マルティネスのレビュー・感想・評価
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ハッと心掴まれる趣向や語り口がやさしくて心地よい
老いや孤独というテーマを、一握の切実さと可笑しみをまぶしながら描く。そういった意味では、どこの国でも作られる普遍的な万国共通のストーリーとも言えるのだが、しかし本作には決してそれだけでないハッと心を掴まれる趣向や語り口がある。ひとつにはマルティネスという口数少なく、常に険しい表情を絶やさない主人公がなかなか魅力的なのだ。彼のキャラクターや生活のリズムが確立されているからこそ、本作はミニマルな構造にふと別の風が吹き込んでくる時の新鮮さを味わえる。また、下階の部屋で孤独死した女性の遺品を紐解くうちに、だんだん心の内側に別の色合いが芽生え、これまで感じたことのない他者への慕情が溢れてくる展開もユニークで愛らしい。結局のところ、主人公の60歳という年齢はひとつの間口に過ぎず、この映画は年齢や性別に関係なく、すべての観客の心を包み込む。いついかなる時でも、人は変われる。その気づきが優しくて心地よい。
メヒコな『ラブレター』?
頑固で堅物で偏屈な定年間際のオッサンが恋をしたのは、
半年前に死んでいた人でした。
台湾🇹🇼にも冥婚ってホラーチックな風習と云うか都市伝説がありましたっけ?
本作の主人公マルティネスは、未婚の60歳。
とっくの昔に結婚は勿論、恋愛も諦めてる。
容姿はいたってダンディなイケオジだから素敵な笑顔で黙っていればモテるでしょうに。
いつも顰めっ面して無愛想この上ない、オマケに口を開けば、目に付いた他人の粗指摘🫵
要は中身ブスってヤツで、本人もそれは自覚済みで、今更変われるわけないと諦めきってる。
そんな折、アパートの自室の真下の部屋の住人が孤独死していた事が判明して、しかも半年間…誰からも気付かれなかった。
少しだけ…明日は我が身かもとモヤっていたところ、住人の遺品を捨てていた大家からマルティネスに、遺品の中にあんた宛のプレゼント🎁が有ったと渡される。
え?…なぜ?、、そりゃぁ一度か二度は見掛けた事はある。でも、軽く挨拶しただけで、プレゼント🎁を貰う謂れは無いのに…。
ふと窓から外を見ると、乱雑に捨てられている故人の遺品たち。
居ても立ってもいられず、気づけば全部拾ってきてしまった😱
失礼は百も承知と、故人の遺品を調べていく内に、故人…否、彼女の為人(ひととなり)が見えてくる。
彼女の名前はアメリア。
明朗快活で頑張り屋で料理と旅行が好き。
生前碌に話した事などなかった彼女を、、アメリアを亡くなってから好きになるマルティネス。
アメリアが遺していたメモにあった«やりたいことリスト»
一つずつ簡単なモノからやっていく内に、受動的で引きこもりがちだったマルティネスの生活が、少しずつだが確実に煌めいていく。
人生って、遣る瀬無くて殆ど凄く哀しいけど、だからこそ、楽しくて尊い…そう思える。
まぁ、ともすれば、アラ還オヤジが何キモいことやってんだ!何勝手に他人様の日記読んでんだ!デリカシー0か!って云いたくなるかもだけど、、
あながち、草葉の陰でアメリアも嫌な顔はしてないかもって、なんだか思えてくる。
古畑任三郎の3rdSeasonにある[古い友人]ってタイトルだったかなぁ?
殺人事件は起きないんだけど、犯人?が自ら命を絶とうとしている事に気付いた古畑警部が、津川雅彦さん扮する落ち目な作家に、
「いいですか!いいですか…たとえ明日世界が終わるとしても、今日始めちゃいけないって誰が決めたんですか?…誰が、決めたんですか?」
って云う熱いシーンが有るんだけどさ、、
そう云う味を感じた😆
ラテン気質のペーソスと温かい笑いにいくども胸を突かれました。これ、いい。とってもいい映画です。
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独りぼっちの僕。
来月で定年。嘱託での再雇用です。再雇用の申請がやっと叶いました。
本作、
「孤独『死』」と、「孤独の『生』」のお話。独りで死んだ年寄りと、独りで生きている年寄りが、アパートの下の階と上の階で暮らしていた設定。
この映画「マルティネス」には
僕の境遇との近似性と、
先日おなじような体験もしたばかりでしたので、それもあってか僕は終始胸が締め付けられてしまいました 。
【終活】と、【孤独死すれば特殊清掃が必要となる世代のストーリー】
うちの両親。サポート付き高齢者住宅(サ高住)に移ってもう1年半です。
「それまで彼らが長く住んだアパートをどのように片付け、最終的に引き払うのか」・・、これが三人の息子と両親の課題でした。本心に反する無理はさせたくなくて本人たちの気持ちを最優先にしました。老人の気持ちは毎日毎日180°揺れました。だから1年半、息子たちが家賃を払いました。
ひと月ごとに息子たちは 主(あるじのいなくなったあのアパートを訪ね、より 差し障りのない分別ゴミから仕分けをして処分していき、電気器具も調理道具も市の回収日に搬出。
そのたびにアパートの階段の下のゴミ出し場にはマルティネスと同じ「大きな粗大ゴミとポリ袋の山」が出来ました。
階下のアマリアと同じです。
それは小さな置き物だったり、ささやかな写真やカードだったり、お土産の人形だったり。そしてクリスマスのオーナメントや、タペストリーや、エプロン。アイロン台も調味料も料理の本もあります。録音テープも、ネックレスも、指輪も見つけました。
そして僕らも幼い日から使っていた見覚えのある食器の数々。衣類と膨大な書籍・・
山のような《捨ててはならない思い出たち》が黒いゴミ袋に入れられてゴミトラックに回収されて行きます。
「○○へ」と父の字で書かれた僕のための写真やメモの封筒が、弟から「こんなの出てきたからレターパックで送ります」と郵送されて来ました。一昨日の事です。
「形見分けのようで辛い」と弟にはショートメールを送りました。
堅物のマルティネスは、捨てたゴミを全て残らず、夜に、もう一度自分の部屋に回収したのでした。鍵だらけだったマルティネスのドアは、その晩は開けっ放しになりました。
・・・・・・・・・・・・・
アマリアが何ゆえか自分の事を思っていてくれたのだと、マルティネスは「死者からの小箱」を受け取るわけで、
それは愛と希望だけが ほろほろとこぼれ出す「年寄りのパンドラの箱」になったようです。
マルティネスは倒錯? いいえ。たとえ倒錯と呼ばれてもよいから、「年寄りの愛はこんなにもいじらしくて美しいのだ」と僕は彼を認めて褒めてあげたいです。
絶品の共演者=パブロやコンチータならずとも、そこにこそ涙がにじむのです。
映画館の帰り道は、両親の事もあって、寂しさと温かい思いがないまぜになって、込み上げてきて
頬が濡れました。
・・
東座の館主 合木こずえさん、
白黒の素敵な柄のワンピースに夜会巻。今夜はメキシコの美女になりきりでしたね 💕
「こんなにいい映画をプレゼントしてくれてありがとう。あなたは僕の大切な友だちです」と、
なんと!僕は大きな声で、映画館の出口で振り返って言ってしまいました!(笑)
これ、マルティネスのお陰だなぁ。
(元特別養護老人ホーム職員)
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パブロは本当にイイ奴だった
60歳を迎えたチリ人のマルティネス。
キレイ好きで、几帳面、堅物で極端に人付き合いも悪く、お礼も満足に言えない人間嫌い。
アパートは夜になっても一晩中デカい音が鳴りっぱなし。耳栓して寝るのに慣れてしまって、音がしなくなってからは自分のテレビをつけっぱなしにして耳栓して寝る。
本当は寂しがり屋。
アパートの大家さんから、階下の女性からのプレゼントだと渡された木製の小鳥の置物。
孤独死した階下の女性の名前はアメリア。
窓下の廃棄処分された彼女の遺品を自分の部屋に大量に運び込むマルティネス。
かなり変態。
解雇が言い渡され、後釜のパブロがやってくる。パブロは一回り年下のメキシコ人で、あかるく、おせっかいな性格。
男2人でランジェリーショップに行って、アメリアへのプレゼントにピンクのキャミソールを買う。
そのあとのマルティネスの行動は恥ずかしくて観てらんなかった😎
コンチタちゃんの誕プレ買ってあげたい
孤独な60歳が見つけた“味わう生き方”
60歳、独身男子、会社では定年間際、ベテランなのに鷹揚なところがなく真面目すぎて面白みがない、健康だけには気を使っていて毎日同じ健康習慣を守っている。親しい友達がいない……。
設定上、自分と重なるところがあまりにも多い主人公。共感しつつ、自分のダメさを突きつけられるようなアンビバレントな鑑賞体験となった。
ただ、この主人公の生真面目さや孤立した生活は、個人の性格特性であるとともに、状況によって作られた面も多そうだ。
おそらく80〜90年代に不安定なチリからメキシコに単身働きにきてそのまま居着いたこと。だから地域社会や血縁などのネットワークがなく、また1人で食べていくだけで精一杯だったかもしれないこと。会社でも首にならないようにきちんと仕事をこなす真面目さが必要だったこと。何より、会社の規範、職業倫理だけが彼を支えたのかもしれないこと。これらが設定から推察されたし、僕の共感した点でもあった。
そして下の階に住む見知らぬ女性。会ったこともないが、彼女の死後、半年近く、テレビを見ながら死んだ彼女のうるさいテレビの音に包まれて暮らしてきた。
ずっとすごくイライラさせられたが、その音が止んでしまうと眠れない。つまり、マルティネスは彼女の存在を感じ、また彼女も上の階の彼の存在を感じていたことが示される。
この辺りも内向的な独身者のリアリティとしてわかる気がする。実際の付き合いは苦手だから、リアルな交流は少ないのだけれど、だからと言って人に興味がないわけではなく、かつてのあるいは現在の知り合いや、あるいは本や映画の作り手や登場人物と内的に交流し、それなりの関係性を持っているものだと思う。
マルティネスの場合は、融通の効かない仕事人間で、多分ちゃんと働くだけで精一杯だったんだと思う。というか僕も心当たりがあるけれど、職場の規律に従ってちゃんと働いているということが彼の規範であり、拠り所だったのだ。
しかし、定年という職業人としての死、そしてテレビの音を通して内心身近な存在であった階下の住人の死、
この二つの死によって、彼の新しい生き方、不器用だけれど人と関わり、また新たな喜びに開放的になって試してみるというような形に彼は導かれたのだと思った。
階下の見知らぬ死んでしまった女性は、日記や写真を通じてマルティネスのメンターのようになって、彼を新しい生き方に導く。
大したことではない。プラネタリウムに行ったり,彼女の料理本をみて、新しいレシピに挑戦したり、そのほか彼女が「やりたいことリスト」として手帳に残したことを、なぞるようにしてやり始める。
これまではルーティンの水泳の時にしか感じられなかった「満たされた孤独な時間」がもっとさまざまな場面で現れて、日常が「満たされた孤独」の時間に変わっていく。
この映画では明確に描かれないが、もう人生長くない、いつ死ぬかわからない、そんな有限性を感じることで、それまでの「生き延びる生き方」から「味わう生き方」に変わる1人のシニア男性の物語だ。
同世代で内心モデルにしてる憧れの存在のデンゼル・ワシントンやブラット・ピットのようなカッコよさはない。それだけにこれならできると思える人生モデルとしてこの映画を受け止めた。
忘れられない一作になりそうである。
本当に得たものは
定年間近の孤独で偏屈な男の隣人が孤独死。しかしその遺品に触れていくうちにいつしか恋心のようなものが芽生え、自身も変わっていき…と言った物語。
初っ端からマルティネスの透かし芸がお見事。これだけ絶妙だと、何テイクもしたんだろうな…と本筋じゃない所に感心。
さておき、偏屈なマルティネス…とのことだが、コンチタ・パブロもタイプは違えど充分に変わり者だろ(笑)そんなこんなありながら、3人を中心とした人間ドラマが展開されていく。
序盤は結構退屈かな~なんて思っていたが、彼が人間味を増していくにつれ中々にのめり込ませられる。空想上の恋人…他の人がやっていたら正気を保て‼…なんて言ってしまいそうだが、彼に限ってはなんだか応援したくなるから不思議ですね。しかも、それを機に同僚達との関係も…。
マルティネスのみならず、コンチタとパブロの物語も良い味出。そうそう、人は皆どこか孤独を抱えているものですよね。少ないけど、星飛雄馬になる前に2人が来てくれたシーンはなんだかとってもホッコリしましたよね。まぁこっちは誕生パーティーだけど。
存在はしなくとも、その恋人が人生を好転させてくれた…なのか、或いは存在しない恋人よりも今いる友を…ということでしょうか。彼の所を訪れるラストにもグッときた。これからの3人に幸あれッ‼
静かな展開ながらも、確かに心にガツンと響くメッセージを持った良作だった。
「人」という字は
時には誰かにもたれかかってもイイじゃないか。それが知っている人でも知らない人でも、イヤ、なんならこの世を去っていたって。
若かりし頃の栄誉なのであろう水泳の色褪せたトロフィーくらいしか無い単色のマルティネスの部屋、それがいろどりを増し始め、隣人(故人)の【やりたいことリスト】をなぞりながら経験を重ねることで、波の無かった感情が脈打ち始める。
しかし長年培った、凝り固まった己の自我を変えることはたやすいことではない。変わりたいのに変われない、そんな葛藤を無口な彼の言葉に代わり、表情が物語っていた。
そして、オールバックの髪型を変え、退職してからの表情は一層穏やかになっていた。
メキシコの街並み、ラテンアメリカの陽気でユルい感じ、他人への距離感、言語、全てが穏やかで心に染み入った。
ただ一つ気になったのは、書庫に迷い込んだ鳥は無事に脱出できたのだろうか?で、あのシーンの心情も推し量れなかった。
静かなカタルシス
これは拾いものだった。
主人公マルティネスは、初老のチリ出身の移民男性、メキシコの古都グアダラハラの役所で働いていて、定年退職を控えていた。内面的で、極めて狷介だが、本当に最初からそうだったかどうか、少なくとも20年前は、かなり魅力的な男性だったのではと思う。大柄で美丈夫、服装もしっかり、何より、部屋がきれいに片付いている。
おそらく老獪になったのは、仕事の影響もあるのでは。役所の書類の系統的な整理と言う、誰にもできないことをしたようだ。同僚と付き合いもせず、毎日、家と職場の往復のみ。休日は、プールで水泳をするくらいか。誰一人、信頼し、心を許せる人はいない。
そんな彼だったが、アパートの階下の夫人アマリアが亡くなったことをきっかけに、変わって行く。いわばアマリアは仮想の恋人。彼女が遺したスケジュール帳を見ては、彼女が行きたかった場所を訪ねてみる。鼻歌を歌ったりするようになった彼を見て、驚いたのは彼の同僚のパブロと、秘書役のコンチタ。マルティネスに恋人ができたのではないかと思う。彼らも、本当は孤独な魂を抱えているのだが、表面上は外向的に見える。マルティネスは、かつて付き合いのあったらしいコンチタの誕生パーティに出かけて、カラオケでカミロ・セストを熱唱したりする。私は黒澤明の「生きる」に出てきた定年間際の市役所の課長を思い出していた。マルティネスが、アマリアをきっかけに、同僚との交流を通じて、改めて気づく「生きる悦び」。
頂点は、アマリアと二人だけの食事会。めかしこんで、テーブルをセットし、赤ワインが用意される。アキ・カウリスマキを思い出すが、北欧フィンランドより、ずっと美味しそうだった。
そんな彼だけど、やはり決断の時は来る。パブロは彼の後任だったから。それが、とても心配だった。でもマルティネスらしい生き方を見つける。どうやら、彼のモデルは、ロレーナ・パディージャ監督のお父さんだったみたい。
舞台を回してゆくのは、やはり音楽。これもアキ・カウリスマキと同じ。スペインの往年のアイドル、カミロ・セストのラテン・バラードもよかったけれど、私には、太陽が沈んでゆく時、一瞬輝いて見えるような、ストラヴィンスキーの「火の鳥」の終曲が、一番良かった!
孤独を抱えている、現在と将来の高齢者の方に、ぜひ!
前半よりも後半で伏線回収
前半は2025年1月公開の日本映画敵のメキシコ版みたいなストーリーかなと思ったが、堅物のマルティネスがある出来事に遭遇しこれを境に人生の好奇心を示す。後半は色々考えさせられた作品。ただ、作品内容を見ると好みは分かれそう。
隣人の思いやり
マルティネスの生真面目さが毎日の暮らしにあらわれていて、結構なイケオジなのに(若い頃はハンサムだったらしい)今まであまり人生を楽しまずにストイックに生きて来たのは何故なんだろう。
隣人のアマリアの遺品の数々が、どれも年齢を重ねてもかわいらしい女性だったのだと想像できる。家庭でずっと「待つ身」だったから手芸とか料理を楽しんでいたのかな。
職場で隣人になる後任のパブロも最初はうっとおしくて、こんな人と同じ職場だと最悪やぁと思わせるけど、結局「いい奴やん」となる。
職場で同期の女性コンチタも「仕事しろよ!」と最初は観ていて目障りだけど、結局「寂しさを抱えた優しい人」にかわっていく。
人生楽しまなきゃなぁ。
最早変態化w
メキシコで会社勤めをする60歳の堅物チリ人の変化の話。
ある日突然後任のパブロを紹介されて、契約終了が告げられると共に、孤独死したアパートの階下のアマリアからの贈り物が届けられてというストーリー。
日本人からしたらマジメなのは良いけれど、この国ではどうもマジメに仕事をするだけの人はダメみたいですね…なんて状況だけど、確かに効率悪いし融通きかないし愛想悪いしともみえて、老害まっしぐら?
そんなマルティネスがパブロのおかげかアマリアのおかげか?ある意味ぶっ壊れ、余白を楽しむ様になるは機転が利くし軽口も言える様になるは…。
あまり大きな波はないし、意外性もなかったけれど、良い年したおっさんが、人間ぽくなっていく感じはちょとコミカルだった。
孤独死こわい。
どう見ても変態なのだが、そう見えない理由が至る所に隠されていた
2025.8.27 字幕 アップリンク京都
2023年のメキシコ映画(96分、G)
顔見知り程度の孤独死した隣人からプレゼントを贈られた初老の男を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はロレーナ・パディーシャ
物語の舞台は、メキシコのとある町(ロケ地はグアダラハラ)
公認会計士として長年勤めてきたマルティネス(フランシスコ・レジェス)は、ルーティンな毎日を過ごし、家と職場を往復する毎日を送っていた
そのルートから逸れるときは水泳に行くか、公演の池を散歩する程度で、それ以上の行動を起こしてはいなかった
彼の住むアパートでは1階下の2Bの部屋から大音量のテレビの音が日夜鳴り響いていて、マルティネスは耳栓をせずにはいられなかった
本人に直接話しかけても無視される日々が続き、大家のベルタ(マリア・ルイーサ・モラレス)もほとほと困り果てていた
ある日のこと、60歳になったマルティネスに転機が訪れる
それは、定年退職を控え、後任の会計士パブロ(ウンベルト・ブスト)が西部支店から赴任してきたことだった
人事から何も聞かされていないマルティネスは、それを確かめてからでないと引き継ぎはできないという
だが、週明けに人事部のサンチェス(Martha Reyes Arias)から正式に聞かされ、渋々と業務を引き継ぐことになったのである
物語は、退職によって人生が揺らぎ始めたマルティネスの元に、さらに不可思議な出来事が舞い込んでくる様子が描かれていく
それは、大音量の主アマリア(メリー・マンソ)は半年前に自宅内で亡くなっていて、それが孤独死だったというものだった
さらに、顔見知り程度の関係だったのに、彼女からマルティネス宛の贈り物が残されていた
その箱にはインテリアで使うような置物がいくつか入っていて、マルティネスはどう扱って良いのか悩んでいた
大家は次の住人のためにアマリアの荷物を外に出していたが、何を思ったのか、マルティネスはそれらを自分の部屋に引き入れてしまうのである
物語は、まさかの遺品漁りからの故人の人生を準えていくという変態的な側面があり、なぜかそこまで変態行為に見えない不思議さがあった
それはマルティネスが妄想と現実をギリギリのラインで切り分けているからであり、それを象徴するのが、ランジェリーと添い寝をするシーンなのだと思う
そのシーンでは、初めはランジェリーに覆い被さる(正常位)のような体勢から、思い立ったように添い寝へと転換していた
マルティネスの中にある一線というのは、妄想を現実と結びつけてしまう即物的な行為であり、それ以外の行為は絶妙に「妄想世界でのデート」のように描かれていた
それゆえに気持ち悪さというものが際立たなかったのだが、そんな中でも「超現実に陥らせる罠がある」というのは憎い演出だと思う
アマリアはある男(Marco Aurelio Hernandez)の愛人だったという告白があって、それを知ったことによって、マルティネスはこれまでにない衝動に揺さぶられてしまう
愛人だと思われる男のところに突撃して、いきなり殴って去ったり、パブロの評価を人事に話す際にも誇張して悪い部分だけを伝えてしまう
我ここにあらず状態のまま他人に影響を与える行為を続けていて、ふと我に返った時には引き返せないところまで進んでしまう
思えば、マルティネスは自分の人生をコントロールしているようでできておらず、かなり周囲の影響を受けて路線変更をしてしまう男だった
それは、騒音が消えた後に自分で騒音を作り出したりという行為に見られ、一つの贈り物が人生を根底から覆す方向に向かわせていく下地となっていた
他人を最も嫌う男が、他人から影響を受けまくっているということ自体が人生の恥部のように感じていて、それが彼の孤独を生み出していたのだろう
理想の自分を求めた根源には、影響されやすい人柄というものがあって、その部分は最後まで変われない部分だったのかもしれません
いずれにせよ、一つのプレゼントがきっかけとなっているのだが、なぜアマリアはマルティネスにプレゼントを残したのかは不思議だった
それは劇中では描かれないのだが、マルティネスが同じことをしていることで、その理由というものが見えてくる
マルティネスは旅立つ前に同僚のコンチタ(マルタ・クラウディア・モレノ)に贈り物をするのだが、これは自分を忘れないでという意味なのだと思う
そして、贈り物をできなかったパブロに対しては、実際に彼の元を訪れて、思い出を作ろうとしていた
他人から影響を与えられる男は、他人に影響を与える人物になったことで、良くも悪くも人生の生き直しをしていく
それが正しいのかはわからないけれど、彼なりに導いた人生の結論だと考えるのならば、それを尊重してあげたいな、と感じた
実体は偏執的ストーカーの狂気。
独特のテンポ、
なんでこんなストーリーが思いつくんだろう? (いい意味で、です) ...
なんでこんなストーリーが思いつくんだろう?
(いい意味で、です)
ここまで変われるなら、
今までの人生で変わるきっかけもあっただろうとも思うけど、
やっぱり相手は死人で何も反応を返さないからこそ、
素直になれたんでしょうね
ラストもいい感じでした
残りの人生もぜひ充実させて欲しいです
全27件中、1~20件目を表示
















