「大事な部分がカット・・・」亡国のイージス kossykossyさんの映画レビュー(感想・評価)
大事な部分がカット・・・
普段、映画鑑賞する前には原作などは読まない主義だったのに、魔が差したのでしょうか、つい文庫本(以下、ページ数は講談社の文庫を参照)を買って読んでしまいました。よって、今回は原作との比較を含めるという初めての感想になります。
元々福井晴敏の原作小説も、自衛隊賛美で国防力の優れた点を延々と記述。アメリカの力を借りないで独自の軍隊を持つことを主張している内容ではあるが、テロの危険性や自衛隊が内包する諸問題も提起していたように思う。映画化を前提としたかのようなアクションシーンの記述は、小説なのに目の前で展開するかのような錯覚に陥るし、人物描写や様々な主義主張を広角度で捉えていた。何しろ小説は上下巻合わせると1100ページもあるのです。1ページ1分かかるとしても約20時間の大作だ。これを2時間強の映画に収めるとなると・・・
さて、映画はというと、上巻P201から始まります。いきなり乱闘騒ぎの後のシーンとなり、如月行が警官にしぼられてるところからだ。この時点ですでに端折ってるエピソードがいくつもあり、原作を知らない人は急な展開に戸惑うばかりであろう。つまり、掴みの時点で失敗しているのである。そして如月行による機械室の爆弾セット。仙石と如月の人間関係を描写するかしないかの内に突然の説得申し出。要は自衛隊内のテロ・クーデターだろうと予想できる映画なので、如月の正体を謎のまま進めたかったのでしょうけど、多分この前半30分で置いてけぼりにされてしまった観客が多かったに違いない。
更なる失敗は女性工作員ジョンヒの扱い。上映終了後、「あの謎の女、最後までしゃべらないで死んでいったけど、何者?」という声があちこちから聞こえてきたくらいです。映画だけ見ると、何者なのかさっぱりわかりません。原作ではヨンファの妹。北朝鮮で収容所に入れられ、慰みものにされていたところをヨンファが救い、立派な工作員として育て上げた。しかも首の傷でわかるように声帯を失い、口がきけないのだ。彼女は旅客機を爆破し、旅客機が海に墜落するが奇跡的に一人生き残って、いそかぜに入りこんだFTGに助けられた。彼女こそがグソーを持ってヨンファに手渡した功労者だったわけです。そして、如月との水中キスシーンも意味不明だと感じる方が多いようですが、、彼女が自分と如月の境遇や性格に共通点を見出し、テロの仲間に誘おうとしていたわけです。かつての北朝鮮工作員キム・ヨンヒがモデルなのかもしれないですね。
こうやって前半の端折られた部分とジョンヒの無意味さに加え、意図的な脚本の変更も目立ちました。原作を読んだ人ならわかるのですが、日米安保批判やアメリカ批判が含まれているのに何故アメリカ人まで絶賛しているのか?また、自衛隊批判も含まれているのに、何故全面協力を取り付けたのか?これは、内閣総理大臣梶本がアメリカべったりの政策や沖縄基地問題、そして存在意義を問われるダイスの加護等々がばっさり切られていること。そして、実は、グソーは偽物であり、全てはアメリカが仕組んだテロだったこと。この内容を大幅変更したおかげで、アメリカ人には評判がよくなったのでしょう。そして、確信はもてないのですが、宮津艦長が副長になっていること。イージス艦のトップがテロを起こすなんてことは避けたかったのかもしれません(これでOKが出たのかな・・・)。さらに、原作では北朝鮮とはっきり書いてあるのに、映画では一切出てきませんでした。これはどうなんでしょう。小さな論議が起こりそうなところですね・・・
そんなこんなで、この映画。楽しめたかというと、全く・・・でした。予想通り、自衛隊全面協力の割には、迫力あるシーンはいそかぜが白波を立てて邁進する姿とF2戦闘機が飛ぶシーンだけだし、アクションもこじんまりとしていた。旅客機墜落、イーグル戦闘機撃墜、ジェットライダー殲滅等々のハリウッド映画にありがちな大掛かりなアクションもない。「平和であれば国と言えるのか?!」などといった台詞も耳に残るし、専守防衛という方針を批判するかのような言葉も強調されすぎだ。産○新聞社も後援してるので、脚本手直しに口を出したのではないかとも想像できる。そんなことより、形は違えど国を愛する心、命の尊さを訴える映画であってほしかった。そして、ラストシーン・・・『戦国自衛隊1549』と同じかよ・・・
良かったのは真田広之と佐藤浩市くらい。特に、原作の仙石は中年太りのおっさん。真田はちょっとふくよかに体重を増やしたのではないでしょうか。忘れてならないのが、岸部一徳の脱力系ギャグかもしれない・・・・