「混沌と熱狂の162分のジェットコースタームービー」ワン・バトル・アフター・アナザー nontaさんの映画レビュー(感想・評価)
混沌と熱狂の162分のジェットコースタームービー
162分、退屈せずに惹きつけられた。シナリオが次から次へと展開するジェットコースタームービーだ。主人公のディカプリオを囲む主要登場人物は皆強烈な個性の持ち主で、現実にここまで強烈な人物いるだろうか?と疑問を持ちたくなるような設定なのだけれど、助演陣の役者たちの名演・怪演が、その疑問を挟む余地を作らせない。
特に、敵役の軍人ショーン・ペンの怪演が際立つ。最初しばらくペンだとはわからなかった。筋トレしたのだろうか、あるいは何らかの特撮なのか? マッチョで年老いた軍人の外見から、体幹がぶれない軍人らしい動作まで、どうやって撮影しただろう。
あともう一人、妻であり母となるテヤナ・テイラー。初めて見た人だ。性的興奮と闘いの高揚感をカクテルして戦う危険な革命の闘士を見事に演じていた。なんか人間として別次元の野生で、本当に近くにいたら怖いような迫力だった。
その中でのディカプリオは革命の闘士であるのだけれど、ただ一人の普通の人に見えてくる。そして、普通の人だから、時に情けなく、時に感情が爆発し、喜怒哀楽に翻弄される。ディカプリオ見ているだけで、画面に惹きつけられてしまうのである。
そうやって楽しく見たのだけれど、その一方で、この話はどこに向かっているのか、何を言いたいのか、どこにカタルシスを得るのかがピンとこなかった。脚本が破綻しているのではと思ってしまい途中引っかかってしまった。
なので的外れになるかもしれないけれど、改めてこの映画を振り返りつつ考察を楽しんでみたいと思う。
まず、この映画の一つの軸は、父娘関係の変遷だ。革命組織に所属し、過激な武力闘争をしていたディカプリオは子供が産まれて父性に目覚める。子育てに夢中になるディカプリオに魅力を感じなくなった野生的な闘士のテイラーは姿を消し、ディカプリオは革命から身を引いて、娘を育てるために16年間を捧げた。
しかし、娘はそんな父の献身的愛情を全く理解せず、父を嫌っている。まず、これだけで多くの父は泣けるのでは。僕に娘はいないけれど、娘を持つ友人たちの話からすると普遍的な父の姿かもしれない。世の娘たちには、この映画を見て、父を理解してあげてほしいくらいである。娘への接し方は間違っているかもしれないし、家で見る父に情けなさを感じるかもしれないけれど、父はあなたのためにあなたの知らないところで闘ってきたのである。
平穏に生きてきた娘は、拉致されて酷い目に遭うことで、守られてきたのだと自覚したのではないだろうか。しかし、たくましい母の遺伝子で娘は自力で勝つのであるが、おろおろと追いかけてきた父に愛情を自覚した。その愛情を父に示すきっかけになるのが、母テイラーからの手紙である。
この手紙に僕は引っかかってしまった。いつテイラーは、こんな手紙を書く人物になったのだろう。どうやってそれを書いて届けたのだろう。組織を裏切るような形で、多くの仲間を死なせた罪への自覚はあんまりなさそうで贖罪はなされていない。自分の中に子供への母性的愛が芽生えなかったから、家族から離れたのではなかったか。いつ、母性や、かつてのパートナーへの愛が生まれたのだろうか。
もしかすると、この母からの愛情を示す手紙は、ディカプリオが娘のために創作したものなのだろうか。それならわかる気がする。でも、それは描かれなかった。
国家が信じられない時代に、意味を持つのは、親子や家族という小さな愛情空間であるという寓意を伝えたいのだろうか。だとすると、その物語も母の手紙がもしかすると虚構かもしれないように、愛情も虚構に頼らざるを得ないということだろうか。
多分、ちゃんと観れていなかったのだと思うけれど、ここは一つの引っ掛かりポイントではあった。
この映画の時代設定は、明確に描かれなかったれど、近未来、あるいは現代の並行世界というSF的設定だと思う。この世界観は現実のアメリカ社会を色濃く反映した架空の設定で、とても面白かった。
ディカプリオを妻が所属するフレンチ75は革命組織だ。かつてのフランス軍の武器の名前であり、またジンとシャンパンで作るカクテルの名前でもあるのだそうだ。彼らの武力闘争は、極左的な革命と人道主義がベースの理念だろうけれど、そうした思想性は感じさせず、知らないもの同士が集まって開く単時間のレイブ・パーティのようでもあった。
アメリカでもかつて都市ゲリラや武装闘争を行う極左集団があったようだから、それらと現実をカクテルして発想したのかもしれない。
そして、その敵側は政府や警察・軍であるはずなのだけれど、この映画では白人至上主義の秘密結社クリスマス・アドベンチャーズへと変わっていく。これはKKKがモデルのようでもあるし、それが白人エリート層の結社として蘇ったら、というような設定ではないだろうか。
ここにパラノイア的に徹底的に働く軍人のショーン・ペンはメンバーとして迎えられる。本人はエリートの仲間入りをした、私の人生は報われたと感無量だが、実際は便利に使われただけだった。現実の組織人として自分にも重なる部分があって泣けた。彼の鍛え上げた肉体とスキルは、結局エリートに便利に使われるためだけで終わってしまった。
この映画の父娘のドラマとともに、こちらも多くの父である組織人にとって、身につまされて共感できる悲哀を見事に描いたとも感じた。
あとアクション映画としても見どころは多い。特に最後の娘と白人至上主義組織の放った刺客のカーチェイスのアイデアはすごいと思った。革命の闘士の遺伝子が娘に受け継がれていることを表現しているし、アップダウンの多い砂漠のような大地という舞台を見事に活かし切っていて、スカッとした。
観終わった後は、これはなんだったんだろうと不可解だったけれど、こうして振り返ってみると、見どころいっぱいのドラマである。3時間近くの上映でも全く飽きずに観られるし、ディカプリオはじめとするスターたちの素晴らしい演技を堪能できる快作だった。
混沌と熱狂の162分をどう読むかは、観客それぞれに余白として委ねられた豊かな映画だと思う。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。