「シドニー・ポラックらしい上質な娯楽作品」ザ・インタープリター mac-inさんの映画レビュー(感想・評価)
シドニー・ポラックらしい上質な娯楽作品
故シドニー・ポラックの遺作。
アメリカを含む世界で戦争やテロによる暴力の連鎖をいかに止めるか。この映画は、テロ攻撃には、武力による制圧しか抑止力がないと考えられているアメリカの状況に対して、ひとつの考え方(理想であるが)を、示している。
アフリカのある架空の国になっているが、国連で、自国民の大量虐殺を正当化の演説をする予定の権力者が、実はその昔、民主化、民族独立運動の平和主義的な英雄だったことが語られる。そしてテロの指導者のほとんどがその昔平和主義的な指導者だったこと、昔平和主義の英雄が現在テロの指導者に変質してしまうという現実が語られる。
二人の主人公(ニコール・キットマンとショーン・ペン)は、どちらも家族を不慮の死(ひとりはテロで兄を、ひとりは妻を不倫の果ての交通事故死)で亡くしており、その死からどちらも立ち直れない同士。主人公二人の最愛の人の亡くした喪失感を起点にして、個の哀しみから、現実社会のテロの問題へつなげていく。肉親を亡くした個人レベルの痛みから、世界の状況を語る語り口が凄い。
現実社会に対する議論にどうしても個の痛み、悲しみを忘れがちだが、個の総体が現実社会なのだから、この視点を基点にしているストーリーの構図の巧さ。個の感情を起点にして現実社会で起こっている問題に対する対処方法を、理想(願い)ではあるが無理なく語っている。
映画の中で、アフリカのある民族の風習(クー族/架空の民族らしい)が語られる。殺人犯を十字架に縛り付け河に鎮め、溺死させる話。遺族は、溺死させるかさせないかは遺族が決める。溺死させれば、恨みを晴らすことはできるが、遺族は一生喪に服さなければならない。でも助ければ、遺族は、喪に服すことはなく、新たな人生を生きることを許される、という。この風習は本当にあるのか分からないが、この映画のテーマである。
憎しみによって相手を暴力で攻撃をすれば、結果として果てしない暴力の連鎖を生むだけ。どこかで、暴力の連鎖を止めなければならない。それは、身内を亡くして復讐の怒りに燃えているこちらから、止めること。
それは、やはり「9.11」以降の公開当時のブッシュ政権の政策に対する反発としてリベラリスト、故シドニー・ポラック監督らしい主張、願いが込められている。それも上質なサスペンス映画であり、上質な人間ドラマであり、上質な娯楽作品として提示する素晴らしさ。
映像は、リアルな映像でありながら、汚くなく、今どきよくやるハンディキャメラぶん回しのガタガタ映像でなく、この監督らしいしっかりした上質な映像。ニコール・キットマンの美しさには目を見張る。白い透き通るような肌。彼女を見ているだけで満足感がある。ショーン・ペンもいつもより荒れてなく、プロっぽさ(シークレットサービス)が出てて、ノーマルに良い演技。