「愛とおとぎ話」ビッグ・フィッシュ sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
愛とおとぎ話
タイトルにある巨大な魚が象徴的に登場するが、英語の「big fish」には大物という意味があるらしい。
また「fish story」といえばホラ話を指す。
ということでこれはある男の盛大なホラ話を描いたファンタジー映画であり、父と子の再生を描いた人間ドラマでもある。
現実パートでは病により死期が近づいたエドワードと、その息子のウィルの確執が描かれる。
ウィルの結婚式のスピーチの時ですら、まるで自分が主役であるかのような作り話を披露するエドワード。
作り話ばかりする父が本当はどのような人物だったのか。
この映画はエドワードが語るとても真実とは思えないようなファンタジーな人生を美しい映像で観せてくれる。
目の中に対象の死の瞬間を映し出す魔女や、巨人との友情と冒険。
すべての住民が裸足で過ごす理想郷のような町。
そしてひと目で恋に落ち、人生を捧げたいと願った運命の相手サンドラとの出会い。
特にエドワードがサンドラのために無数の水仙を捧げるシーンはとても美しく心に残る。
そして物語が進むに連れ、デタラメだと思っていた彼の話には真実が含まれていたことが分かってくる。
この映画で気になったのが、作り話ばかりをするエドワードの心理だ。
もちろん事実をすべて話すことが決して最善ではないことも分かる。
嘘や作り話が人の心を救うことも確かだ。
しかしエドワードの物語はあまりにもフィクションが多い。
自分に自信がないからなのか、それとも何かを隠そうとしているのか、あるいは何かから逃げようとしているのか。
後半になり、彼が人生を人助けのために費やしてきたことが分かる。
一見、差別的にも思える巨人や小人の描写もあるが、彼は社会から拒絶されたマイノリティな人々にも正面から向き合ってきた。
そして彼は銀行の破綻により失われる運命だった理想郷を買い取り、見返りを求めることなく住民たちのために尽くした。
彼の人生の過程ではおそらく救えなかったものも多く存在したのだろう。
だから彼は悲しい現実を美しいファンタジーに作り変えたのかもしれない。
ラスト、死を迎えるエドワードからウィルが物語を紡ぐ役割を引き受けるシーンは感動的だ。
ウィルの物語の中ではエドワードの死は大団円を迎える。
そして実際の葬儀にも、彼のおとぎ話の中に登場した人物たちが弔問のために訪れる。
とても美しい物語ではあったが、20年以上前に初めてスクリーンで観たほどの感動は得られなかった。
時代の変化と共にこちらの感受性も変わったということだろう。
『ビッグフィッシュ』は思い出の中だけで美化されている方が良かったのかもしれない。