イノセンスのレビュー・感想・評価
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テーマは人形?・・・傀儡(あやつり人形)の謡
傀儡謡(かいらいよう)
75人の民謡歌手(西田和枝社中)が朗々と謡う。
この、なんともインパクトのあるBGM。
押井守作品は初体験です。
なんとも妖しく美しくエロティックなガイノイド
(アンドロイド=ロボット=人形)
電脳(インターネット)世界の2034年(僅か9年後)
客に弄ばれ、客を殺したガイノイドが、自死した。
その犯罪を捜査するのは2人の刑事バトーとトグサ。
ガイノイドの商品開発・製造に関わる元締め
ロクス・ソルス社の北端にある択捉基地へ
刑事2人は飛ぶ。
マトリックスに影響を与えたという映像は、なんとも言えない
魅力と難解さと美しさと破壊力に富み
見たこともない世界観とか、哲学的引用に心を鷲掴みにされた。
人形が竹久夢二の絵の美女のようでもあり、
哀しい表情をして、
また眼の中は目玉がブルー。
前半はともかくエロティック。
愛玩(ダッチワイフ)が自我を持ち、持ち主を殺して
自己を消去する。
ロクス・クロス社のオーナー(黒幕)のキムもまた
アンドロイド。
死にかけた状態で登場する。
バトーの守護神の少佐(草薙素子)はラストで登場するものの、
ガイノイドの素子も、自分を電脳世界に閉じ込め、
Androidとしての外見を廃棄処分してしまう。
(あなたが電脳世界で呼ぶとき、いつもそばにいるわ)と、
言い残して。
ロクス・クロス社を素子の助けで、完全制圧。
その船には子供(魂を吹き込まれた人形の原型か?)
をガイノイドに変えていた?
摩訶不思議でダイナミックなSF世界だが、
突き詰めた所、
バトーの“恋の物語“だと押井守監督は言っている。
前作で草薙素子を失ったバトーが素子と再会する話で、
あるとのこと。
バトーの愛玩犬(も、またロボット)
ラストでコバトが娘に渡す人形も意味深。
壮大な世界観に圧倒された。
AIなら、心の繋がりは望めないだろう。
だから傀儡謡の万葉言葉に底知れぬ
ドラッグのような禁忌と謎があった。
初体験の押井守作品。
押井守のアニメーションの壮大さ、
脳内の巨大な宇宙空間に、
恐れ慄き魅了されたが、
私若きに理解は遠く及ばないが、
凄いものを観た。
わかったようでわからなかった
・こちらも初見。一作目を観なくても思った。しかし観ておいて本当に良かった。草薙と馬頭の関係性が軸になっていた。草薙がネットの世界を彷徨って?いるのも知らないとわけがわからなくなっていた。前作を観終えてすぐ視聴した。映像表現の進歩と草薙が全然でない事に驚いた。観終えて思ったのはわかったようでわからなかったという事。
・記憶が人格に強い影響を与えているかという事を改めて考えさせられる。人形が動けば生命なのか、生殖ができなければ人形は人形のまま生命じゃないのか。そして人形は生命になりたいのかなりたくないのか。
・人形になりたくないと女の子が叫んだ。それは死ぬのが怖いという意味だと思った。人形も元々は人間の人格からコピーしているようだった。それなら死の恐怖もあるのだろうか。順応したらパーツを交換して生まれ変われる前提があるように見えた。それで恐怖がないように見えた。馬頭が店で記憶にアクセスされてコントロールされた時に恐怖を抱いているようだったけれど。死ぬという概念がないのはどんな感覚なのだろう。
・違法製造されていた人形は助けて助けてと痛々しかった。そして自殺?自戒?した。それは滅びない肉体という事がわかった上だからこそ、この絶望が永遠に続くのだという事なのだろうか。理解できない状況に戸惑っていたからなのか。
おそらく裏のストーリーが隠されている
個人的な考察です。
イノセンスでは表裏ふたつのストーリーが螺旋を描いているように見えます。もし、後述する「裏のストーリー」の解釈が正しく、これほど丁寧に隠蔽しているのであれば、本作は驚異的な芸術性と完成度を有しています。私ほそう信じたいひとりです。
【表のストーリー】
多くのレビューに書かれるとおり比較的シンプルです。主人公バトーが被害者少女を助けます。ざっくりと、企業による悪事、ガイノイドの暴走、悪事の露見と隠蔽、公安による摘発、原因の解明という流れです。個々の哲学的なコトバの考察は割愛しますが、裏を匂わせるいくつもの暗示が盛り込まれているようです。
【裏のストーリー】
あきらかに視点が異なります。
それは敗者への眼差し、とくに救済されない者の絶望と悲哀を強調するものです。
主人公はハダリ、被害者もまたハダリです。ハダリは性玩具の躯体を持ち、そこにはゴーストダビングされた「ひとの自意識」が閉じ込められました。ハダリは生きていたのです。自意識は救済を求めますが、人形の夢が叶うことはけっしてありません。身に生じた圧倒的な不条理と、神と来世に祈るばかりの絶望は、やがて怨恨となります。このことはテーマ曲「傀儡謡 怨恨みて散る」の歌詞で述べられています。怨恨はハダリ自らを暴走そして自害へと突き動かします。終盤のバトーの苛立ちは、ハダリが味わった救いようのない絶望を認識したためです。
私がハダリを主人公とした裏のストーリーを
このように推測した5つの根拠を示します。
- 根拠1
「生死去来棚頭傀儡一線断時落落磊磊」は
世阿弥の「花鏡」で引用されていることばです
- 根拠2
テーマ曲「傀儡謡 怨恨みて散る」の歌詞の冒頭で唐突に、鵺(ぬえ) と 月がでてきます
- 根拠3
世阿弥の能の演目に「鵺」という作品があります。一般的に、鵺は鳥の名前で哀しみや不吉の象徴です。能の演目中の「鵺」は人の形をした化け物で、世を乱した罪で英雄に討たれるのですが、成仏できずにおります。なにやら謡いながら、身の救済を懇願してくるのです。しかし仏僧をもってしても救済かなわず、自分はふつうの生物ではないから月(仏)の光が届くことはないのだといいます。そうして暗所に閉じ込められ川のくらい底へ沈んでゆきます。
- 根拠4
テーマ曲「傀儡謡 怨恨みて散る」に「花」がでてきます。ふたたび世阿弥によれば、能における花とは美しく変容する心のことです。しかし歌詞のなかで、花は散ります。ハダリの心が絶望と怨恨に満たされていくことに通じています。
- 懇願5
映画の街の場面で「月度?鵺」という看板が映しだされます。月(仏)は鵺を救済??と、素直に訳すことができます。
さいごに
世阿弥は演劇の面白さの要旨をこう述べています
「秘すれば花」
タイトルなし(ネタバレ)
『子育ては人造人間を作ると言う意味に於いて、一番手っ取り早く実現する方法だった』
まぁ、男目線な哲学だと思うが、この考えにこの演出家は賛成しているわけではない。また、『何故人間を模してロボットを作るのか?』を単純に考えると、今のロボットのあり方が無駄であり、間違った方向の様な気がしてくる。
まぁ、
僕はAIと温暖化とPLAN75は信用しないけどね。
人間が人形?人形が人間?
"GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊" シリーズ第2作。
Ultra HD Blu-rayで4回目の鑑賞。
原作マンガは既読。
前作よりも遥かに難解だ。おおまかな筋は理解出来るが、格言だらけで煙に巻かれている気分になる。「人は何故自身の似姿をつくりたがるのか?」と云うテーマもよく分からない。
「前者は教養不足、後者は理解力の無さだろ?」と指摘されてしまったら正直ぐぅの音も出ないが、内容を完全に理解出来ている人はどれくらいいるか、非常に気になるところである。
[余談]
UHDブルーレイで鑑賞したところ、押井守監督が目指したのだろう映像美の真髄を堪能出来たような気がして、感無量だった。前作よりもUHDの恩恵を受けているように感じた。
[以降の鑑賞記録]
2025/04/29:Ultra HD Blu-ray
※修正(2025/04/29)
アニメ界のゴダール監督作品
今回『イノセンス アブソリュート・エディション』なるBlu-rayを手に入れて改めて10年以上前のこの作品に触れることにした。
本作は上映当時に映画館で1回、DVDソフト化されたものを購入して1回、そして今回と計3回観たことになる。
押井守作品は実写も含めて結構観ていると思うが、改めて感じるのは映画としては致命的に語りが多いことだ。
ただ凡百の監督と違うのはそれが意味深なために作家性や奥深さが込められているのではないかと観客に納得させることである。
TV版では全くと言っていいほど政治色のなかった『機動警察パトレイバー』に政治を持ち込んだ『機動警察パトレイバー2 the movie』、こちらもやたらと主要登場キャラクターたちの此岸や彼岸で政治信条が語られる物語であった。
とにかく語りが多い。
なので、小難しい映画なんか観たくない!と思う人には全く薦められない。
また本人自身が語っているように人間性には興味がなく社会システムに重きを置く作家性からか実写映画は超絶面白くない。
筆者も実写映画に関しては押井という監督が好きだから観たり買ったりしているにすぎない。
さて本作は『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』の続編である。
前作は言わずもがなハリウッドリメイクもされた程の押井の代表作である。
『マトリックス』シリーズを監督したウォシャウスキー兄弟(今は2人とも性転換して姉妹になった)に与えた影響は測り知れないし、ジェームズ・キャメロンもこの作品を観て以降ファンであることを公言している。
押井本人は本作だけを観ても面白いように創ったと強弁しているが、前作を観ないと全く理解できないと思う。
下手をするとTV版の『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』や『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』まで観ておいた方がいいのではないかとすら思う。
筆者は『攻殻機動隊』に関しては、TV版、OVA版、劇場新作も含め今も創り続けられるものは全て観ているので、正直なところどこが一般の観客にわかりにくいのかに鈍感になっている。
ただこの難解さは本人も大分意識していたと見えて少しでも売れるように宮崎駿の右腕とも言えるジブリの鈴木敏夫を三顧の礼をもってプロデューサーに迎え入れている。
前作で草薙素子という主役が実体である肉体を捨ててネットの世界にダイブしてしまった後の公安九課を描くのが本作になるが、もうそもそもこの前提が観ていない人には?かもしれない。
押井いわく「説明のつかない事をする人間というものを、人形の側から語ってみよう、そうすれば少しは人間というものがわかるかもしれない、と考えた」らしい。
まあ、???だろう。
観ればわかる!とは言い切れないが、?が1つは減って??になるかもしれない。
また本作は前作の『攻殻機動隊』へのオマージュ的な対比を意図的に演出しているように思われる。
冒頭のロボット製造シーンもそうだし、バトーの水中へダイブするシーン、そして最大の見せ場である敵の本拠地へ殴り込みをかけるシーンを当然のごとく最後に用意し、前作ではバトーが草薙を助けたが、今回は逆になる。
また前作で扉を開くために把手を回して腕がちぎれるシーンへのオマージュも忘れない。
もっとも自分で自作へのオマージュを入れるのはどうなのか、ツッコミを入れる余地はある。
前作同様、西田和枝社中の謡がオープニングそして本編途中で流れることで音楽から映像を盛り上げ、最後はエンディングでも流すことで余韻をもって締める。
特に前作の本編途中でこの謡が流れる際に香港を想起させる雑多なアジア調の街並のショットをいくつもつなげて最後にその人並みに埋もれている草薙を映し出すシーンは筆者の最も好きなシーンであり、この市井の中に埋もれていく個人を音楽と映像だけで魅せる手法を押井は多用している。『パトレイバー2』にもある。
ただ前回は主役の内面を映すシーンとして何気ない日常を切り取っていたのに対して、本作では主役が退場し残された者たちの侘びしさを逆に際立たせるためにあえて街中で祭りが行われている映像を使用することで異化効果を狙っているように思えた。
建造物の特徴や関羽像も登場するなど漢族系の祭りには間違いないが、日本の情緒的な祭りにせずド派手な祭りにしたことでこの効果を増したように思える。
劇中で登場人物たちが語る様々な格言のような片言はどこから引用されているか皆目検討がつかないが、そもそもありもしないディテールをでっちあげて世界を構築する作家であるボルヘスよろしく全くの嘘の可能性もある。
いずれにしてもこのような伏線や罠を張る手法は押井でなければ許されない。
何度観ても新たな発見があるだろうし、逆に何度観ても真の解答にはたどり着けなさそうでもある。
作曲を担当した川井憲次は最近では香港映画の『イップ・マン 継承』にも起用されるなど活躍の場を日本以外にも広げているが筆者には何を聞いても同じ曲に聞こえる。
『相棒』の作曲家である池頼広も数々のアニメに曲を提供しているが、彼の曲も全て同じに聞こえるので、筆者の中で彼ら2人は聞いてすぐにわかる作曲家の双璧をなしている。
そのせいか川井のも池のもなんとなく曲だけが浮いてしまうように聞こえることが殆どだが、押井作品にだけは妙に川井の曲が腑に落ちる。(池も『相棒』だけはしっくりくる。)
また当時映画館で観た時は最先端の映像技術に感じ入っていたが、今観ると車の動きなどがCG然としているなど思ったほどではないことに時の流れを感じる。
事件を解決するためにバトーとトグサは択捉島に向かうのだが、経済特区に指定されたものの施政の所属が曖昧なため無法地帯と化したという設定は北方四島の未来として全くあり得ないシナリオではない。
力を持っているのは前述した祭りの主体である漢族系のようだが、同時に敵の本拠地で話される言語は広東語であり、光と闇の両方を担わせている。
もっとも現在経済成長が鈍化してバブルも既にはじけている現実の漢族たちにはこのシナリオはいささか荷が重いだろう。
今年『CYBORG009 CALL OF DUTY』というアニメの3部作を観た。監督は神山健治という押井の弟子に当たる人物だが、劇中主人公の口を借りて今更ながらのありきたりな戦後平和主義を主張されて面食らった。
押井の著作である『監督稼業めった斬り』を読んで思うのは、彼の思想の特徴は左右の思想を超えたもっと冷たい視点で物事を捉えている点である。
宮崎駿は自身の左翼的な思想に縛られたままゼロ戦を描いたことで『風立ちぬ』において図らずも戦争は否定するが戦争兵器にロマンに覚えるという自身の分裂した感情をさらけ出してしまった。
押井もある意味分裂しているかもしれないが、人間が好きであるがゆえに、左右の思想で争い合っている人類自体が煩わしい!それならいっそのこと論理的な機械を信用する!というひねくれた印象を受ける。
本作はこれだけ書いても書き足りているようには思えないほど奥深い作品である。同時に通り一遍に楽しめる作品ではなく一見さんお断りなのも事実だ。
つい見てしまう
先日『攻殻機動隊』を見た流れでこっちも見返す。前回見た時はいろいろ感じるところがあったのだが、今回は途中で寝てしまったためか特に何も感じなかった。
結局メインの攻防はネット空間なので、銃撃戦の意味がないように思う。そこに出かけて行って敵を倒しながらネット接続しなければならない設定なのだろうけど、それも作者側が勝手に設定した困難さなので、単に作り手が見せ場をつくりたいだけだろと思う。
寝てしまったのでバドーが何を捜査しているのかもよく分からなくて、命がけで取り組むほどの重要さも感じなかった。そもそも機械の体だからあんまり命が惜しくないのかもしれないし、むしろ死にたがっているのかもしれない。そんなのに付き合わされる一般の捜査員が気の毒だ。
絵はCG多用で、凝っている割に味気なくて前作の方がいいし、主人公が暗いおじさんなのもしんどい。面白味も前作よりぐっと落ちる。でもなんとなく嫌いになれないし、短いのでまたそのうち見てしまうと思う。
(追記)
多分4回目で、長岡に『攻殻機動隊』を見に行ってせっかくなのでネットフリックスで見た。今回も冒頭15分で寝て続きも15分で寝てしまい、3日に分けて見終えたため、なんの捜査をしているのかよく分からなくなる。
バドーが主役だ。クライマックスは義体に草薙素子が憑依してバトーと一緒に戦うのだけど、草薙を憑依させてバトーと一緒に戦うがまず最初にありきで、それであの形態の義体がエラーを起こすという逆算でお話を作ったのではないだろうか。
草薙はふだん何をしているのだろう。
これぞ『アニメーション』
この作品を初めて見たのはいつだったか今となっては詳しくは思い出せないが当時小学生だった私は非常に衝撃を受けたの覚えている。
最近攻殻機動隊を久しぶりに鑑賞し、イノセンスもBDで鑑賞した。
この作品は攻殻機動隊、通称攻殻機動隊GITS の続編だ。
イノセンスは攻殻機動隊GITSでネットの海に素子が消えたのちのバトーの孤独を描いた作品であるのだが、イノセンスのアニメとしての凄さはその映像に最も顕著に現れている。
登場するキャラクターのセリフの多くは有名書籍などから引用されたものであったり、必要以上に抽象的なものが多いく、それ故にキャラクターの心情などをセリフから感じ辛くなっている。
その変わりにアニメーションとして映像で彼らを表現している。
細部まで緻密に描かれた作画、妥協することのないCG、この2つが絶妙に組み合わされることによってイノセンスは成り立っている。
不気味なシーンではこちらまでもが本当に不気味さに不安を感じ、孤独を移すシーンではこちらまでもが辛さを感じる。
圧倒的な映像が私たちの中にまで入り込んできて一瞬一瞬を訴えるのだ。
故に私たちは彼ら登場人物の心情をセリフで表現されるよりもより生々しく感じられる。
その意味ではイノセンスは究極の『アニメ』であるだろう。
孤独、人間と人形との違い、幸福をテーマに据えているがそちらはいたって普通に扱われるものであるためレビューでは触れないことにする。
ただ一つ他作品と違うところがあるとすれば私たち視聴者はそのテーマについて感じることができる点であろう。
最後に前作攻殻機動隊から台詞を引用してレビューを終えたいと思う。
「ゴーストのない人形は哀しいもんだぜ。特に赤い血の流れている奴はな。」(バトー)
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