小間使の日記のレビュー・感想・評価
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ジャンヌ・モロー扮する小間使いが魅力的
ジャンヌ・モローが小間使いセレスティーヌとして登場。仕える家族3人がそれぞれ心の歪み淀みを抱えていたが、彼女はうまく対応していたようだった。
シャキッと背筋を伸ばしテキパキ歩く姿がカッコよく、少し気が強そうだけれど生き生きした表情が素敵だ。
彼女は、美しいだけでなく、男を上手くあしらう賢さがあり、又時には女であることを利用する柔軟性を持つ。しかも、可愛がっていた少女の為にひと肌脱ぐような気持ちの持ち主だ。
最後は奥様の座にのし上がった。たいしたものだ…。
一方、男たちの方はどれもこれもイマイチばかり。
ジョゼフはこなれた大人で、外に関心が向かっていた。しかし彼もまたおかしいと、賢いセレスティーヌは気付く。政治的思想活動に熱心な男が、実は同時に猟奇的殺人志向の持ち主であり殺人犯であった。ここにピンポイント的に興味を持った。社会を変えたいという欲求、権力欲などと、猟奇的志向の心理がどう結びついているのだろう…。
ジャンヌ・モロー・・・女の野心!
小間使いのお仕事。
一日中、掃除(ルンバは勿論ないのだ)
そして長時間の床磨き!
洗濯(もちろん洗濯機はなく、湯を沸かして煮て洗い汚れを落とす)
炊事、繕い物、靴磨き・・・と休む間もなくこき使われる小間使い。
大旦那さま、その娘の奥さま、婿養子の若旦那さま。
たった3人家族に使用人が下男に小間使い3人と、4人も必要なのか?
とも思う。
これは「ダウントンアビー」ほどのお屋敷ではなくても、
奥さまひとりの手では、屋敷は維持できないのだろう!
小間使いや下男の食費だけでも物入り。
おまけに衣食住を世話するのだから、中産階級(これがよく分からないのだが、
地主とか親の財産を受け継ぎ、特に働かずにも生きていける階層のことなのか?)
フランスの上流階級とは『伯爵家』位の金持ちを指すのかもしれない。
1964年(フランス)原作:オクターブ・ミルボー。監督:ルイス・ブニュエル。
この映画の前に…2013年作「あるメイドの密かな欲望」を観ました。
まず驚いたのは、ラスト、小間使いのセレスティーヌの結婚相手が違っていること。
2013年版は原作と同じだそうです。
セレスティーヌ(レア・セドゥ)は、下男ジョセフを夫に選び娼館の女将の道を選択します。
対して1964年ブニュエル版ではセレスティーヌ(ジャンヌ・モロー)は、隣家の主人の元軍人の
大佐を結婚相手に選ぶのです。
私はジャンヌ・モローを物憂い闘争心を失った負け犬・・・だとは思いませんね
少なくとも、少女をレイプして腹を裂くジョセフを選んだらあまりにも、
《悪女で毒婦》
ジャンヌ・モローは夫にベッドから命令してましたからね。
凄い辣腕→成り上がり烈女ですね(笑)
今の世の中だって美人女優の結婚相手は女癖の悪い《IT経営者》と決まってるじゃないですか?
これが彼女たちの理想の結婚。
お金と地位・・・同じじゃありませんか!
レア・セドゥの演じたセレスティーヌは、政治家になる女像と
被りますね。
兎も角、野心の塊り!
レア・セドゥはなんとしても自力で自活し成り上がりたい女。
夫が残虐で政治的に反ユダヤの野蛮人でも、彼女の人間性は揺るぎません。
単なる踏み台なのですから・・・。
ジャンヌ・モローは憧れの奥様になり小間使いを顎で使う・・・
してやったりですよ。
(ジョセフの殺人を証拠を捏造してまで逮捕へと向かわせたものの、敢えなく釈放され、
自分の非力を悟ったし、疲れましたねー)
しばし羽根を休めるセレスティーヌさん。
対するレア・セドゥは女実業家にでもなれるでしょうか?
道を切り開いていく情熱とバイタリティーを感じます。
時代設定は1930年。
女に多くの選択肢はありません。
ブルジュアの奥さまで何が悪い?
万々歳ではありませんか?
(小賢しい小間使いから→良家の奥さま→更にステップ・ジャンプして、
→音楽家も作家も画家にだって努力次第ではなれるかもしれませんよ)
【「天使のように大胆に、悪魔のように細心に」】
「天使のように大胆に、悪魔のように細心に」とは、黒澤明さんが数十年前のウイスキーかなにかのCMで話していた言葉だ。
この作品には、そんな要素が詰め込まれているように思う。
社会情勢がどうあれ、直接的に火の粉が降りかからない限り、人間の愚かさに変わりがないということを示唆した作品だ。
この作品の後に制作されたカトリーヌ・ドヌーヴの主演作が日本では知られているが、僕は、どちらかというと、この「小間使の日記」のセレスティーン演じるジャンヌ・モローが好きだ。
1930年代のヨーロッパは、第一次大戦の余波で引き続き混乱していたことに加え、アメリカ発の世界恐慌による大不況に苦しみ、そして、第二次世界大戦の足音がヒタヒタと聞こえている状況だった。
そんななか、フランスの田舎で危機感もなく暮らすブルジョワジー達と、同様に凡庸なままの使用人達。
それを逆手に、周りを注意深く観察することによって、漁夫の利を得ようとし、更に陰で支配しようとする小間使の女・セレスティーン。
一義的には、こうしたブルジョワジーや周りにたむろする連中を皮肉っている作品なのだとは思うが、改めて観てみると、現代の僕たちの社会を批判しているようにも思えて、世の中はさほど変化していないのだなと苦笑してしまう。
世界が活力を失うと、人々は凡庸となり、小間使のような輩が隙をぬって影響力を拡大していく……のは、なんか、やっぱり似ている気がする。
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