「少年にとって怪獣とは雪だるまだけなのか」少年(1969) ほとはらさんの映画レビュー(感想・評価)
少年にとって怪獣とは雪だるまだけなのか
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10歳くらいの少年を含む当たり屋一家は当たりを続けながら日本列島を北上して行く。
昔はよく当たり屋グループ北上中とかそろそろ入県とか、本当なんだかデマなんだか分からない情報がたまに流れてくる事があった。この映画が元なのか、それともそういう事実が実際にあって映画が作られたのか、前後関係はよく分からんが。これは雑談。
さて、戦後も二十年経ち東京オリンピックも成功裡に終わり、敗戦などどこへやら高度経済成長を行け行けどんどんで突き進む日本社会の様子を映画の背景画像としてこれでもかと見せつける。
画面の主たるオブジェクトを常に中心線からずらし余白を大きくとる撮り方。
高度経済成長に背を向けたのは主体的だったのか風まかせだったのかわからないが、とにかく結果的に高度経済成長から落ちこぼれて犯罪一家になってしまった家族。
そういう大島渚監督の独特な、あるいはニューシネマ風な撮り方によって、その家族が映ると非常に悲しさが浮き彫りになる。その映像表現は逸品である。
少年の身代わりのように一瞬で死んでいった雪国の少女は、もはやぴくりとも動かない。だからこそ静かで美しい。禁断の美しさを見せつける。大島渚監督よ、あなたの映像はすさまじい。
すごい映画なのだが、一家に対する同情を盛り上げるでもなく距離感を持って追い続けるような作風のため、いまいち没入感はなかった。
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