盲山のレビュー・感想・評価
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ずっしり重いストレートな映画
美しい山里に潜む“悪の凡庸さ”
すごいものを見た。パンフレットのキャッチコピーは「中国で全面上映中止!! 衝撃の問題作」。人身売買・強制結婚・家庭内暴力、さらにそれを隠蔽する地域を告発する映画だと思って鑑賞した。
もちろん、そういう作品でもあるのだけれど、それを超えてドラマやサスペンス映画としても見事であるし、また人が環境によって規定される無力なものであるという人間の本質を見事に描いていると感じた。さらに映像は美しく、桃源郷と言いたくなる、ひと昔ふた昔前の中国の美しい山里で暮らす、無学で純朴な人々の営みが十分な説得力をもって伝わってきた。
この作品は2007年の中国映画。そして舞台は1990年代前半の中国の山奥の村である。そこに都会で大学を卒業した主人公の白雪梅が騙されて連れてこられて、村人の嫁として売られてしまう。僕が就職した時代の話で白雪梅は僕と同世代ということになるから、さらに前のめりに見ることになった。
調べてみると、90年代〜2000年代の中国内陸農村では、同様の事件が相次いでいたとのことだ(2020年でも、人身売買目的の拉致事件の裁判例は数百件に上り、これは一部であるとみなされている)。
背景には、まず一人っ子政策の影響で、映画でも描かれるが女児が生まれると遺棄してしまうということが行われ、結果、男性人口が増えたこと。それによって男性余りが起きて、独身女性の価値は高騰した。 彩礼(花嫁価格)というおそらく結納のようなものの価格も高騰し、結婚は独身男性にとって経済的に高い負担がかかる憧れのものともなった。
そうした社会背景を頭に入れて見ると、この映画の意味はずいぶん変わってくる。人身売買は犯罪だし、この村の人々や役人たちは、その隠蔽に協力しているから、村ぐるみの犯罪であるのだが、同時にこれは当時多かれ少なかれ行われていることでもあった。都会の金持ちなら、合法的に花嫁が手に入るけれど、田舎では、別の方法で手に入れるしかない。だからこそ人々は協力し合っている。
人権問題を扱うという点で、カンヌでパルムドールを受賞した「楢山節考」を思い出した。本作も受賞レベルの傑作だと思う。しかし、英語版のwikipediaの解説では「稚拙な登場人物描写」「ストーリーに感情的裏付けがない」など厳しい批評もあったようだ。
しかし、僕はこの批判的批評には賛同できないと思った。この映画に登場する村人も人身売買のブローカーも犯罪であることは知りつつ、社会的必要性と経済合理性によって行動している。そして、村には白雪梅の先にも同様にさらわれてきた花嫁たちがいて、諦めることが合理的であるということも十分に描かれていく。
「さらわれた花嫁たちは、なぜ逃げないのか?」「村人たちや役人は、なぜこのような被人道的な行いをするのか?」と思うけれど、それは人権に配慮された社会という安全地帯から見ている傍観者の感想に過ぎないとも思う。
なぜなら、今の僕らも例えば勤めている会社や社会から完全にフェアに扱われているとは言い難いし、それでも多くの場合、戦うことなく、その場の論理(日本人的に言えば空気)に従って行動しているからだ。自分の中でも、なんとなく不満や違和感があるけれど、どうしようもないと諦め、前向きな合理化を行って生きている。
この映画で描かれているのは、主人公だけでなく村人達も、全ての人々が社会制度や歴史的状況に縛られた囚人であるということだと思う。特にこの村では、唯一高校を卒業した学歴のある若者が教師を勤めていて、教育も不十分であることが示唆されている。言語の能力も対話を重視する文化もないから、暴力に訴える。さまざまな理不尽も「そうせざるをえない行動」として描かれているし、現実はそういうものだと思う。
ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」にも通じるけれど、計画的な加害者はこの映画の中にはおらず、ただ環境に適応し、慣習をなぞって生きている。その中で行われる悪行には、複雑な感情も意外性のある裏付けもなく、逆に言えば、この状況にいれば、ほとんど全ての人がそうするであろうことをしているに過ぎない。人物像の描写が単純であることにこそリアリティがあるのだと感じだ。
人は巨大なシステムや環境の中では無力であり、それに規定されるように生きていくものだという描写に普遍性があると思う。そしてそうした生き方は、私たち日本人が得意とするところであることは「空気の研究」を始め、さまざまな日本人論でも考察されてきたことである。
自分の中に村人性を見出しながら見ることで、本作はさらに深い味わいを与えてくれると思う。
カンヌに出品するにあたり20数箇所検閲で削られたとのことだが、それでもこの映画が現在見られることは奇跡的でもあるし、国家ぐるみの犯罪ではなく、むしろ国家としては努力を重ねている中で行われた個人や地域の犯罪であると描写されたことで、公開にOKが出たのではないだろうか。
これが公開された菊川の Strangerもほぼ満席だった。一見の価値ありの傑作であるとおすすめしたい。
二週間限定の再上映、と聞き鑑賞。終始笑いも救いもない感じ、最高。 ...
二週間限定の再上映、と聞き鑑賞。終始笑いも救いもない感じ、最高。
舞台は1990年代初頭、中国北部。
甘肃、山西、陕西辺りなのだろうか。もちろんフィクションだから架空なのだが、下放でもされない限り行くことはないド田舎。日本だと過疎の離島でも上下水道はほぼ確保されているし、プロパンでガスも使えるが、当時の中国の国力では、そこまで望むべくもない。
主人公の白雪梅が作品の中でこれからどうなるのか、鑑賞前から想像はできるので、なんでそんな簡単に騙されちゃうかなと思っちゃうけど、素直さや無知ってほんと罪だし、人間の世界は本当のところ残酷なものなんだよな。監禁されて、手篭めにされて。先進各国の倫理観では許されないかもしれないが、現在生きている我々も、元を辿れば同じようにして残された遺伝子なのではないか、と考えてしまう。日本だったらクマソとか蝦夷とか、多様な土着民を飲み込んできた訳だし、生物は次世代再生産をDNAに刷り込まれている訳だから、倫理的にはともかく、村人の行動は生物としては当然なのかもしれない。ラストベルトの何も得ることのない男性たち、アフガンのタリバンの行っていること、直近では参政党の躍進も、根っこは同じなのかもしれないな。そんなことを思う。
鑑賞を終え思うのは、よく知らない誰かが儲け話を持ってくるなんてことはまずない、という当たり前のこと。また、調べもせずに中国の片田舎に足を踏み入れてはいけないということ。
村そのものも行政も、信用に値しないよ。そして、私が日本に生まれた幸運に感謝する。
実話に基づく事がやりきれない
寒村に嫁として売られた主人公の出口の無さがやりきれない。
まさに四面楚歌の状況。
全ての村人に監視される中、それでも再三試みる逃走。
何度拳を握りしめたか。そして目を覆ったか…
言い方が難しいけれど、義母は良い人なんだと思います。
彼女の立場でできる限りの心遣いをする様が唯一の救いに感じられました。
しかし、女の子を育てないから嫁を買う羽目になる悪循環ではないかと思われるのですが、となると嫁を買うという行為は相当に昔から、もしかすると近代以前から村のシステムに組み込まれていり恐ろしい風習なのではないかとゾッとします。
1990年代。
日本がバブルに沸き立っていた頃に隣国では…
久々に観た実に重い映画でした。けれども、重いからこそ目を背けてはいけないことなのでしょう。
形が違うだけで現代日本にも存在している
1日500〜900元稼げると言われて乗ってしまった女の子が、実は嵌められていて人身売買で村の嫁として買われてしまう話。
これ、今の日本で闇バイトとか海外風俗出稼ぎに行ってしまう人がいるのと全く同じ構図だな…と思いながら最初のシーンを観ていた。
闇金ウシジマくんとか(あまりちゃんと読んだことはないけど)、闇バイトとか詐欺のニュースで簡単に安全に大金が手に入る仕事はないって昔からずっと警鐘を鳴らされているのに、飛びついてしまう人は後を絶たない。
そうだよね。
毎月給料が振り込まれて、漫画読んだりニュースを見たり、映画を観に来るお金がある私はそんな仕事ないって何回も実感する機会があるけど、本当にお金が無くて困っている人はそんなことをする余裕はないから。
途中まではそういう貧困問題、社会問題を頭に浮かべながらスクリーンを観ていたけど、主人公が街に出て来ることができたのに連れ戻されるシーンを観てからその印象も変わった。
男4.5人で拒絶している女性を連れていくってどう見ても誘拐なのに、「女房」って言っている人が嘘をついているかもしれないのに誰も助けてくれない。
おかしいよ。
でも、東京でも誰も助けてくれないかもしれないな。
痴漢がホームに飛び降りて走って逃走していくのに誰も止めない動画がTwitterで拡散されていたし、警察に通報する人はいるかもしれないけど、警察だってすぐ来てくれる訳じゃないから車で走り去って管轄外の土地まで逃げられたら多分どこまでもは追ってくれないんだろうな。
もちろん背景に一人っ子政策なんかの中国特有のものがあるのはわかるけど、いつか普通に日本でも同じようなニュースが流れてきてもおかしくないし、こういう被害に遭っている日本人がどこかにいてもおかしくないと思う。
暗ーい気持ちにはなったが、2週間限定上映に飛びついた後悔はない。
人里離れた村で村人がぐるになっておぞましいことを展開する映画は実は定番 古いなあとは感じる(1990年代を舞台にした2007年製作の映画)
有名タレントも参加したことで名を馳せた某宗教団体主催の合同結婚式にて結婚した ある日本人女性のその後についての報道を読んだことがあります。彼女は教祖が選んだ相手と結婚して韓国の農村に移り住んだのですが、その土地になじめず、夫のDVもあって、結局は夫を殺害、韓国にて服役中とのことでした。まあこの人の場合は、厳しい言い方になりますが、自業自得の面もあったように思われます。あと、この宗教団体は韓国農村部の嫁不足という社会問題を利用(悪用)しているように見え(合同結婚式では多数の日本人女性を韓国農村部の男性たちと結婚させたそうな)、そのビジネス感覚の鋭さには呆れ返るばかりです。
さて、1990年代を舞台にしたこの映画では、ある中国人女性(大卒で当時としてはそこそこのインテリ)が詐欺で騙されて人身売買され、山間部の農村に住む冴えない四十男と強制的に結婚させられます。彼女は何回も逃亡しようとしますが、そのたびに連れ戻されます…… 村人の大部分は彼女が逃げ出すのを阻止する方向に動きますから、逃亡に成功するはずがありません。
村には彼女のように騙されて村の男の妻になった女性も何人かいるようで、村長以下、警察を含めた村の組織はこのことには黙認状態を続けています。国は一人っ子政策を進めてきましたが、男尊女卑のこの社会には恐ろしい闇があるようで、彼女に勉強を教えにもらいに来ている小学生は男の子ばかりで、女の子の姿があまり見当たりません。自然の摂理に抗うようなことをした結果、こういった禁断の方法に手を出さざるを得なくなった人間の愚かさには溜め息しか出てきません。
タイトルに挙げましたが、こういった人里離れた村でおぞましいことが起きる映画というのはけっこうありました。でも21世紀の現代を舞台にするのは難しそうです。だって、そんな過去の因習に囚われた村自体が絶滅危惧種になっているからです。
最初に挙げた日本の有名タレントが参加した合同結婚式は1990年代の始めでした。この映画の舞台も1990年代です。主人公の女性に勉強を教えてもらっていた村の小学生の男の子たちは今や働き盛りの40代。彼らは恐らく少なくとも親よりは高い学歴を身につけ、あの村には残らず都市部で生活している者がほとんどだと思います。よって花嫁人身売買ビジネスも需要がないので成り立たなくなっているのではないでしょうか。この映画は2007年製作とのこと。その当時なら10年ほど前にあった事件を告発するということで意味はあったでしょうが、今となってはこれで社会問題を論ずるのはピントがズレてるような気がします。
今の中国の社会問題で大きいのは急速に進む少子高齢化でしょう(一時期、一人っ子政策をとっていたこともあり、急激な速度で進みます)。あと、この2-30年間の急激な経済成長によって生まれた歪みをどうしてゆくか、という問題もあるかもしれません。まあ、このあたりのことは日本人は経験済みですからね。お手並みを拝見させていただきたく存じます。
あ、映画のレビューでしたね。既視感はあったけどそれなりに面白かったし、2007年の時点で1990年代を振り返っているという資料的価値もあるように思えたので合格点でしょうか。
おぞましい社会を描いていて印象には残る
知らないうちに人身売買されていた女性の物語。こんな人身売買がまかり通っていたのは、一人っ子政策(農村部では例外も認められていたようだが)の影響が大きいと感じる。生まれてくる子どもが男か女かを異様に気にするのもそんな背景がうかがえる。この家族が、ではなく村全体が嫁を買って子孫を残そうとすることを受け入れている。むしろ積極的に推し進めているのが恐ろしい。この話では仲介業者が女性を騙して連れてきていることが問題だが、普通に親が子どもを売るケースも相当あったのだろう。しかも1990年代に。考えさせられる話だ。
軟禁された主人公の雪梅がたびたび逃亡を図るのだが、これが無計画でかなり杜撰。思いついたように走り出して、仲間たちとともに捜索する夫に見つかるという流れ。逃亡劇としての面白みはない。そもそも人身売買が行われていた背景や、嫁として売られた女性が闘う姿を描いたものだから仕方ない。たしかに夫が雪梅をレイプするのを夫の両親が手伝う姿はおぞましかった。なんて社会だ。
なかなか救われない話だなと思ったし、いい終わり方ではないんだろうなと想像していたから、あの終わり方でも驚きはない。ただ、終わり方が唐突だったから若干拍子抜けしてしまった。ただ、面白かった!とは言えないが、印象に残る映画だったことは確かだ。
何が悪いのか?
ホラー
ひたすら胸クソで救いの無い話だが、中国のことと切り捨てられない。日本でも身売りなど人身売買は堂々と行われてた訳だし、フィリピンから嫁を取る話などなんら違うところもない。
そういう意味ではリアルな話だが、現代日本の観客としてはホラーとしてしか観られない。
従ってずっと「家族全員○して火でも付けたれ」と思っちゃう。ラストのアレをカタルシスと思ってはいかんのだろうけど。
しかし男の子だけを尊び女の子が生まれたら殺しちゃう、ってそりゃ嫁を掠ってくるしかなくなるのは当たり前。でも誰もが「そういうもんだ」と思ってるのがコワい。そここそがまさにホラー…
でもそれが一人っ子政策に起因するものなのか、以前からそうなのかは気になるな〜…
その先が見たい
そりゃあ、まあ上映禁止食らうだろうなと。 どの時代のどの国も日常と...
長閑な山村の風景と人権無視の蛮行のコントラスト
1990年代、中国東北部の山間の村を舞台にした物語でした。父親の借金返済のため職を探していた女子大学生・白雪梅(ホアン・ルー)は、騙されて誘拐され、見知らぬ山村へと売り飛ばされ、40歳の独身男性・黄徳貴(ヤン・ユアン)と無理やり結婚させられてしまいました。
どこか既視感があると思ったら、5月に観た『デビルズ・バス』とかなり似通った構図でした。どちらも前近代的な田舎の村落での「嫁取り」をめぐる物語で、家父長制の下で犠牲となる女性の姿を描いています。
ただし両作には明確な違いもあります。『デビルズ・バス』の主人公は、当初自ら納得して嫁ぎ、村の共同体に順応しようと努力しますが、結局は受け入れられず、精神を病んでいきます。一方、本作の主人公・雪梅は誘拐されて連れてこられたため、初めから一切妥協せず、徹頭徹尾この村からの脱出を試みます。その強い意志と行動こそが、本作の中心に据えられています。
物語の舞台は30年ほど前ですが、当時の中国における大学進学率は一桁台と低く、雪梅のような女子大生は極めて少数のエリートだったと言えると思います。そんな彼女が、40歳の独身男性と無理やり結婚させられるというのは、まさに理不尽そのものでしょう。
本作は2007年に制作されましたが、中国国内では当局により上映禁止とされました。その理由は明白です。誘拐された女性が人身売買されて「嫁」として売られるという内容は、中国政府にとって極めて不都合なものであり、容認しがたい描写だったのでしょう。
さらに言えば、人身売買に至る背景には、一人っ子政策によって生じた男女比の歪さという、より深刻な社会的問題が横たわっているからです。本作でも一部触れられていましたが、跡継ぎとしての男子を重視するあまり、女児が生まれると間引かれるといった悲劇も存在していたようです。統計によれば、通常は女性100人に対して男性107人ほどが自然な比率だそうですが、中国では男性が118人に達しており、明らかに女性が不足しています。結果として、黄徳貴のような「結婚できない男」が多数生まれる構造となり、それが人身売買という形で表面化したわけです。
加えて、本作では賄賂の横行や、村長・警察といった公権力すら誘拐を黙認する姿勢も描かれており、それらもまた中国政府にとって不都合な現実であったことは想像に難くありません。
ここで思ったのは、『デビルズ・バス』や本作で描かれるような女性蔑視と家父長制に基づいた社会が、決して過去の遺物ではないという点です。くしくも本日行われた参院選では、選挙中「高齢女性は子どもを産めない」、「男は男らしく、女は女らしく」といった発言をしてきた政党の代表が大躍進を遂げました。しかもその政党の新憲法草案には、「基本的人権の尊重」すら明記されていないというのです。日本がいつ中国のような国家に変貌してしまうか——そうした危機感すら抱かせる状況に、私は強い不安を覚えました。
少々話が逸れてしまいましたが、本作における最大の魅力は、「コントラストの描き方」にあったと思います。『デビルズ・バス』でも同様でしたが、山村の風景や人々の暮らしぶりは一見すると非常に長閑で、現代社会の喧騒に疲れた者にとっては癒しとも言えるものでした。しかしその裏で繰り広げられる女性蔑視や暴力の実態は、まさに「野蛮」と呼ぶにふさわしく、目を覆いたくなるようなものです。この美しさと醜悪さの遠近感が際立ったことが、本作の圧倒的な印象を生んでいました。
また、最後まで抵抗を貫いた雪梅と、同じく誘拐されて嫁がされ、今ではすっかり順応してしまった女性との対比も非常に印象的でした。いわゆる“ストックホルム症候群”を思わせるような描写であり、時間の経過が人の意志をも変えてしまうのだという現実に、衝撃を受けました。本作は「実話をもとにした」と明言してはいませんが、同様の境遇に置かれた女性が実際に存在することは間違いないでしょう。
まとまりのない感想になってしまいましたが、本作が描いたような前近代的な社会に私たちが舞い戻らないためにも、不断の努力と警戒が必要であると強く感じさせられる一本でした。
そんな訳で、本作の評価は★3.8とします。
途中・・は いつ勧・・悪かと期・してたが・・・【娯楽映画オンリーとして観た俺が悪いカモです。】
鬼滅回避 名画座系 第二弾。本作は全シーン眠らじ👀 全シーン見逃さず。
コレ 2007作品だから 事実に基づくかどうかは不明 有料パンフ🈶無し。
なので批判は控えたい。
人身売買は 最高レベルの犯罪。
ストーリーには一切触れないが
だんだん 主人公を除く 周囲の人間全員 憎たらしくなってきた
正直 映画観てるだけの観客の俺の不満のマグマは俺の中に溜まるばかり 増すばかり。
正直 制作年度が近い ブラピの『イングロリアス・バスターズ』か
昭和から続く テレビ朝日📺ドラマ『必殺仕事人』シリーズ藤田まこと
的なもの 激しく期待してる俺が居た。←ジジイなので許してね
結果は如何❓❓
限定上映らしいから 映画館のスクリーンで確認して。❓
あっ 俺は『社会派』ではなくて 単なる娯楽として 観ました。
お客さん多すぎだよ❗️すごい満員🈵作品。ただ事ではない。是非どうぞ。❤️
暗澹たる物語
1990年代のとある貧しい山村に騙されて嫁として売られた女性の物語。
あえてドキュメンタリーダッチで物語は淡々と進んでいく。
中国で公開禁止となり、1週間限定公開と知って取り急ぎ鑑賞。
見終わった後に何とも言えない不快感が残った。
ほんの30年ほど前のことなのに、法で禁止されている人身売買が公然と行なわれていたことや、村人と警察がズブズブの関係だったこと、売られた女性は大卒なのに仕事もなく、怪しい仕事に飛びつかざるをえなかったこと、村にはインフラも整備されておらず、
ほとんどの村人が無学無教養なことなどなど。
彼女が開放されたのかどうかわからないまま物語は突如として終わる。
これが実話に基づいていることにさらにやるせない気持ちにさせられた。
社会の盲点を描く3部作のひとつ
中国で上映禁止となった衝撃作!
これは絶対に観なければと思っていた作品。
国内版と国際版ではラストが違うので
どちらも鑑賞しました。
人身売買業者に騙され山奥の農村に
花嫁として売られてしまう主人公、白雪梅。
レ◯プ、望まぬ妊娠、公然暴行、奴隷…。
村の子供たちが監禁されている彼女の姿を見て
笑っていることからこれらが日常茶飯事なのだと
悟りました。
さらには役場、警察、郵便は腐敗。
村人たちとグルになっているため
助けを求めても無関心で話にならず、
逃げては捕らえられの繰り返し。
法律で禁止されていても
周りがやっているからという理由で正当化。
村人たちの言い分には到底理解できません。
またこの村では男の子が生まれると重宝されますが
女の子が生まれるとほとんどが池に…。
なので、白姉さんのところへ
勉強しにやってくる子供は全員男。
実際に起きた事件をもとにアマチュアの
俳優さんと現地の人々で構成されているので
かなりリアリティがありました。
この事件が繰り返し起きていたという事実が
本当に恐ろしい。
そして村人たちは口を開けば「金、金、金」
味方がいない状態で救いのないなか
ついに助けが!からの…🔪
中国の社会問題を恐れずに作り上げた監督に拍手。
自分ファーストの中国ならではの事件
日本でもニュースで話題となった中国の片田舎で起こった嫁の監禁事件。
本人の意思とは無関係で売買され、ただ子を産む為だけに連れて来られた嫁の事件を基に作られた本作は中国で上映禁止となり、検閲で20ヶ所以上もカットされ、尚且つ中国の国内向けと海外向けではエンディングまでもが違うという曰く付きの作品です。
日本では未公開ながらも数十年前に監督の名前と共に話題となり、一部のコアな人々から「中国の今」を描いた胸糞映画として騒がれた問題作でもあります。
中国側からすると映画そのものが劇薬。
人権問題を軽視した中国の実情が明確に描写されています。
嫁を買う為に金を払った家族は正当な権利者であり、逃げ出す嫁の方が問題。
身分証もなく喚き散らす嫁に対して、村人は勿論、警察でさえも味方なんてしてくれません。
しまいには村の女性から「私たちも同じ。諦めた方が楽だ」と言われる始末。
愕然とさせられました。
美しい映像にも関わらず、のどかな田園風景からも、山々に囲まれた牧草地帯からも、恐怖と絶望しか感じませんでした。
主役を含め、主要キャスト以外は撮影現場で使った村の人々という点も「怖さ」に拍車をかけてきました。
特に、村の子供たちには絶句させられます。
監禁された嫁を窓から覗く子供たちの笑顔や村に連れ戻された嫁が乗る軽トラに群がってくる子供たちの悪びれる様子もない態度に背筋が凍り付きました。
こんな異常な事態が彼らにとっては「他愛もない日常の一コマ」に過ぎない出来事なのだという事が一発で伝わるシーンとなってますのでお見逃しなく。
映像自体は、殆ど派手なものがなく、日常生活を淡々と描写しているだけなので余計に怖くなります。
リアルに感じてしまう人にはキツい作品なる事でしょう。
逆にド派手な映像を求める人には物足りない作品になってしまうかもしれません。
どちらにせよ鑑賞には吟味が必要。
幾ら一部のコアな映画ファンにとって待ち望んだ日本公開とはいえ、扱っているのは中国の闇(社会問題)。
劇場も限られ、1週間だけの上映なのでよく考えてから観に行く事をおすすめします。
余談ですが、ヤン監督は本作の前に撮った「盲井」でも地方の出稼ぎ労働者が起こした事件を描き、本作の後に撮った「盲道」でも盲人になりすまして人々から金を騙し取る詐欺師を描いたりと、中国が抱える社会的な問題に焦点を当てた作品ばかり手掛けていました。
本作の上映を機に、他の作品がも日本で観れるようになれば良いですね。
知るべき民族文化ついて。巷のレビューは間違いだらけです。
日本でのキャッチコピー宣伝が下品すぎる。
芸術性は無視?
中国本国の上映禁止を売りにしてるけど、あのチャン・イーモウの『菊豆』と『紅夢』だって本国上映禁止になってたからね
上映禁止でも北京語DVDがすでに売ってます。
監督はこう言っています。
映画の主題は人身売買ではなく、傍観者の心理と、私たちが普段見過ごしがちな人間性の暗部に光を当てることにある
Wikipediaより要約。
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●重要な知るべき文化的背景●
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▼本作で描かれたのは《売買婚(买卖婚姻)》という《古風習》である
いわゆるヒューマントラフィッキングとは
本質的には違う
売買婚は《農家と農家の間で行われていた古風習》である▲
古くは西周の時代に記録があるという。
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例
《Aさん家の娘をBさん家が嫁に欲しいので、金銭のやり取りと親同士だけの話し合いで、娘本人の意思を無視して嫁にやってしまう》
という農村部の《みんながやってた》古風習だったのだ。
もちろん女性人権無視の悪風習であったのだが、ここで重要なのは
【本来は農家と農家の間の風習】
だったということだ
(厳密には農家だけではないのだが)
★本作は、その古風習を利用した詐欺行為により、【農家ではない娘と古風習に縛られている農家の両方が騙されて起こった《風習ズレ》によって起こった悲劇】を描いているのだ。★
★実は婿先も『騙された側』なのだ。★
婿先は詐欺師をシューメイの親だと信じこんで金を出してしまったのだ。
だから最初にシューメイと婿先の
《あなたの家族はあなたを売ったの》
《親じゃない!》
というやり取りがあるのだ。
ただ騙されていようが、婿先は古風習に従うだけ
ひとりっ子政策で男女人口比率に差が出て嫁不足になり、ベトナムの女性等がさらわれて農家に売られた・・という歴史もあるのですが、シューメイの場合、婿先は『おまえの家族が売った』という認識なので、これはトラフィッキングではなく、明らかに売買婚の枠です
どうやらこの村にはトラフィッキング被害者のベトナム女性とかいないようなので、村人は犯罪に手を染めるような気はないようです
★婿である男がすぐにシューメイに手を出さず、少し困惑すらしているのは
婿だって《古風習に縛られて選択肢がない》と思っていたからだ。★
▼そして勘違いされてそうだけど、
村の女達はシューメイの様に
誘拐されて拉致られたわけでなく
多分、大半が近隣の村から売買婚で嫁入りしてきた女達だと思われます。
彼女達は誘拐されて来たわけではないが、
《人生の選択肢がなかった女達》であり、
たとえ一時期、都市部で働いていたとしてもキャリアウーマンでって仕事をしてたわけではないだろうから、結局《農村の古風習に抵抗する人生の選択肢”はなかった》・・のであろう。▲
なぜ?
そういうもんだとしか言いようがないのである。
★ここ重要↓★
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▼村ぐるみでシューメイを脱走させないのは、村人達からしてみれば
《自分の意思を無視されて嫁に来させられた娘が脱走するのは昔からよくあること》
であり
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けして村全体でグルになって《犯罪を犯している》という意識があったわけではあるまい。▲
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子供達が窓から覗いて笑っているのも悪気はなく《お姉ちゃんが変な格好で寝ている》にしか見えなくておかしいだけなのだろう。
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この風習ズレを解消するには売買婚が成立していない事を法的に証明するしかない。シューメイはとにかく《本当の親》に手紙を出し続ける。
しかし村人とその周辺からすれば
《昔からある農家の嫁脱走のあるある》
でしかなく不幸なズレは大きくなっていく
これが本作の民族文化的背景であり、話のスジである。
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●多分、多くの人が思ったであろう疑問●
ところで、多くの人が疑問に思ったのではないか?
▼シューメイが結局なんだかんだで村に馴染んでもいる・・ことに。
自殺未遂等の反抗はしたものの、なんだかんだでシューメイは、村仕事をちゃんとこなしている。▲
それは
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シューメイも農村の古風習をちゃんと知識として知っていて・・奇妙な話ではあるが、《こういうもんだ》と理解しているからだ。
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▼シューメイが子供達の先生役をするのは逆に
《簡単に変えられない古風習と理解してるからこそ文化的な事をすることで自分が置かれた状況に反抗している。あるいは自我を保っている》
と、とらえることができるだろう。▲
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この辺は我々日本人には理解できないはずだ。
村仕事の手伝いなんかせずに徹底的に反抗すればいいじゃないか!
逃亡だって、もっと計画的に《狙って》やればいいのに、フラァッと思い付きで逃げてるんじゃねえ!
って思ったはずだ。
でもそれは・・
シューメイが実は農村部の古風習に《一定の理解》を持っているからなのだ。
脱走したい⇒だが《古風習を理解もしている》=矛盾の連鎖・・
しかし
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●見えないけど描かれていること●
少林寺物や三国志と違って現代中国映画には、本編のストーリーに描かれていない《見えない背景》があることも多い。
例えば、これは私の憶測でしかないのだが、
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なぜシューメイが農村部に働きに行くのを受けたのか?
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もちろんシューメイに《事情》があったにせよ、もしかしたら・・
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▼文化大革命《文革》の時に学生達が農村に働きに出向いていた《下放》▲
・・が背景にあるかもしれない。
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つまり《文革の時の学生の様に》という感じに。
それは彼女なりに少しでも仕事が学生らしく文化性に繋がるように
《かつての歴史的な出来事に准ずる様な仕事》を
選択してしまった・・だったのかもしれない。
しかしそれが不幸を招いた原因ともなった・・?
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●古風習と混乱と女性への酷い扱い●
そしてそこに農村部にあった
《女性達に強いられていた酷い扱い》
・・もが被っても来る。
女性が受けていた虐待は《五人少女天国行》という中国映画あたりを観てもらえれば言葉要らずでわかるだろう。
シューメイは反発すれば自分の身に危険が及ぶことも理解していたろうから
助けが来るまでは、言われるとおりに
しなければいけかった。
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そしてシューメイは、心では反発しながらも
《こういうもんだと理解して矛盾の中で馴染む》しかなかった。
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この辺の事は、我々外野の日本人が考えると頭は
グルグルと混乱するのだが、混乱するなら混沌の塊のままに受けとるしかないわけで・・異文化理解ってそういうものだろうと思う
最終的にようやく動いた公安がこの事件を
《古風習を越えた違法な人身売買である》と
認識するも、《売られてきた女達を全員解放する》などと、デカイ事を権力の威信をかけて言ってしまったばかりに最悪な結果を招く
そもそもシューメイ以外の女達が帰りたがるかわからないのに・・彼女達は《古風習》の中で長い年月を生きてきてしまっているのに今さら・・
シューメイだけを助ければよかった。
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●第五世代以降の現代中国映画には隠されたメッセージがある●
★中国映画第五世代については《下記参照》★
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ここから少し別の角度から考てみる。
ラスト、公安は村の女達を全員、解放しようとするけど、考えてみるとおかしい。
公安だって売買婚・古風習を知ってるはずだし、先記したように女達が帰ろうとしないかもしれない。
根強い古風習に対してやるなら《文化改革》をするしかないわけで、それはもう、公安レベルでできる事ではない
⇒《一旦、去るけど必ず戻ってくる》と宣言
⇒シューメイを村に残して村を去っていく
⇒ 悲しい悲劇が起こってしまう。
実はこれは↓後記した↓中国映画《黄色い大地》のラストシーンと同じ構成だ。
黄色い大地 では
売買婚が決まっている主人公の村娘が、延安からきた八路軍の兵士に向かい
《一緒に連れてって!》
と懇願する。
八路軍の兵士は、
《いろいろ準備もあるから、延安に帰るけど、必ず帰ってくる》と宣言。
娘はその言葉に希望が沸き、兵士を見送る。
しかしそれから時が経つも兵士はいっこうに帰ってこず・・
結局、娘は望まぬ結婚をさせられて、悲劇が起こってしまう。
《映画は全体を通して、内容的には、政治的メッセージなんかまっっったく無さそうに見える、だが実はこっそりメッセージを込めている》
”ハッキリ言わない”・・は第五世代監督の演出法のアルアルなのだが
なぜそんな面倒くさい遠回りな構成をワザワザしたかというと
理由はズバリ《中国だから》
《盲山》のラストが《黄色い大地》のラストとなぜか被っているように感じるのは・・果たして・・偶然なんだろうか?
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●実は過去にも扱われたテーマ●
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ところで売買婚 自体は先人たる第五世代の中国映画でも扱われたテーマだ。
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第五世代とは、チェン・カイコー、チャン・イーモウの世代監督のこと。
彼らの先代である第四世代までの《わかりやすくてメロドラマみたいなのばかり作ってた》に反発して中国映画ヌーヴェルヴァーグを起こした尖った世代の監督達だ。
《まあ、第五世代も後々、丸くなるんだけど》
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●売買婚を描いた作品●
黄色い大地 陳 凱歌(チェン・カイコー)監督(1984年)
紅いコーリャン 張 藝謀(チャン・イーモウ)監督(1987年)
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この第五世代の作品《黄色い大地》《紅いコーリャン》は農村の売買婚を描いており、本作にも細かいところ《民謡の入りかた》等に上記二作の第五世代作品へのオマージュ?・・がうかがえるので、そこはシネフィルなら注目ポイントである。
シューメイの弟的になる少年も《黄色い大地》の登場人物である少年”ハンハン”に起源が見れるはずだ。
ちなみにカイコー監督の作品を初めて観るなら
《覇王別姫さらばわが愛》から観るのがオススメ。日本でも大ヒットした作品だから。
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●第五世代の映画を知ってる人こそ衝撃を受ける作品●
しかし、そんな第五世代映画作品を観てきた人達にこそ
本作は衝撃的で鑑賞には少し覚悟すらいるだろう。
上記二作に比べてシューメイは現代的な娘であり、
例えるならちょっと上野樹里みたいな感じの娘だからだ。
上野樹里が観たら悲鳴をあげるかもしれないな。
いや、上野樹里で日本語吹き替えをしても
恐ろしいけど・・いいのかも・・?
うーん・・しれない。
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●有識者による解説イベントをすべき●
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▼本作は劇場で公開する時に
有識者による文化背景解説をちゃんと
すべきである。
そのくらいの事をしないと、
重大な誤解と不理解を生んでしまいかねない。▲
《ドキュメンタリータッチの映像で生々しく描いた社会派スリラー》?
中国映画を知るシネフィルなら
《第五世代初期志の嫡流的な作品》・・と言うだろう。
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●パンフがない不幸●
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本作は日本においては不幸な公開のされ方をしている。パンフが出てないのだ
それによって中国映画に詳しい人達以外の一般の観客には、映画で描かれている文化的背景がまったく伝わらず、まるで
ヒューマンホラー映画にしか見えなくなっている
これが岩波ホール、エキプ・ド・シネマだったらパンフを発行し、文化的背景、中国映画の歴史も載せたはずだ。
追記
売買婚が成立しているわけでないので
《嫁ぎ先》ではなく《婿先》と書いた
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