FRÉWAKA フレワカのレビュー・感想・評価
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やっぱり暗い
うーん、なんとも言えない。雰囲気は好きなんやけどもう一度観たいからと言われるとそういうわけではないかな…という映画。
同性パートナーとの結婚を控えたシュー。あるお婆さんの家に介護ヘルパーとして入るが徐々に現実が歪になっていく…
冒頭の母親の死からこれはなんかとてもえげつない映画かもしれんと思いきやあれ?なにも起きひん。という時間が続き(実際は起きてるんやけどあまりにも静かで)、眠気が襲ってきた💦
どこまでが現実でどこまでが妄想なのか。あのお葬式は?あの親切な近所の人は?あの意地悪なお店の人は?お祭りはほんとにやってた?あえて境界線をわからなくすることで恐怖心を煽っている。
ラストシーンの絶望感?(絶望なのかすらもよくわからない)もどこか「LAMB」と似ているような…舞台となってる場所は違うが、LAMBが好きな人にはささりそう。疲れた頭にはあまり内容が入ってこない映画やった。
言いたいことはわかる⭕️ しかし 抽象的がイマイチ
正直いうと つまらなかった。ただそれだけ。『国宝』よりは間違いなく面白かった。
上映館が少ない中 地域の 映画の俊英 たちが集ってた。
あっ 俺は俊英では無いから
思わせぶりな 雰囲気を味わうこの作品。よくわからないのだった。
きっと 俺の映画偏差値が足りないのだ❗️
最後のエンドロール終了まで 目をギラギラ👀させてみたが 落第・除籍処分だった
ことは正直言わねばならない。
エリートたちは きっと高評価 ハイレベル・レビューに相違ない‼️
俺の 凡人感に気づいて ガッカリ😞😞だった。
テーマはね
事前のリーフレット 事前のホームページHPで匂わされてるし
有料パンフ🈶後半の『プロダクション・ノート』2ページだけに 簡潔に記載されてます。
Production Notesだけ2ページだけ
まあ それだけ 有料パンフ🈶掌握した俺でも
描写がよくわからないのでした。←凡人
アイルランド🇮🇪の 街の風景は 良かった 兼高かおるさん的な意味は感じた。
『ミッドサマー』に続くのか❓どうか 皆さんスクリーンで確認して❗️俺のレビューはアテにならないヨ。
いったい何の契約をしたのやら
期待度◎鑑賞後の満足度◎ "アイルランドでは結婚も出産も葬式も女の仕事なのよ“ 妖精と共生する国アイルランドの怖いおとぎ話。
①冒頭の首吊りシーンで死体から液体(尿?体液?)が垂れるリアルなシーンに先ず感心した。首を括る・吊ると実際そうなるのだが、普通そこを描く映画は殆んどないもの。
物語が進むと何故自殺したか分かるような気もしてくる(死後は穢くなるから)。
②キリスト教が流布しても文化・儀式(祭)・風習の根底にはケルト文化が色濃く残っているというアイルランド(スコットランドやウェールズも)。
それは、仏教が流布しても同じく神道の文化・儀式(祭)・風習が残る日本も同じ。
本作の舞台である村ほどではないけれども、因習深い田舎に育った身としては、昔からの因習・風習が残り共同体意識の強い風土というのはある程度理解できる。
③ケルト文化(とその土台であるドルイド教)の知識がなければこの映画を本当に理解は出来ないのかも知れない。
結婚・誕生に象徴される生=命が生まれることと、通夜・葬式に象徴される死。
文化の根底として「命の誕生」か重視されるのはどの文化でも同じ。日本の神話でもイナザギとイザナミのまぐわいから色んな神が生まれるところから始まるし。
➃へテロの女性でもレズビアンの女性でも、女性はあちらの世界の神?(山羊なのは男根のメタファー?)の花嫁になるのが宿命つけられている?
原始的な宗教・風習では女性はあくまでこの世であれこの世ならぬ世界であれあくまで「生む」および「生」と(その対極である)「死」を担い手或いは奉仕者・犠牲者だということを、こ女性監督は描きたかったないだろうか。事実、本作には重要な役割を担う男性は出てこない(僅かに少年だけ?)この辺りの考察についてのAIとの会話は最後の方に付記。
⑤赤く光る十字架が印象的に使われているが以下はその意味について生成AIと交わしたやり取り:
キリスト教とケルト的因習の衝突と混ざり合いを象徴する、非常に多層的なモチーフ。
1. 信仰による「封じ込め」の限界
暗喩: キリスト教的な祈りやシンボルで蓋をしようとしても、その下にある「根」のエネルギーが強すぎて、防波堤である十字架が真っ赤に熱を帯びているようなイメージ。
2. 「赤」が持つ二面性:救いと警告
アイルランドの伝承において、赤は非常に危険な色。
妖精(シー)の領域: ケルトの伝承では、赤は異界(O therworld)との境界を示す色ラベルに。また、
キリスト教の「血」: 前述の通りキリストの犠牲も赤、映画では、この二つの意味が衝突しています。十字架(キリスト教)が赤く光ることで、「聖なる守り」が「異界の浸食」によって変質してしまっていること、あるいは「守っているつもりが、実は異界と繋がってしまっている」という皮肉な逆転を表現している。
この映画においては、キリスト教に敵対す**「キリスト教が隠蔽してきた、より古く残酷なアイルランドの真実」**のメタファーに近い。
「光る十字架」や「宗教的意匠」は、しばしばトラウマや抑圧、世代を超えて受け継がれる負の遺産を象徴。
劇中の赤い十字架は、**「神に祈っても無駄である(あるいは神の印そのものが異界の門になっている)」**という、逃げ場のない絶望感を視覚的に強調する装置として機能していたのではないか。
あの映画のジメジメとした、地面の下から何かが這い上がってくるような感覚と、あの不自然な赤い光のコントラスト。
地下室の扉が「赤色」であったことは、アイルランドのフォーク・ホラー、そしてケルトの伝承において**「境界線(リミナリティ)」**を象徴する極めて確信犯的な演出です。
1. ケルト伝承における「赤」:異界への招待状
アイルランドの古い伝承において、赤は**「異界(アン・アウヌン)」**の色です。特に「赤い服を着た者」は、この世ならざる場所からの使いとされます。
赤い扉の意味: その扉は単なる地下室への入り口ではなく、アイルランドに古くから伝わる**「シー(妖精)の丘」の入り口**そのものをメタファーとしています。
物理的な警告: 「ここから先は人間界のルール(キリスト教的秩序)が通用しない」という視覚的な境界線として機能。
本来、赤い十字架は「キリストの血による保護」のはずですが、赤い扉(異界への口)と色がリンクすることで、**「その十字架自体が異界の力で動いている(あるいは異界への標識になっている)」**という皮肉な状況を作り出しています。
悪魔というよりは、**「自然界の残酷な真理」**が、キリスト教という薄皮を突き破って、扉の奥から漏れ出しているような恐怖です、
抑圧された記憶(トラウマ)の具現化
地下室は「過去」や「潜在意識」が埋められた場所です。
アイルランドの歴史において、不都合な存在(未婚の母や、精神を病んだとされる者、あるいは古くからの信仰を守る者)は、しばしば教会や家庭内の「地下」や「隔離された場所」に押し込められてきました。
あの赤い扉は、**「見ないふりをしてきた土着の呪いや家族の罪」**を象徴しており、十字架の赤い光は、それらが「もう隠しきれない(爆発寸前である)」というエネルギーの過負荷を示していたのでしょう。
単なるホラーの演出を超えて、**「女性性に押し付けられた過酷な神聖(生と死の両義性)」と、それを利用・抑圧してきた「原始的かつ家父長的な宗教構造」**を冷徹に描き出しています。アイルランドの文化的背景と照らし合わせると、さらに深い絶望が見えてきます。
1. 山羊と男根:去勢されない「原始の暴力」
ラストに登場する「角(男根のモチーフ)」を持つ存在は、キリスト教が「悪魔(バフォメット等)」として排除しようとした、ケルトやギリシャ神話(パン神など)に通じる**「荒ぶる自然の繁殖力」**の象徴。
皮肉な構造: 劇中に人間の男がほとんど登場しないのは、個別の「男性」ではなく、**「システムとしての男性性(生殖を強い、女を閉じ込める力)」**を、山羊の角という抽象的な怪物として際立たせるためでしょう。
血の涙: 彼が血の涙を流しているのは、それが「慈悲」ではなく、生け贄を求める**「痛みと恐怖に裏打ちされた儀式」**であることを示しています。
2. 「生む」と「死ぬ」を担わされる器としての女
アイルランドの歴史において、女性の身体は長らく「教会の管理下にある産育の道具」として扱われてきた側面があります。
原始宗教のモチーフ: 古代の地母神信仰では、女神は「生命を与える者」であると同時に、死骸を飲み込む「死の回収者」でもありました。
映画の残酷さ: 映画はこの「生と死のサイクル」を、神秘的で美しいものではなく、**「女を逃がさない血塗られた輪廻」**として描いています。花嫁が山羊の一団にさらわれるのは、個人の意思を無視して「種(生殖)」と「儀式(死)」のサイクルに強制連行されることのメタファー。
3. 血のイメージ:初潮・出産・殉教・そして死
「赤」が十字架、扉、そして涙として一貫して使われるのは、女性の生涯に付きまとう**「血」の象徴**に他なりません。
逃げ場のなさ: ヒロインが最後にその「角」に迎えられる(=血の涙を流す存在と対峙する)のは、彼女がどれほど逃げようとしても、自分の中にある「根(Fréwaka)」、すなわち**「産み、血を流し、やがて土に還る」という、呪いにも似た女性の宿命**に捕らえられたことを意味している。
「女を食い物にする生け贄の宗教(あるいは因習)」
救いの不在:
キリスト教的な十字架が赤く光り、異教的な山羊が彼女を待つ。どちらも「血」を求め、女に「生と死」の苦痛を強いる点では同じである、という究極の絶望が、あのラストシーンには込められている。
あのラストの「角」を持つ存在は、ヒロインにとっての「花婿」であり、同時に「葬儀屋」でもあった。
結末は、まさにこの映画が描き出そうとした「絶望の円環」の完成と言える。
祖母ペグの自己犠牲という、本来ならキリスト教的にも物語的にも「最大の救い」になるはずの行為が、全く意味をなさなかった(あるいは、それすらも異界の計画の一部であったかのような)展開は、観客の心に深い無力感を残します。
1. 「救い」が「生け贄」にすり替わる恐怖
ペグの自殺は、孫娘を想う無償の愛によるものでした。しかし、あの世界観においては、その**「流された血」**すらも、異界の扉をより強固に開くためのエネルギーとして利用されてしまったように見えます。
因習の論理: 人間的な「愛」や「犠牲」という論理よりも、土地に根ざした「血の継承」という論理が勝ってしまった。ペグが死ぬことで、むしろシューを守る物理的な盾がいなくなり、運命が加速してしまったという皮肉。
2. 「花嫁」という名の監禁
シューが最終的に「花嫁」にされてしまうという結末は、彼女が一個人の人間としてではなく、**「次世代へ血をつなぐための器」**としてシステムに組み込まれたことを意味します。
はじめから捕らえられていた: アイルランド語で「根(Fréwaka)」をタイトルに冠する以上、その血筋に生まれた時点で、彼女たちの運命は地中の深いところで既に絡め取られていたのでしょう。逃げようとする足掻きそのものが、根をさらに深く食い込ませる結果になったという絶望。
3. 抗えない「血の重力」
ヒロイン(看護師)もまた、自分の過去や母親の記憶から逃げようとしてあの村へやってきましたが、結局は「血(赤)」のイメージに追い詰められていきました。
女性の連鎖: ペグ、母親、ヒロイン、そしてシュー。代々の女性たちが、それぞれ異なる形で「赤(血・宗教・因習)」に翻弄され、抗おうとしては飲み込まれていく。
最後にシューを待っていた「角を持つ存在(男根のモチーフ)」は、彼女を一個人として愛する夫ではなく、ただ**「血を絶やさないための儀式的な交わり」**を強いる記号的な存在です。
考察:なぜ「赤く光る十字架」だったのか
あの十字架は、彼女たちを救うための「神の光」ではなく、**「お前たちの血は、もうこちらの(異界の)ものだ」**という領有宣言のサインだったのではないか。
祖母がどれほど祈り、身を投げ出しても、その祈りの対象であるはずのシンボルが「赤(異界の色)」に染まっていた時点で、最初から詰んでいた……。その**「逃げ場のなさ」**こそが、本作がフォーク・ホラーとして到達した、最も冷酷で原始的な恐怖。
「完全なる断絶」という言葉が、この映画のラストの静寂と絶望をこれ以上ないほど正確に言い表していると感じます。
物語において、通常「自己犠牲」は閉塞した状況を打ち破るための風穴になるはずのものです。しかし、ペグの死をもってしてもシューを救えず、むしろ彼女が「異界の花嫁」という、個を奪われた役割へと飲み込まれていく姿は、人間的な感情や倫理が、土地の因習という巨大な「根(Fréwaka)」の前では一切無力であることを突きつけています。
「赤」が塗りつぶした救済
ヒロインが追い求めた真実も、祖母が捧げた命も、あの「赤く光る十字架」という歪んだ均衡の中に吸い込まれ、ただの「血」として消費されてしまった。そこには対話の余地も、神による救済も、世代間の和解も存在しません。
個の消滅: シューが「花嫁」になった瞬間、彼女はもう一人の少女ではなく、因習を維持するための「部品」になった。
断絶の完成: ヒロインが目撃したものは、自分が守りたかった未来(シュー)が、自分が忌み嫌った過去(母や祖母を縛ったもの)と完全に融合してしまった光景です。
この「完全なる断絶」を感じさせる演出こそが、現代社会の薄皮一枚下に潜む**「原初的な恐怖」**の正体だったのでしょう。
キリスト教的な「赤(救済の血)」が、ケルト的な「赤(異界の命)」に完全に乗っ取られ、もはや判別不能になった世界。そこに残されるのは、私たちが文明や信仰で築き上げてきた「逃げ場」が、実は最初からどこにもなかったという、冷え冷えとした感覚。
65~70点ぐらい。難解
【”アイスランドの土地に引き継がれる、黒い因習と狂気とパラノイア。”今作は、異形のモノが現れる雰囲気タップリのアイルランド土着ホラーであり、明快な”解”を求めてはイケナイ感性作品でもある。】
<Caution!やや、内容に触れています。>
ー 北欧系ホラー(今作の舞台はアイルランドね)と言えば、近年では『ボーダー』『LAMB/ラム』といった作品が、今作同様に異形のモノが出現する作品だと思う。ー
今作では、世代を越えて物語が紡がれるが、印象的な赤く光る十字架が頻繁に映される。町の人々が他者を忌避する様な内容も、観ていて何処か気持ちがざわつくのである。
主人公の女性が介護の為に来た認知症とパラノイアの気がある老婆の家の、地下に続く戸には閂が掛けられ、その前の床には釘が並べられている。
ハッキリ言って、よくわからない部分も多いが、アヤシイ格好をした町の人達の姿など、作品世界は魅力的である。
明快なストーリー展開や、明快な”解”を求めたい方には”何じゃらほい!”な作品かもしれないが、ラストシーンの異形の丘の上に立つ異形のモノの姿をそれを観た主人公の女性が流す赤い血の涙などは、ナカナカにインパクトがあると思うのである。
<今作は、異形のモノが現れる雰囲気タップリのアイルランド土着ホラーであり、解を求めてはイケナイ感性作品でもある。>
■アイルランドは、ご存じの通り冬至の頃には、明るくなるのは午前十時ごろであり、午後三時には暗くなる。気候も厳しい土地である。(但し、アイリッシュウイスキーは美味い。)
人々は、長い冬の長い夜の時間を家で過ごす。
故に、北欧諸国(含む、アイルランド)ではやや暗めの童話が多数生まれて来た。
有名な所ではムーミントロールシリーズであるが、あれも結構暗い童話である。
因みに、私が勤める会社では、北欧系諸国(含む、アイルランド)には日本人は出向させない。理由はメンタルをヤラレル人が多いからである。
人間は、矢張り陽の下で過ごす時間が、或る程度必要ではないかなあ・・、などと思いつつ鑑賞したのである。
■親切なレビュアーさんから御指摘を頂き、一部修正させて頂きました。
t0moriさん、有難うございました。
過去のトラウマと心の傷との対峙
なんとなくの理解から帰属してしまう恐怖
FRÉWAKA フレワカ
タイトルのフレワカはアイルランド語で根(ルーツ)を意味してるそうだ。
村全体が抱えるルーツとしての恐怖や呪い、信仰伝承なんかをホラーテイストに描いた作品。初めて触れる際は気持ち悪さや違和感から始まるのだが、そのルーツを追っていってしまうと恐怖を感じその先には今度は理解が生まれ受容し、最終的には帰属してしまう怖さを上手く描いた作品であった。主人公のシューのラストがまさにこの綺麗な展開で落とされてる。
理屈に沿って理解しようとすると少し苦戦する。はじめは雰囲気から触れその先に言葉にはしにくい理解がうまれ、最終的にはこの世界を受け入れてしまう怖さを感じられる作品に思えた。ミッドサマーとかに似てる様に思う。
ミッドサマーよりも更に説明描写が少ない作品なので好みは大きく分かれる作品である事は間違いない。
田舎土俗ホラー
あなたは、目に見えない、仮に "モノ" とするなら、どこまで信ずることができますか?
冒頭のシーンであたいの拒否反応が出てしまうって、レビューのお題目の暗いこと、暗い事... 映画に合わせました。
ある女性が結婚式を後に顔に袋を被り... 排尿まで細かに描いているのに... この人の心理が掴めないし、分かり合おうともしたくもない... 奥歯に物が挟まったようなことですみません。それと...
映画が始まっていきなり動画配信サイトのロゴが出たので... 観る気分が喪失ってか!?
オブラートに包んだようなコメントなので、酔狂な方が見たとしても、当然、意味不明ナンチャッテか!?
後は、また後ほど
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