする役は、横尾忠則 32歳
当時すでに国際的イラストレーターとして高名であった上に、彼は状況劇場の公演ポスターも描いていた
捕まって連れて行かれて会わされるのは紀伊国屋書店社長の田辺茂一本人
当時はネットもAmazonもない時代なのだから、大型書店は知識を得るための重要な拠点であり、新宿の紀伊国屋書店はその代表的な店であった
特にサブカルチャーの書籍の品揃えが充実していて、他では手に入らないものが多かったのだ
それはこの社長の文化への理解が大きいと言える
登場する俳優たちは大島監督の常連俳優たち
当時の新宿サブカルチャー界を取り巻く有名人の紹介映画でもある
ではこの映画を21世紀に団塊世代のずつと下の世代、まして21世紀生まれの若者が観る意味や価値は有るのだろうか?
映画的な娯楽性などない
ならば資料的意味しかないのだろうか?
いや団塊世代には大いにあるのだろう
それは彼らの若かった日々、過去への回顧趣味だ
彼らは本作を日本映画のオールタイムベストのリストに本作を入れたのはそういう理由だ
では21世紀の私達には意味のないものたろうか?
いやある
団塊世代がこのような青春に生きたことを今も誇り、その当時のままのマインドセットで21世紀を見ていることを知るということだ
半世紀も前の考え方のままで、日本の将来を団塊左翼老人は今も左右しようと足掻いているのだ
その恐ろしい妄執を確認できるということだ
21世紀の若者たちは、団塊左翼老人どもから日本行く末の舵とりを取り返さねばならないのだ
さもなければ、私達は団塊左翼老人たちと一緒にあの世のお花畑に連れていかれてしまうだろう
彼らは今もこのようなマインドセットで若者を半世紀も前の自分たちの妄執の実現に利用しようと狙っているのだ
彼らに洗脳され、捨て駒に使われることだけは絶対にないように気をつけないとならない
そのために本作を観るべきだ
難解な映画だったので未だまとまっていないが,現時点で引っかかってい...
難解な映画だったので未だまとまっていないが,現時点で引っかかっていることを書く.時間のことについて作中で度々描写されていた.初めのタイトルコールのあたりで,ラジオの天気についての放送のような形で世界の時刻が表示される.あれは共産主義の運動が世界的に起こっていることを表現していたのだろうか.続いて,パリの時刻が表示された後にドゴールが勝利するという記述が出てくるが,続いての酒場のシーンでは日の丸が描かれた球体がぱっくり問われてその間から時計が覗いている.その時計をウメ子が割るという描写があった.思えばタイトルの時にも,3時を指していた時計の針をむしる描写があった.歴史の終わりという事だろうか.進歩史観が持ちこたえられなくなって,そこから何が起こるのか.大島渚の他の作品の中にも時折顔を出すこの問いかけ.その中で性についての物語を,男女の違いという事をテーマとして映し出した,という解釈をすることもできるだろう.しかしやはり,分からないことだらけだ.
ス がついてるから複数
記録映像集みたいので、前後に脈絡なく会話がはじまったりして繋がっていない。モノクロではじまって途中何度かカラーに切り替わる。万引き、奇妙な歌、鈴木ウメ子は犯された。いろんなオジサンに愛とセックスを語らさせる。
映像がストロングで眠るようなことはないけれど、わからなすぎる。怪作。
退屈した
脱構築というのだろうか、物語を組み立てるつもりがなさそうで、時折突拍子もない映像が挿入されたりする。登場人物も魅力に乏しく最後まで見るのが苦痛だった。大島渚だったから最後まで見たけど、もうこういうのは見なくていいと思った。
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