「秩序と血をめぐる闘いを目撃せよ」ワン・バトル・アフター・アナザー はらしょうさんの映画レビュー(感想・評価)
秩序と血をめぐる闘いを目撃せよ
ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、単なるアクション大作ではない。
革命家の娘ウィラと、体制の守護者ロックジョー警視(ショーン・ペン)という二人を軸に、「血」「秩序」「信仰」「科学」――四つの力が交錯する巨大な寓話として立ち上がる。
ロックジョーは原語ではColonel=大佐だが、日本語版では「警視」と訳される。
それは彼が軍人ではなく、制度そのものの化身だからだ。
彼の所属する「連邦安定軍団」は軍と警察の境界にある治安機構であり、彼は“秩序を信じる者”として、反体制組織French 75を追い詰める。
だがDNA鑑定によって、ウィラが自分の娘だと判明した瞬間、その秩序は崩壊を始める。
修道院の聖堂で、祈りの光の中で行われる私的なDNA検査――科学が真実を暴き、信仰が沈黙する。
この短い場面に、PTA監督の倫理的主題が凝縮されている。
一方、日本公開版では、最後の「55号室」での死が象徴的に処理されている。
ロックジョーは査問で許され、「純化室55」に導かれ、安堵の笑みを浮かべたまま毒ガスで息絶える。
ガスと焼却という冷徹な手順は、ナチのホロコーストを想起させる。
一方、米欧版では処刑の全工程が官僚的に描かれ、“国家による暴力のルーチン化”がさらに明確になる。
つまり、日本版は「寓話としての死」、国際版は「制度の現実」としての死を描く。
どちらも共通しているのは、「純血の神話」が自らを焼き尽くすという構図だ。
本作の見どころは、この二重構造の精緻さにある。
表面上はスリラーや逃亡劇として楽しめるが、底流には「真実を知ることは救いになるのか」という問いが流れている。
科学が信仰を置き換え、DNAという“神”が人間を選別する――
その不気味な未来像を、監督は現代の映像言語で冷ややかに提示する。
さらに、レオナルド・ディカプリオ演じるボブ(ウィラの育ての父)の存在が、“血ではなく行為で父となる”というもう一つの倫理を示す。
戦いは一度きりでは終わらない。
タイトル “One Battle After Another” が示すように、制度と個人、血と選択、暴力と救済の戦いは、形を変えて繰り返される。
ウィラが最後に発する共通のコールサイン――それは「旧体制の言語」を継承しながら、新しい戦いを始める合図だ。
観るべきは、ガス室や銃撃ではなく、制度に取り込まれる人間のまなざしである。
PTAはそこに、21世紀のホロコースト=“情報と遺伝の時代の粛清”を映し出した。
重厚で、痛ましく、しかしどこか静謐な映画。
観終えたあと、あなたの中にも一つの問いが残るだろう。
――私たちは、どちらの側の扉を開けているのか。
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