ワン・バトル・アフター・アナザーのレビュー・感想・評価
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タイムリーでドメスティックな社会風刺色強めのPTA風活劇
前置きに当たる過去エピソードが長くて、登場人物の性癖の話ばかり目立ってちょっと眠くなったが、ディカプリオが逃げ始めてからは楽しめた。
序盤のみの登場で強烈なインパクトを残したテヤナ・テイラーの面構えには、恐れを知らないペルフィディアにぴったりの強烈なオーラがあった。溢れる性欲を隠しもせず、何とショーン・ペンをレイプするという、他の映画なら男性がやるような行動を見せるのが、是非はともかく新鮮ではあった。
ただ、移民を脱出させるだけならまだしも、革命を叫んだところで銀行強盗は単なる犯罪だし、子供を放棄した上仲間を売ってメキシコに逃げるしで、あまり好意的な関心を持てるキャラではなかった。
一方、ボブは笑える言動や情けない振る舞いが多くて可愛げがあった。そんな彼が、逃走中の身でありながら娘を追っていき、戦って娘を守るとまではいかないものの再会して親子の絆を確かめる場面は、血縁の有無など関係ないと思わせるあたたかさがあってよかった。
ディカプリオは、弱さをさらけ出す男を魅力的に演じるのがとても上手い。合言葉を忘れて融通の利かない相手にイライラする場面は笑えたし、センセイの車から飛び降りる時思い切りが悪くてカッコつかないところや、屋上でスケボー男子たちについて行けず道路に落ちてしまう場面には親近感が湧いた。ステレオタイプな「男らしい活躍」からはとことん遠ざけられているボブというキャラクターがとても人間臭く、身近な存在に見えた。
今更だが、彼は本当によいキャリアの重ね方をしていると思う。もちろん若い頃から演技は天才的に上手かったが、一度はアイドル的にブレイクした俳優が、第一線にい続けながらジャック・ニコルソン系(私の主観)の癖つよ中年俳優に進化するというのはあまり例がないのではないだろうか。
映画で名前が出たから言うが、ずっとかっこいいヒーローであり続けるトム・クルーズとはある意味対極のタイプだ。(どっちも最高だけど!)
センセイのファンタジーに近い万能ぶりには笑ったが、ボブが頼りないので物語の推進力としてああいうキャラを出すくらいがちょうどいいようにも思えた。デル・トロの渋くてちょっと不思議な存在感もとてもいい。
ロックジョーには軍人としてのプライドと人間的な弱さが混在していて、一番興味深い造形の登場人物だった。差別によってプライドを保とうとした彼が黒人女性にレイプされ、ホロコーストの如く騙されてガスで殺され、死後のヒトラーのように燃やされるのは、何とも因果な運命だ。
PTA作品のストーリーラインについては正直その特別なよさがよくわからないのだが(ごめんなさい)、人物描写に着目すると結構楽しめる。
タイトルからもっとハイテンポな逃走劇やアクションを想起したが、全体的にイメージしていたほどのスピード感はなく(クライマックスのカーチェイスでは酔いそうになって、それはそれで面白かったが)、上映時間をもう少し削れたのではと感じた。どちらかというと社会風刺的ニュアンスを感じる描写の方が目立った。
ただ、本作がアメリカ国内で高評価を得ているのは何となくわかる気がする。PTA作品にしてはエンタメ寄りかつオフビートな展開に加え、不法移民のエピソード、娘の友人が家に来た時親子で交わされるプロナウン(代名詞)の確認、過激リベラルが狩られてゆく様、白人至上主義者たちの存在と彼らの価値観など、本国の観客にとってはまさに自国が現在抱える問題や日常のリアルを散りばめた寓話のように見えるのではないだろうか。
「クリスマスの冒険者」やロックジョーが悪役的立ち位置であること、ボブとペルフィディアの家族に対する価値観が男女逆転したような関係、ウィラが最終的に活動家になるところなどから基本的にはリベラルを指向する作品なのだろうが、それでいて過激派リベラルを美化せず、どこか突き放すように戯画化した描写があるのが面白かった。
活動の態様が一番まともに見えたのは、フレンチ75よりは穏健なやり方で移民を守っていたセンセイ。主人公のボブに対しても救世主的だった。このあたりの描写のバランス、そしてボブとウィラの絆に監督のメッセージが表れている、そんな気がする。
秩序と血をめぐる闘いを目撃せよ
ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、単なるアクション大作ではない。
革命家の娘ウィラと、体制の守護者ロックジョー警視(ショーン・ペン)という二人を軸に、「血」「秩序」「信仰」「科学」――四つの力が交錯する巨大な寓話として立ち上がる。
ロックジョーは原語ではColonel=大佐だが、日本語版では「警視」と訳される。
それは彼が軍人ではなく、制度そのものの化身だからだ。
彼の所属する「連邦安定軍団」は軍と警察の境界にある治安機構であり、彼は“秩序を信じる者”として、反体制組織French 75を追い詰める。
だがDNA鑑定によって、ウィラが自分の娘だと判明した瞬間、その秩序は崩壊を始める。
修道院の聖堂で、祈りの光の中で行われる私的なDNA検査――科学が真実を暴き、信仰が沈黙する。
この短い場面に、PTA監督の倫理的主題が凝縮されている。
一方、日本公開版では、最後の「55号室」での死が象徴的に処理されている。
ロックジョーは査問で許され、「純化室55」に導かれ、安堵の笑みを浮かべたまま毒ガスで息絶える。
ガスと焼却という冷徹な手順は、ナチのホロコーストを想起させる。
一方、米欧版では処刑の全工程が官僚的に描かれ、“国家による暴力のルーチン化”がさらに明確になる。
つまり、日本版は「寓話としての死」、国際版は「制度の現実」としての死を描く。
どちらも共通しているのは、「純血の神話」が自らを焼き尽くすという構図だ。
本作の見どころは、この二重構造の精緻さにある。
表面上はスリラーや逃亡劇として楽しめるが、底流には「真実を知ることは救いになるのか」という問いが流れている。
科学が信仰を置き換え、DNAという“神”が人間を選別する――
その不気味な未来像を、監督は現代の映像言語で冷ややかに提示する。
さらに、レオナルド・ディカプリオ演じるボブ(ウィラの育ての父)の存在が、“血ではなく行為で父となる”というもう一つの倫理を示す。
戦いは一度きりでは終わらない。
タイトル “One Battle After Another” が示すように、制度と個人、血と選択、暴力と救済の戦いは、形を変えて繰り返される。
ウィラが最後に発する共通のコールサイン――それは「旧体制の言語」を継承しながら、新しい戦いを始める合図だ。
観るべきは、ガス室や銃撃ではなく、制度に取り込まれる人間のまなざしである。
PTAはそこに、21世紀のホロコースト=“情報と遺伝の時代の粛清”を映し出した。
重厚で、痛ましく、しかしどこか静謐な映画。
観終えたあと、あなたの中にも一つの問いが残るだろう。
――私たちは、どちらの側の扉を開けているのか。
感動(T ^ T)✨
面白かった〜♡♡長いけど見れる!
途中でお手洗い行っちゃって予告の車から飛び降りるシーン見れなかったのは残念でした!💦私が悪い笑笑
パパとウィラが会うのは感動しましたあ😭😭✨
本当のパパが警官だったのは最後の最後まで信じたくなかったです、、でもそんなの関係ないですもんね!
洋画はあまり見ないのですがすごいハラハラしてでも時々クスッと笑っちゃって最後は涙が、、楽しかったなあ♡
是非見てくださいね〜!!!
トランプ政権の妄想を挫く痛快作
観賞してからレビューまで随分と経ってしまったので思い出せる限り脳内で再生。
トマスピンチョンの作品がベースになっているとのこと。
古き良きWASPというか何だったらKKKの様なハイパー右派と爆弾を使った極左活動を各地で行うフレンチ75という団体の抗争を描いたエンタメ作品
登場人物はいずれもアクが強すぎて好みが分かれそう
ディカプリオはダイエットにも成功したようで前半は久々に格好いい登場だが、中盤以降はウルフ・オブ・ウォールストリートの様なダメ中年爆裂状態
だが本作では娘を救うためだけにあらゆる格好悪さを超越して奮闘しており、とても共感できる
テーマとしては白人対有色人種、男性対女性という二項対立がわかりやすく、特に白人男性側の異常さが際立っていて、形勢不利なマイノリティ側による勧善懲悪なるかという話の展開である
ストーリーに加えて画面の色彩や構図、アクションの観せ方がこれまでに観たことのない驚きに満ちており、映画ファンならぜひ観賞をおすすめしたい
特に終盤のカーチェイスは前評判通り見ものである
この作品が今公開されるということは、一期目のトランプ政権を皮肉るために脚本が練られバイデン政権下で撮影、編集になっていると思われるが、予想外に二期目が始まってしまいフィクションが現実に追い抜かれている様なところもありそうである
タイトルの意味は最後に判明
現在のアメリカ政権はこんな極左を頭の中に勝手にイメージして毎日妄言を振り撒き世界から苦笑を買っているのだろう
早く真っ当な世界に戻して欲しい
やば
なんかすごい映画を観たな、って感じ。
父親が娘を取り戻す話、みたいなあらすじを聞いた時、正直ありきたりで面白そうに思えなかった。でも、ディカプリオが主演で面白くなかったことないしな…、と思って観ることにした。
で、これはかなりの問題作というか…。少なくともこれは日本では作れなかった映画だと思う。それは、「テロ組織が正義として描かれてしまっている」から。で、このテロ組織はけっこー人命を軽視してる感じで、観てて変な意味ではらはらする。
テロ組織の敵役は陰謀論に出てきそうな組織。政府組織の中枢に入り込んでて、KKKみたいな白人至上主義者。これもけっこー問題ある設定だと思う。
そもそも物語の発端はメキシコの移民問題なわけで、現実の政治問題だと思って観始めるのでそのあとの展開がえぐくて…。
「ジェントルメン」みたいな完全に非現実的な世界観の物語だったら、殺し合いがどんなに凄惨でもあんまり気にならないのだけど、この映画の世界観て変な意味で現実的でなまなましい。
この映画の世界観が反政府的な考えを持っている人の妄想だとしたらめちゃくちゃこわい。
でもこういう映画が成立しちゃうくらい、今のアメリカってすごく分断が進んでるってことなんかな…。
この映画のストーリーを俯瞰で観ると、ヒーローものとしても観れる、というのも面白い。母親はヒーローの能力を持っていて活躍していたが敵の手に落ちて仲間を裏切ってしまう。そして敵との間に娘をもうける。娘は呪われた血筋に悩むが、覚醒してヒーローの能力を顕現させる。敵組織はまさに秘密結社そのもので、ショッカーみたいな感じだし。
あと、情けない父親を演じるディカプリオがとても良かった。
この映画で一番驚いたのが、「お前死んでなかったんかい!」と誰もがつっこんだであろうところ。これって「敵組織は未だ健在ですよ」、ってのを後のシーンで示すために必要だったのだろう。
些細なことだけどちょっと気になったのが携帯型の遺伝子検査キット。こういうものが現実にあるのか調べてみたら、電気泳動と小型遠心機とPCRマシンが一体になっている製品が実際に存在した。
でも実際に遺伝子検査するとなったら、映画のように電気泳動に時間がかかるのではなく、PCRに時間がかかるはずだし、電気泳動の結果も変だったので、ちょっとリアリティがないなー、と思った。
中盤までは最高 後半はウーン?
私は、ディカプリオなどの、俳優さんや監督のファンではなく、予告が面白そうだったので、見に行きました。 中盤の、娘が拐われて、主人公が助けに行くところまでは、テンポも、内容もとても面白かったです。 海外で話題のポリコレ問題も 上手く処理して、物語に違和感なく落とし込めてると思いました。
しかし、結末にかけては、ライバルである、ロックジョーにケリをつけるのは、終始 クリスマス会という、第三者の組織であり、主人公である、ボブはほとんどなにもしてません(追いついた頃には、全部終わっていた)
また、なぜ2回殺されたのかよく分からないロックジョー めっちゃ強そうで実はいいやつ?みたいな感じだったのに、いつの間にか、相討ちになってた暗殺者 前半の革命描写と比べると、予算不足のあった最後のカーチェイスシーン(終わりかたもそこだけなぜか現実離れしてた)など、終盤は突っ込みどころ満載で、疑問が多くあまり楽しめませんでした。 中盤までは、かなり面白かっただけに、終盤の無理やりな感じが残念に思いました。
あと、革命の映画なのに、ボブは、革命家らしいことほとんどしてません。 ほとんど奥さんがしてました
生みの親と育ての親
古き新しき良き悪きアメリカを表したような映画でした。
また、キル・ビルのような映画を想像していましたが、キル・ビル2のような映画でした。
レイシストがレイシストに粛清され、
革命家(テロリスト)の遺伝子は引き継がれる。
アメリカという実験国家で起こっている、人種とイデオロギーのごった煮は近代国家の抱える現実なんでしょうね。
ロックジョーの歩行の姿はヤバい奴のそれだった。
没入できたがよくわからない
レオナルド・ディカプリオがボケをやっているイメージがなかったので、ラリっているシーンが新鮮だった。ストーリーは正直シンプルで深みがなく興味をそそられない。かといって、銃撃戦やカーアクションが大迫力かといえば、実際は「音響」だけがそうだし。あぁ、おそらくこの作品はコメディだろう。最近見た映画の中で一番笑ったから。
ジョナサン・バンクスとショーン・ペンを勘違いしていたので、ブレイキングバッドがチラついたが、映画の音がデカすぎて心臓麻痺で死なないかドキドキしていた結果、吊り橋効果で作品に入り込めたので結果オーライ。昨今のメディアでは、コンプラ対策なのか視聴者へ配慮する製作者の優しさか、肝っ玉を冷やすようなシーンの前には注意書きや何かしらの合図が出ていることが多い。そんな中、体がついビクッと反応してしまうほどの殺傷シーンとクソデカ銃声を堪能できる稀有な作品となっている。ただ、結構真面目に心臓が弱い方は、配信を待った方が良いと思う。
総括すると、よくわからないものを見せられているが、面白いシーンが多かったので、多分良い映画なんだろう。暇すぎて映画レビューを昨年初めて見たものの、年間100本も映画を見ないから、まだ物事を判断するだけの「眼」が養われていない。おすすめです。
年を取るということ
若いころの無軌道さに、大人になってから向き合う映画。
パーフィディアは娘を失い、ロックジョーは過去の自分の性に追い詰められる。
一方でボブは、これまで流されるように生きてきたがゆえに、他人の娘の保護者という立場に立たされてしまう。
全ては娘・ウィラの誕生を起点として、三人の人生がねじれ合う。
ストーリー以外も秀逸だ。
音楽やカメラワーク、そしてそれぞれのシーンが平行して進行しているにもかかわらず、断絶をまったく感じさせないシームレスな編集。
ここまで書けるのは大好きな映画なのですよ。
何が気になるのかといえば、コメディとリアリティのバランスなのです。
現在のアメリカにおいて、「革命」というものがどれくらいのリアリティを持ったことなのかわからないので、あれなのですが、
ちょっと子供のおままごとというか、全体的に真剣さが伝わってこなというか。
70年代を下敷きにしている話らしいけど、あの時代こそ大人たちの植え付ける「意味」対しての反乱の時代であって、
「無意味」であることが一番崇高な時代であったはずなのに、「社会正義」とか「革命」とかの語り口があまりにも現代的すぎるというか。
見覚えのある70年代の混乱ではなかった感じですかね。
ロックジョーの立場もよくわからん。
犯罪者の減刑に尽力できて、軍隊動かせるって?
軍人なの?警察なの?私の見た字幕では彼を表す言葉に「警視正」って使われてて、余計に混乱・・・。
こういう、ストーリーと関係ないところがいちいち気になって、集中できなかった・・。
私も彼らと同じく年をとったということか・・・。
トランプ大統領はガザ停戦(?)に尽力した。で、フレンチ75は何を?
「銃を持ってその銀行に入って行く時、ダンス・リサイタルへでも行くつもりになっていたのか? 自分はフェイ・ダナウェイで、金をとって逃げ出せば、音楽が始まり、銃弾は誰にも当たらない、とでも思っていたのか?」(ロバート・B・パーカー『約束の地』より)探偵スペンサーが女性解放家気取りの女に言ったセリフ。そのまま、ボブが所属する革命グループ「フレンチ75」の面々にも当てはまるぞ。革命革命と騒いでいるが、四文字言葉でマリファナ吸って、しまいには銀行で老警備員を射殺する。ボブがぞっこんのペルフィデアは警察に捕まれば、さっさと仲間を売る。ボブの娘ウィラのダンスパーティー友達の方がまだ根性ありそうだ。普段は軍服、私服は紺ジャケ・チノパンのロックジョーが入りたがっているクリスマスの冒険者も雑だなあ。ロックジョーを入会させたのは、あんたらやん。それで間違ってたら、首にしたらいいやん。2回も殺すことはないよ。
じゃ、ワン・バトル・アフター・アナザーはおもしろくないかと言えば、そうじゃない。上映時間は162分あるが、全然ダレなかったし、眠くもならなかった。そこは、さすがポール・トーマス・アンダーソン。小難しいことを考えずに、育ての親と実の親との娘争奪戦を楽しもう。カーアクション映画が作りたかったポールの一本道を車三台が走るだけのカーチェイスは必見だよ。残念なのは、センセイの空手が見られなかったこと。ボブにヌンチャクで戦えることを見せてやって。
変革と普遍
さて、この作品のテーマはどれなんだろうと考える。
冒頭、移民の解放全線みたいな事が描かれる。おお、また社会派な作風なのだなぁなんて思う。
しばらくは革命ないしは、テロと呼ばれるような描写が続く。世界は不満と不平に満ちていて、その世界を変革しようとする者達の存在。
そんな混沌とした中でも、生命は誕生する。
本作のキーとなる娘だ。
ただ、望まれて生まれたかどうかは疑問な状況。
実際、母親は臨月のような腹を抱えて銃を乱射してたりするし飲酒もしてて、結局は家庭を捨てて革命に身を投じる。
父親は爆弾とかを作れる人だけど、子供をきっかけに平穏を望むようになる。守るべき存在が出来てしまったので、この生命を育む為にもだろうし、世界を変革するよりも崇高な使命に気づいたからかもしれない。
で、この父親がディカプリオ。
それから16年後。
普通の生活を送ってた親子だったけど、血生臭い戦線の兵隊達は彼らを逃してくれなかったって話。
娘の出生には秘密があって、彼女の出自次第で都合が悪くなる人間もいて…いまの時代にこれかと思うのだけど、白人至上主義者の団体のようなものも描かれていてビビる。とは言え、根強く残る差別も大国にはあるのだろうなぁなんて事も推察できる。
で、まあ、その団体に入団するのが最高のステータスみたいに思ってる人間が、この娘の実の父親だったりする。
それがショーン・ペン
圧巻の役作りで、役所ではあった。
彼だけ見てると、いやディカプリオもそうなんだけど、時折コレはコメディなのかと思えてしまう。
くそマジメにやってはいるんだけれど、バカげているというか、バカにしているというか。
で、ショーン的にはこの娘が汚点なわけだ。
母親も法取引で組織を売り、所属していた団体は壊滅してたりするから、革命側から見てもこの娘は忌み児のようなもの。
彼女が謳歌する平穏は実は針の筵の上にある状態。
敵対する巨大な組織のどちらにも助けてもらえない状態の中で大人の都合に巻き込まれてく。
そんな中、1人奮闘する父親。
そんな背景にも関わらず物語は全く重くならない。
垂れ流されるBGMのせいかもしれないし、意表を突くシュチュや台詞のせいかもしれない。
とにかく多様なものが挿入される。
体制側の特権意識とか、革命側の非人道さだったり、人種差別とか横暴な人の性とか、性癖が壊す壁だったり、階級がある社会とか…なんかホントに小難しい事がいっぱい入ってる。
それらを全部薙ぎ倒して貫くのが子供への愛情だったりもして…母親の手紙もそうだけど。
まぁ、そういうまとめかとも思うのだけど、救い出した娘は結局、革命に乗り出したりもしてて、血縁を凌駕した愛を提示しながらも、継承されるDNAを描いてみたりと。
変革を必要とする世界の中で、変革を受け付けない愛情の存在みたいな…。
けどまぁ、とっちらかってかと言われればそうでもなく、技ありなストリーテリングでもあったなぁと。
ただ、眠くもなったよね。
BGMが合わないせいもあったし、意味不明な肉付けのせいもあったように思う。
役者陣の没入度はディカプリオを筆頭に流石のものだった。とは言えサプライズ的なものは薄く…そこはショーン・ペンが魅せきってくれたなぁ。
「戦闘につぐ戦闘」ってタイトルではあるけれど、どんな人生であっても大なり小なりそういう側面は引きずるよなぁとも思う。
情報てんこ盛りの162分
前情報をなんにも入れずに観たけど、移民問題ってとんでもなく大変だなぁ。
地球って誰のものでもないし、国って人間の認識総意で変わるわけで。革命家もペンだけではなにも変わらないし、ペンを持つことも許されないもしくは持てない状況で育ったらもう暴力に頼ることになるよね。
とはいえ、マミー、捕まったらあっさり裏切りすぎじゃない?あんなに中心人物っぽかったのに、仲間の情報ゲロって証人保護の家も勝手に飛び出て亡命。
美人な娘とディカプリオが追われて始めてからはずっとハラハラドキドキ、岩場の道を上がったり下がったりのところは三半規管弱子には辛い。リアルすぎ。
結局美人娘、1人で逃げ切ったのはやっぱり革命活動家マミーのDNAとまさかの警部補ショーンペンのDNAによるものか。
ラストは追われる身じゃなくなったから、スマホ持ててよかったね、ディカプリオ。
シャイコー!!
楽しかった〜!時間のねじれ、徐々に多層性を帯びるストーリー展開、くすっとさせるギャグ、数々の映画からの引用、素晴らしかった。抑圧と暴力的な転覆の連鎖の中で光る、センセイのocean wave!!
音と映像が心地よい
別にヒーリング映画ではないのですが(むしろ爆発、銃撃入り乱れまくりの映画なのですが)、映像に対する音の入れ方がとても印象深く心地良かった。
長めの上映時間も気になりませんでした。パートナーのパーフィディアには出ていかれ、ウィラが実の娘ではないことを知らないまま愛情をもって育てて助けようと奔走するボブの姿が可哀そうで可愛くなってくる。全部分かった後にボブを抱きしめるウィラも良い。
実父が最低というのもあるが…。
ディカプリオをタイタニックのイケメンだったころから見ているので、本作や「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」みたいな情けなくてかわいいオジサン役が似合うようになったのが感慨深い。
ぶっ飛んだクソ映画
見た感想は、かなりぶっ飛んだイカれた映画だなってところ。
不法移民が置かれた環境とか生き方みたいなものが描写されてるんだけど、話の骨格はそんなの全然関係ないのよな。
黒人女は最高とか、黒人女はプッシーだとか、フェラフェラ。
移民を取り締まる側の警官の、結局はその歪んだ性癖こそが話の骨格になっていて、それ以上の話ではない。
黒人が好きなのになんで白人至上主義の団体に入りたかったのかもよくわからんし。
こんな映画があっても良いんだけど、映画になにか高尚なものを求める人は見る必要が無い。そんな映画。
勝手にふるえテロ
私はこれまでPTAの活動を追うのに熱心な方ではなかったのだが、しごく評判が良さそうなのでどんなもんかいなと。
冒頭トランプが作らせたメキシコ国境の壁を襲撃するシーンから始まるので「おっ」と目を見張ったが、その後いろんなことが起こって混乱の極みに。一体全体何がテーマなんだろうと。イデオロギーの是非はともかくまさかテロリズムを肯定しているわけではないだろうし、単に偏執狂の警視を戯画化しているわけでも、白人至上主義の団体を揶揄しているだけでもなさそうだ。
レオ様は突然の襲撃に勝手にふるえているだけで、ウィラの救出に何か貢献するわけでもなく。何なら最後は合言葉が言えなくてウィラに撃ち殺されるのかと思った。それはそれで皮肉の効いた結末になったような気もする。
国境界隈の物語なら、同じベニチオ・デル・トロが出ているドゥニ・ヴィルヌーヴの「ボーダーライン」の方がはるかに上出来。
最近の日本の配給会社はまともな邦題を考え出す気がないのだろうか?
面白いは面白いが…
映画としての出来は上手いの1言。
長尺だがテンポ自体はよく、ずっと「コレからどうなるんだ…?」と気にさせるのが上手い。
ディカプリオが最後まで何の役にも立ってないのが結果的には面白いが、娘を助けるためにカッコ良く立ち回るディカプリオを期待してたのを鑑みると、「カレーを頼んだらラーメンが出てきた」感じの映画。
クリティカルなテーマを扱いつつ、家族愛へのグラデーション
字幕通常版を鑑賞。
限りなくノンフィクションに近い、フィクションと言った感じでしょうか、いつ起きてもおかしくない社会の分断。
しかし、政治的なメッセージ性を持たせることはなく、最終的にはとても身近で意識し難い家族愛を描くというグラデーションは素晴らしかったと思います。
説明的なシーンが少なく、会話から状況を察することのできる作り方も凄いと感じました。
個人的にはジョークが刺さらず、後半に向かうにつれて展開が読めてしまった点が減点にならざるを得ませんでした。
ポール・トーマス・アンダーソン監督作品は今回が初めてだったので、こういう感想に落ち着いています。
オープニングからの映像の畳み掛けが素晴らしい。
上映時間が3時間弱と結構長いが、飽きさせず、ラストに向かって面白さが加速する。
オープニングからの映像の畳み掛けが素晴らしい。この話の発端となる16年前の革命活動時代を、約30分ほどで描く。革命家の女と敵対する軍の警部が性的関係になってしまうという、あり得そうにない話を端的な映像で凝縮して語りきってしまう。
監督自身が脚本、演出、編集をしているからかもしれないが、この畳み掛けは、やはり非凡だと思った。
この監督の作品「ファントムスレッド」のオープニングからの滑らかでうっとりとする魅力的な映像を思い出した。
この監督は、何を撮っても面白くできる独特の「筆致」があるな〜と改めて思った。今回も、その映像「筆致」を味わうだけでも大満足の映画だった。
話は、結構楽しい(?)話で、ラストは意外とさわやかでよかった。
レオナルド・ディカプリオの汚そうな親父姿が泣けるほど良かった。でも、マッチョでちょっとネジが外れている軍人役のショーン・ペンの怪演がその上を行くほど素晴らしい(全然感情移入できない役)。
で、そのショーン・ペンをまたまた上回るような革命の闘志で母親役のテヤナ・テイラーが凄い。
でかいお腹(妊娠中)で機関銃をぶっ放すカットは強烈。
そして娘も同じアングルでぶっ放すシーンが出てくる。
多分、ポール・トーマス・アンダーソンは、このシーンがこの映画をやるにあたって一番に思いついたのでは?と思った。とても端的で、この親子の関係を象徴的に語っているシーン。
その娘役のチェイス・インフィニティもよかった。
ベニチオ・デル・トロの「先生」も楽しいし。
何度も見たくなる映画、というか、この映画好きと色々と語り合いたくなる映画。
⚫︎ボブの愛
レオがおっさんになってていい感じ。機動隊にやられてボテって倒れる姿も、PW忘れちゃってからのやり取りも愛おしい。
同世代かと思いきや、トムとひと回り違うことに驚きつつ、それぞれの歳のとり方、演じ方がステキだな。
レオの話はいいとして、革命とか白人主義とか人が死に過ぎるのも置いといて、意外と愛の物語だなと気付かされる。ふたりの父親の娘への不器用な愛。センセイのボブへの愛というか博愛。そして母の愛。
しかし娘はクレーバーゆえ、ラスト、革命家として目覚めていく様は血は争えないというか。ボブの血ぢゃないんだろけど。「自由とは恐れないこと」。なるほど。
一方、身を亡ぼすほどの難を逃れる度に、とりあえずビール飲むボブはアホなのか、いい意味でアメリカナイズなのか。やっぱりオレが目指すのは、トムのイーサンよりレオのボブだなあ。
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