劇場公開日 2025年9月5日

「セックスは語れるのに宗教は語れない──自由な社会の逆説」SEX ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5 セックスは語れるのに宗教は語れない──自由な社会の逆説

2025年9月8日
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鑑賞方法:映画館

昨日見た3部作の2作目「LOVE」がとても刺激的で面白かったので、2日続けての鑑賞。今日はこの第1作目を同じ映画館に見にきた。月曜日お昼の上映でもあり、客席は2割程度。刺激的なタイトルだから敬遠されるかもしれないが、中身はこの監督らしい知的な会話劇だ。

今作のタイトルはSEXだけれど、SEXはテーマというよりは題材だ。性的な規範や性的志向性の問題というのは、この世界で最もリベラルで民主的な国では、すでに解体されていて、個人の自己選択に任されている。どういった形であれ認められるべきで、あとはパートナー同士での合意の問題であるというような世界での出来事だ。

昨日見た「LOVE」同様に性の話題はオープンに話される。子供がいようと関係ない。親子で外科にいくと老齢の女性医師から、妊娠中のセックスの素晴らしさとかが語られる。
しかし、こうした自由さは、規範が不明瞭なだけに、パートナー(夫婦)間でのすりあわせが重要で、主人公の一人はここで間違えてしまうことから話が始まる。
仕事先で同性から誘われて、ゲイではないのに、ちょっと迷った結果、応じてしまう。彼にとっては、新しい発見でもあり、ワクワクする越境体験でもあったのだろう、友人にも妻にも話してしまう。ところが当然だけれど、それは浮気だ、裏切りではないかということになる。
彼は「隠すと浮気」「隠さなければOK」という彼なりの規範を作り上げていたようだ。しかし、それは妻にも友人にも通用しない。自分が相当ズレていたことに話してみて相手の反応で気がつく。それをフィードバックとして取り入れて、その後の自分の言動を調整していくという「LOVE」でも行われた自由な世界で生きるためのパターンがここでも行われていた。

もう一つのテーマは他者から寄せられる視線や欲望が、その人自身の主体を作るというテーマだ。対話が重視される自由な社会では、一人一人しっかりした自己を確立して、それぞれの意見を持っているのかと言えば、やっぱりそれは簡単なことではない。他者からの視線、眼差し、向けられる欲望に応じて自己が形成されていくという、空気を読む日本人にはお馴染みのパターンが、ノルウェー人ではちょっと違った形だけれど、主人公2人それぞれに起きることが印象的だった。
浮気をした彼は、要するに他者から欲望を向けられることで、その欲望を模倣するかのように自分自身にも欲望が乗り移ったからの浮気であるし、もう一人の主人公は夢の中でデビット・ボウイから性別を超越した視線を向けられたという。後者の方は、日頃の役割としての自分、煙突掃除人、妻のパートナー、父…そうしたペルソナではなく、真の自分自身に対しての視線を感じたというようなことではないかと思った。

さらに興味深いのは、この主人公が、これだけ性的なことまであけすけに語る社会で、キリスト教信者であることを打ち明けたことを、なかなかできることではないと賞賛され、喜ばれる場面だ。
これだけ自由な社会においても、というか自由な社会を志向するからこそ、どんな思想を持ってもいいというわけではないということなのだろう。
キリスト教は、同性婚や中絶、ジェンダー平等に関して批判的立場を取るいわば伝統重視でもあるから、リベラルな社会での非寛容勢力として、差別的に扱われるリスクがあるという矛盾も描かれていた。

自由で個人主義の徹底した社会だからこそ起きるコンフリクトを巧みに描いた映画で、LOVEに続きとても面白かった。
規範のない社会だからこそ、徹底的に自分の感覚を頼りに内省して、自分の感じていることを確かめる。そしてそれを言語化し、対話してみて、擦り合わせていく。
なかなか大変だけれど、それをするからこそ自由で平等な社会が実現のしていることを実感させられる一作だった。

ノンタ
talismanさんのコメント
2025年9月9日

レビューにとても共感しました。金髪さんが所属するコーラスグループが、キリスト教である。これがデヴィッド・ボウイが出てきた夢と同じくらい、普通に他人に言えないってことが面白かったです。そして常に側にいる息子が、父親の嘘というか、なんでそう言ったの?の突っ込みが可愛く、もっともで笑えました。いい映画だったなあ~

talisman