「この映画から何も伝わらない」ワン・バトル・アフター・アナザー 北の足軽さんの映画レビュー(感想・評価)
この映画から何も伝わらない
そもそもこの映画の主題がまったく見えてこない。
アメリカの移民問題や差別思想を風刺して描くことが目的なのか(とはいえ風刺というよりは冷笑に近いが...)、それとも父と娘の絆、あるいはボブとロックジョーそれぞれの「父性」のあり方を描きたかったのか。それともまったく別のテーマを掲げていたのか。あまりにも多くの要素を詰め込みすぎた結果、どこにも焦点が定まらず、何も伝わってこなかった。
主演俳優陣の演技は素晴らしく、キャラクターたちに確かな説得力と現実感を与えていた。
だが、それ以外の脇役には問題がある。左翼の理想像のような男センセイ、現実ではあり得ないほど極端に描かれた極左極右の組織、意味ありげに登場しながら物語にほとんど関与しない教会の尼さんたち。そして、意味不明な行動を繰り返す革命家仲間(特に教会でウィラと一緒に捕まる女革命家は一体何だったの...?)。さらには、ウィラを人身売買組織に売り渡しておきながら助けようとする殺し屋など、脇役たちの行動に現実味がなく、その場を盛り上げるためだけの舞台装置に成り下がっているように感じた。結果として、作品全体の演出軸までもぶれてしまっているように思う。
また、ラストのウィラの行動にも正直納得がいかない。
どこまでも真っ直ぐに娘のことを案じるボブとただ父に安心して泣き縋る娘。血の繋がりを超えた父娘の絆が感じられた前シーンから一転し、疎遠だった母親の手紙を読んだ直後に革命家の系譜を受け継ぐような行動を取る展開は、あまりに唐突だ。そもそも彼女がそこまで活動に熱心であった描写もなく、スターウォーズのレイを思わせるような“都合のいい覚醒”に見えてしまった。
些細な部分だと翻訳にも違和感があった。ロックジョーを「警部」と呼んでいたが、彼は軍人なのでは...?
ただし、最後の砂漠のハイウェイでのシーンだけは圧巻だった。あの映像演出は、まさに映画史に残る名シーンといっていい。正直、あの場面がなければ星1もつけなかっただろう。
評論家や世間の評価は高く、おそらく今年のオスカー最有力なのだろう。
だが、最近の日本での公開作の中でも突出して優れているとは思えない。わかりにくいストーリーでも、『ザザコルダのフェニキア計画』の圧倒的な映像美と構図、奇怪なコメディ演出で父娘の断絶や和解、変化する感情を描いた作品もあるし、出演陣すべての演技が素晴らしく、特にエドハリスの狂気の父親像が印象的だった『愛はステロイド』、移民問題と家族の絆を希望の形で描いた『スーパーマン』など、洋画だけ見ても、より完成度の高い作品はいくらでもある。
このサイトでレビューを書くのは初めてだが、それほどこの作品の高評価には納得できなかった。
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2025.10.09 追記
せっかくの初回レビューなので、誤字脱字の修正に合わせて疑問点を追加してみた。
ラストシーンのロックジョーの殺され方には、大きな違和感が残る。
そもそも極右組織があんなまわりくどい殺害方法をとる必然性がない。現に砂漠のハイウェイでは銃殺を実行しているのだから、殺害方法にこだわりがあるわけではないだろう。しかし、ラストのシーンではわざわざロックジョーに言い分を聞いてやり、最後に部屋を毒ガスで満たしてから焼却している。これはアウシュビッツのホロコーストをイメージしているのは明白だが、他の演出と比べてもあまりに直接的で、むしろチープに感じられた。
ロックジョーが頭部を撃たれながらも生存している場面も、この演出のために無理やり生かされたような印象が残り、彼までもが最後には作品の舞台装置に成り下がってしまったように思う。
また、この作品をスターウォーズのキャラクターで例えたが、物語全体にもスターウォーズ的な構造があるように感じる。特にボブが娘を助けようとしつつ逃亡する姿は、三部作の中盤を彷彿とさせる。
ただし、ここで言いたいのはジョージ•ルーカスの『帝国の逆襲』のような完成度ではなく、ライアン•ジョンソンの『最後のジェダイ』的な意味での中途半端さである。
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