さらば、わが愛 覇王別姫のレビュー・感想・評価
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30年ぶりに見て更に感動した 画質は普通
1994年、大学生の頃に見た当時は初めて触れる京劇の魅力とレスリー・チャンの美しさにただただ引き込まれた。あれから30年。仕事の駐在で、習近平政権下の中国で数年間暮らした。ただの明るいひょうきん者と思っていた中国人が、じっくり話してみると文革で全財産没収され飲まず食わずの子供時代を送り身内を殺されていた過去を持っていたり、私自身も外国人という理由で駐在中は四六時中、公安に尾行されたりという体験をした。21世紀の今でさえそうした現実に直面することを知った上で、改めてこの作品を見ると、胸にせまってくる苦しさ、辛さ、かなしみが圧倒的に違った。 また、中国で暮らしてみて、中国人と言うのはその時その時の湧き上がる感情を優先した行動を取り、時にそれは日本人には理解し難い矛盾に見えるが、本人たちは決して裏切ったとか見捨てたとか思ってるわけではない、というのを肌感覚で理解(注:共感ではない)したので、その感覚を持って見るとこの作中の登場人物達の行動も気持ちもとてもすんなりと入って来た。 この先の人生でも、定期的に繰り返し見たいと思った。 リマスター版だが、画質はそこまで鮮明ではなかった。でもその方がいいかも。
儚くも、たくましい。
学校で習った四面楚歌の漢文は、あくまで「漢文」であった。京劇の特徴的な賑々しい楽器の音色、甲高い流れるような歌声、中国語のリズムと響きで語られるセリフ、煌びやかな赤、赤い、世界観。それはやがて共産党の赤に変わっていく。これは中国の近代史を描いた映画だ。
レスリーチャンの息を呑むほどの美貌と切ない恋心は、紛れもなくこの作品の大きな魅力であり成功した理由の一つだが、中国という国の歴史を知ることなくしてはその魅力を十分に味わい尽くすことは難しいだろう。私は中国の近代史はサッパリで、紅青が京劇を目の敵にしていたから余計に弾圧されたとか、自己批判のシーンで小楼がもし黙っていたら拷問されて殺されるというのは分かる程度。四人組ってなに?て感じである。詳しければもっと違う感想になったかもしれない。
そんな中国史をよく知らない人間が精いっぱい想像するに、中国の歴史はいわばクーデターの繰り返しだ。数千年の間、王朝が変わる度に動乱に翻弄されてきたこの国の人々には、一種の諦念のようなものを感じる。作中でも「人にはそれぞれ運命がある」というセリフが出てくる。ただでさえ、あの広大な大地と厳しい自然環境下である。民が生き抜くことは想像以上に過酷だったと思われる。しかしその一方で、だからこそ、何が起ころうと、何としても生き抜こうとする力強さを感じずにはいられない。若い可愛いらしいコン・リー演じる菊仙が自死した時、こんなに悲しいのは、彼女が生命力に溢れ、強くて逞しい女性だったからだと思う。
思い出すのは、昔、もう数十年前になるがとある中国人から聞いた話だ。「日本人は桜が好きだが、中国人は梅を好む。梅は2月の最も寒い雪の降る最中に真っ先に咲き春を知らせる、その香りは素晴らしく、簡単には散らない。いつまでも枝にこびりついて、最後は全て地面に散った後も、その香りが周囲に漂う。中国人の美意識は日本人とは全く違いますよ」と。(監督のチェンカイコーは北京生まれである)
予想通りのエンディングでも、気付けば自然と目頭を熱くしている自分を発見する。蝶衣たちの人生が、血潮が、その熱をまだ帯びて、確かな存在感を私たちにいつまでも残すのである。
中国人のDNAが覇王別姫で泣けてくるのだとしたら、日本人なら何だろう?平家物語?忠臣蔵か??京劇は若い頃に孫悟空しか見たことがなく、アクロバット楽しいなくらいしか思わなかった。今ならもう少し京劇の面白さを感じる自分になっているだろうか。
舞台での史上の愛は虚構か否か
軽い気持ちで観に行ったらどえらいものを観てしまった。3時間があっという間でエンドロールが終わってもすぐに椅子から立つことができない。
レスリー・チャンが人間離れした美しさで息を呑んだ。
盧溝橋事件から文革までの時代背景がわかると理解が深まるだろう。「四面楚歌」などの古事の由来も。
生き抜くために権力者に媚びようにもこれだけ為政者がころころ変わるなかで、昨日の権力者が今日の囚人、今日の仲間が明日の裏切り者となりどこまでも翻弄される運命の厳しさよ。
少年たちにほぼ虐待のような訓練や性接待をさせる京劇の世界と、出世してそれを内面化する蝶衣の胸中を思う。
昔、舞台上で恋人たちの役を演じたことがある。相手役が自分に向ける目線が愛する人に向けるそのもので、舞台を降りてこらまたその目を向けられたいと思っても、そこには演じていた役者がいるだけで二度と会えないことを知って寂しくなったものだ。
例え虚構とわかっていても、舞台で史上の愛を知ると現実に帰れないことがある。だがその全てが虚構だったのか。確かにそこには妻であっても、他の何者であっても介在できない関係が存在していたのではないか。
ラストの小楼が蝶衣に向ける目線からそんなことを思う。
圧巻の時代絵巻に圧倒されました。レスリー・チャンの演技や美しさに息を飲みました。
やっぱ、凄い。映画館で見れて良かった
映画の中で一番好きというより、最もインパクトが有り印象に残っている作品がこの映画だと思います。自分の映画の指標、基準になっているのかもしれません。
一つの映画の形として「映画ってこういうものだよね。」って思います。
張り詰めた画、上手い役者、音楽、脚本、構図、演出。それらが自然と映画への集中を強いります。どこからともなく湧き上がる緊張感が半端ないです。
この作品を見て思うことは「緊張感は人の目を釘付けにする」です。
3時間弱という時間を余り感じません。完成度が凄く高い作品だと思います。そして今回鑑賞して構図の妙、演出の巧みさを再認識しました。
今だに分からないことだらけですが、今よりもっと気づきの少なかった昔の自分も、こういう洗練された巧さを何となく感じていたからこそ、とてもこの作品に惹かれ、今でも印象に残っているのではと思いました。
そういうもの上に、矛盾や愛憎に振り回される弱い存在である人が、理不尽で不条理な世界に抗えず流されながらも生きて行きていく、辛さ、切なさ、悲しさをとても印象深く丁寧に描くチェン・カイコーはやっぱり凄い監督だと思いました。
この映画は今向きではない作品だと思います。なんせ不親切。時代背景などある程度の知識を持っていないと、何でこうなっているのかが分からないです。それをほとんど説明せずにどんどん進んで行きます。ですが映画自体の持つ力が、とてつもなく強いので、分からないながらも、どんどん映画に引き込んでいってくれます。
昔、知人にこの映画をオススメをしたら「よくこんな映画観るな~。これ勧めるって、やばいちゃうんかと思った」って言われたのを思い出します。そんな決して万人受けする映画ではない映画です。ですが、とても良い素晴らしい作品だと思います。本当に。
あと、池江璃花子を初めてテレビで見た時に「この人、何か見たことがある」と思ったのは、少年期の小豆に似てるからやったのか~と思いました。
レスリー・チャンが存命ならどんな役者になっていただろうと思うと切なくなります。
レスリー・チャンの美しさに惹かれ、まさに歴史に翻弄される
タイトルから、ラストエンペラーのような壮大な話かと思っていたが、時代に翻弄される部分は共通してはいるものの、より個人に注目があたった作品であった。
なによりレスリー・チャンが魅力的である。劇中の人々がみな惹かれるように、観客もその姿に釘付けになる。
役者は私生活との区別がつかなくなると言うし、レスリー・チャンも自死を選んでしまったが、その構造が作品にも表れている。だからこそ作中の京劇も魅力的にうつっているし、この映画も目が離せない。
映画、表現というものを改めて考えさせられる作品である。
また、京劇というものをよく知らなかったが、その魅力と中国の近現代史における扱いを身近に感じることができた。
2023年劇場鑑賞85本目
この重厚感 唯一無二。
レスリーチャンの一挙一動に魅力された
京劇養成所に入れられた小豆子。母に容赦なく捨てられたことから愛に飢えていたのだろう。だから、常に助けてくれる石頭への思いは慕うことだけでなく愛情へと変わるのも無理はない。
養成所でのあまりのスパルタっぷり、洗脳に近い上下関係は今では大問題。
スターとなった二人だが、恋敵のコンリーの登場と時代の変化に翻弄される。
レスリーチャンの妖艶さは異常。小豆子は役に取り憑かれていると言われるがレスリーチャン自身が取り憑かれているように感じた。
小豆子の視点で見てたから、コンリーに対して略奪婚しやがってとぇとヘイトが溜まっていった。しかし観ているうちに小豆子の脆さに寄り添う姿も見せ、一番人間らしくて最後は好感が持てた。
文化大革命での京劇の弾圧によって屈する姿は見ていてあまりに悲痛な気持ちになった。
激動の時代に翻弄されたどり着いたラストは役に生きた小豆子を見事に表現していてさすがと思った。
ちょっとシーンが急に変わってぶつ切りに感じてしまう部分もあったが、観て本当に良かった!
京劇を初めて知りました
中国を舞台にした京劇俳優の半世紀の生き様を描いた物語。レスリー・チャンの妖艶な映像が印象的で激動の歴史を感じる作品。京劇はこの作品で初めて知りましたが個人的には内容が理解し難く残念ながらこの作品を良さを感じる事が出来なかった。
2023-129
芸に生きるとは
1995年に初めて劇場で観た時は、感動(と充実した疲労感?)ですぐには席を立てませんでした。映画はたくさん観てきましたが、一生心に残るだろうなと思える作品はそう多くはありません。そんな名作を、去年に続き今年も劇場で、きれいな映像で観られるとは本当にうれしいことです。
この作品では「激動の時代に翻弄された京劇役者と周囲の人々の物語」という一言の説明では到底伝わらない、時代の空気や生活の生々しさと複雑な人間心理が、時間をかけて丁寧に描かれています。京劇の舞台の美しさと迫力と、その確かな芸・技術が子供のころからの厳しい修業の賜物であることも。修業がいやで逃げ出した少年が、すぐれた俳優の舞台を観て「彼はこうなるまでにどれだけ殴られたことだろう!」と涙する場面には胸を打たれました。
その後も登場人物たちの身に起こるさまざまな出来事に(共感するだけに)振り回されて、一緒にヘトヘトになる展開が続くのですが、今回私が一番感じたのは、京劇という舞台芸術にかける人々の思いです。
レスリー・チャン演じる主人公の俳優が日本軍のために演じたと裁判にかけられる場面で、京劇のスポンサーである人物が「我が国のすぐれた伝統文化である京劇を、いかがわしいとは何事か!」と一喝するのに感動し、また主人公が「日本軍は憎いけれど、彼らは自分に指一本触れなかった」と証言するのにも、保身のために周囲に流されない京劇への確固たる愛を感じました。まぁ結果的にそういった言動が彼らをさらに苦境へと押し流すのですが。
文化大革命の描写は何度みても本当に恐ろしく、こうやって多くの人々が暴力と吊るし上げで破壊されていったのだろうなと実感します。古き良きものが存在を否定されて、多くの伝統文化も途絶えてしまったのではないでしょうか。
もし戦後の中国が共産主義でなかったら、とふと想像しました。古代の日本がお手本にしたすぐれた文化大国には、広大な国土に多種多様な地域民族・伝統文化と歴史があり、まぁ王朝が変わるごとに絶滅するものもあったにせよ、現代の歴史家が政治の顔色をうかがわずに自由に研究・発表できればさぞかし歴史学業界は大賑わいで興味深いことでしょう。文化大革命がなかったら、歴史的に貴重なものももっといっぱい残っていたのだろうなぁと思うととても残念です。
また同時に、現代のネットの悪口社会は、この文化大革命に似た恐ろしさがあるように感じました。自分と異なる価値観や意見に対して、堂々と議論するのではなく、顔や名前を出さずに(集団にまぎれてリスクを冒さず軽い気持ちで)攻撃できて、時には相手に回復不可能なほどのダメージを与える。攻撃される側はきっとこの映画のティエイー達と同じような苦しみを感じるのだと思いました。
観る人によって印象はさまざまでしょう。いろんな角度から、いろんな見方を楽しめる、非常に味わい深い作品だというのは間違いなし!
私も最初に観たときは、登場人物たちの愛憎劇というところに注目していました。時間をおいて何度も観て、自分の感想の変化を研究するのもいいものですね。
観る人を選ぶ映画
京劇「覇王別姫」を演じる2人の愛憎と人生を、1925年から1970年代末までの中国の動乱の歴史とともに描いた作品です。
タイトルにインパクトがあるので、昔から作品の存在は知っていたものの今に至るまで未鑑賞でした。主役を務めたレスリー・チャンの没後20年を記念して4Kレストア版が上映されていることを知り、鑑賞してきました。映画.comのレビューでは4.4という驚異の高スコアですので期待は高まります。コメントを全て読んだらネタバレに遭遇するかも、という微妙な心理が働き、ほとんど予習することなく鑑賞しました。
決してつまらない映画ではないのです。しかし、前提となるいくつかのこと、特に中国の歴史を学んでから鑑賞すると、また別の感想を持ったかもしれないなと感じました。この作品を、程蝶衣(小豆子)と段小楼(石頭)の愛憎、菊仙を交えた愛憎劇と捉えると、この映画の半分も味わえていないのではないだろうと思うのです。日本による占領、中華人民共和国の建国、文化大革命、これらの後ろにある思想・価値観の変遷をある程度理解してから観ると、それぞれのシーン・セリフが持つ意味合いをより深く理解できて、もっと感銘を受けることができたかもしれません。そんなこと知らなくても、レスリー・チャンの美しさがあるから十分という意見もあるでしょう。しかし、私の周りでは眠っている人もチラホラいました。
要は、観る人を選ぶ映画だな、と思うわけです。
よく中国がこの内容で
菊仙が一番好き。
高校の時、何この映画〜ってノリで観て本当に感動しました。 そして今、大学生になって、有楽町で4kで観てきました。
菊仙、最初の方は嫌な奴なんです。だけど、最後の方は母のような優しさが滲み出てて、それが大好きです。阿片で寒い寒いと苦しんだ蝶衣を抱きしめた菊仙は、失った赤子の影を蝶衣に見ていたのかな。母性のようなものがあの時あったのかなと思います。
そして蝶衣も、母と同じ遊女だった菊仙に、母親を見てる。自分を捨てた母をずっと恋しく思っていたんだろうなと思います。
そして文化大革命の時、「春を売っていた、この女を殺せ!」って言ったのは、菊仙をよく思っていなかったのもそうだろうけど、やっぱり、自分を捨てた母への怒りだったのかな…と思う。本当に切ない物語です。
時代に翻弄された京劇役者の人生
母に捨てられ、京劇の養成所に入れられた小豆子は、よくいじめられていたが、そんな彼をかばい、つらく厳しい修行の中で助けとなった兄のような存在が石頭だった。成長した2人は大王と姫の役で京劇界の大スターとなった。石頭は遊女の菊仙と結婚し、小豆は彼氏を取られた気分になり・・・てな話。
1993年公開で、30周年を記念し4Kで修復したとのこと。
戦前に日本が中国を占領してた時、国民政府が政権をとっていた時、その国民政府が共産党に負けて台湾に移った後、なと彼ら2人は時の政権に翻弄され持ち上げられたり、落とされたりと大変だったのはわかった。
文化大革命で毛沢東は中国を批判する人々を2,000万人とも6,000万人とも言われるほど処刑してきた中国共産党なので、こんなことも普通に有ったのだろう、という感想。
自分の命を助けるために人を陥れる、これも普通に、今でも有るのだろう。
石頭に裏切られた菊仙が一番かわいそうだった。
レスリー・チャンは歌舞伎の女方のようで、さすがの演技だった。菊仙役のコン・リーは可愛かった。
世が世なら
世評が定まった見逃し作品の一つ。ようやく機会を得て劇場で鑑賞。2K上映だったらしいけど気にならず。
芸道に児童福祉は適用されない。カンフー映画にもよく似た少年たちの壮絶修行シーンが登場するけど、そこは良識あるチェン・カイコー、ズームは一切使わず、ドリーとステディカムで古い伽藍の中のアクションを捉えていた。
京劇という伝統芸能の価値観が時代とともに乱高下する。役者たちの日本軍、国民党軍、人民解放軍それぞれへの見方も興味深い。革命を支えるのはいつだって若い世代。彼らには伝統など無価値だし、唾棄すべきもの。造反有利って、いやはや、言うたもん勝ちやなー。
日本でも50年代に共産主義革命が成立していたら、能や歌舞伎も自己批判の矢面に立たされていたのだろうか。世が世なら、と思わずにいられないのは、政治システムの狭間で憂き目に遭っている人々が大勢いるためだ。台湾にも香港にも、朝鮮にもロシアにも。
しかしオープニングとエンディングの演出には疑問が残る。予算が尽きたか?
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