終点のあの子のレビュー・感想・評価
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ホームの先に、広がる海
まず、タイトルが絶品。小田急線に乗り始めたころ、「片瀬江ノ島行き」というアナウンスが耳に飛び込んできて衝撃を受けた。その後も、ホームで電光掲示板の文字を見るたびに、この電車に乗ったらその先は海なんだ、と目が離せなくなった記憶がある。日常を捨ててあの電車に飛び乗れるか、もし乗ったら、そこにはどんな海があるのか…と、想像がとめどなく広がっていった。
映画鑑賞前に原作を読了。喜代子と朱里という一見両極端な二人が物語の軸ではあるが、連作集である原作では、スクールカーストの頂点に立つ恭子や目立たない奈津子たちが人知れず抱える孤独や揺れ、そして思いがけない関わりから生まれる相互作用も大切な要素となっている。そういったサイドを削ぎ落とすならば、もう少し短い尺で、このままならば、彼女たちの物語もにじませてほしかった気がする。「ミーツ•ザ•ワールド」で光った南琴奈の出番が少なく、迷いのない強気な女王様のように見えてしまい、残念な気がした。ただ、再会シーンでの彼女の涙はとても印象的で、最高の幕切れだった。
また、ラストも、自分の抱いていた物語とは対照的だった。皆で動きを揃え、相手を見定め対になって踊るバロックダンスを取り入れた以上、映画としては収まりよいのかもしれない。けれども私は、二人にはどこまでも別々の海を眺め、砂浜を歩いていってほしかった。とはいえ、紆余曲折の10代を生々しく切り取った物語ゆえに、観る人•読む人それぞれ、違った映り方をするのかもしれない。これもまた、別の視点から語られた物語として、新鮮ではあった。
そもそも朱里は、あの海を本当に見たのだろうか? 思い返すほどに、想像は尽きない。
原作のイメージと少しずつずれたキャスティングが惜しい
柚木麻子の「終点のあの子」、映画化を知ってから去年読み、結構好きな小説だった。そんなわけで比較的記憶に残っているが、本編を鑑賞しながら、主要人物のキャスティングが原作のイメージとちょっとずつずれている気がして、そのわずかな違和感が残り続けた。よくまとまった実写化だけに、惜しい、もったいないと思う。
単行本の第1話「フォーゲットミー、ノットブルー」の視点人物である希代子は、人目を引く美少女ではない。黙っていたら周囲に埋もれてしまうような、クラスでも地味目の生徒たちと一緒にいるのが自然な女子でないと。その点で當真あみは希代子役として微妙。去年のドラマ「ちはやふる-めぐり-」での天真爛漫(少し屈託もあるが)で頑張り屋なキャラクターはよく合っていた。
朱里は著名写真家の娘で帰国子女、アーティストの卵のような強い個性とカリスマ性を感じさせる人物なのだが、中島セナにはちょっと荷が重かったか。孤高の感じを出す演出側の狙いがあったかもしれないが、表情が乏しいというか、仏頂面に見えてしまう場面が多いのもマイナスだった。
クラスの女王的存在・恭子役に、南琴奈のルックスはかなり合っている。ただ、昨年の「ミーツ・ザ・ワールド」やドラマ「僕達はまだその星の校則を知らない」で表現力豊かな演技を披露していただけに、恭子の繊細さに欠けたキャラクター造形がやはりもったいない。多分原因は脚本と演出だろう。南琴奈が朱里役でもよかった気がする。中島セナには申し訳ないが、南琴奈なら“あの子”を説得力十分に体現できたのではと思う。
他のクラスメイトを演じた、台詞がわずかか皆無の若手たちにも、目をひく女優が何人かいた。彼女らもきっとこの先すぐに映画やドラマでよく見かけることになるだろう。
希代子の行動が奇妙
女子高校の入学式の日、中等部から進学した希代子と奈津子は、登校途中に青い服を着た見知らぬ少女から声をかけられた。その子は同じ高校に入学してきた同級生の朱里で、海外暮らしが長く、父親は有名カメラマンとのこと。大人びた朱里は、学校では浮いた存在だったが、希代子はそんな自由奔放な彼女にひかれていった。徐々に朱里と希代子は一緒に行動するようになったが、ある日希代子は朱里の日記帳を見つけてしまった。その中にはクラスメイトの悪口が・・・さてどうなる、という話。
當真あみが出るというので鑑賞した。
確かに魅力的な役では有ったが、朱里の家に行き日記を盗み読みしたくらいならまだしも、持ち帰りそして学校に持って行って見つかるところに置く、とはどういう神経なんだ?
その後の行動も不可解。クラスの裁判がどうなったのか気になるも、すっ飛ばして3年後?
朱里とダンスして・・・え?そんなラスト?
さっぱり理解できなかった。
希代子役の當真あみ、恭子の南琴奈を観れたのは良かったが、ストーリーは意味不明。
そんな感想でした。
永遠なる一瞬の青い春
あの永遠に感じられた時間を思い起こすと、それはほんの一瞬の出来事だったのだと分かる。分かるとそれがヤケに切なく愛おしいものにも思えてくる。青春の苦さとはそんなものだろう。二部構成になったこの作品の2/3にあたる前半は、高一の春から秋のほんの半年の出来事である。一生背負っていくと言ってもいい心のわだかまり、残酷なシーソーゲームに与する事になる半年の物語。誰もが登場するどれかの人に自分を重ねて見進めるだろうけど、苦々しい逆転劇を喰らい、そんなつもりではないと取り繕ったりしているのではないだろうか。既視感のあるシーンのようで我々の足元をあれよと掬ってしまうのは、演出の力だ。女子高生達のキャスティングも絶妙な味を出している。主人公の希代子は冴えなくはないが、帰国子女の朱里の天真爛漫さを前にすると確かに見劣りする。憧れも抱くが朱里さえいなければと思ってしまいそうな心の揺れを繊細に演じている。
朱里は、親ガチャと境遇の優越感をひけらかして見せるが、最後に意外と矮小な内面を吐露する事になる。そこに至るまでの予想のつかない振る舞いをvividに演じていく。同様に他の2人の女生徒も実に繊細なアンサンブルを醸している。見事だ。カメラアングルはありきたりに見えて、それが教室で誰かを眺めるいつもの角度と言うのを表現していて、そんなショットに出会うと胸がキュンとする。そんなささやかな狙いに舌を巻いた。
後半の1/3は、ちょっと予想がつかなかった。残酷だったあの半年の後に引きずるのは、こんなふうにちょっと見っともない様な、その後の人生のほうがいいのかも知れない。丁寧な創作に拍手を送りたい。
とてもよかった。
青春の勝者と敗者を描いた良作
簡単に言うと女子高の人間関係を描いたドラマなんだけど、あまりないタイプのサイコサスペンスみがあり、おもしろい。
男社会より女社会のほうがドロドロしてるのは、子どもの頃から母親の職場が女性しかいないことでわかってた。
呉服屋の跡取りとして何不自由なく、育ったキヨコ。中高一貫の女子校に高校から入ってきた美大志望のアカリ。
アカリが得意の漫画で似顔絵を描く。漫☆画太郎先生みたいな画風で不穏でしかない。これがきっかけで分断を生む。ですよね、と思った。
ボクはどちらかと言うとアカリ側の人間だった。今は自己分析できてると思ってるけど、若い時は友だちにいきなり冷たい態度をとられたこともあった。アカリのようにマイペースで友だちを巻き込んでいたんだろう。友だちにとっては迷惑なヤツだったんだろう。
マリー・アントワネットのエピソードもおもしろい。何不自由なく育ったいいところの子が集まる私立の女子高で、贅沢を極めてフランス革命でギロチンおくりにされた女王をコンセプトにする出し物なんて、醜悪でしかない。
アカリ側に立つと「出る杭は打たれる」のか「憎まれっ子世にはばかる」なのか、どちらに着地するかというストーリーラインの方が観たかったが、ヒロインの當間あみさんのことを物語にそってしっかりブサイクに撮り、狂気まで描いた姿勢に感嘆した。
ラスト近くで母親がキヨコに話してる内容がトンチンカンでおもしろかった。もちろん、わざとだと思うが、あれではキヨコは理解できないだろう。
たとえシリアスなドラマでも観たいシーンが予想通り展開されると楽しくなって笑ってしまう。だが、会場の真剣な雰囲気になるべく静かに観ないとと我慢していた。後半、明らかにおじさんが嗚咽していて、その時は少し醒めたが、今思えば娘さんが同じような経験をされたのかもしれない。
「歩んできた人生と再会する」
たぶん鑑賞する人間の学生時代が影響しそうですが、学級カーストの下層...
長い、もっと短く出来たらよかった
冒頭からテンポ遅いなと思いながら観劇
そろそろ1時間経ったか?と思ったら、まだ30分程度しか経過していない
女子高の中で揺れ動く感情を見せたいからだろうけど、これはなんのカットなのか?何を意味してるのか?と疑問に湧くシーンも多く、時間の体感速度を更に遅くさせる
主人公の2人はとてもいいけど、女子高生らしく考える内容すべてが軽い
取り巻くAクラスの女子が、呼び方をたちばなさん、きよこちゃん、キョン、キョン様と親しみを加えていった後にトラブルでたちばなさんと戻すところはリアルだったが、この一連の流れでも、こんなのいる?というシーンが多い
あと、写真家の親父はなんなんだ?若い恋人が居るのはいいのだが、物語に何も深みを与えていない
単に綺麗な、もしくは可愛い女の子を見るだけの映画になっているのが残念
120分だけど90分にしてくれれば、良かったかもしれない
箱庭と冷笑
途中までは良かった。雰囲気も展開も。結局最後のシーンだけなのかな、気になるのは。もう少しアイテム(絵具やカラー)を活用できると良かったのかなとも思う。
とはいえ、導入は良かったし、感情のすれ違いのニュアンスも良かった。雰囲気は「blue」を連想したり、少し「海がきこえる」が頭をよぎったり。テーマとしては王道だったと思う。
子をもつ親目線だと、もはや「みんな仲良くやりなよ」と思ってしまうが、当事者はそれどころではないのだろうし、自分もそうだったのだろう。
どうしても、クラスの一定数は冷笑する側にポジションをとってしまう。箱庭で子どもは子どもらしく振る舞う方が、自覚しながらも楽だったり、実際楽しかったりするのに。
映画もドラマもCMもひっぱりだこの當真あみは文句なしだが、一番目をひいたのは南琴奈だった。ミーツ・ザ・ワールドの彼女とはまったく違うキャラクターで、演技というより、まとう雰囲気の違いに驚いた。今後の活躍が楽しみだ。
奥田瑛二は知ってるけどオクサワエイジは知らない
小田急線のホームから学校とは反対方向の片瀬江ノ島行きの下り電車に飛び乗ってしまう女子高生。
だけれども、その学校は小田急線ではなくて、六義園の隣にある女子高だった。文京女子。レンガ塀でわかってしまった!気になって仕方なかった。
當真あみちゃんは大人びた中島セナちゃんや深川麻衣、小西桜子に影響されて、高校生なのに頭が混乱してか、やらかしてしまう。
窃盗罪に器物破損罪だ、敵前逃亡罪だとかいわないであげてちょうだいね。
女子高は怖い。
マリー・アントワネット カフェ。
大学の学園祭なら、トマトハイが売りのブラッディーギロチン居酒屋マリー・アントワネットか。
マンモス女子高の生徒の6人に1人は生理中で、トイレにはおびただしい血が!と考えるとホラーでしかない。
小西桜子の出番がほんのちょっとで、しかもほとんどうしろ姿なのが、すごく不満😎
大人になると忘れている学校の教室の空気感を思い出す作品
羨望、嫉妬、愛憎
予定してた回が監督と深川麻衣の舞台挨拶付きと気付かず、ギリギリで席を確保。
導入が雰囲気映画っぽく、序盤は物語というより日常の断片にしか見えず、不安に。
全体を通しても、関係と感情の変化を見せる作品だったように思う。
冒頭から一歩引いて周りに合わせる希代子が印象的。
それ故に、朱里が彼女を選んだ理由が掴めないのだが、きっと何かがあったのだろう。
希代子の方は分かり易く、自分にはないものを持つ朱里に憧れ、声をかけられた喜びがまずある。
しかし瑠璃子とアッサリ打ち解ける姿に嫉妬が燻りだし、日記によって愛憎が反転した。
(ついでに奈津子も希代子に同じ感情を抱く)
確かこのあたりでスカートが短くなるのが上手い。
人って自分と違う人を羨むし、仲良くなれたらなんて思うけど、やっぱり違うからズレが生じる。
上手くいくことも勿論あるけど、基本は同類の方が円滑だ。
希代子にとって、瑠璃子も憧れ側だったのだろう。
中盤からは女性的な陰湿さが溢れ、その解像度の高さから腹のあたりが重くなる。
朱里を含めた全員がズルいコです。
マリー・アントワネットカフェを提案した時の當真あみの複雑な表情は、本作の白眉。
ただ、時系列が飛び飛びで描かれることもあり、空白を読むのは困難。
特に裁判から逃げた希代子と恭子や、希代子を取られた奈津子と朱里が繋がってた点は疑問。
全体の音を拾ってメインが聞き取りづらいのも苦手。
それまでリアルな機微を描いてたのに、最後の最後にアート系の演出で締めたのも微妙。
しかし、青春の痛みはよく表れていたように思う。
【”For get me not blue.勿忘草。一緒に居たかっただけなのに。”今作は自由思想の帰国子女女子高生と、周囲の目を気にしながら生きる日本人女子高生との友情と別れを描いた儚い作品である。】
■私立高校に通う、実家が呉服店のキヨコ(當真あみ)。目立たない真面目な子。ある日、帰国子女のアカリ(中島セナ)が編入してくる。青い私服で屈託なく学校にやって来た彼女は、海外暮らしが長く著名なカメラマンの父を持つが、現在は一人暮らしである。
そんなアカリはキヨコに興味を持ち、キヨコも自分にはないモノを持っているアカリに惹かれて行くのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。鑑賞後にお読みください。)
・観ているとアカリの行動パターンは、独りでいる事を苦にせずに、思う通りに行動している。(立ち入り禁止の屋上に、キヨコを誘ったり、学校に行かずに江ノ島の終点まで良く行っている。)
・一方、キヨコは典型的な日本人として描かれる。周囲との軋轢を避け、雰囲気に合わせながら生きている。仲間外れにされないように・・。
・そんなキヨコにアカリは江ノ島に行こうと誘い、彼女も”うん”と答えるが、通学の際に二人は学校に行かずに列車に乗るが、キヨコは”ヤッパリ、学校へ行く。”と言って一人降りてしまうのである。
・それが、切っ掛けだろう。アカリとキヨコの間に微妙な距離感が出る。そして、或る日キヨコはアカリの家に招かれるが、彼女の部屋に有った青いノートを見つけ、自分や、クラスメイトや先生の事を否定的に書いた内容を読んでしまうのである。
ー 自由思想の帰国子女女子高生から見た”和を持って貴しとなす。”日本的思想で枠の中で生きる人達へのシニカルな見方が横溢しているのである。
そのきっかけは間違いなく、自分と約束した終点まで行く事を守らなかったキヨコの一件である。-
・キヨコは、それを見て怒りに駆られ、且つ文化祭でアカリが言っていた”マリーアントワネットの恰好でカフェを開く案"を出し、初めてクラスで脚光を浴びるのである。
そして、キヨコはアカリのノートをカッターで切り裂き、文化祭が終わった会場にそのノートを置くのである。
・クラスの雰囲気は、アカリに対し阻害する動きとなるが、そのためにアカリは学校に来なくなる。
先生はそれを問題視し、キヨコは後ろめたさを感じながらも、アカリと出会うまで仲が良かった女子に無理に明るく話しかけるが、逆に”ズルいよ、キヨコ。アカリと会ってから、私のことを気にした事がある?”と問いつめられるのである。
■そして、時は流れ、皆は大学に進学している。
が、アカリとは連絡が取れない。蟠りを持つキヨコは美大に進んだアカリと漸く出会う。且つての”江の島の海岸を描いた青い絵”の前で・・。
二人は、そこで”マリーアントワネットの恰好でのカフェで、キヨコが先輩のルリコ(深川麻衣)と踊ったように”踊るのである。
だが、二人の溝は埋まる事はなく、そのまま別れるのである。
<今作は自由思想の帰国子女女性高生と、周囲の目を気にしながら生きる純正日本人女子高生との友情と別れを描いた儚い作品である。>
當真あみに★★★★★😍😍😍😍😍
自分が今一番注目している女優、當真あみ目当ての鑑賞。
彼女の演技が見られて満足したが、映画そのものは自分には
合わなかった。
原作がどうなのかは知らないが、何を伝えたいのかが今一つ
伝わってこなかった。
希代子(當真あみ)、朱里(中島セナ)の2人を中心とした話。
2人の性格の違いとかは割と分かりやすいが他のクラスメートや
交際相手など周囲の人間があまりにも普通過ぎて印象に残らない。
カメラワークが好みではない。どうしてこういう画面の切り取り方を
する?というのが分からないカットがあったり、常に手持ちカメラで
手ブレさせながら撮る手法に最後まで馴染めなかった。
音、音楽がうるさい。電車内・教室・体育館・居酒屋などその場の
臨場感を強調した音にしたかったのかも知れないが、環境音に
かき消されて台詞が聞き取りにくくなるのはいかがなものか。
音楽も自己主張が強い。やはり音楽のせいで台詞が聞き取れない
場面があった。
全体的に監督の自己満足で終わっている印象だった。
物語の中で意見交換や本音を言い合う絶好のチャンスかもしれない
場面をあえて省いて時間を飛ばしてしまう意味も分からなかった。
當真あみを愛でる映画としてはまあまあではある。コスプレさせたり
着物を着せたりして絵的に様々な姿を狙っていたのは良かった。
ポスターにあるマリー・アントワネットのコスプレは見物。
他にも何人かがコスプレをしているのに彼女だけ別格のオーラで
輝いて見えた。
演出に関しては別に感心しなかったが、やはり當真あみという素材が
良いので見ていられる。
「ストロベリームーン 余命半年の恋」の時は純粋・天真爛漫・儚い
という絵に描いたような分かりやすいキャラクターだったが、本作は
もっと複雑。クラスメートとの距離感や自分自身がどうありたいかとか、
人からどう思われたいかとか、正解が分からないこの年代の女子高校生
らしい心の機微や悩みなどが良く表現できていたと思う。
當真あみに興味がある人はきっと観に行くだろうし観て損はない。
しかしそれほど関心がない人には薦めにくい作品だ。
全55件中、1~20件目を表示
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