劇場公開日 2025年11月28日

WEAPONS ウェポンズ : 映画評論・批評

2025年11月25日更新

2025年11月28日より新宿ピカデリーほかにてロードショー

多視点叙述が恐れの波紋を拡げる、ホラーの変種

まったく、刺激的という一言に尽きる。 17人の小学生が一夜にして姿を消すという衝撃的な出来事を導入に置きながらも、その謎解きに固執せず、周辺のキャラクターたちが抱える焦燥や動揺の連鎖へと観る者の興味を誘導していく。物語を非クロノロジカルに展開させ、失踪事件を起点に怪異が波紋のように拡がっていく構造をとり、ホラー映画として“定番”の位置に自らを置くことはない。むしろ事件そのものよりも、その過程で浮かび上がる人間の内面こそが作品の中心にある。

こうしたテーマを支えているのが、章ごとに変化する多視点の叙述だ。教え子を多数失った教師ジャスティン、被害者家族のアーチャー、地元警官ポール、そして生き残った少年アレックス——。彼らのエピソードは一見つながっているように見えて、どこか噛み合わない。その断片性こそが「パズルのピースは揃っているはずなのに、どうしても全体像が見えない」という強烈な不安を我々に与える。しかしこの“ズレ”は計算されたもので、映画全体の緊張感を持続させる最大の装置として機能している。

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こうした緊張感を成立させるうえで、視覚表現が大きな役割を果たす。監督のザック・クレッガー指揮のもと、撮影のラーキン・サイプルと編集のジョー・マーフィらは、静まり返った廃屋や沈み込むような暗闇、息が詰まるほどのロングショットを駆使し、不穏をじわじわと積み上げていく。こうした手つきはクライマックスの夢魔的でシュールな展開をいっそう強烈なものへと押し上げ、恐怖とユーモアを一度に喚起する独特のムードを形成している。

同時にキャストの演技が、作品に厚い感情の層を付与している点も見逃せない。ジャスティン役のジュリア・ガーナー、アーチャー役のジョシュ・ブローリンは、孤立や罪責の感情を繊細に表現し、物語を恐怖以上に喪失のドラマへと導いていく。そんな彼らの内なる描写が揺るぎないからこそ、シーンの断片性は混乱の手立てではなく、人間の複雑な心象を映し出す論法として成立しているのだ。

以上を踏まえると、本作は明快な説明よりも余白や象徴性に価値を置く作品だといえる。物語構造こそ不均一ではあるものの、恐怖表現や感情の揺れ、さらには視覚的なイメージが有機的につながり、インパクトの強い余韻を残す。文頭で「刺激的」だと語勢を強めたが、こうしてみると本作が全米の週末興行成績で一定期間トップを維持したのも納得がいく。同ランキングで「劇場版『鬼滅の刃』無限城編 第一章 猗窩座再来」や「チェンソーマン レゼ篇」が首位を獲得した流れを見ても、ポリコレに縛られた予定調和な自国作や、ブランド頼みの続編に誰もが食傷気味なのかもしれない。すなわちオーディエンスが“既存にはない体験”に飢えているのは明白だろう。

尾﨑一男

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