「孤独な60歳が見つけた“味わう生き方”」マルティネス ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)
孤独な60歳が見つけた“味わう生き方”
60歳、独身男子、会社では定年間際、ベテランなのに鷹揚なところがなく真面目すぎて面白みがない、健康だけには気を使っていて毎日同じ健康習慣を守っている。親しい友達がいない……。
設定上、自分と重なるところがあまりにも多い主人公。共感しつつ、自分のダメさを突きつけられるようなアンビバレントな鑑賞体験となった。
ただ、この主人公の生真面目さや孤立した生活は、個人の性格特性であるとともに、状況によって作られた面も多そうだ。
おそらく80〜90年代に不安定なチリからメキシコに単身働きにきてそのまま居着いたこと。だから地域社会や血縁などのネットワークがなく、また1人で食べていくだけで精一杯だったかもしれないこと。会社でも首にならないようにきちんと仕事をこなす真面目さが必要だったこと。これらが設定から推察された。
そして下の階に住む見知らぬ女性。会ったこともないが、彼女の死後、半年近く、テレビを見ながら死んだ彼女のうるさいテレビの音に包まれて暮らしてきた。
ずっとすごくイライラさせられたが、その音が止んでしまうと眠れない。つまり、マルティネスは彼女の存在を感じ、また彼女も上の階の彼の存在を感じていたことが示される。
この辺りも内向的な独身者のリアリティとしてわかる気がする。実際の付き合いは苦手だから、リアルな交流は少ないのだけれど、だからと言って人に興味がないわけではなく、かつてのあるいは現在の知り合いや、あるいは本や映画の作り手や登場人物と内的に交流し、それなりの関係性を持っているものだと思う。
マルティネスの場合は、融通の効かない仕事人間で、多分ちゃんと働くだけで精一杯だったんだと思う。
しかし、定年という職業人としての死、そしてテレビの音を通して内心身近な存在であった階下の住人の死、
この二つの死によって、彼の新しい生き方、不器用だけれど人と関わり、また新たな喜びに開放的になって試してみるというような形に彼は導かれたのだと思った。
階下の見知らぬ死んでしまった女性は、日記や写真を通じてマルティネスのメンターのようになって、彼を新しい生き方に導く。
大したことではない。プラネタリウムに行ったり,彼女の料理本をみて、新しいレシピに挑戦したり、そのほか彼女が「やりたいことリスト」として手帳に残したことを、なぞるようにしてやり始める。
これまではルーティンの水泳の時にしか感じられなかった「満たされた孤独な時間」がもっとさまざまな場面で現れて、日常が「満たされた孤独」の時間に変わっていく。
この映画では明確に描かれないが、もう人生長くない、いつ死ぬかわからない、そんな有限性を感じることで、それまでの「生き延びる生き方」から「味わう生き方」に変わる1人のシニア男性の物語だ。
同世代で内心モデルにしてる憧れの存在のデンゼル・ワシントンやブラット・ピットのようなカッコよさはない。それだけにこれならできると思える人生モデルとしてこの映画を受け止めた。
忘れられない一作になりそうである。