「「私」とは何者か」ワン・バトル・アフター・アナザー キレンジャーさんの映画レビュー(感想・評価)
「私」とは何者か
いやぁ、私にはなかなかクセの強い作品でした。…良い意味で。
観た後の感じは、同じくディカプリオ主演の「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」みたいに、後からいろんなシーンを振り返って新たな味が出てくる感じ。
(以下、一部ネタバレを含みますのでご注意下さい)
正直、前半はいろいろ展開する割に、主要キャラクターっぽいのは何人も出てくるから「これは今。何を見ていればいいだろう」という感じだった。
でも、そんな群像劇的な流れが、物語として集約していく後半はかなり楽しめる。
ラストの、道路のアップダウンの視点を使ったカーチェイスなんかは、まさに映画的。
で、全体通して描かれるのは「『私』とは何者か」。
人は、自分というものを、何か有形無形の他者の存在によって成立させていることが多い。
警察の仕事で手柄を上げ、かなりの出世を果たしてもなお、さらなる高み「崇高な地位」を手に入れないと自己実現を実感できないロックジョー。
「レジスタンスの活動」をもってしか、自分のアイデンティティを自覚できず、愛する子供をも置き去りにして、活動を再開するベルフィディア。
本名の他にコードネームや通称をたくさん持ちながら、合言葉を忘れたらどの名前を使ってもまったく自分の立場を証明することができないボブ。
そんなボブの中で大きなアイデンティティであった「ウィラの父親であること」でさえ、実は違うことが明かされ、途端に観客には哀愁をもって彼の姿が映る。
そしてラスト、連れ去られたウィラと、ようやく合流できて親子でお互いの姿を確認しながらも、ウィラは実の父親が他にいたことを知り、銃を向けてボブに「お前は誰だ」と組織の合言葉を求める。
ボブは「もう良いんだ。私だよ、バパだよ。」と声を掛け、抱き合う。
何かに保証なんかされなくたって、
私は今、ここにいる。
いていいんだ。
それが幸せなんだ。
なんて素敵な終わり方でしょう。
でも、ウィラはレジスタンスのリーダーである母のDNAを強く引き継いで、活動にいそしむことになる。
そんな皮肉もまた、ハッピーエンドのスパイスになっていた。
移民を保護してる空手道場のスーパーやり手の先生の存在感も良い味。
事務所に日本語の「スーパーマン」のポスターが貼ってあったのは、スーパーマンも移民の人々がアメリカの地でアイデンティティを手に入れていくっていうメタファだからかな、と思ってみたり。
前述したとおり、思い出すとジワジワといろんな気付きが生まれる、そんなスルメ的な楽しみ方のできる映画でした。
あんまり予備知識なく観るほうが楽しいかも。
(ネタバレ書いといて言うのもナンですが。)
結構音にも配慮された作品なので、映画館で観ることをオススメします。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。