「おそらく裏のストーリーが隠されている」イノセンス やっくんさんの映画レビュー(感想・評価)
おそらく裏のストーリーが隠されている
個人的な考察です。
イノセンスでは表裏ふたつのストーリーが螺旋を描いているように見えます。もし、後述する「裏のストーリー」の解釈が正しく、これほど丁寧に隠蔽しているのであれば、本作は驚異的な芸術性と完成度を有しています。私ほそう信じたいひとりです。
【表のストーリー】
多くのレビューに書かれるとおり比較的シンプルです。主人公バトーが被害者少女を助けます。ざっくりと、企業による悪事、ガイノイドの暴走、悪事の露見と隠蔽、公安による摘発、原因の解明という流れです。個々の哲学的なコトバの考察は割愛しますが、裏を匂わせるいくつもの暗示が盛り込まれているようです。
【裏のストーリー】
あきらかに視点が異なります。
それは敗者への眼差し、とくに救済されない者の絶望と悲哀を強調するものです。
主人公はハダリ、被害者もまたハダリです。ハダリは性玩具の躯体を持ち、そこにはゴーストダビングされた「ひとの自意識」が閉じ込められました。ハダリは生きていたのです。自意識は救済を求めますが、人形の夢が叶うことはけっしてありません。身に生じた圧倒的な不条理と、神と来世に祈るばかりの絶望は、やがて怨恨となります。このことはテーマ曲「傀儡謡 怨恨みて散る」の歌詞で述べられています。怨恨はハダリ自らを暴走そして自害へと突き動かします。終盤のバトーの苛立ちは、ハダリが味わった救いようのない絶望を認識したためです。
私がハダリを主人公とした裏のストーリーを
このように推測した5つの根拠を示します。
- 根拠1
「生死去来棚頭傀儡一線断時落落磊磊」は
世阿弥の「花鏡」で引用されていることばです
- 根拠2
テーマ曲「傀儡謡 怨恨みて散る」の歌詞の冒頭で唐突に、鵺(ぬえ) と 月がでてきます
- 根拠3
世阿弥の能の演目に「鵺」という作品があります。一般的に、鵺は鳥の名前で哀しみや不吉の象徴です。能の演目中の「鵺」は人の形をした化け物で、世を乱した罪で英雄に討たれるのですが、成仏できずにおります。なにやら謡いながら、身の救済を懇願してくるのです。しかし仏僧をもってしても救済かなわず、自分はふつうの生物ではないから月(仏)の光が届くことはないのだといいます。そうして暗所に閉じ込められ川のくらい底へ沈んでゆきます。
- 根拠4
テーマ曲「傀儡謡 怨恨みて散る」に「花」がでてきます。ふたたび世阿弥によれば、能における花とは美しく変容する心のことです。しかし歌詞のなかで、花は散ります。ハダリの心が絶望と怨恨に満たされていくことに通じています。
- 懇願5
映画の街の場面で「月度?鵺」という看板が映しだされます。月(仏)は鵺を救済??と、素直に訳すことができます。
さいごに
世阿弥は演劇の面白さの要旨をこう述べています
「秘すれば花」