ペンギン・レッスンのレビュー・感想・評価
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ほのぼの動物映画の皮をかぶった社会派作品
ゆるほんわか系の脳みそ休まる動物映画と思って油断していたら、軽くビンタで気合いを入れられたような気持ちになった。この映画は本質的に1970年代のアルゼンチンにおける軍事政権の圧政の苛烈さを静かに訴える社会派の作品であり、ペンギンのエピソードは話のヘビーさを緩和するクッション材のようなものなのだ。
ペンギン周りの展開がゆるかったことは間違いない。そもそも海岸で重油にまみれたペンギンを助けたら、洗った後は海に返すのが当たり前ではないのか。何故連れ帰る義務が発生するのか、ウルグアイの謎ルール。
その後ペット禁止の宿舎に連れ帰り、誰かにバレて大ピンチみたいなイベントが発生するのかと思いきや、なんだかとてもやさしい世界が展開する。
初手から勝手に部屋に入ってくる距離感のおかしい同僚タピオ、メイドの祖母マリア・孫ソフィアのコンビに、トムはあっさりとサルバドールと名付けたペンギンの存在を白状するが、彼らはすぐ好意的に受け入れる。学級崩壊状態だったトムのクラスはサルバドールを連れていくとたちまち聞き分けがよくなり成績もうなぎ登り。ついには校長もサルバドールの魅力に癒されてしまう。
一方で、「汚い戦争」と呼ばれた1976年当時の軍事政権による圧政が丁寧に描かれる。軍が選定した行進曲一色のラジオ、日ごとに悪化するインフレ、政治的に危うい発言ひとつで連行されてしまう世界。
イギリスからやってきたトムは、当初はそういった社会情勢についてどこか他人事で、校長から言われた通り政治的な発言もしなかった。
だが、サルバドールが縁で親交を深めたソフィアが目の前で当局に身柄を拘束されてから、彼の中で何かが変わり始める。彼女が助けを求めて自分の名前を呼んだのに、彼はただ見ていることしか出来なかった。のちに彼が17年前に自身の娘を事故で亡くしていたことがわかるが、彼はソフィアに対し娘の姿を投影し、17年前と同じ無力感と自責の念を覚えたのかもしれない。
だから、その後街で見かけた当局側の人間に、危険を犯しても詰め寄らずにはいられなかった。彼はもう、事なかれ主義の人間ではなくなっていた。
サルバドールを介して広がる牧歌的とも言える繋がりのあたたかさと、発言に自由のない軍事政権下の現実という落差のあるエピソードの撚り合わせを見つつ、登場人物個々の心の傷を知るにつれ、彼らにとって動物の癒しは切実に必要なものだったのかもしれないと想像する。
動物は言葉を解さないが、聞き上手になるのに饒舌である必要はない。私自身ペットを飼育した経験上、動物は言葉で具体的な状況を理解することはないが、「仲間(飼い主)が弱っている」ことは察知しているのではと思ったことはある。そんな時、ただこちらを見て寄り添ってくれることが何より慰めになる。むしろ、言葉が返って来ないからこそ安心して心を開ける、そんな時がある。
だから、サルバドールに気持ちを打ち明けたタピオや校長、トムの気持ちはよくわかる。
唐突に訪れたサルバドールの死は本当に悲しかった。ベタと言えばベタなのかもしれないが、前振りも大袈裟なお涙頂戴演出もなかったのでかえっててきめんに刺さってしまった。洗面台の陰に遺品を見つけて泣くトムを見て、サルバドールとの出会いで彼が変わったことを実感した。死を以て命のはかなさ、尊さを教えることも、サルバドールのレッスンだったのだろうと思う。
軍事政権下の社会の描写はここまでずっと救いがなかったので、ソフィアの帰還という一筋の希望で締めるのは、若干出来すぎ感はあるにせよいい終わり方だった。
ところで本作は実話に基づく物語だとされ、原作としてトム・ミッチェルの「人生を変えてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日」がクレジットされているが、原作でのトムの年齢は23歳。映画でのトムの年齢や娘を事故で亡くしたこと、ソフィア拘束にまつわるエピソードなど、割と物語の根幹に関わる部分が映画オリジナルの創作のようである。
だが、時代背景の描写に重点を置いたことで可愛さだけが売りの動物映画とは一線を画す作品になっており、ペンギンの癒しの意義もより生きてくるので、個人的には上手いアレンジだと思った。
ペンギンから教わる事があるよね…は比喩であって
実際のペンギンを用いた、英語教師との実話を基にした物語
【イントロダクション】
実在の英語教師トム・ミッシェルの回顧録『人生を変えてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日』を原作に、1976年のアルゼンチンを舞台に、人生を諦めた英語教師とペンギンの出会いが起こす、実話に基づく小さな奇跡の物語。
主演は、『ロスト・キング 500年越しの運命』(2022)のスティーヴ・クーガン。監督に『フル・モンティ』(1997)のピーター・カッタネオ。脚本に『僕たちのラストステージ』(2018)のジェフ・ポープ。
【ストーリー】
1976年、軍事政権下のアルゼンチン。英語教師のイギリス人、トム・ミッシェル(スティーヴ・クーガン)は、混乱する社会情勢によりクーデターも日常茶飯事の中、名門寄宿学校セント・ジョージズ・カレッジに赴任してきた。校長のパクル(ジョナサン・プライス)は、寮内はペット禁止だと告げ、彼に英語教師の他にラグビー部の顧問を命じる。ミッシェルは家政婦のマリア(ヴィヴィアン・エル・ジャバー)や、彼女の孫娘ソフィア(アルフォンシーナ・カロシオ)と出会う。
ミッシェルが請け負ったクラスは、家柄は良くとも問題児の多いクラスであり、生徒の殆どが授業に集中せず、中でも内気なディエゴ(デイヴィッド・エレロ)はクラスメートからの虐めの標的にされてしまう。
ある日、都市部で軍事クーデターによる爆破事件が発生。全校生徒が1週間帰宅する事となり、ミッシェルは理科教師のタピオ(ビョルン・グスタフソン)と共に、ウルグアイへ旅行に出かける。別れた妻への未練たらたらのタピオに辟易しつつ、ミッシェルはダンスクラブでカリナという女性と出会い、彼女に好意を抱く。
翌朝、海辺を散歩していた2人は、重油漏れによって大量のペンギンが死んでいる現場に遭遇する。しかし、一羽だけは油まみれになりながらも辛うじて息をしていた。カリナの気を引きたいミッシェルは、ホテルの部屋でペンギンの油を洗い流し、綺麗にする。そして、いざカリナと行為に及ぼうとするが、彼女は既婚者であり、寸前のところで拒否されてしまう。カリナを見送り、ホテルのバスルームに残されたのは自分とペンギンのみ。
ミッシェルは海岸までペンギンを連れて行き、海に返してあげようとするが、当のペンギンは彼に懐いた様子で、放してもすぐに戻って来てしまう。
ホテルのチェックアウトの際、ペンギンを部屋に置き去りにしようとするが、財布を忘れて取りに戻った際、既に次の宿泊客が部屋におり、堪らずペンギンを連れてフロントまで行く。フロント係や駆け付けた警察に逮捕をチラつかせられ、ミッシェルは渋々ペンギンを連れて帰国する。
税関でもペンギンの持ち込みについて問われるが、やはり逮捕をチラつかせられ国内へ持ち込まざるを得なくなる。結局、ミッシェルはピーターと仮に名付けたこの雄ペンギンを、ペット禁止の宿舎へと連れ帰る事になった。
ペンギンを隠す生活が長続きするはずもなく、部屋の掃除に訪れたアリアとソフィアにバレてしまう。しかし、2人はペンギンを大層気に入り、ソフィアは彼に“フアン・サルバドール”と名付けた。
やがて、フアンは授業に集中しなかった生徒達やタピオも巻き込んで、学校内に次々と変化を齎していく。
【感想】
予告編やポスタービジュアルから、「ペンギンと教師の心温まる交流」と思って鑑賞した人も多い事だろう。しかし、それは半分正解で、半分間違いでもある。ペンギンのフアン・サルバドールという“癒し”こそ存在するが、本作は軍事政権下のアルゼンチンを舞台にしており、クーデターや逮捕が日常茶飯事の中で生活する人々と混乱する社会の様子は、社会派ドラマとしても優れている。通りで助けを求めて叫ぶソフィアの声に応えられず、彼女が連れ去られるのを黙って見てしまう周囲の人々も、ミッシェルの人間的な弱さも印象的。
ミッシェルのキャラクターが魅力的で、イギリス人らしい皮肉に富んだジョークと、有名な詩人の詩を引用して展開される授業がオシャレで、あんな授業ならペンギン抜きにしても受けてみたいものだが。新しく買ってきた靴を、ソフィアに「古くさい」と揶揄われたミッシェルが返した「流行は廃れるが、スタイルは滅びない」という、ココ・シャネルの名言(調べて知った)の引用もオシャレ。
また、台詞で言うと、本作は人生についてを考えさせられる印象的な台詞が幾つも登場する。
ミッシェルとのウルグアイ旅行への最中、タピオがバスの車内の人々を指して言った
「旅をする人は皆、それぞれに物語を持っている」
という台詞は、“旅に出る”という事は、人生において何かしらの苦境に立たされたり、自らの人生について見つめ直す心境に至ったり、あるいは未知へと飛び込もうとする好奇心であったりと、理由は人それぞれなれど、そこに至るまでにはそれぞれの“ドラマ”が積み重なっているはずであり、この台詞はその本質を的確に捉え、端的に表現していると感じた。
「人生は人を変える」
ミッシェルがソフィアに語るこの台詞は、「物事の積み重ねが“人生”として人を形作っていく」と考える私とは違い、「そもそも人は、人生という大きなうねりの中で、抗いようのない出来事を積み重ねて形作られるのだ」と語っているように感じられた。そして、それは教師として各国を回り、娘を失った喪失感を抱え、人生を諦めかけているミッシェルだからこそ辿り着いた境地だったのだろう。
「悲しくて幸せだ」
フアンを埋葬し、全校生徒と教師達の前でフアンとの歩みについてミッシェルが語る際に、彼はフアンとの出会いをこう表現する。しかし、この台詞は人生を諦めかけていたミッシェルにとって、とても前向きな台詞だろう。交通事故である日突然娘を失った喪失感と、生涯を全うして役割を終えて旅立ったフアンを失った喪失感とは、同じ喪失感でも似て非なるものだからだ。
もう一つ、フアンを埋葬するミッシェルにディエゴが語った、「ペンギンは生涯一羽しか伴侶を持たず、伴侶を失った後はずっと一人で生き続ける」という習性も興味深かった。ともすれば、「愛」の何たるかを知っているのは、我々人間より動物の方なのかもしれない。
ところで、気になるのは、ソフィアを拉致した当局の上司とカフェで対話する際、上司がミッシェルは自分の身の上話やフアンで同情を誘おうとしていると判断し、彼に立ち去るよう命じるが、これは、背後に部下達が控えているからこその体裁だったのだろうか。後にミッシェルは当局から拉致されるが、1日で釈放されているわけだし、迎えに来たタピオの言うように単に「運が良かった」だけなのであろうか。ラストで学園に帰されるソフィアも、あの上司が裏で手を回してくれたからなのだろうか。
だとすれば、それもまたフアンの起こした「小さな奇跡」なのだが。作中では裏で何があったのかは明かされないので、こうして推測するしかないのであるが。
【本物のペンギンを用いて撮影された、人と動物が織りなすリアルな癒しの空間】
一部シーンのロボットや人形(内容的に、重油塗れの姿や遺体のシーンだろう)を除いて、本作はペンギンのフアン・サルバドールの登場シーンの殆どを実際のペンギンを用いて撮影している。だからこそ、フアンが画面に現れる度に、そのキュートな魅力が作品を彩り、劇場内が温かい空気で満ち溢れる。
海辺でミッシェルの元に戻ってくる姿や、寄宿学校の廊下をペチペチと足音を立てて進んで行く後ろ姿は非常に癒された。
タピオやパクルの本音混じりの愚痴を聞かされる話し相手としての姿も愛らしい。物言わぬペンギンだからこそ、曝け出せる部分もあるのだろう。
そして、ラストでミッシェルが撮影した当時の映像に映る本物のフアンの姿。半世紀近くも前の、素人撮影・保管のフィルムが、あれほどの状態で残っていた事もまた、「小さな奇跡」と呼べるかもしれない。
【脚色の塩梅】
本作では、映画化に際して脚色された部分が多々ある。老齢に差し掛かったミッシェルは、実際には当時23歳の新米教師だった様子で、当然娘を事故で亡くしてもいない。映画のキーパーソンとなるソフィアも存在せず、本作の感動的なクライマックスの為に用意された人物である。
物語として成立させる上で、こうした脚色は決して珍しくはないが、本作においては、そうした脚色がやや「感動させよう」という製作側の思いが透けて見える“湿っぽさ”を含み過ぎていたようにも感じられる。
【総評】
ペンギンの愛らしさの裏で、軍事政権下の社会の混乱や軍事クーデターという“もう一つの事実”が描かれており、フアンの可愛さに癒されながらも、社会派ドラマとしてもしっかり成立している。映画化に際して脚色された部分が多々あり、美談として描かれ過ぎてしまっているきらいはあるが、優れた一作だと感じた。
シリアスとコメディのちょうどいいところ
悲しい社会情勢の隙間にペンギン
軍事政権下のアルゼンチン、
言論統制や不当逮捕によって、常に自分や身近な誰かが暴力や不条理に巻き込まれる可能性を持ちながら常に緊迫感が漂う社会情勢の中で、
学校というほんの小さなコミュニティではあるけど、
無垢に自由に動き回って、何人かの人間を救済した一羽のペンギンの話。
シリアスとコメディのバランスがよく、
重たくなりすぎず、でも軽くもない、
観終わった後アルゼンチンの歴史、ペンギンの生態や英詞など、いろいろ調べたくもなるいい映画でした。
決して事前勉強をしなきゃわからないということもなく、映像や脚本でストーリーは充分に理解できたので、いろんな人におすすめしたいなと思います。
パンフレットの評論にあった、"人間が自由を求めるようになるきっかけが、別にペンギンであってもいいじゃないか。"というのが個人的にすごく刺さってます。パンフレット内容もとてもよかったです。こっちもおすすめです。
ペンギンが無条件にかわいい人気者というのは全世界共通なんですね、!
演者のペンギンさんたち、クランクアップのときにニシンいっぱい食べさせてもらってて欲しいなあ
笑い、心痛め、涙し、微笑む。しみじみいい映画
英国人教師トム・ミッチェルが住み込みで赴任してきたのが、
ブエノスアイレスの英国系名門ハイスクール
(原作によると「セント・ジョーンズ・カレッジ」。英国のパブリックスクールをモデルにした全寮制男子校で、1898年創立。南米の中等教育の最高峰と目されていた)
ちなみに初対面で校長から「ペットは禁止」と言い渡されるフラグ。
が、受け持った中学生のクラスは、英語の授業(語学というより英文学)をまともに受けようとしない。
シェイクスピアとかシェリーとかには、まあ、興味ないよね。
でもトムは、ナナメからものを見る癖がしみこんでいるようで、
校長からラグビー部の顧問をやってくれと言われた時には、
「ラグビーのことは何も知りません。ていうかラグビーは大嫌いです」とか言っちゃうんだが、
校長が「なぜ」と訊くと「ボールが楕円だから」。
その後の場面を見ると、スローフォワードは知ってるようだし、
ラグビーを知らないというのは、どうやら真っ赤なウソ。やる気ないだけ。
「あとは君らだけでやれ。で、なぜラグビーボールは楕円なのかディスカッションしなさい」とか言ってサボりに行っちゃう。
授業も最初から、生徒がふざけていようとお構いなし。
喋ることは喋った、以上、って感じで。
* * *
時は1976年。
人気はあったが経済は破綻させたフアン・ペロン大統領が2年前、在職中に死去、
副大統領だった妻イサベル・ペロンが「病気療養」、
反政府組織・人民革命軍はもちろん政府軍にも、抑えが効かなくなったんだろうか、
情勢は不安定の度を増し、3月24日、政府軍幹部によるクーデター。
トムの赴任後ほどなくして学校は、軍事クーデターのために1週間休校となる。
これで舞台がととのう。
トムはその休暇がラッキーとばかりに、
とっととラ・プラタ川の対岸、隣国ウルグアイの保養地へ遊びに行く。
そこの海岸で、重油まみれのマゼランペンギンに出会ってしまったのである。
で、ここから、
どうやってアルゼンチンにペンギンをつれて戻るか、
そしてどうやって校内でペンギンを飼うか、
という問題に直面する。
そのうえ、
軍部独裁政権の陰も、覆い被さってくる。
さらには、
現在のトムの人生観に陰を落とす過去の話があって。
ここからが本題なんだけれど、ざっくりまとめちゃうと
笑い、心痛め、涙し、微笑む――しみじみいい映画、でありました。
そして、ペンギンのカウンセラーがめっちゃ優秀w
* * *
ちなみに原作は、
タイトルは同じくThe Penguin Lessons(出版社はBallantine BooksであってPenguin Booksではないw)、
邦訳のタイトルは「人生を変えてくれたペンギン―(2017ハーパーコリンズ・ジャパン、2019ハーパーBOOKS、2025新装改訂版)――なぜか邦訳の方が安かった。
原作によると、
トムがこの学校の求人に応募してアルゼンチンに渡ったのは、彼が23歳独身の時。
親戚の何人もが「英連邦」のあちこちに住んでいたのに影響を受け、
自分も海外へ行きたい、と子どもの頃から思っていて、
それも、親戚の誰も行ったことのないところへ行きたい、
ということから、南米という選択になったとのこと。
だからその人柄は、人生に疲れの見える映画のそれとは全く違うし、
ペンギン発見の経緯に女性は関与していないらしいし、
軍事独裁政権の影響が及んだのも、映画独自の創作らしい。
でも、
「ローマ法王になる日まで」
を観ると、
こういうことがいつ起きてもおかしくない状況だったんだろうと思う。
なんたって、
軍事政権の拉致による行方不明者は、
いまだに3万人にのぼる、というんだから。
しかも同様のことは、
ブラジルでもチリでもその他の南米諸国でも
起こっていたわけで……
* * *
さらにちなみに、
フアン・サルバドールというのは
「カモメのジョナサン」のスペイン語版だそうで。
それから、
字幕でニシンと訳されてたスプラットは、
変だと思って調べたら、ニシン属の小魚。
サバを捕るためのスプラット(=タイを釣るためのエビ)という諺があるそうな。
ペングイン
ペンギンと一緒に生活した教師の実話というところで気になり飛び込みで鑑賞。ペンギンだけに。
序盤は軍事政権が蔓延るアルゼンチンの学校に赴任してきた教師のトムがうだつの上がらない日々を送っており、学校が休校になったタイミングで出かけた旅先で美女と巡り会ったかと思ったら重油まみれのペンギンを見つけて保護し、結果的にペンギンだけ残ったというところから物語が本格化します。
かなり重苦しい雰囲気が伝わってくる中で、ペンギンが一気に明るい方向に持っていってくれるのでお見事でした。
ペンギンのピーターをどうにかして野生に返そう返そうとするんですが、砂浜に置いてみても海に放り投げてみても帰巣本能が働いてスッスと戻ってきますし、他人のフリをしようもんなら他の観光客が見つめてきてどうにもならない雰囲気になりますし、誤魔化そうとしたのに早々に諦めて白状してしまうトムが面白いです。
ホテルに置いていこうとしたらそれはそれで詰められて、なんの罪かは分からないけど逮捕してやるぜ〜って言われてアルゼンチンに連れて帰りますし、検査に1度は引っかかっても、また逮捕するぞって言われて渋々持ち帰るトムの哀愁が漂っていました。
そこから徐々にピーターもといフアン・サルバトールの名前を授かったペンギンと心を通わせ、身近な人達にペンギンの存在を打ち明け、授業のためになればとペンギンを授業に連れていったり、街中へとでかけてみたりとファンシーな時間が続いてほっこりしました。
バラバラだったクラスが一つにまとまり、ペンギンへの餌やりでキャッキャウフフする流れがとても良かったです。
プールでスイスイ泳ぐシーンなんかも爽やかでした。
軍事政権下という事もあり、批判的な言葉を少しでも発せば逮捕され拷問されというのが中々に辛く、直接的な描写は無いですが、それでも連れ去られたまま帰ってこない人がザラにいたりするのもゾッとさせるものがありました。
トム自身も街のお偉いさんに目をつけられ連行され、少しボコされたりもしており、なんて意地の悪い連中なんだろうと思いました。
最初はどこか閉塞的だった学校も、どこか諦め気味だったトムも、学校の生徒達も関係者達も笑顔にしていったサルバトールは凄いですし、動物が近くにいるからこその癒し効果って凄まじいんだなと思いました。
ペンギンを大切に育ててくれてありがとうとトムに伝えたいです。
鑑賞日 12/13
鑑賞時間 11:05〜13:10
良い映画でした
ペンギンと出会い、人生が変わった英国人教師の実話!
12月中有効の割引クーポンを使用するため、何か見たい映画はないかなと物色していて発見しました。
なに!ペンギンと同居生活!?面白そうや!と即決して早速観てきました。
衝動買いならぬ衝動鑑賞!
ペンギンは可愛いですからね~¥^_^¥
実話に基づくお話で、ノンフィクション「人生をかえてくれたペンギン 海辺で君を見つけた日」の映画化。
もちろん原作は未読です。
1976年の軍事政権下のアルゼンチンが舞台ということで、動物映画ではあるが社会派ドラマの側面もあり、なかなか面白かったです。
寄宿学校に赴任してきた英国人教師トムはひょんなことからペンギンと同居する羽目に。
娘を事故で亡くし、人生に絶望していた彼がペンギンと生活することで変わっていく。
ペンギンが人間関係の潤滑油になり、なぜか皆ペンギンに悩みや愚痴をこぼすところがユーモラスで笑えます。
なんとか早くペンギンを手放したいと思っていたトムが、動物園の劣悪な飼育環境を見てペンギンを連れ帰ったりと徐々にペンギンに愛情を持つところの描写もいい。
ペンギンのおかげで自分の弱さと向き合うことが出来たトム。勇気を出して、連行された寮母の娘の釈放を嘆願するも捕らえられ殴られて釈放される。
いつの間にかサルバトール(ペンギンの名前)がトムにとって大切な存在になるが、突然その生活も終わる。
軍事政権下の暗い世の中でペンギンがもたらす人々の笑顔がとてもよく、プールでサルバトールが気持ち良さそうにスイーと泳ぐシーンは自由の象徴のように感じられました。
心がほっこりでき、泣ける映画でした。
見て良かった!
笑って、しんみりして、考えさせられる
フランスは実話ベースの映画を作るのがうまい。ちょっと笑って、ちょっとしんみりして、ちょっと考えさせられる。本作はフランス映画ではないけど、そんな雰囲気を感じさせる映画だ。
知り合った女性に気に入られるために重油にまみれたペンギンを助ける男性の話。と思っていたが、アルゼンチンの政治状況も織り込んだ、少し重みのある話だった。
クーデターが起こったアルゼンチンで、英国人が英語教師として働くのは肩身が狭いだろうなと想像する。ことなかれ主義でいるトムを責めることはできない。そんな彼がペンギンに懐かれ、飼育していく中で徐々に変わっていくという流れ。軍事政権の理不尽さの描き方は若干抑えめだが、抵抗する民衆を描く映画ではないからこれでいいと思う。
脚本がうまいと思ったのはトムが教える英語の授業で比喩表現についてたびたび触れることが伏線になっていたこと。最後のトムの比喩表現は、彼の変化をうまく表現していてちょっとニヤけてしまった。皆ペンギンの前で素をさらしてしまうのも面白い。自分のことを聞いてほしいと思っている人間の心理が面白く表現されていた。ペンギンのかわいさだけでも楽しめると予想していたが、それ以上のものを得られた映画だった。なかなかの掘り出し物だ。
笑える前半、泣ける後半
人間に対してはシニカルな態度を取る登場人物がペンギンには本心や不満を口にするシーンは一見ほほえましく思えるが、当時のアルゼンチンの情勢を鑑みると複雑な気持ちになる。
前半はペンギンの仕草と登場人物のキレのいい皮肉が楽しめ、後半の展開に泣かされるといった二段構えの構成が面白い作品。
映画館で観るべき。
ペンギンは名演技だが、物足りなさが残る
アルゼンチンを舞台にした英国人のことなかれ主義のサラリーマン英語教師ものかなと思って観てたら、軍事政権下の思想弾圧ものだった。
かわいいペンギンが名演技するので楽しくは観れたけど、このお話で、トムがアルゼンチンにやってくる1976年は、ちょうど今年観た映画「ボサノヴァ 撃たれたピアニスト」のブラジル人ジャズピアニスト、テノーリオ・ジュニオールがツアーにきたアルゼンチンで行方不明になった年だ。映画ではテノーリオは、収容所で拷問されたあと、収容所の階段を登らされ、階段の先にある岸壁から突き落とされたという。
本作は、そのあたりの描写はほとんどなく、トムからみた状況に終始する。
帰りのエレベーターで小太りのおじさんが2人で、ペンギンのおかげで生徒もトムも成長して良かった、泣けたとうれしそうに話していた。
この手の映画を観て、今だからこそ観るべきという意見がありそうだなと思ったが、日本も戦後マッカーサーが軍政による統治を考えていた。アルゼンチンしかり、南米各国、中東、ウクライナに至るまで、軍事化を支援し、民族主義が行き過ぎると潰しにかかる国がどこかという歴史を知るほうが大切だと思う。
もっと脚光を浴びせてあげたい作品!
ペンギンがいるだけで穏やかになる
プールを泳ぐペンギンが愛しい
可愛いペンギンの話ではない、そこは予想と違ったが良い作品だった。
こんな時代があったことは知らなかった。
何万人も連れ去られたまま、どんな最期かもわからないまま。辛い歴史だ。
で、ペンギンの生態を語る話ではないのだが、動物好きとしてその視点でも話を見てしまう。鳥は人間を主従関係や親子関係では見ない、対等なパートナーと認識する。最後、バスルームでペンギンが隠していたものを見つける場面、わかりすぎて胸が詰まった。
全48件中、1~20件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。













