武士の一分(いちぶん)のレビュー・感想・評価
全13件を表示
朴訥。
藤沢周平原作の山田洋次作品は「朴訥」という言葉がよく似合う。
登場人物たちの芝居や海坂藩特有の方言がそう感じさせるのかもしれない。
個人的に一番「朴訥」と感じるのは登場人物とカメラの距離感だ。作中のほとんどの時間を小さな新之丞宅を映しているが、湿度の高い日本特有の、風通しの良い間取りによって居間から土間までを画面に収めている。それによって居間にいる新之丞と加世、土間にいる徳平を同じ画面で映し、身分は違えど家族のような距離感であることが表情やセリフを映さずともわかる。俳優の芝居に頼っても良いのかもしれないが、家族同士の気負わない言葉の遣り取りを静かに見守るカメラワークが「穏当」であり、時に「寂寥」を作り出す。それがこの作品特有の「朴訥」に繋がっていた。
新之丞とその周りの世界の映し方もすごく良かった。自然が同居した庭と小鳥がさえずる縁側。失明してもなお、音で世界を感じる新之丞の世界の広さを感じる。大雨や強い風が吹く屋外を新之丞宅の中から映すのも印象的だった。どれも新之丞宅の傍でしか映していないにもかかわらず、新之丞のいる世界がいろいろな表情で描写される。その意図としては、やはり平穏に暮らしてた新之丞の「穏当」と、失明して周りから人がいなくなっていく「寂寥」、それぞれの新之丞から見た世界の変化を映し出すためではないだろうか。
そしてその「穏当」や「寂寥」が、果たし合いでの新之丞の激情を強調させる。
新之丞が大事にしていた穏やかな空間を破壊した相手に向ける冷徹さと、武士としての面目を堂々と全うする荘厳さが凝縮されていて素晴らしい。
ラストは藤沢作品特有のほろ苦さで終わるのか…と思ったけど、目の見えない新之丞へ送る「妻の一分」によって空気が絆されていくのが素晴らしかった。
物語を始め、セリフ、方言、芝居、カメラ、背景…強調される彩色はないけれど、それによって「朴訥」という色が産まれていた。その一徹に心打たれる作品だった。
◯カメラワークとか
・新之丞邸はいろんなところにカメラを置いて風通しの良さがあったけど、お城でのカメラワークはかなり平面的で閉塞的。城務めやお毒見役に辟易としている新之丞の心情に寄ったカメラワークの差異。
◯その他
・見始めたときは木村拓哉の独特な間とか芝居が鼻に付く感じが否めなかったけど、失明してからの芝居は素晴らしかった。低いトーンでボソッと方言を話す木村拓哉、月代が無くなってボサボサの木村拓哉、むしろ良い、となった。
・「~でがんす」っていう方言、良い。
セットがちょっと安っぽく感じた。
山田洋次監督の映画はたぶん初見。
いちおうハッピーエンド的な終わりだったから良かった。
免許あるのに、盲目の人相手に姑息な手を使って勝とうとしたのに負けちゃうって弱すぎるだろ。
❇️ワイも妻にお茶っつ!とか言うてみたいもんやわ。大義であった。😆
武士の一分
🇯🇵江戸末期(幕末)架空の藩(山形県鶴岡市あたりか?知らんけど)
藩主が食事をする時、毒味をする仕事があった。毒味役をする下級武士の男(キムタクさん)が主人公。
夫婦仲睦まじく暮らす生活が、ある事故で一変する。夫の為ならなんでもしようとする妻が悪党に騙されててしまう。
武士の命をかけた復讐が始まる。
❇️何故口映しで水を飲すのか?
★彡なんか滑稽なシーンであった。😅大義である‼️
◉70E点。
★彡この時代の妻の立ち振る舞い所作が美しい。何故男は自分でお茶を作らないのか?
爪を切らせるや耳かきなど漢冥利に尽きますね。
ワイもお茶🍵!とか言ってみたいもんやなぁホンマ。
🟢感想。
1️⃣思ったよりキムタク感が少ないので観やすかった。褒めてるよ。🔺
★彡何を演じてもキムタクになってしまう、オーラは健在ですが、オーラはやや封印してる感じは良かった。
2️⃣あるシーンで『大義』と言われるシーンがツボ⭕️
★彡実際こんなあっけないのでしょうね😁
3️⃣いくらなんでも盲目が剣士に勝つなど考えられへん❌
★彡説得力に欠けるな。💢
ロッキーばりに練習シーンあったらあったで笑えるかも!
4️⃣敵をあえて殺さないで武士道を伝える⭕️
★彡悪党にも武士の魂を感じられ良かった。
🈲ネタバレ保管記憶用(大阪弁主人公目線で!)
ワイは下級武士で藩主のお食事の毒味役と言う仕事で愛するツレと長年支えている下手人と仲睦まじく暮らしていたんよ。
しかしある日ワイは食事に入っていた笠貝🐚の毒に当たり死にかけていたんねん。
3日寝たっきりやった様で、目も見えへん様になり失明しもうた。
これから仕事やツレをどう養えば良いのか自殺も考えた時もあったさかい。
ツレは藩番頭と顔見知りやった事から、今後の生活費を藩主に交渉するといい、見返りを求めツレを手籠にしやった💢二度目以降は、旦那に言うと脅した。
ツレから話を聞いた時は、ワイは怒りそして落胆し、妻を離縁してしもうた。
しかし後から、生活費は藩主からの温情とわかり、妻が騙された事を知りワイは怒りと復讐をする事にしたった。
この番頭ホンマいちびりやわ!身分なぞ関係あらへんよ。許さへん。
気の読み方や殺気など盲目独自の感性を学び、死ぬ覚悟で決闘を申してん。
糞番頭との屋根からの攻撃をワイの必殺剣で腕を切り決着をつけたった。
しばき殺すとも思ったが、武士の情け、ワイはトドメを刺さなかったんよ。
そしたら後日糞番頭は理由を述べず、切腹よった。まぁあやつも多少武士の魂は持っていた様だ。
数日後、下手人の出した料理を食べたのだが、ツレの味とわかり、ワイ達は幸せに暮らした。
目が見えなくても、剣を子供達に教えられる様にしたいねんな。しらんけど😆
木村拓哉の演技には、期待を大きく外された。
山田洋次監督による2006年製作の日本映画配給:松竹
夫婦愛を描いたなかなか良い映画とは思った。
全く知らなかったが、檀れいさんが美しく色気ある理想的な妻を演じて魅力的だった。
檀れいさんを追うカメラが舐める様に後から腰回りや横から頸を捉えて、彼女の滴り落ちる色気を強調していた。山田洋次監督だけに意外性も有り、新鮮な驚きも感じた。
笹野高史が、主人夫婦のことを思い遣る奉公人を演じてとても良い味を出していた。日本アカデミー賞助演男優賞獲得も大納得。
新たな魅力を見せてくれた真田広之の例もあり、木村拓哉が山田洋次監督の手によりどう変身するか期待満点だったが、期待は大きく外された。難しい役ではあるが、盲人となってからの動きの一つ一つがワザとらしく見ていられなかった。事務所から強力なプッシュあったとしても、素材的に山田監督が魅力を感ずるのも良くわかる気がする。あまりに撮影に避ける時間がタイト等、木村拓哉側に何か問題があったのだろうか?
脚本山本一郎 、平松恵美子 、山田洋次、原作藤沢周平、撮影長沼六男、音楽冨田勲。
出演木村拓哉(三村新之丞)、檀れい(三村加世)、笹野高史(徳平)、桃井かおり(波多野以寧)、大地康雄(玄斎)、緒形拳(木部孫八郎)、坂東三津五郎(島田藤弥)。
テーマは復讐か、絆か。
終始、独特な緊張感が張り詰めた映画でした。
ですがラストシーンになるとその糸が切れるというか、何かがパッと弾けた様な展開となります。
三村が小鳥を逃すシーンまで来た時、この映画の終わらせ方は一体どうなるんだろうと半ば不安でしたがそれを吹き飛ばす様な、徳平の粋な計らいで安心させられ、僕は涙せずにはいられませんでした。
武士である三村のどうしても許せない心情と、島田のそれを許せるかという葛藤で闘った末に得たものを考えさせられる深い内容だったと思います。
とてもよかった
キムタクの顔がきれいすぎて、気持ちが入っていかなかったのだけど、失明して荒んでくるとどんどんかっこよくなって色気が凄まじい。現在でも奥さんの浮気は許さない人が多いのだけど、事情も事情だしいいではないかと思う。檀れいがきれいだったけど、きれいなだけでそれほど魅力を感じない。桃井かおりがおしゃべりなおばさんの役。
殺陣がすごい緊張感で圧倒される。
映画としては面白いがラストが腑に落ちない
演出も演技も素晴らしい映画だった。
だがラストが腑に落ちない。
新之丞は命をかけて“武士の一分”を果たした。
見ていて気持ちがいい。
では加世は“武士の妻の一分”を果たしたのか?
とてもそうは思えない。
そもそも島田に襲われたとき加世は「怖くて声も出せなかった」と言ったが、武士の妻としてはあまりにも不甲斐ない。自分が手篭めにされるということは自分のみならず夫も家も見くびられるということだが加世はそれを理解していたのか。その場では抵抗ができなかったにせよすぐに夫に報告すべきだが、黙って島田に二度も三度も会いに行ったとなると、加世も被害者であるとはいえ武士の妻としては落ち度がありすぎる。
当時の武家の規範からすれば斬られても文句は言えない。「女敵討(めがたきうち)」といって妻が姦通した際に姦通相手と妻を殺害することを幕府も認めているくらいの時代だ。離縁は最大限に寛大な措置だ。加世はもう新之丞の前に一生顔を出せる身分ではない。
にもかかわらず加世は島田亡き後、新之丞の家に飯炊き女として帰ってくる。これは離縁された武士の元妻としてありえないことだと思う。もちろん新之丞の生活ぶりは酷かったからタブーを犯してでも家に戻りたくなる気持ちは人情としては分かる。だがそれにしても絶対に正体を悟られてはいけないはずだ。それなのにあろうことか加世は初日から新之丞の大好物を作ってしまう。「自分に気づいてくれ」と言わんばかりの行為。理解に苦しむ。
男たちは“武士の一分”を果たしたのに、加世は“武士の妻の一分”を果たしていない。そこにアンバランスさを感じてしまった。
何年もこっそりと飯炊き女として身辺のお世話を続け、正体を悟られた後も「私は加世ではありません、加世はもう死にました」くらい言い張ってくれた方が美しい終わり方だったと思うのだが。
時代劇の夫婦関係深くて割と好き
キムタクのモチベ高い時に見たからとてもカッコよく見えた
島田にトドメ刺さなかったとこも良き
島田がなにも言わずに自害するのもジンときた
島田推してる、笑
でもなんて言ったって檀れいの綺麗さよ
あんな夫婦憧れる
結構好き!
ストーリーが胸熱!失明したにもかかわらず、妻を利用した上士に果たし合いを挑む。正に狂気の沙汰としか思えませんが、胸が熱くなります!
檀れいさんが、いい女すぎる。そして敵の上士も含めみんな、いさぎよいな。
主役は檀れい
総合:80点
ストーリー: 75
キャスト: 80
演出: 80
ビジュアル: 75
音楽: 70
何をやっても同じ役柄しか演技できないといわれる木村拓哉だが、今回は失明してからの抑えた演技は悪くなかった。だがこの映画の主役は、彼を支える献身的な妻を演じた檀れいではないだろうか。「隠し剣 鬼の爪」の松たか子といい、「たそがれ清兵衛」の宮沢りえといい、山田監督の東北時代劇三部作に登場する女は、みんな不幸の影を背負いながら実に献身的で魅力的だ。今回も彼女の清らかな誠実な心に胸打たれて感情移入してしまった。
物語のほうは、失明して家庭が荒れた後に静けさを取り戻す過程と、上司の島田に騙されいいようにされて怒りを示すくらいまでは良かったのだが、その後の話がとんとん拍子に進んでしまうことはあっさりしすぎのように思えた。おそらくは家人が世話をしていたのだろうが、檀れいは何をしていたのかとか、もうちょっと追いかけて描いてくれてもよかったのでは。
俺は他人から、情けや施しを受ける身の上になったのか
映画「武士の一分(いちぶん)」(山田洋次監督)から。
毒見役で、赤貝の毒にあたり、失明してしまう主人公、
木村拓哉さんが演じた下級武士、三村新之丞の言葉。
不安とイライラが募り、周りに当たり散らす。
さっきまで夢をみていて、景色や姿がはっきりしたのに、
目が覚めた途端、目の前が真っ暗で何も見えないことを
現実として、しっかり受け入れられない様子が伝わってきた。
そして、独りごとのように呟く。
「俺は他人から、情けや施しを受ける身の上になったのか」
それは、武士にとってとても恥ずかしいことであり、
そこまでして生きようとしている自分が許せないのだろう。
「他人から、情けや施しを受ける」ことが、不名誉な時代、
今で言えば「生活保護」を受給することと同じかな。(汗)
「生活保護」を受ける権利を声高々に主張するのは、
やはり何かの間違いではないだろうか。
ところで、タイトルにも使われている「一分」。
意味は「その人の面目。人間としての名誉、
一人の分際。一身の面目、または職責」
これだけは譲れないという「誇り」みたいなものかな。
P.S.
キムタクって、時代劇向きの顔じゃないな、
パイロットとか、そういう役の方が似合っている。(笑)
全13件を表示