「死にたい、死なせたくない、叶えたい、共に居たい」海を飛ぶ夢 思いついたら変えますさんの映画レビュー(感想・評価)
死にたい、死なせたくない、叶えたい、共に居たい
怒らないで欲しいのだが、この映画は驚く程に爽やかな映像と高揚をもってクライマックスに加速したと僕の目に映った。
この映画を観た理由は単純で……直接的な事情は書けないが……いま僕はまさに「死」について考えなければいけないからだ。
さて「死にたい」のに「死なない、または死ねない」事情は色々あるとは思うが、多くは身近な人への罪悪感が大きいと僕は考える。例え極限まで今が辛くとも、愛されてるもしくは迷惑をかける人の存在を自覚すると、その人たちへの気持ちが生へと自分を縛る。真性の孤独に近いほど気兼ねなく死にやすいとも言い換えられる。その気持ちは当人たちへ打ち明けられないし、多くの人は愛する誰へも迷惑をかけずに煙のように消えるような死を理想とするのではないだろうか。
しかしラモン・サンペドロの事情は大きく違う。一人では死ねない、というかほとんどの事がままならない身体のまま28年をベッドで過ごしたのだ。映画の中で、彼は包み隠さず、真っ直ぐに死を選択したがっている事を訴える。彼の兄は彼を怒り、生きる事を乞う。彼の父は多くは語らず悲嘆にくれる。彼の甥は感情を表に出せず、何処か整理できない戸惑いの様にも見受ける。彼の義姉は彼に理解を示し、なかば失望的ながら彼の望みに耳を貸す。この全てが家族として血の通った反応だと僕は思う。この噛み合わない筈の、しかしどこか通じあってもいる感情同士がひとつの着地点に向かって動いていくのだ。
家族の食事の様子は言葉も重く、映像も暗い。ただ、この映画の多くのカットが、やや人物から距離をとった綺麗な風景ごと切りとったものであるのが意外だった。
誤解を恐れずに言うとこの映画、身構えていたより遥かに見易い。それは「死」について一概に悲劇と捉える「生者の目線」だけではなく、死に心を決めたからこそ感じるポジティブ?な瞬間、そして目標としての死が近づく「死という希望」をも活写しているからに他ならない。ラモンの心情を努めて想像した造り手の真摯さから来るものに違いない。
しかし本人が言葉にするとおり、これはあくまで「ラモン・サンペドロの場合」であり、死の賛美であってもならないのがこの主題を受け止めるにあたり難しいところ。
この映画、まさかのトライアングルラブストーリーの側面もあるのだが、暖かさと残酷さが表裏一体の、歪、美しい、愚か、高潔、何と結論つけたものか…とにかくそういった愛をまざまざと紡ぐ。えぐいのだが(そもそも一人は人妻である)これまたある種の爽やかさを演出されているというか…。エゴがアガペーとなり手を染める窓の夕焼けは尊い。でも尊いと大声で言っちゃいけない気もする。ただそこに結果があり、当人と当人を愛した女性が納得のうちにある事実は「救い」である筈だ。
そしてもう一つ、生命の上での死とはまた違う尊厳の壁を最後に映し映画が終わる。決して悲愴的でない音楽と映像、余韻に乗せて。
これはこういう教訓が正しいなんて無責任な結論を僕の口からは言えない。或いは言葉にするにはまだ整理がついてないのかも。が、☆は5つでも足りない。絶対に、現代を生きる上で多くの人に(非にしろ是にしろ)知る必要がある視点だから。