Sky ふたつの灯火 前篇のレビュー・感想・評価
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ゲームをのプレイヤーと、未プレイで感想が変わるのでは。
キャラクターは、喋りません。
「考えるな。感じろ。」と、観る人に、よく言えば「任せる」、悪く言えば「丸投げ」な作品という感想を受けました。
私はゲームのプレイヤーです。ゲームにも登場する、見た事のある場所、景色、アイテムが映画にも出てきましたので、「ここでこんな事が…」「これがある、ということは、ゲームのここらへん?」「ここにこんな意味が…」と、ゲームとの繋がりを感じました。ゲームをする時に、より深く考えることが出来そうです。
暗黒竜が、ゲームのデザインより、更にトゲトゲしていて、絶対的な感じがしました。
でも何故「暗黒竜」が存在するのか、の説明はありません。考察は深まるのみです。
主人公の彼は「最初の少年」かもしれませんね。、
短編小説を見ているようでした。
skyというゲーム自体プレイしていたのでステージや人物を見ると「これあの人だ」みたいに楽しめたのは良かったです。
物語自体は体感1時間程で短く感じましたが,一つ一つの表情や動きで声がなくとも人は通じ合えると伝えてくれるような作品だと思いました。
skyが好きな人はもちろん楽しめると思いますが,そうじゃない人はこの世界観に少し物足りなく感じてしまうかもしれません。
映画後の製作者の方々と一緒に振り返るようなコーナーはとても良かったと思います。やはり声がない分想像で物語を感じているので裏話的な感じで聞けたのは嬉しかったです。
原作ファンなら楽しめそう!!初見さんは背景を知っておくと吉
この映画、原作ゲームの細かい部分まで、めちゃくちゃ忠実に再現されてて、内容もすごく深みがあった作品だと思います。そこは本当に素晴らしいの一言に尽きます!ただ、原作が言葉を表面に出さない表現方法だからか、ナレーションが入ってても、ちょっと伝わりづらいなって感じる場面がいくつかありましたね。
特に、クライマックスの解説シーンは、ゲームをプレイしたことがない人にとっては、「これってどういうこと?」と疑問に感じるような説明になってるんじゃないか、と感じました。もしかしたら、背景を知らないと少し分かりにくい部分もあるかもしれません。
それから、この作品の核となる「光の存在」の描かれ方も、原作を深く知らないと、少しぼんやりと映るかもしれませんね。私自身、もう4年近くゲームを遊んでいる大ファンなので、ある程度理解していれば「ああ、なるほどね」って納得できるんですけど(もちろん、まだ作品の深い部分を理解しきれていない初心者さんは別として)、原作未経験の方々には、「光はだれかの暖かさであり、それが周りの温もりでもある」っていう、ストーリーの超重要なポイントが、うまく伝わりきらない可能性もあると思います。
例えば、ハーネスマナティが光を吸い取られて弱り、倒れてしまうようなダークな描写(ゲーム版『Sky』には珍しいシーンで、別ルートでは同じ光景が見られるらしいですが)と、後日談として「スタッフの亡くなった愛犬がモチーフになっている」という話とのギャップに、「あれ?」と考える方も少なくないんじゃないでしょうか。
つまり、この映画の世界観は、原作ゲーム『Sky』の世界とはまた別の次元として捉えて観る必要があると思います。なので、そういった予備知識なしに観ると、ゲームを知らない方にとっては、少し理解に時間がかかるかもしれません。ファンとしてはたまらない要素満載なんですが、背景を知っていると、より深く作品を楽しめるのではないかな、というのが正直な感想です!
犠牲を描き犠牲を軽んじる、矛盾を美化した物語
正直、この主人公には強い違和感を覚えました。
世界を救うために必要なのは光の生物の命。しかし主人公は「自分の大切な存在を失いたくない」と拒否。
世界を救うための犠牲と個人的な愛情との板挟みは理解できます。しかし多くの兵士が命を落としても彼女は後悔せず、むしろ奪った偉い人達に激昂しナイフを手に突撃。愛情の物語と言えば聞こえはいいですが、やっていることは「自分の願いのためなら社会など知ったことじゃない」という現代の自己中心主義そのものです。
そして迎えるラスト。光の生物の代替手段となるロウソクで光を集め、人から人へ火をリレーする映像が流れます。みんなが皆ロウソクを持っていなかったのは、主人公が孤児故に世間から相手にされず、ごく1部の人にしか行き渡ってなかったのか、ロウソクが量産できなかったのかは分かりません。どのみち亡くなった兵士たちの重みは軽くなり倫理的葛藤も「新技術の登場」であっさり消化されてしまいました。
結局この映画が提示したのは、「犠牲は尊いが、タイミング次第でなかったことにもできる」という便利な論理と、「欲望のために他人を犠牲にするのは悪ではなく美徳」という危うい価値観でした。
愛と責任、個と全体のバランスをどう取るべきかというテーマは深いはずなのに、映画はそこを掘り下げず感情的な行動で物語を進めてしまった印象です。
とても良かったです
近場になかったので1人で電車で行くか父に頼み車で行くか、の選択肢で父が連れて行ってくれるということで、初めは父は見ないと言っていたのですが父と二人で見ることになりました。
ネタバレはしたくないのでネタバレなしに語るのは難しいのですが、skyを私がやっているゲーム、としか知らない父が「思ったより良かった」と言うくらいには良かったです。
見てる年齢層も幅広く、ゲームをやってる人しかいないからか、時間的な問題か席はかなり空いていましたがその分ゆっくりと見ることが出来ましたし、音や映像もかなり良く、時間をかけて制作しただけあるな、と感じました。
skyを知らない方でも飽きない工夫なのか、ナレーションが時折挟まるのが賛否が別れるかな?とは思いました。
誰とでも楽しめる傑作
画が語りかけてくる
「孤児と動物との触れ合い」
ゲーム未経験者には厳しい「心で観る」作品
■ 作品情報
監督 エヴァン・ヴィエラ。脚本 リズ・エリス、チャーリー・ポープ。製作国 アメリカ、中国合作。セリフを一切用いない映像表現で、ゲーム『Sky 星を紡ぐ子どもたち』の前日譚を描く。
■ ストーリー
身体が結晶化する流行病が蔓延する世界。街の片隅でたくましく生きる孤児は、ある日、傷ついた光のマナティと出会う。人目を避け、辿り着いた古びた神殿の廃墟で、子どもはマナティの苦しみを和らげる魔法のキャンドルを手に入れる。数年の時が経ち、共に成長した子どもとマナティは、やがて世界の運命に立ち向かう存在となっていく。
■ 感想
劇場内のフライヤーからホラー作品かと思っていたら、予告でファンタジックな映像が流れ、ちょっと興味をもって鑑賞してきました。またしても劇場アニメにありがちな一律料金に不満を感じながらも、内容に満足できれば…と思っていたのですが、結果、その不満は鑑賞後にさらに膨らんでしまいました。
とりあえずCGのクオリティは高く、木彫りのお面をつけたようなキャラデザインも味わいがあり、セリフを一切廃した演出と相まって独特の世界観を生み出しています。物語のキーとなる生き物”マナティ”もかわいらしく愛着がもてます。そこに関わる主人公の孤児も、ちょっとした体の動きと目の形の変化のみの感情表現ながら、その思いがしっかり伝わってくるのは秀逸です。そこにこだわり抜いたクリエイターたちの熱意も、あわせて伝わってきます。
しかし、肝心のストーリーがよくわからないのがとにかく惜しまれます。どうやら多くの人にプレイされているゲームの前日譚的位置づけらしい本作なのですが、そのゲーム自体を知らず、本作に関する事前情報ももたずに鑑賞したので、なかなか作品世界に浸れず、少々退屈に感じてしまいます。
そうこうしているうちに何度も意識が遠のき、さらに意味がわからなくなり、そしてあっという間にまさかのエンドロール!? 「え!なんじゃこりゃ?」と思っていたら、その後に今度はまさかのクリエーターズコメンタリー!次々と登場する制作スタッフにより、映像に込めた熱い思いや各シーンの意図がこれでもかと語られます。ここへきてやっと作品理解が深まり、そのテーマに感銘を受けました。いや、だったら最初からセリフをつけて、もっとわかりやすく見せてくれたらよかったのに!とつい愚痴りたくなると同時に、非常にもったいない作品であると感じてしまいました。
きっとゲームをプレイしたことのある人なら、しっかり感動できたんでしょうね。これを機に、ちょっとプレイしてみようかななんて思ったりします。
ゲーム『Sky』の世界観を一層深く理解したい、というSky民たちの要望を叶えてくれる一作
ゲーム『Sky 星を紡ぐ子供たち』のファンなら、冒頭のthatgamecompanyの特徴あるロゴマークだけで心が躍るでしょう。実際場内でもこの瞬間に小さな歓声を上げているSky民の姿が。本作は同社が開発し、今も物語を紡ぎ続けているゲーム、『Sky 星を紡ぐ子供たち』の映画化作品です。
同社が手掛けたゲーム『風ノ旅人』と同様、不思議な世界を彷徨うことそれ自体がゲームとしての魅力となっているこの物語を、どのように映画として成立させたのか。鑑賞前から興味津々でした。実際の内容は、全くのオリジナル作品でもなければゲームの進行を忠実に再現した作品でもなく、ゲームが内包していた様々な要素・世界観を、ゲームと同様台詞に依らない表現手法で描いた作品でした。
もともと情感に訴えるようなムービーと音楽を特徴としていた作品だけに、ゲーム内ムービーのロングバージョンみたいな映画になるんじゃあ…、とも思っていたし、実際その予感は当てはまらなくもないのですが、それ以上に細かな部分で映画用に調整を施していて、約1時間の映像は大スクリーンで十分見応えがあるものでした。
不思議な世界観を雰囲気で楽しめる方であれば、たとえゲーム版を未体験でも楽しめるでしょう。しかし、ごく短い時間でもゲーム世界を体験したり(基本無料)、ゲーム映像を配信動画とかで見ておくと、本作の個々の場面が一層印象深く感じられるようになること、間違いないです。
なお本編終了後、制作スタッフによる解説映像が続きます。通常こういった解説は作品を味わう余韻を減殺することも少なくないので、あえて劇場では観ない場合もあるのですが、本作は別。ゲームの世界やそれがどう今回の映画作品の描写と結びついているのか、作り手自身が端的に説明していて、とても興味深い内容でした。
リリース6周年を迎えてますますコミュニティが活発な『Sky』、本作を機会に始める人、しばらくプレイから離れていたけど、これを機会に再開する人は少なくないはず。後編も楽しみです!
犬が死ぬ映画を、私は見ない。
犬が死ぬ映画は、私は見ない。ど偏見だが犬が出てたらどうせ死ぬと決めつけても損はない。とても深く傷ついてしまうと分かっているから肥溜めをわざわざのぞかない選択なのだ。
なのに映画「skyふたつの灯火」にはマナティが登場するのを油断した私のミスでもある。Skyのファンという一本槍でヤーと勢いよく観に行ってしまった。そして返す刀がただ"犬が死ぬ"ような状況を超えて胸糞を重ねられ、しかも
「ゲーム内のクエストでマナティを助けたよな、あれは別のマナティだ。実はゲームと映画は違う話でした!」とマナティを殺されて私の心は砕け散った。
ファンなら何でも満足するんだろ論も逆に何にでも文句を言うのも違うと考えているが、映画は好みの話で語ってもいいとするならば、そのやり方私は好きじゃなかったぜ…
映画化そのものには感謝の気持ちを添えつつ、衝撃による爆撃跡に倒れ込みながら書いています。
長いので要約すると、
・ゲームと違う話なのを説明しないのが面白さだと判断したのか、作りが荒いだけなのか?
・製作陣の飼い犬の死を受けて作ったのがペットが養分として屠殺される話って、正気ですか?悪趣味な話で泣かせるのが"感動"ですか
・"起きてしまった事は戻らないのに憎しみでいっぱいは「良くない事」だからやめましょう"みたいな流れが胸糞。
の3本立てです。
ゲームがサ終もせずに続きそして映画になったということは多分奇跡に近く、ファンとしてはありがたいことである。映像も音楽も素晴らしかったしゲームで見たものたちが登場して動いていることに、感動する場面ではない冒頭から涙していた。
ちなみにゲーム内の世界は、滅亡したであろう王国の崩れた建物に時が経ち植物が生い茂り、悲しい歴史があるのを感じつつも詳細は語られずただ景色は美しいといった感じ。今回の映画はそのゲームの世界の過去編、王国の滅亡前日譚である。
ゲーム内でも映画がテーマのイベントが行われており、映画をゲーム内に再現したワールドで映画のストーリーをなぞっていくクエストがある。私は初日時点で公開されている最新クエストまでやってから映画に臨んだ。
映画の話の流れとしては、闇の勢力の暗黒龍が王国を襲ってきてそれを光を放つ武器で撃退しているのだが、その武器のエネルギーとなる光のかけらは世界では枯渇しかけている状況。
光のかけらとは大地や生き物に宿る生命力で、主人公が王国の徴収を逃れた光をかき集めて病を治すキャンドルを作ったりもした。
光のエネルギーがいよいよ足りなくて王国全体の灯りが消えてしまった時、暗黒龍が襲来しハリーポッターのディメンターの動きで人々を襲う。
早いとこ電気を復旧しないと、でもエネルギーがない、おっ!あそこにマナティがいるぞという流れで、主人公の大事なペットのマナティは王国の兵士によって"光武器の養分にする"ために無理やり殺される。
大地から光のかけらを採取する時にも使っていた、ギューンと光を奪う道具を使って…
ここで思い出したのはゲームをプレイした時の記憶。
「マナティを、クエストでは安全な避難場所まで運んだではないか…!?」
という混乱だった。
skyはやり込んだり情報を外部から入れないと説明不足になってしまう場面がたまにある。助けられたと思っていたマナティが殺されて、驚きとショックが二重で来た。
プレイヤーとしての事前の把握が裏目に出るようなクエストにしないで欲しいと血の文字でここに書いておく。
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点線内は追記。
間違いがないかの確認でもう一度、ゲームの方でクリア済みのクエストを再生した。
クエストの流れは
暗黒龍がくる
→マナティ使いという人と一緒に逃げましょう
→光がちょっとは王国に戻る※
→ここでマナティが檻に閉じ込められてる(映画にはない展開)
→「マナティを助け、安全な場所へ行きましょう」と出る
→避難所到着、クリア。
の順でクエストを終えた。
この最後の「マナティを助け、安全な場所へ行きましょう」の中で、あるルートを通るとハーネスをつけた今回の映画のマナティが地面に転がって死んでしまっているのを発見できるようになっている。
つまり、【映画に登場したハーネスつきのマナティではない個体を、ゲームでは助けていた】のだ。
気付けるわけないだろう。
別ルートでクリアしたらそもそも見ていないし、映画のマナティがハーネスをしているというのは映画で初出だ。
私は映画を楽しむためにあえて事前にゲーム内以上のことを調べないで行った。
映画の主人公もゲームには出てこないし、クエストを進めるとストーリーが進むので「ゲームのプレイヤー≠映画の主人公」の認識もできなかった。紛らわしくないか?
SNSでも考察班がこっちのルートにみんな気づいて…等と書いていたのを見るに他にも気づけてない人が割といそうである。
そして※をつけた過程だが、多分この光が…
ハーネスマナティの命を使った光で…
ゲームで「マナティを助けましょう!」というクエストで助けさせておいて、
映画で別のマナティでした〜で殺すのって悪趣味という単語以外にありますか?
-更に追記09.03-
最終クエストが解放されたので進んでみた。
一つ前までの話は
暗黒龍から避難して隠れてる所スタート
→隙間から手下の闇のカニが侵入
→怖がってた兵士と一緒にカニぶっ叩いて撃退
で終わっていた。
暗黒龍がどうなるのか、資源問題はどうなるのか…
と思っていたのですが、
全部まるっとキレイに説明なしにパッと明るくなった世界になっていて
「いやー!!なんか平和になりましたナ!!おしまい!」
で終わってしまった。
こんなにも話を説明しないのかと。
命光線がアンパンチみたいな扱いなのか。
何故か暗黒龍もいなくなったね資源の話はわかんないで終わる、
そんな辻褄合う合わないを追い求める方が馬鹿らしいような雰囲気ゲーだったんなら…
こんなにも練られてない適当ストーリーに振り回されてバカみたい。
こんなにもskyというゲームで過ごす時間がずっと好きだったのが、ほんとにバカみたいです。
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マナティは主人公にとってただの動物ではない、大事に飼ってきっと名前もつけたりして愛情を注いでいたらそれはもう家族。
ゲーム内では基本近づくとプルルァと鳴きながら去ってしまうので街中のハトくらいの距離で眺めていた可愛い存在のマナティ、映画では主人公によく懐いてゲーム内より一層愛らしい動きでモチモチぷるぷると泳ぎ、主人公はキャンドルやハーネスでマナティの病を癒し、そして時を経てどってりと大きく愛情いっぱいに育ったそんな海牛の魅力が十二分に息づいた後に。だからこそ描いたんだろうけど、そのチョイスが私は受け止めきれなかった。
死ぬというだけでもつらいのに病死でも老衰でもなく武器の養分にするために、しかもそれが他人の手によって勝手に殺されるという3重につらい状況である。
そもそもマナティ1匹の命にすがるしかない王国の滅亡なんて遅かれ早かれで、もし本当にその方法しかないならそんな王国さっさと滅亡した方がましである。
追撃として処刑開始直後に主人公の知り合いのおじじが体当たりアタックで処刑を途中で止めた件があって、そんな演出あったらきっと助かる…!と期待させてやっぱり手遅れで死ぬのも、許しがたかった。
その後マナティのおかげで暗黒龍の襲来に打ち勝った!等の分かりやすい結果もない。
光戻らず避難所で震えてます…で終わるのもあまりに心のやり場がない。
生きるということは命の上に立つということ。
こんな事は考えたくないが、仮に極限状態で飼い犬と遭難して犬が先に死んだら、我々は生きていて肉食動物である以上選択をせまられるだろう。
その事をわざわざ突きつけることでしか悲しみや辛さを表現できないかと言うと、違う道があるはず。
何故なら史実ではなく、創作なのだから。
私は仮にでも「こんな事考えたくない」し、そんな話は見たくない。
「つらさの中からしか得られない輝くストーリーがある」宗派があるのは知ってるが、その人達もスイカに塩をかけるのにも限度があるんじゃないのか。
この疲弊しているところへ更に…
主人公が復讐を胸に城に行ったが王には辿り着かずにお妃様的ポジションの大精霊さんからの「せめて生きてたころの記憶を装置で見せてあげましょうネ〜」のコーナーが来る。ここが特に怒りでいっぱいになったシーンかもしれない。
映画としては"ペットの思い出を忘れないでね"みたいなメッセージを込めたのかもしれないけど…
養分として命を奪った王国側の人物がそれをやるのは、どの面下げてですか??誰かに記憶再生させられるまでもなく忘れはしないんですが??という
物語没入お気持ちヤクザ、爆発である。
あぁ、マナティちゃんとの思い出見れて良かったね…憎しみよりも優しさが大事だよね〜と思える人もいるかもしれないが、私はヤクザになった。
まず戦いがカツカツなのに記憶を集めておくもんにリソース割いてる場合じゃないんじゃないの?とも思ったし。
"起きてしまった事は戻らないし憎しみなんてわるい気持ち持つのって良くないしいつまでも憎むなんて、ねぇ?"みたいな流れはありますが、私はそうは思いません。
許すか許さないかはその人次第で良いはず。誰も気持ちを強制することはできない。
「憎しみでいっぱいってなんか良くないからやめましょうネ〜」ってのは、やられてないやつの後出しジャンケンのマウントでしかない。
この世界では誰も悪くないよ、と言う人もいるが自分の意思もペットの命も奪われたその発注に怒ってもいいだろう。
「ほら主人公は憎しみを手放しましたよ!」な展開はご都合主義すぎる。
そして思い出なんて振り返り出したら、もうマナティの死も確定である…
主人公が記憶の夢から急に覚めてハッとするを何度かやるからその度に悲しみの防波堤に身体を打ち付けられるのもキツかった。
最後は生命力キャンドルを避難所の人々に配って、なんかいい感じに希望あるラスト!みたいにしてるけど、キャンドルの素も大地にわずかにしか残ってないんだから起死回生アイテムにもできないんじゃないのか。
しかもおじじは主人公からもらったキャンドルを店先に雑に置いてまだちょっと残ってんのに新しいのを雑に燃やしてた。キャンドルはこれからの人々を…救う!みたいにするなら高い化粧品ぐらい最後まで使ってほしい所。
ありがたいものとして扱われてなかったのに最後に取り出してて何やねん
こうして中盤からうまみを全く摂取できず、本当に何故そんな描き方を?という疑問に一つの情報が飛び込んできた。特典のインタビュー映像かパンフの内容だと思われる。(泣いててちゃんと見てない&パンフ持っていない)
制作チームの1人が飼い犬を亡くし、それをストーリーに織り込もうとなったそうなのだ。
なるほど。
その人の悲しみに寄り添った話になったのだ。それは人との交流と助け合いがあるskyらしいかもしれないなと思った。
そしてそれをskyの成り立ちの世界観に沿わせたらこうなったのだ…
その上でこの胸糞でいいの?とは思った。
思ったが、skyの世界観と実際の出来事の邂逅であったことが私の中で時間をかけて喉元を過ぎ…死を悼み傷を癒すやり方は人の数だけあるのだと、悲しみのヤクザはなんとか気持ちを着陸させることにした。
ただ映画の衝撃で生卵がゆで卵に変質してしまったので、今までと同じ気持ちでskyには戻れないのが悲しい。ただ優しくて美しいだけのゲームではないのもプレイしてよく知っているがそれでも尚。
3年ほどskyを満喫させていただいたものの、公式のターゲット層ではなくなった側の人間からは以上となります。
枝葉の追記ではあるがナレーションについて。映像の表現力がすごかったので、映像にない補足の文章でもないならナレーション自体はなくても良いと感じた。セリフのない動きや表情を汲み取ってるところをぶった斬られるので野暮さを感じ、冷めてしまう。
担当されている素敵なお声自体については、私が言及するまでもございません。
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