ビッグ・フィッシュのレビュー・感想・評価
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ビッグフィッシュ
私の周りに嘘ばかりつく人がいて、この作品を観る時その人を思い出して、とてもイライラしました。
そして最後まで観た時、とても後悔しました。
エドワードは自分に注目を集めたくて嘘の物語を作って自分がすごいと周りに思わせようとしてるんだと、自分の知っている世界で決めつけていたことに気づきました。
彼は本当は自分の現実にいる息子や奥さんを楽しませるために、物語を語っていた。話を語りすぎていつのまにか本人が話そのものになってしまったけれど。
この作品のテーマとは関係ないけれど、一面的に決めつけて物事をみるといけないなと改めて気付かされました。
大切なことを見落としてしまうから。
愛する人を幸せにする。そのために物語を作る。
本当かどうかなんて、そんなに重要じゃない。
深い愛の物語でした。
現実をフィクションで押し戻そうとする意思
自分で見たものしか信じないリアリストの息子は、作り話ばかりするノー天気な親父を嫌っています。何度も同じホラ話を聞かされて、うんざりしています。ホントのことを話さないのは、浮気して他所に家族がいるせいだろうと疑っています。
父が癌で余命幾ばくもないことを知らされた息子は、身重の妻をつれて帰省します。病床の父は、息子の嫁を相手に、改めて自分の一生の物語を話して聞かせます。
川に住む巨大魚、人の死に様を教える魔女、気の良い巨人、心の故郷みたいな閉ざされた町「スペクター」、伝説の無能詩人、湖の裸女、狼男、二人で一人の女…。
ユアン・マクレガー演じる若き日の親父の生き生きとした冒険譚とアルバート・フィニー演じる年老いた父の日常が交互に描かれます。本作のユアン・マクレガーははまり役で、出てくるだけで画面に活気が溢れます。魅力あふれる若き日の親父と精彩を欠く息子の対比が鮮やかです。
息子はある手がかりを元に、父の秘密を知る人物を探し当てます。そこで彼は父の本当の姿を聞かされます。その姿とは…饒舌で、社交性があって、妻に一途で、快活で、愛されキャラで、人情家で、他人のために苦労を厭わない利他的な人で、作り話が好きで、見た目で人を判断しない、勇気がある、行動力がある、大柄、友達が多い、人を傷つけない、冒険好き、日曜大工好き。なんともお茶目で魅力的な男でした。きっと親父のキャラクターには監督の理想の男像が反映されているのでしょう。作り話が好きなところ以外は共通点がなさそうに見えますが。
ティム・バートン監督は前作「猿の惑星(2001)」で“火星ガール”リサ・マリーと別れヘレナ・ボナム・カーターとの交際を始めていたそうですが、本作ではヘレナ・ボナム・カーター演じる美女の誘いをこの親父に断らせました。監督はヘレナ・ボナム・カーターとの間に2児をもうけますが、現在はモニカ・ベルッチと暮らしているそうです。この物語で描いたような夫婦関係は現実には難しいようです。本作の親父の温かな最期には監督の希望も詰まっているのでしょうが、はたして現実はそういくのでしょうか。
息子の世代から見ると、父親の世代の話しは現実感に乏しく、まるで作り話のように聞こえてしまうのはあるあるだと思います。特に戦争の話などは平和な時代に育った若者たちにはフィクションのように思えるはずです。逆に父の世代から見ると、息子たちの話は現実的で面白みがありません。ルールを守り、型破りなこともせず、スマートで、株価や経済やITに詳しくて、人情味がなくて、画一化された規格品のロボットみたいで…。どちらが正しいというわけでもなく、育った世界があまりにも違うということ、たった1世代の間にあまりにも世界が大きく変わってしまったということでしょうか。そしてその変化は今後ますます激しくなり、親子の間の断絶はさらに深く大きくなっていくのでしょう。その時にはこの映画も「古くてつまらない映画」として忘れられているのかも知れません。あらゆるフィクションは現実に押し負け、追い越されていく運命なのかも。
不況の煽りを受けて破産し、町ごと競売にかけられてしまった「スペクター」。他人事のはずなのに親父は駆けずり回り資金を調達し町ごと買い取ってしまいます。荒廃しきった町を、また元通りの姿に再建します。まさに力ずくで“現実”を押し戻し、“心の故郷”を守り抜く男。感動的なストーリーではありますが、その町には彼を慕う者たちがいつまでも変わらぬ姿で彼の帰りを待ち続けています。それはそれでホラーです。
さすがは鬼才、ティム・バートン監督。面白いファンタジーだった。父子...
さすがは鬼才、ティム・バートン監督。面白いファンタジーだった。父子のちょっとした確執、うちも今そんな感じ(笑)そんな他愛もない題材がこんな素敵な作品になるんだ。
唯一個人的に恐怖の対象で、これはリアルなのか、そう思った双子も上手に解決、お見事。
ダニー・デヴィートの食わせ者感が好き
人生の中で経験するであろうことを、おとぎ話の感覚で追体験させてくれる映画です。
普遍的な気もしますが、家族の形や父子の関係なんて様々ですから、
ピンとこない人はとことんピンとこないと思います。
また見るタイミングも重要かもしれません。
たぶんこの映画の公開当初の頃の自分じゃ楽しめなかったと思います。
子供の頃は素直に真に受けていたけど、成長するにつれ『このオヤジ、はなし盛ってんなぁ~』という感想しか抱かせない話をしてくるお父さんがいる方。
もっと言えばそんなお父さんを別に疎ましく思わないくらい成熟した方にならお勧めできる映画です。
普遍的な娯楽作もいいですが、限定的な人に刺さる映画もいいもんです。
忘れない為にレビュー
記憶を頼りにレビュー。
ずっと寝る前にお父さんが絵本を読んでくれているような不思議な感覚。
最後は一番側で何千回も聞いている息子さんだからこそ一番面白い素敵な話が出来たんでしょうね。「父さん、あなたこそ大物でビッグフィッシュみたいな存在だよ」
彼(父)の物語は彼自身が物語の存在となり帰結する。そして語り継がれ永遠の存在になる。事実をそのまま話すのは何処かつまらない。なら多少大袈裟でもいいから少しでも笑ってもらえるような物語にする。凄い良いことだと思いますね。感動した作品。
法螺吹き親父
ある家族のドキュメンタリーのようでいて中身はファンタジー顔負けのコミカルさ、実に奇抜なシチュエーションドラマでした。
疎遠になった父親だが、死期が近いと知り帰省した息子夫婦。
幼少の頃はおとぎ話をいつも語ってくれる父親は素晴らしいのでしょうが長じて迄、誰彼かまわず作り話を自身の体験のように語る父親に愛想をつかす息子。
ホラ話ばかりの父親に真実を語らせようと詰め寄りますが、話は回想を含めて奇妙さを増すばかり。認知症の老人の話なら納得の社会派ドラマにもなるでしょうが、精神障害者という訳でもなく根っからの妄想癖では困ったものです、正常な息子の立場で見聞きするから、いい加減にしてよ親父というスタンスなので観るのが途中で馬鹿馬鹿しくなってきました。
終盤になって葬儀に集まった人々が父親の出会ったという人々に酷似、あながち全部がフィクションだったのではないと気づきます。どんなに脚色された人生であっても家族を愛した父親だったことに変わりはないでしょうという決着でした。
原作からして作家性の強い物語、ファミリームービーの名匠ティム・バートン監督に不満はありませんが当初、スピルバーグが監督候補だったようですが、どんな味付けになったのか観てみたかった気もします。
息子に嫌がられていた自慢話
ユアンマクレガー扮するエドワードブルームは、金の指輪で大物の魚を釣り上げた自慢話を何回もするので息子に嫌がられていた。
魔女のガラスの目を見ると自分の死に様が分かるとかオカルトチックな場面もあったね。息子に嫌われず自尊心を持ち続けるのは難しいのかもね。基本的にしゃべりすぎはだめだな。それにしてもどこまでが本当の話なのか分かりにくかったね。自分の自慢話ばかりじゃなくてちゃんと息子と向かい合わなきゃいけないね。
ありきたりなテーマだからこそ輝く…
『ビッグフィッシュ - 父と息子のものがたり』を原作にジョン・オーガストが脚本を書き、ティム・バートンが監督。
2003年(日本は2004年)公開。
子供にしてみれば、父親の前半生は謎だらけで、たまにする昔話は自慢要素で味変したホラ話ばかり。
誰もが持つ経験(笑)を、見事にファンタジー映画にしてみせている。
父のホラ話はもうウンザリ、
そういう不満を持ったまま大人になった息子と、病床についた父との触れ合いを描く。
本作の主題は実に普遍的な親子関係で、『チャーリーとチョコレート工場』よりも直截的なストーリーだ。
とはいえ、
そこにはティム・バートンならではの味付け(映像、ストーリー展開)で、笑いあり涙ありの映画に仕上がっている。
主要キャストとしては、
若かりし日の父エドワード・ブルーム役に、ユアン・マクレガー、
病床にある現在の父役に、アルバート・フィニー、
一人息子ウィル・ブルーム役に、ビリー・クラダップ、
ほかに、
ジェシカ・ラング(母)
アリソン・ローマン(若い頃の母)
ヘレナ・ボナム・カーター(ジェニファー)
スティーヴ・ブシェミ(銀行強盗から投資家に転身)
ダニー・デヴィート(サーカス団長)
など。
ファンタジーな世界にユアン・マクレガーがいると、一瞬、オビ=ワン・ケノービに見えそうになる(笑)。
息子は、父が家族をなにより大切に思っていたことに気づくが、無情にも父に最期の時が迫る。
息子は、父の最期の物語をみずから作り上げて本人に聞かせる。
父の葬儀には、父のホラ話に出てくる面々が弔問に訪れる。
親の愛に気付いたときには、親は居ない。
ラストシーンで泣ける人は、親が亡くなった人が多いのではなかろうか?
親が存命の場合、どんな反応になるのか、いまの私には既に分からない…
ありきたりなテーマを(原作者の方、ごめんなさい)、
ティム・バートン風ファンタジーに仕上げた力量を素直に認めたいので、☆4.0
ファンタジックラブストーリー
あり得ないようなシチュエーションが多くて好き。
父の一途さが好き。
父に対する息子の疑いが晴れて良かった。
巨人と仲良くなったり、銀行強盗したり、息子と赤いクルマでぶっ飛ばす映像が空想だろうと現実だろうと、どっちみち見応えがあって楽しい作品。
終盤、父の話が本当かもしれないと思えてくる。
余韻が残る。
愛とおとぎ話
タイトルにある巨大な魚が象徴的に登場するが、英語の「big fish」には大物という意味があるらしい。
また「fish story」といえばホラ話を指す。
ということでこれはある男の盛大なホラ話を描いたファンタジー映画であり、父と子の再生を描いた人間ドラマでもある。
現実パートでは病により死期が近づいたエドワードと、その息子のウィルの確執が描かれる。
ウィルの結婚式のスピーチの時ですら、まるで自分が主役であるかのような作り話を披露するエドワード。
作り話ばかりする父が本当はどのような人物だったのか。
この映画はエドワードが語るとても真実とは思えないようなファンタジーな人生を美しい映像で観せてくれる。
目の中に対象の死の瞬間を映し出す魔女や、巨人との友情と冒険。
すべての住民が裸足で過ごす理想郷のような町。
そしてひと目で恋に落ち、人生を捧げたいと願った運命の相手サンドラとの出会い。
特にエドワードがサンドラのために無数の水仙を捧げるシーンはとても美しく心に残る。
そして物語が進むに連れ、デタラメだと思っていた彼の話には真実が含まれていたことが分かってくる。
この映画で気になったのが、作り話ばかりをするエドワードの心理だ。
もちろん事実をすべて話すことが決して最善ではないことも分かる。
嘘や作り話が人の心を救うことも確かだ。
しかしエドワードの物語はあまりにもフィクションが多い。
自分に自信がないからなのか、それとも何かを隠そうとしているのか、あるいは何かから逃げようとしているのか。
後半になり、彼が人生を人助けのために費やしてきたことが分かる。
一見、差別的にも思える巨人や小人の描写もあるが、彼は社会から拒絶されたマイノリティな人々にも正面から向き合ってきた。
そして彼は銀行の破綻により失われる運命だった理想郷を買い取り、見返りを求めることなく住民たちのために尽くした。
彼の人生の過程ではおそらく救えなかったものも多く存在したのだろう。
だから彼は悲しい現実を美しいファンタジーに作り変えたのかもしれない。
ラスト、死を迎えるエドワードからウィルが物語を紡ぐ役割を引き受けるシーンは感動的だ。
ウィルの物語の中ではエドワードの死は大団円を迎える。
そして実際の葬儀にも、彼のおとぎ話の中に登場した人物たちが弔問のために訪れる。
とても美しい物語ではあったが、20年以上前に初めてスクリーンで観たほどの感動は得られなかった。
時代の変化と共にこちらの感受性も変わったということだろう。
『ビッグフィッシュ』は思い出の中だけで美化されている方が良かったのかもしれない。
ミュンヒハウゼン症候群は深刻。無事に天国へ召されて良かった♥
この演出家の父親は詐欺師で銀行強盗なんだね♥
元々出鱈目な話だから、うそ話として突っ込みどころ満載なんだが、この息子、つまり、この演出家もそのDNAを継承していると言う事だ。
それは父親の死についての思い。父親がまだご存命の若者には分からないかもしれないが、親の死なんて自分の人生に於いて大した影響は無い。それをこの演出家は大法螺をふいて映画にまでしてしまっている。映画がなにかの比喩であるのなら、許せるが、どうやら、それも矛盾する点が多い。つまり、現世では絶対に合うことの無いどこの馬の骨か分からない者の法螺話を聞いて感動する訳には行かないのだ。
金の結婚指輪から始まり、朝鮮民主主義◯◯共和国(中国語は話さないだろ!)との戦いを経て、巨大魚のアメリ◯合衆国はそれを世界へ返上して永遠の平和を取り戻す努力をしている。さぁ、息子たちよ!世界平和を取り戻せ。金の指輪がキャピタリズムで朝鮮◯◯◯◯人民共和国がコミュニズムって所だろう。
とまぁ、こんな事比喩として言いたいのだろうが、さて?
ミュンヒハウゼン症候群ならば、自傷行為や幼児虐待にも繋がる笑えない症例が沢山ある病気。そんな親父を大衆の面前にさらす空気の読めない演出家だと思う。
矢口高雄先生の『釣りキチ三平』をリスペクト?ナマズなんかよりも幻の怪魚イトウの方がSENSEある。
この頃まではティム・バートン作品を楽しめていた。
劇場公開時鑑賞。
ユアン・マクレガーがアルバート・フィニーにメタモルフォーゼするかな…するかも。
嘘か本当か。単純に1か0かで切り分けられないことがある、ということを強く考えさせられた。いい/悪い、もっと極端にいえば神かク○かの2種類しかないのなら、そこからは何とも変わり映えのしない貧弱なものしか生まれないと思う。
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