「それでも人生は続く」あなたになら言える秘密のこと レティシアさんの映画レビュー(感想・評価)
それでも人生は続く
少女の声の語りで始まる。この声の主が誰かは最後まで語られない。それは、見るものの想像にまかせられる。おそらく、主人公ハンナの不幸の中で葬り去られた、彼女のはじめての娘の声ではなかったのだろうか…。
開巻と共に、ハンナがいかなる女性かが紹介されていく。その描写は簡にして要。大きな工場での生活の様子。作業前に一人だけヘッドホーンをとらない彼女は難聴者なのだ。独り、ライスと半分の林檎とチキンナゲットのランチを食べる彼女。障害故の人嫌いなのだろうかと思わされるのだが、耳のことも、人付き合いのことも、もっと重い理由があることを、我々は後で知るのである。
勤勉すぎることに組合からクレームがつき、
一ヶ月の強制休暇をとらされた彼女は、海辺の町にたどり着く。しかし、彼女は、なぜか遊べない人のようなのである。そこで短期の看護士の仕事につき、沖に浮かぶ海中油田の基地へと渡るのである。そこに彼女を待っていたのが、大火傷を負ったジョゼフであった。 体にも心にも傷を持ちながら、ユーモアに満ちた話し上手のジョゼフとのやりとりの中で、少しずつ心を開いていくハンナ。自らに贅沢を禁止するかのような食生活をしていた彼女が、シェフ・サイモンの愛情ある料理を貪るように食べるシーンも印象的である。
コーラという看護士と少年の悲話。自らの名前さえ語らぬハンナの対応。秘密の話としてジョゼフが語る父親とのボートのエピソード。一つ一つの会話に深い意味が込められている脚本は見事。
ジョゼフの秘密とは「僕は泳げないのだ」ということ。この秘密も、ラストの感動を深くする伏線なのだ。二人の対話劇の進行の果てに我らが耳にするハンナの「秘密」は、共に涙することでしか癒すことのできない、ボスニアの悲惨な戦いの中での地獄の体験であった。一時的に視力を失っているジョゼフの手を取り、傷だらけの自分の胸を触らせるシーンは切ない。彼が言う「レイプの果てに、ナイフで傷つけられ、その傷口に塩をすり込まれ、さらに縫合され、衰弱して死んでいった君の親友の名前は何というの?」彼女は答える「ハンナよ」と。生き残ったものの恥がそう言わせたのだろう。私も死にたかった。生き残った自分に幸せになる権利はないのだ。そんな深い悲しみが、今の、独りの彼女をつくっていたのだ。
彼女の苦しみを我が苦しみとして、胸に受け止め、共に涙したジョゼフから、しかし、彼女は去っていく。視力の回復した彼は、逡巡の果てに、彼女との人生を望む。彼女を見つけ出し、その思いを告白する場面が心に残る。ハンナは言う「一緒になっても、ある日急に私は狂ったように泣き出し、あふれる涙を止めることができず、二人ともついにはその涙の海におぼれてしまうだろう」と。ジョゼフはうつむき考えるるそして彼が言った言葉は、我々の胸にストンと落ちた。「ぼくは泳ぎを一生懸命練習するよ。」
こうして二人は結ばれるのである。明るいキッチンに座り、静かな表情でコーヒーを飲むハンナ。少女の声が重なる。「私の妹たちが戻ってくる声が聞こえる。もう私は去ろう。そして、二度と戻ってくることはないだろう。」
窓の向こうの草原を、赤い服を着た双子の少女がこちらに向かって走ってくる。明るい声と共に。そして、画面は、静かにフェードアウト。その暗闇の中で、ハンナと共に痛んだ自分の胸が、静かに癒されていくのを感ずる。我々の誰もが味わったことのない悲惨を胸に、それでも人は幸せになれるのだろうかという問を、心の隅に残しながら。
静かな音楽を耳に、ハンナの今の幸せに精一杯のエールを送りながら、エンディングのスクリーンを見つめていた。