「アメリカ自体を描いているのかも」ミスティック・リバー parsifalさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ自体を描いているのかも
この映画は確か2度目だったかと思います。一度見では、なかなかわかりづらいと思いました。イーストウッドの他の映画や彼のこれまでの経験などから判断して、アメリカ社会を描いているのではないかと思いました。いくつかの感想、評論等を参考にさせていただきましたが、自分にはしっくり来ませんでした。
3人の主な登場人物が、階層化されていることからも、アメリカ社会の縮図を描いているのだと思います。ジミーは、政治、暴力、権力の象徴。ショーンは、アメリカの中産階級、知的な存在、一般市民。デイブは下層階級。ジミー、ショーンは、少年期、嘘をついたことで犯罪から逃れる。デイブは、本当のことを言って犯罪に巻き込まれる。現在のアメリカも、上層階級が、マスコミを使ったりして情報操作をして、自分たちの利益が最大になるようにコントロールしています。娘が殺され、ジミーは、あらゆる手を使って復讐をしようとする。それはアメリカの国家、政治の姿とも繋がるように見えます。9.11以降の動き然り。大量破壊兵器はなかったわけですし。愛するものが殺されたりすると、アメリカは国家として敵国にそれ以上の報復を行ってきました。ショーンは、ジミーの嘘に気づきながらも、自分たちの幸福を守るために、積極的に行動しない。つまり、国家の嘘に気づきながら、自分の利益を守るために行動しない。デイブは、下層階級で、病んでいるうえに自らも犯罪を犯し、更には殺されてしまう。(アメリカでは、貧しいが故に、犯罪に手を染めてしまう人が多い。と同時に戦争に行かされるのは、カラードや貧しい階層)後で、間違いだったとしても、上層の人間は、自らの罪を反省することなく、愛する者を守るために仕方なかったのだと正当化する。女性もそれを支持する。
ジミーは、二つの殺人を侵しながらも、罪を悔やみ謝ることなく、自ら十字架を背負って生きていこうとしている。ショーンは、妻からの無言電話に、「俺が悪かった、すまなかった」と自分の至らなさを認めることによってハッピーエンドに導かれていく。実に好対照だなと思った。
それぞれの人生、社会には、皆、見えない部分、秘密の部分がある。その見えない部分によって、現在が条件づけられていることはままある。それと向き合うことが大切なんだよと言っているように思えた。
※イーストウッドのインタビューでは、現代アメリカ的なシェークスピア劇だと言っているようだ。オセロに見られるように、登場人物の設定や一言一言が、悪い方に悪い方に転がっていく悲劇を描いたとも思える。
(グラントリノでは、自らの戦争体験を客観視し、現在のアメリカの姿に反旗を示し、自らがその盾となろうとしているように見えた。その流れから類推して、上記のような意味が隠されているのではないかと思った。)
※三度目に見て、ただのレイは、ジミーを売って、刑務所暮らしを逃れ、雲隠れしたものの、後でジミーに殺されていたこと。そして、そのレイの拳銃が、ジミーが嫌っていた口を聞かないレイの息子に使われて、娘を殺すことになったこと。デイブは、昔の誘拐、性的暴行のトラウマがあって、事件の晩、少年を犯していた暴漢を殴って死に至らせていたこと、その罪悪感から、おかしくなって、疑われてジミーの殺されるきっかけを作ったこと。 この二つの流れが通底に流れているのが、三つの殺人に繋がるっていうのが、改めて因果だなあと思った。
※三度目を見て、アメリカ社会に多い小児性愛者が出てくることに震撼した。デイブを連れ去った二人組は、逆さ十字のリングをしていた。小児性愛者の餌食にあって、その後、病んでしまって、人生を転落させてしまう人も多いことを知った。さり気なく登場させているところにも、客観的に扱おうという意図を感じた。ピザゲート、アドレナクロムなども、イーストウッドは、知っているのかもしれない。