「それぞれの正義」揺さぶられる正義 ノーマンさんの映画レビュー(感想・評価)
それぞれの正義
乳幼児揺さぶられ症候群(Shaken Baby Syndrome: SBS)事件については関係者ごとにそれぞれの「正義」が存在する。
被告: 無実(無罪)を主張する正義
弁護士:依頼者を冤罪へと導く正義
警察: 犯人(と思われる被疑者)を有罪にするために確かな証拠を集める正義
→自白を引き出すのを目指すので厳しい取り調べが行われることになる
検察: 犯人(と思われる被疑者)に対して適切な処罰へと導く正義
検察の証人(SBS事件では医師):検察の主張をサポートして有罪判決へと導く正義
裁判官:事件の真相を判断して正しい判決を出す正義
マスコミ:犯人(と思われる被疑者)の印象を可能な限り悪くする正義
しかしSBS事件については大きな問題がある。
それは証言者がいないこと。
誰も事件が起こった状況を証言できないので、それぞれの関係者は推測によって自分たちの正義を貫くしかない。
事件が起こったとき、その多くの現場には被害者と、加害者とされる者しかいない。また被害者が乳幼児であるせいで、事件について証言ができないし、さらにむごいことにSBS事件では被害者が死亡したり脳に障害を受けることが多いため、ひどい言い方になってしまうが、文字通り「死人に口なし」状態になってしまう。
従ってすべての関係者は事件が起こった状況を推測して各自の正義を主張するしかない。
しかし事件に関係する者にはそれぞれの立場ゆえの正義があり、その立場によって事件のいきさつをゼロベースで分析したうえで正義を主張するのではなく、各自の立場からその正義に則った主張がなされることになる。
そのうえで判決を下す裁判官についても、刑事裁判の原則である「疑わしきは被告人の利益に」を徹底した判決を出すよりも、有罪の可能性が高いと思われる事件については有罪判決を出す方が自身の評価や昇格につながるようになっているため、有罪判決を出す誘引がある。
事件の性質や各主体の立場によって主張がバラバラなのに、それを判断する裁判官には大きな負担がかかっているのだと思う。「疑わしきは被告人の利益に」を徹底すれば、乳幼児がSBS被害にあうことを見過ごしてしまうことになるし、逆に無罪にしてしまうと事件の当事者以外から大きな反感を買ってしまうことになるかもしれないうえに自身の出世にとってはマイナスになる。
裁判官には非常に難しい判断が要求されているようだ。
『疑わしきは被告人の利益に』を徹底することで自らのマイナスになってしまうような制度があってはいけない。すぐには難しいかもしれないが、無罪判決をだすことにためらいを感じないように、裁判官の評価制度を変えることでこの仕組みが大きく変わることになるのではないかと考える。
話は少しそれるが、SBS事件については近年冤罪判決が連発されていることを考えると、刑事裁判の原則「疑わしきは被告人の利益に」が以前よりは徹底されるようになっているのかもしれない。しかし一方で、痴漢事件については『それでもボクはやってない』でも表現されているように、仮にでっち上げで捕まったとしても冤罪になる可能性は未だに非常に低いようだ。決定的な証拠がない状況で、SBS事件では無罪になる可能性が高く一方で痴漢事件についてはほとんど有罪になる。事件の種類によって「疑わしきは被告人の利益に」の程度が異なるのは納得が得られないのではないだろうか。