Aqours Documentaryのレビュー・感想・評価
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真のfinale &プロジェクトX
Aqoursの十年間の歩みとその時の心情が「こんなことまで話すのか」と思うほど正直に語られる作品。
ファンにとっては、「なんとなく想像」していた9人の心情が語られることで、Aqoursと共に歩んだ自分の十年間自体がこの作品を見ることで「腹落ち」する。
そういう意味で、finaleライブより更に締めくくり的な真のfinaleといえる。
視聴したファンが感じることは「だよねー」と改めて納得することもあれば「そうだったのか!」と驚くこともあるかもしれない。
が、9人への感謝の気持ちは共通して芽生えるのではなかろうか。
一方で、スタッフロールでお名前位は把握してたかな、といった裏方の幹部の方々が、その時に何故そういう意思決定をしたか、どういう取組をされてきたか、を、あくまでAqours9人にフォーカスしながら知ることができる、プロジェクトX的な側面もある。
そういう側面がありながらも、ありがちな過度のナレーションや回答を強誘導するような質問がほぼないため、押し付けがましさや脚色感がなく、自然に入ってくる。
Aqoursに限らず、人生のどこかでラブライブに触れた方には一度は見てほしい作品。
ラブライブ!サンシャイン!!を追いかけ始めて7年になります。 この...
ラブライブ!サンシャイン!!を追いかけ始めて7年になります。
この映画はドキュメンタリーであってエンターテインメントではありません。
都合よくトラブルも起こらないし、ドラマチックな出来事が起きるとも限らない。
ただ、9人それぞれが人間で、彼女たちを支えるスタッフがいて、またその皆さんそれぞれも人間で。
「偶像」という意味合いでのアイドルを消費するだけの私からすれば
作品を取り巻く環境が明示されたのは初めてで、コンテンツが続いていくことが「当たり前」ではないということを痛烈に感じました。
10年の想いをある程度の筋に沿って2時間程度にまとめるのはとても骨の折れる作業だったのではないかと伺えます。
この映画を見て悲しく思ったり、胸を痛めたり、嬉しく思ったり・・・いろいろな感想を抱く人がいると思いますが、それこそが感情を揺さぶるという意味での「感動」なのだと思いました。
本当にAqoursを追ってきて良かったと思える大切にしたいドキュメンタリーでした。
おそらくかなりカットされている部分があるのでは?と推察しますので、ぜひディレクターズカット版も見てみたいです。
サンシャインが声優売りになってからもまだ好きな人におすすめな映画
「ラブライブ サンシャインファン」じゃなくて「Aqoursファン」が観るべきもの
『Aqours Documentary』の感想レビュー
【総評】
私がこのドキュメンタリー映画に期待していたのは、コロナ禍という未曾有の状況下で、運営が作品の核となる「絆」や「誠実さ」をどう守り、ファンと向き合ったかという「裏側」の提示でした。しかし、鑑賞後、私が抱いていた運営への不信感は解消されず、むしろ深まる結果となりました。全体を通して漂う悲しい雰囲気も相まって、私の心にはあまり響かない作品となってしまったのが正直な感想です。
1. 解消されなかった運営への不信感
私が特に残念だった点は以下の3つです。
(1)運営責任の不明瞭さと発言の不足
アニメやライブパフォーマンスで感じていた「青春」「友情」という清潔なイメージに対し、コロナ禍でのライブ連発という運営方針は「不誠実」な印象を与え、作品イメージを揺るがしていました。特に、運営がコロナ禍でライブを連発したことが、ファンに対し「ある程度の迷惑行為は許容される」という誤ったメッセージを与えてしまったのではないか、という深刻な疑問を抱いていました。
しかし、鑑賞後、抱えていたこれらの疑問は解消されず、運営への不信感を強める結果となりました。映画を通して、この運営判断の裏側や、ファン層の現状と運営責任についての明確な解答は得られませんでした。
(2)責任転嫁に見える構造
映画内で、運営側がコロナ禍という転機における自身の判断や意思について、全く発言していない点が非常に気になりました。声優陣が「やりたい」「悔しい」といった感情を語る一方で、運営側の言葉がないのは、まるで声優陣に全てを負わせているかのように見え、不誠実だと感じました。
(3)議論の不足と機会の損失
・技術論に終始した議論
コロナ禍で伸びた他のエンタメ分野の状況など、より本質的な運営方針に関する議論が見られず、ライブ時に観客にどう響かせるかという技術的な議論に終始していました。
・多様な意見を取り入れる姿勢の欠如
円陣を巡る意見の対立の場面でも、活発な議論や多様な意見を取り入れる姿勢が見えませんでした。特に、ユニット・アイスクリームでも活躍し、ファンの気持ちを深く理解しているであろう降幡愛さんの意見がもっと取り入れられるべきだったのではないかと残念に思います。運営側が自ら、作品をより深めるチャンスを逃したのではないでしょうか。
2. 作品の核となる「リスペクト」の希薄さ
アニメ本編で美しく描かれていた「絆」や「地域愛」といった作品の核となる部分へのリスペクトが、ドキュメンタリーの編集内容や制作チームの姿勢から感じられなかったことが、私にとってこの映画が響かなかった最大の要因です。
・ライブ制作チームの熱意と一体感の不足
アニメ本編の制作チームに見られた「一つの素晴らしいものを作ろう」という熱意や一体感に比べ、ライブ制作の現場では、チーム全体として作品への情熱や「皆で一つの凄い世界観を作り上げよう」という気概が非常に希薄に見えました。一部のスタッフと声優は密に連携していても、全体としては信頼関係と気概の不足を感じざるを得ませんでした。
・アニメキャラクターへのリスペクト不足
声優という活動において最も大切であるはずの「キャラクターと向き合う姿勢」が映像からあまり感じられず、驚きを覚えました。
・ファンにとって大切な「μ's」への呼称の違和感
声優さんが「μ'sさん」と呼んでいたのは、恐らくキャストの方々を指していると思いますが、ファンにとって大切な「アニメのμ's」という存在へのリスペクトが非常に薄いように見えてしまい、戸惑いました。
・ラブライブ!フェスでの評価に対する違和感
ラブライブ!フェスにおいて、μ'sよりも後に歌い、その時の盛り上がりをもって「認められた」という発言があった点に強い違和感を覚えました。
単純な出演順の優位性や、ファンの感情的な高まりによる結果を以て「認められた」と表現することに、キャラクターやラブライブ!シリーズ全体への深いリスペクトの視点が欠けているのではないかと感じました。
なぜなら、シリーズの歴史を考えれば、μ'sのキャラクターの売り上げとAqoursのそれには大きな差があり、AqoursのBD売上もライブチケットの付属に大きく依存していたという現実があるからです。これらの背景を無視して語られる「認められた」という言葉は、シリーズのファンとして受け入れがたいものでした。
・キャラクターへの言及の少なさ
映画全体を通して、キャラクターそのものに言及する場面が極端に少なかったように感じます。その中で、降幡さんだけが「私が演じて申し訳ないと思う時期があった」とキャラクターと真摯に向き合っていたように見え、胸を打たれました。
3. 個人的な懸念点
伊波杏樹さんの孤立感:
メンバー間のやり取りの中で、個人的な印象ですが、伊波杏樹さんの孤立感が非常に強く感じられました。メインキャストである彼女の精神的なサポート体制が整っていたのか、一ファンとして少し心配になりました。
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