「日本人としての記憶」はだしのゲンはまだ怒っている くらさんさんの映画レビュー(感想・評価)
日本人としての記憶
早や戦後80年の今だからこそ日本人としての記憶としてみるべきと思う。庶民の原発を通した悲劇が語られている。監督は米映画オッペンハイマーの米国視線に反感を持って本作品を練り上げたという。監督の発想、行動が無ければ、この作品が無ければ、我々日本人にも「米国視線」としての広島での過去の悲劇が語られることないか、監督の熱い疑問、将来の我々日本人、全世界の人類にとっての熱い反戦への想いがアンチテーゼを含めて語られている。この作品を見ずして将来を語ることはできない、語る資格がない、我々全日本人は見るべしと思う。見ればおのずと将来の日本を語ることができると思う。
コメントする
