3つのグノシエンヌのレビュー・感想・評価
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半月経過してもう細部を忘れている
非常に珍しく、原作を読んだことがある映画。とは言えはるか昔で覚えていないので未読も同然。映画鑑賞後に短編なので読み返しました。なるほどそういう話をああいう映像で撮りましたか。
江戸川乱歩作品は、映像化すると設定や状況に無理があることがわかっちゃうことが多いように感じる。時代を現代に置き換えるとなおさら…。
それでも、話としてはまとまっていたように思いました。安野澄(あんのゆら)さん雰囲気あって覚えておきたい女優さん
と、なんとなく印象で書いてるけど、観たのが半月前ですでに細部を忘れてしまっているので、ざっくり感想。こんなにすぐ忘れてしまうからこそ観たときの感想を記録しておきたいと始めたのに、忙しさにかまけて怠けてしまった。反省。
厚木の3本目
全然、チェックしておらず、厚木でハシゴすると決めてからラインナップを決めていて、これよさげやん😏って事で観てきました🙂
エロエロ星人の私めは、それ系のジャンルだと真っ先にNTR作品を見に行ってしまうくらいの大好物なもので(^^ゞ
主人公の奥さんもセフレさんくらいに脱いでくれたら、4.5は付けたと思うけど、それでも劇場では今まで観たことないジャンルだっただけに、最後まで新鮮で楽しめました😊
まあ、主人公のクズっぷりは半端ないけど、最後はこれぞクズの正しい◯◯方やんって、思わず呟いちゃいました(^^ゞ
愛妻家や旦那さん大好きって方には、百万%お勧めしません(笑)
後、目の下のホクロは悪目立ちしちゃうもんなんですね😒
登場人物の本音を探る
江戸川乱歩の短編「一人二役」を原案にしたストーリーで、時代を現代に変えたもの。
乱歩の物語はあの時代を舞台にしてるからこそ設定が映えるわけで、現代にしてしまったら「らしさ」が半減じゃない?と観る前は思っていました。
冒頭こそまだそれを引きずりながら観ていましたが、段々原案とは異なっていく設定とストーリー、全員巧みな役者陣の演技、「バレるのではないか」というハラハラ感に引き込まれ、あっという間にエンドロールに辿り着いてしまいました。
原案と異なるといっても、乱歩を現代に馴染ませるための納得の展開だと思えます。
最後の10分くらいは特に見応えがあり、今まで積み上げた感情をガラガラと崩した上で、「さぁあなたの思うストーリーを作ってご覧」と言われた気がしました。
とても面白かったです。
映像とセリフを受け取るだけでなく、登場人物の心の内を探りたいと思う人にオススメです。
今泉作"猫は逃げた"ならぬ哲郎は(現実から)逃げた
3つのエチュード
『雨ニモマケズ』で魅了された安野澄を目当てに。
あの時の後輩感もよかったが、涙ぼくろの色気も手伝ってお姉さん的な振る舞いもハマってた。
登場人物は主人公の哲郎と妻の晴、不倫相手の茉莉、“純平”を演じる悠介のみ。
サラッと立ち位置を説明して、後は“純平”と晴、それに伴う哲郎の変遷を見せていく流れ。
哲郎が指示を出すのかと思いきや、台詞が用意されることはあっても半ばお任せの様子。
晴さん、あの距離の詰め方は勘違いしますよ。
ある程度の“攻略法”は知ってたにせよ、かなりアッサリと関係を構築していく。
ホテルに行くあたりから、エロスが増すのと比例してコミカルさも強くなる。
目の前でガン見されながらとかイヤだわ…
更には寸止め喰らった上に、見せつけられながらアテレコしなきゃいけないとか悠介が不憫すぎ。
しかも本気で惚れちゃった(そりゃそうだ)もんだから、もう最悪。
最後は「それだけはやめてくれ」と思ってた交通事故オチだけど、一捻りアリ。
最初の飲み会で別れた直後の意味深な表情や、脚本を見たことで晴側に何かあると期待したのだが…
あの様子だと悠介はネタばらししたのかな。
哲郎の別の一面も提示され、色々と想像の余地がある締め方になってるのは好み。
哲郎の壊れ方はオーバーではあるがアクセントとして効いてたし、抑えた演出もよかった。
ラストでやや間延びしたのと、オチにもうひと工夫欲しかったが、意外な秀作かと。
観る側に判断を委ねるラストもこれなら心地よい
ネトラレというエロのジャンルはいつの間にか認知度を高めている。それでも大多数の人にとって、パートナーが他の人に抱かれることなんて望んでいない。とても倒錯した趣味だ。
後輩に妻を口説かせようとする試みは、冷え切った夫婦関係と刺激を求める欲求から始まる。後輩が演じる「純平」というキャラクターが妻を口説くまでが意外と早い。妻も不倫を望んでいたのか、夫が妻のことを深く理解しているということなのか。安野澄演じる妻が透明感があって芯が強そうなのに寂しさを帯びていてとても魅力的だった。これは好きになっちゃう。
純平が妻を口説いてネトラレとなる瞬間からの夫の行動は笑ってしまうが、その後の行動も含めてどこかしら切なさを感じてしまう。乱歩の原作は未読だが、どこから原作を改変したのだろうと考えてしまう。元々の原作の面白さもあるだろうし、いい塩梅で脚色した脚本のうまさもあるに違いない。
あの結末は、夫の台本通りだったのだろうか。そして、妻は途中で夫の企みに気がついたのだろうか。その上で純平というキャラクターを受け入れたのか。観る側に判断を委ねる手法だが、この程度なら心地よい。いろんな意味で、この映画を観た人と語り合いたくなる映画だ。確実にわかったのは、やはり自分にはネトラレは無理だということ。
これは凄い…常人には思いつけない物語の曲がり方
安野澄さんを寝取られてしまった
予告編から想像するより絶対に面白い
江戸川乱歩没後60周年企画ということで、乱歩の小説を原案に設定を現代に変えてオリジナル解釈を加えた作品。
江戸川乱歩といっても推理小説ではなく、乱歩のもう一つの顔、怪奇、妄想、フェティシズム、狂気をにじませた作品を原案としていて、その奇妙な味が存分に感じられる。
3つのグノシエンヌは「一人二役」という、一人の男が妻の気を惹くために別人になりすまし妻の反応を楽しむ短編小説が原案。ただ、現代設定で別人になりすまして妻にバレないのは無理があるということだろう、映画では、売れない舞台俳優である夫が、自分が作り出した架空の人物を後輩役者に演じさせて妻を寝取らせようとする、という設定になっている。
予告編を見ただけではあまり感じなかったが、本編を見たら予想を良い意味で裏切り、本当に面白かった。
男女の絡みシーンもあり、そういったシーンがあまり得意ではないのでどうだろう…と思いながら見たが、このストーリーには確かに必要だし、予想外に笑えるところもあり、驚いた。男女の絡みをもう一人の男が見ている、その非日常感が滑稽で面白くて、絡みのシーンを見ながら映画館に笑い声が起こるという、多分人生に一度あるかないかの経験をした。倫理的には良くないであろうシーンを見て笑ってしまう、そんな少しの背徳感を共有する客席の奇妙な連帯感が楽しかった。
「寝取られ」「NTR」という言葉が一定の知名度を得ていることからも、人には、普通はやろうとは思わないけれど興味は持っているような欲望がある。だからこそのリアリティと、それを実行に移す非日常の按配が絶妙で面白い。
そして、最後まで観ると、ただそれだけのストーリーではないことが分かり、それがこの作品の味わいを何倍も濃くしているのだが、それはぜひ見て確かめてほしい。
ネタバレなしで見た方が絶対に面白いので。
メインとなる役者4名の演技もそれぞれ素晴らしく、ストーリーや衣装・小道具のディテールもしっかりしていて、予想を外れたストーリー展開だが、見終わった後はこの結末しかなかったと思えるし、役者陣の表情や声音を思い出して、ここはこういうことだったのかもしれない、と思いを馳せ、2回目を見たくなる。なかなかの傑作だと思う。お勧め。
役者陣は全員演技が良く、特に、松田凌のクズだけど妙に愛嬌があってそれで生きてきた感じの男が追い詰められていく様、その隣でコミカルとシリアスの割合が絶妙な岩男海史の組合せが素晴らしかった。安野澄の潔癖の感がある貞淑な妻が変わっていく様も、前迫莉亜のあっけらかんと生きているようで芯と影のあるキャラクターも良かった。
東京は、シネマート新宿と池袋シネマロサで、おそらく10/17まで
差分を探したくなる映画
2回みました。
初見では濡れ場の多さ、主人公の身勝手さにマイナスな感情を抱きがちですが、それぞれの反応、対応、最後の結末で主人公は本当に一人身勝手だったのか? と疑問のようなの納得できない感情が残り、2回を。
タイトルのグノシエンヌは「気づき」という意味があるそうで、登場人物それぞれの気づきを考えてみると、初見の印象がガラッと変わり、2回目で奥さんの晴のある服装でうわっとなり、小物の細部まで凝ってるのにこちらが気付かされ、登場人物それぞれの視点で見てみると印象が全く変わります。一人二役してたのは一体誰だったのか? ターニングポイントはどこだったのか? 表面的な印象よりも深堀って面白い映画でした。
個人的には、まつりちゃんという浮気相手の子の最後の台詞に「それな!」と相槌を打ってました。
彼女が一番若さの無力感があってストレートで可愛いかった。
ちなみに、濡れ場がコミカルさに結びついているので湿っぽくなくくすっとできます。
また見て、やっぱりここか! を探したいです。
ラストを見るともう一度みたくなる
台本通り
肉体に残すもの
見終わった後に、またもう一度見たくなった
江戸川乱歩の没後60年を記念した映画「RAMPO WORLD」の3作品中トップバッターの1本目。
乱歩的なエロティックさと、人間の持つ倒錯的な欲望と、狂気を描いた作品か…いや、これは愛なのか…?
普通ではない自己中心的な欲望に突き動かされ、常識から外れた行動を取る主人公が、計画を立てたつもりで自分の計画に飲まれてしまう様は滑稽で、とてつもなく人間くさい。初披露の場で見たが、まさかの濡れ場で、ナンセンスさに笑いが巻き起こっていた。
岩男海史と松田凌と安野澄さんの絶妙なバランス。前迫莉亜さんもいい。
クズ男の主人公をギリギリのところで、愛嬌のある人間臭い、嫌いになれない男に演じてられていた。
最後のシーンは狂気と、ある意味純粋な愛。狭間の迫真の演技に震えた。
最後まで見るとクズ男の主人公の評価が180度変わるかもしれない。もう一度見て答え合わせをしたくなる作品。見終わった後にあーでもないこーでもないと考えるのが好きな人におすすめしたい。
主人公・哲郎はクズなのか?
予告編を見た時からめっちゃくちゃ面白そうで、早く見たくて見たくてしょうがなかった作品を、先行上映会でやっと見られた。
本当に最高だった。一瞬で大好きな作品になった。
めちゃくちゃ面白かったし、丁寧に作られた映画で正直安心した。
R15+だし、江戸川乱歩だし、耽美なエロスな世界観だということは予想できて、それでもエロスに必然性を感じられなければ一気に白けてしまうという懸念があったのだけど、不倫相手である茉莉との逢瀬にも、妻である晴との行為にもちゃんと必然性があり、尚且つそれを第三者が見ているという狂気的な設定を思わずくすりと笑ってしまうようなポップな演出で見せていて、その緩急のバランス感覚が絶妙だった。
その辺りの見せ方がとても演劇的で好きだと思った。
松田凌さん演じる哲郎は売れない役者で、若い女の子と不倫してて、その部分だけ見たら確かにクズなんだけど、結末まで見ると、実は不倫相手の茉莉はバイト先のパン屋で知り合った相手で、稼ぎもないくせにバイトもせず好きなことだけしてるヒモ夫ってわけじゃなかった。
哲郎は癌を患っていて、自分の死期が近いことを知ってた。
「俺には時間がない」と言っていた意味がここで繋がる。
哲郎はおそらく癌のことを誰にも話してなくて、保険にも入ってて、このまま癌で死ぬよりも事故死の方が保険金が高いことも知ってた。妻にバイトくらいしたら?と小言を言われてもパン屋のバイトのことは話さず、最後の大仕事に没頭するかのように「一人二役」を原案とした舞台脚本を書き上げることに全てを賭けてた。そして納得のいく結末を書き上げた勢いのまま死ぬのだ。
脚本を書き上げた喜びで、ラブホテルから裸足のまま飛び出して、まるでダンスをするかのように歓喜に打ち震えているのに、道路にそっとパソコンを置いて車道に出ていくんです。哲郎は脚本が完成したら自ら命を断つことを決めてたんじゃないだろうか。もちろん保険金を受け取るために事故死に見せかけて。
事故のシーンの後、哲郎が自宅に戻り離婚届を見つけ、ベッドで眠る晴の目と耳を潰そうとするシーン。あそこは脚本であり、その後悠介が演じることになるわけだけど、私はそれが哲郎から悠介への命を賭けたプレゼントに思えてしまって悲しい。
映画を見ている時から、哲郎の晴に対する接し方がやけに優しいことが引っかかってて。冷え切った夫婦のはずで、晴は確かに冷たい態度をとるんだけど、哲郎はどこか愛し気に晴に接してた。
もしかしたら哲郎は、自分が死ぬことがわかっていたから、自分がいなくなった後にも晴が塞ぎ込まずに生きていけるよう、わざと自分から気持ちを引き剥がそうとしたんじゃないだろうか。
だからクズを演じて、悠介と晴を出会わせた。あわよくば悠介が自分の死んだ後の晴を見守ってくれたらいいと思ってた。だから最後にあんな無茶な計画を立てたんじゃないかって思えてしまう。
自分の生きた証を残したくて脚本を書いた。
セックスレスではあったけど愛していた晴には幸せになってもらいたくて、自分の死後を誰かに託したかった。
可愛がっていた後輩にチャンスをあげたかった。
この3つを叶えるためにあんな計画を立ててクズを演じてたけど、いざ本当に晴の気持ちが純平(悠介)に傾き出すと、嫉妬に耐えられなくなってしまったのかな…。
全部、哲郎の性善説を前提にした仮説だけど、私にはそれくらい哲郎が素直で愛らしくて優しい人に見えた。
茉莉はそんな哲郎の本質を見抜いていて、死に直面しても愛する人を守ろうと必死になって楽しそうに終活をしている姿を見て、自分がずっと抱えていた「死にたい」という気持ちが薄れていったんじゃないだろうか。
だとしたら、結果的に哲郎は茉莉のことも救ったわけだ。
悠介演じる純平を劇場で見た晴は、それが自分に実際に起きたことだと気づくだろう。
その前にリビングで哲郎のPCを見てしまった時から、きっとうっすら理解していただろうけど、夫の才能を信じていた晴は、哲郎がやろうとしている事を理解した上で受け入れていたのかもしれない。それくらいの器の大きさが彼女には感じられた。
クズのように見えて、愛する人たちを守ろうと必死だった1人の男は、火葬場の煙となった時に幸せだっただろうか。
結末を知った上でもう一度見ると、きっとまた全然違った印象を持つんだろうな。
もしかしたら私は、序盤から涙が止まらなくなってしまうかもしれない。
「3つのグノシエンヌ」の作曲家エリック・サティが語っていたように、きっとこの作品は「正確に演奏することが重要だが、それ以上に、それを正確に聴くことが等しく重要」であり、目で見たことそのままをストレートに受け取るだけではないメッセージが込められているのだと思う。
「3つのグノシエンヌ」と呼ばれる1番から3番の曲の解説を読むと、やはりこの一連の物語は、哲郎が3人の愛する人たちを救済するために仕組んだ最後の大博打だったんじゃないかと思えてしまうのです。
映画の公開は2025年10月3日です。
私はきっと何度も映画館に通うことになると思います。
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