KNEECAP ニーキャップのレビュー・感想・評価
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どこまでも危なっかしく、狂騒的にぶっちぎる一作
北アイルランドを舞台にしたパワフルで疾走感に満ちた作品だ。アイルランド語でヒップホップを奏でる3人組「ニーキャップ」(自らが主演)の半自伝的とも言われる本作は、無名だった彼らが過激な言葉やパフォーマンスで人々を熱狂させる存在へと駆け上っていく姿を狂騒的なドラマで描き出す。彼らは「停戦後世代」であり、IRAの闘争時代のように銃や爆弾を用いることはない。その代わり「言語」こそが彼らにとって最上の武器。統治側の英国への罵詈雑言や、ドラッグ関連のワードなど最も危険でエッジの効いたリリックを容赦なく突きつけ、観客を挑発し、熱狂させ、22年まで公用語として認められていなかったアイルランド語を銃弾のごとくぶっ放す。圧巻のステージはもちろん、楽しいドタバタ、伝説の闘士役のファスベンダーが添える絶妙な存在感まで見どころは尽きない。ニーキャップや北アイルランドに関する最小限の知識を持っていた方がより楽しめる。
ドードーを解き放て
言語や社会問題など、理解が難しそうとは思いつつ、予告で興味を惹かれて鑑賞。
導入の語り口は別にいいのだけど、なんだか“ノリ”が合わない。
これは本来的な問題ではないのだが、字幕の文字情報が早くて多いのも疲れる。
一つの曲の中で、歌詞が下に出たり右に出たり、歌詞以外の情報が左に出たり…忙しい。
主人公たちも好きになれず、早々に睡魔とバトル。
確かにポスターにも「クズ」とは書いてあるんだけど、JJ以外の2人が擁護できないんですよ。
理不尽な弾圧で捕まるとかじゃなく、ドラッグを売る、どころかライブで配るし。
JJはJJで煮え切らない態度にモヤモヤ。
言語やアイデンティティの問題とは別のところで応援できないのはツラい。
また、リリックが全然刺さらなかった。
個人的にラップは、韻を踏むという言葉遊びの上に皮肉やユーモアを乗せるから面白いと思ってる。
でも彼らのそれは、(訳が悪い可能性もあるが)ほぼドラッグと下ネタ。
アイルランド語を使うこと自体が反抗ではあるのだが、だったらヒップホップでなくてもいい。
曲のノリ自体は嫌いじゃなかったので、余計に残念。
ストーリーに関してはまったく頭に入ってこなかったが、結構ムリヤリだった印象。
前述のリリックに関しては実際に規制されたりもあるらしいが、過激であればいいわけではない。
もっと知性や問題意識に基づいた反抗を期待したので、子供っぽく映った。
アイルランドのヒップホップ・ユニット ”KNEECAP"の半自伝的ドラマ!!
失われつつある言語を“言葉の弾丸”にして、音楽で撃ち抜く!
【イントロダクション】
アイルランドの実在のヒップホップ・トリオ“KNEECAP(ニーキャップ)”の軌跡を描く。アイルランド語でラップをし、その過激なリリックと反骨精神に満ちた振る舞いから、検閲や警察の捜査対象となりつつも、若者から絶大な支持を誇る彼らの姿を、アーティスト自らが演じる。共演にマイケル・ファスベンダー。
監督・脚本には、ジャーナリストとして活動した経緯を持つイギリス出身の新鋭リッチ・ペピアット。
【ストーリー】
北アイルランド、ベルファスト。幼馴染のニーシャとリーアムは、ニーシャの父アーロ(マイケル・ファスベンダー)からアイルランド語の教育を受けて育った。しかし、アーロはアイルランド独立を目指す過激派、IRA暫定派のメンバーとして過去に複数の爆破事件を起こした事で警察当局からマークされ、自らの死を偽装して行方をくらませてしまう。
成長したニーシャとリーアムは、ドラッグの売人となっており、リーアムはドラッグパーティーの現場で警察に逮捕されてしまう。取り調べで英語を話す事を頑なに拒否し、アイルランド語でのみ受け答えするリーアムに対し、警察はアイルランド語訳者としてアイルランド語教師兼音楽教師のJJを招く。そこでJJは、押収されたリーアムのメモ帳に“切手シート型”のドラッグを発見し呆気に取られるが、メモに綴られているアイルランド語の歌詞に心惹かれ、彼を庇う。
後日、JJはニーシャとリーアムにアイルランド語でラップミュージックをやらないかと提案し、彼らをガレージのスタジオに案内する。彼らはグループ名を、北アイルランドのパブリカン民兵組織が行う膝を撃ち抜く私刑法を指す言葉である“KNEECAP(ニーキャップ)”と名付け、ニーシャはモウグリ・バップ、リーアムはモ・カラ、JJはDJプロヴィと名乗って活動していく。
やがて、彼らの音楽は若者を中心に密かなブームを巻き起こし、次第に勢力を拡大していく。しかし、過激な歌詞が物議を醸し、また彼ら自身が麻薬使用者である事から、警察や急進派リパブリカン麻薬撲滅組織(RRAD)に目を付けられるようになっていく。
【感想】
2017年結成という、まだ比較的キャリアの浅いグループの伝記映画が作られるというのは珍しく、それほど彼らの国内外で物議を醸しつつも観客を魅了するアーティスト性、ラップでありながら政治的思想を反映したリリックが特殊であるという事だろう。
鑑賞後の素直な感想としては、アイルランド語の公用語化、自分達のアイデンティティを絶滅させまいとする若者達のサクセス・ストーリーとしてアツく盛り上がれる部分がある反面、酒とドラッグに塗れた生活描写を“ユーモア”という免罪符を盾に描いている部分には些か眉を顰めてしまった。西ベルファストの労働者階級の若者は、現実として薬物に塗れた生活を送っている以上、こうした面も臆する事なく描く必要性はあるのだろうが。
勿論、事実を基にしたフィクションである以上、盛っている部分は多々あると思われ、使用する薬物を間違えて酩酊状態でパフォーマンスしなければならなくなるといったシーンは笑えもするのだが。
しかし、パンフレットにあるKNEECAPのメンバーや監督へのインタビューも読み込んでいくと、彼らは非常に政治的視点や物事に対する誠実な視点を持ち合わせており、決してギャグやノリで音楽活動をしているわけではない事が伺える。撮影の為に2ヶ月前から禁酒していたなんて可愛らしい話ではないか。そして、それを崩したのが撮影前日のキャストとスタッフによる飲み会、何よりKNEECAPのメンバーと連日飲み明かそうとするマイケル・ファスベンダーなのが面白い。
イギリス批判をしつつも、彼らはイギリス人そのものを憎んでいるのではなく、イギリスという国家が歩んで来た歴史、国家としての行為そのものに対する批判をしているという姿勢も貫いている。その様子は、作中のライブで、IRA暫定派の「Brits Out!(イギリスは出ていけ!)」というスローガンをもじった『Get Your Brits Out』という曲を披露した際、「私はここで生まれたの!」とモ・カラ(リーアム)に怒りを露わにするプロテスタントの恋人に対して弁明するシーンに現れている。
また、劇中でリーアムがオレンジ・パレードのレンジャーから追いかけられるシーンのバックには、イギリスのテクノ/エレクトロロック・バンドであるThe Prodigy(ザ・プロディジー)の『Smack My Bitch Up』が使用されている。個人的には、このシーンが最も盛り上がったのだが、WWD JAPANのインタビューによると、なんとこのシーンは実際にこの楽曲を聴いて彼らの家に赴く為に橋を歩いていた監督が思い付きで閃いたシーンなのだそう。
話が逸れるが、ライブパフォーマンスの際に誤って使用され、その副作用の強さが他の薬物以上のものであるかのように描かれている薬物が、鬱病の治療薬として使用されるケタミン(日本では麻薬指定を受けている)なのだ。私の好きなイギリスのロックバンド「Bring Me the Horizon」のボーカリスト、オリヴァー・サイクスも自身の鬱病治療にこの薬物を使用し、長らく苦しんでいるのだが、そうした副作用の強い薬物が医療用として認可され、作中でも描かれているように鬱病患者を装えば簡単に手に出来てしまう件は、無視できない社会問題だろう。また、ネットの闇サイトでも薬物を容易に輸入出来てしまうシステムも、多分に問題がある。
とはいえ、KNEECAPがライブに訪れたティーンエイジャー達に対してまで薬物を振る舞っていたシーンには、それが例えフィクションであるにせよ看過出来るものではないが。
本作において最も評価したいのが、実際に自らの役を演技してみせたKNEECAPメンバーの演技力の高さについてだ。6ヶ月の演技始動を経た賜物であると、監督がパンフレットのインタビューで語っているが、私は後から調べるまで本物の役者に演技してもらっているものとばかり思っていた。それほど彼らの演技は自然であり、マイケル・ファスベンダーをはじめ本物の役者陣と共演する中でも、違和感なく溶け込んでいた。
そして、そんな彼らが自分達の楽曲を披露するのだから、それは破壊力抜群なはずである。
個人的には、『C.E.A.R.T.A』と『H.O.O.D』がお気に入り。
ベルファストを扱った映画としては、近年ではケネス・ブラナー監督による『ベルファスト』が連想されるが、本作では開始早々にそうした紛争による暴力の歴史を描く事を止めると宣言し、監督の目指したようにアイルランド版『トレインスポッティング』というべきストーリー展開が成されていく。色彩豊かな映像表現と、アイルランド語のラップによる音楽映画としての楽しさも全面に打ち出され、政治的背景やそれぞれの思想を反映させつつも、物語として重くなり過ぎない塩梅が取られている。
しかし、テンポ良く展開される序盤のKNEECAP結成秘話、若者からの注目を集めラジオ曲からオファーを受ける中盤までの展開の加速度的な盛り上がりと比較すると、後半はやや失速し、「普通の映画」の枠組みに収まってしまったように思う。中でも、マイケル・ファスベンダー演じるアーロが息子のニーシャの為に自首をする決意をするシーンは如何にもな映画的感動のシーンとして予定調和な収束を見せてしまっており残念だった。
「アイルランド語は、自由への弾丸だ」
「言語は自由へと導く光だ」
アーロが口にするこれらの台詞は、言語について描く本作を象徴する名台詞だ。ラストのテロップで示されるように、「世界では40日にひとつ、先住民の言語が消滅している」のだそう。世界にはそれほどまで多くの言語があるのかと驚くと同時に、それほどの速さで世界から言語が失われている現実に愕然とする。それは、ここ日本で日本語を公用語として当たり前に話す私には馴染みのなかった、今まで知り得なかった現実だからに他ならない。
【総評】
アイルランド語によるラップ・ミュージックがこんなにもクールなのかと魅了され、圧倒された。実際に自らの役を演じてみせたKNEECAPメンバーの演技力含め、海外の映画祭で話題になるのも頷ける一作だ。
言語を巡る政治的思想やドラッグ文化をはじめ、決して単なるサクセス・ストーリーとしても、エンターテインメント娯楽作品としても消費すべきではない出来ない作品であるが、それでも、音楽映画としての魅力は疑いようのない事実だろう。
現実では2022年にアイルランド語は公用語として認められたそうで、現在ではKNEECAPメンバーの戦いは2023年の「パレスチナ・イスラエル戦争」に移っている。物議を醸す彼らがどこに辿り着くのか、その動向にも注目したい。
面白かった!!
北アイルランドやベルファストといえば、IRAが火炎瓶投げてて、いつも何かがどかんどかん爆破され街全体が煙と砂ぼこりでもうもうなイメージ。
冒頭の、「北アイルランドといえば…」の一般人が連想するお決まりの過激派の爆破シーン、からの画面いっぱいの大きなX、「これはそういう話じゃなく」それでガッツリ心掴まれて、そのままのノリで突っ走って最後まで失速なし。
ニーキャップは、火炎瓶を投げる代わりに、音楽とパフォーマンスで「自由」を求める。
「祖国」を、「アイルランド北部」と表現されれば都度、「いや、北アイルランドだから」と修正させるところに、彼らのアイデンティティーへのこだわりが見える。
スタイリッシュでパワフル、シャープで過激で笑いが満載、頭からしっぽまでみちみちに具が詰まった、美味しい映画でした。
メンバー3人とも自然で、演じている感なし、何しろ本人だからパフォーマンスが本人まんま。これがもう素晴らしい。
3人とも顔もいいよね。
IRAの伝説の闘士な父から「アイルランド語は自由のための弾丸だ」と教育され、すくすく育ったニーシャと幼馴染みのリーアム、二人で組んでドラッグディーラーで稼いでいるが、捕まったニーシャが取り調べでかたくなにアイルランド語しか話さず、派遣された通訳の音楽教師、JJと出会って、という出会いがスムーズ。
アイルランド語を、若い二人は「ゲール」と言っていたよう。
征服者が被征服者を従わせるために、被征服者の文化を自分たちに同調させるのは大昔からよくあることだが、もっとも効果的なのが、言語を奪うこと。言語が奪われるというのは、それを使っていた人たちのアイデンティティーも奪われるということだ。
アイルランドの「ゲール」が2022年まで公用語ではなかったのは驚きだが、ニーキャップの存在が公用語への法制定の後押しになったのではないか。(作中ではアイルランド語法制定推進派代表のJJの奥さんに、彼らのリリックがドラッグや性的表現が過激でイメージ悪くなるから止めてくれと詰め寄られていたが。)
彼らとの出会いからアイルランド語を学んでいる、という女性が出てきて、実際にニーキャップのおかげでこの言語を学ぶ人が増えたという話も聞く。
そして、分母が大きければ大きいほど、社会を動かす力になりうる。
引きこもりだったニーシャの母が、息子の窮地にカウチから立ちあがる。
長年クローゼットにしまわれていたドレスを着て革ジャンを羽織り、ブーツを履いて、ばっちりきめて家を出る。風を切って歩く姿がカッコイイ。
息子を思う母の強い気持ちが分かる良い場面だが、肩を怒らせて向かった先が美容院。
さすが、良くわかっていらっしゃる。よくぞそこ気づいた、とニーシャのママに感心しました。
私の母は田舎の美容師で、田舎の美容院は近くの女性の社交場だから噂話の一大集積地。母はそこでたくさんの情報を仕入れてはお客様に拡散、当然のように結構な作り話も交じる大本営みたいなところなんです。お客様はそれぞれがまた拡散するからあの映画まんまで、頷きつつ笑ってしまった。女性たちの噂話はコスパ最強の宣伝方法だったりするんだよね、近所に限りますが。
碌でもない奴らのぶちかまし
北アイルランドで長らく公用語として認められて来なかったゲール語(アイルランド語)で歌う実在のラップグループ・NEECAPが世に出るまでを本人たちが演じる音楽ドタバタ・おバカドラマです。
この50~60年間の北アイルランドの歴史がある程度分かっていないと理解できない部分があります。現在はイギリス(United Kingdom)に属している北アイルランドで日常的にゲール語を話している人はかなり少ないだろうが、それでラップを綴ると言うのは、デカイ顔してるてめえら(英語系住民)気に食わねぇの苛立ちが言葉の問題以上にあるんだろうな。そんな彼ら自身が碌でもない奴らばかりである事が彼らの音楽に却って力を与え、言葉が研ぎ澄まされるという奇妙な関係が生まれます。
でも、(本人らが望むか望まないかにかかわらず)ラップが現実の社会に斬り込んで大きなムーブメントになっていると言う姿は羨ましいな。
現状を柔らかに変えていく文化芸術の力がうれしい
戦時下の韓国で、朝鮮語の辞書づくりを目指した人々を描いた「マルモイ ことばあつめ」の中に、日本語しか話せない韓国少年たちが出てきて、居心地の悪い思いをしたことを思い出した。
ニーキャップの彼らのように、アイルランド語を日常会話として使い続けている人々の陰には、きっと日本語しか話せない韓国少年のように、英語しか話せないアイルランド人も大勢いるのだろう。
そして、北アイルランドの人々に限らず、その人が何語の話者であれ、一番得意な言語の使用を制限されたら、それは重大な人権侵害だということは、自分自身を例に考えればすぐにわかる。
ただし、今作のミソは、その使用の制限を求めてくるのは、外部勢力だけでなく、身内にも結構いたんですねという部分。
向かう方向は同じはずなのに、なんでちょっとした主張の違いで力を削ぎ合うことになるのか。
こういうところは、国民の7割が賛成していることですら、微妙に違う案を乱立させて全然まとまらない「アジアのユニークな国」にも見られる「あるある」なのだが、観ていてもどかしかった。
でも、それをスカッとラップでかっ飛ばすニーキャップがクール!
彼らのリリックに、ドラッグや性的な表現が数多く登場してくることが否定される理由にもなっているが、それが彼らの日常なのだから、楽曲を否定されることは、彼らにとって人格を否定される思いにもつながる。だから、全力で抵抗するのは当然のことだろう。
また「Brits Out」という表現のせいでDJプロヴィはクビになるし、リーアムはプロテスタントの彼女とモメるシーンも出てくるが、彼らの主張は単なる排外主義とは違って、ヨルダン川西岸のパレスチナ人が、武装したイスラエルの入植者たちに「出ていけ」と主張するのと同じと考えれば胸に落ちる。(さりげなくパレスチナの国旗がベランダにはためくシーンもあるし)
それに、彼らが目指しているのは、単に「自分たちの言いたいことを、自分たちの言葉で言わせろ」ということだけで、「宗派の違いなんて乗り越えて、仲良くしたい奴とは仲良くするぜ」というのが、モロに(ちょっとSMチックだけれどw)表現されているから、観ていてスッキリする。
こうした映画を、アイルランドにルーツのない「イギリス人」監督が撮っているのもいいし、なんと言っても、本人たちが本人役を演じているので、パフォーマンスシーンの不自然さが一切なくて気持ちいい。
それから、ニーキャップとの出会いをきっかけに、アイルランド語を学ぶ人々が増えているとも聞く。現状を柔らかに変えていく文化芸術の力が、なんかうれしい。
話は変わるが、鑑賞前に今の北アイルランド情勢をちょっと調べたら、イギリスのEU離脱と北アイルランド自治政府で南北統一を主張するシン・フェイン党が第1党になったこと等により、今後、情勢の変化が見られる可能性もあるとのこと。戦闘状態なく、互いの人々が納得する形でこの問題に展開が見られるのか、今後も注視していきたい。
色々書いたが、とにかく面白かった!
音楽はバクハツだ!
スクリーンの中ではヤバいことだらけ(薬物、IRA、父親の思想・活動など)、なのに、見つめるワタシの身体はノリノリで反応し、終始笑いっぱなしだ。
なんだろうか、モ・カラの半開きになったポカン顔のせいなのか、DJプロビのケタミンでイッた顔のせいなのか……
理由は分からないけどとにかく痛快だ!
引きこもりだったお母さんがメイクをキメて立ち上がる姿も素敵だ!
世の中色んな事が有るし、違法なことをしなければ生きられない境遇もあるのかもしれない。でも、そんな中でも(いや、だからこそかもしれない)、思いを言霊として書きとめていれば、いつかその才能に共鳴し、実を結ぼうと手を差し伸べる見方も何処かにはいるのだと改めて認識させてくれた。
パッションを感じ、こちらの気持ちがアツくなる、そんな作品でした。
抗議行動ならお得意だ‼️
久々にすかっと笑えた。アイルランド語のヒップホップがかっこいい。ブラックの人間がヒップホップで声を出したように、僕達もヒップホップに力を得てアイルランド語で歌って声を出すんだ!実話、なおかつニーキャップの本物メンツが映画に出て演技してパフォーマンスしていて、二度美味しい!演技上手い!ママもパパもDJの妻も肝っ玉がある。
夫が姿を消してから、ずっと家で鬱々としていたママが、意を決して美しいワンピースを着てメイクして美容院に行く姿が痺れるほどかっこいい!美容院を通じての女同士のコミュニケーションは強い!抗議行動は女だってガンガンとパワフルにやるのだ!
Netflixドラマ「ザ・クラウン」のシリーズ3で、大学生のチャールズ(今の英国王)が1学期だけウェールズ大学でウェールズ語とウェールズの歴史を学習するエピソードがある。彼はケンブリッジ大学で演劇に出会い幸せだったが、皇太子ウェールズ公叙任式に向けての王室側のイメージ戦略による。最終的には、ウェールズ語で、お仕着せ原稿に「自分の言葉を加えて」スピーチをする彼の姿(演じるのはジョシュ・オコナー!)は凛として素晴らしかった。そのスピーチ内容は後から女王はじめ周囲から難癖つけられる。ウェールズの人達はウェールズ語に誇りを持っている。同じくNetflixドラマ「アウトランダー」では、イングランドの女性がタイムスリップし200年前(1743年)のスコットランドへ。そこではスコットランド語が話される。ウェールズでもスコットランドでも北アイルランドでも、英語は話され理解される。ただ、それぞれの母語が彼らには一番大事な守るべき砦だ。一方、イングランドの人間は彼らに英語を話せ!と言う。「ニーキャップ」も同様で、字幕では「英語」となってるが実際は「クイーンズ・イングリッシュを話せ」と言っている。日本は、明治時代に琉球諸語話者に、太平洋戦争中は台湾、朝鮮半島、フィリピン、インドネシア、ミャンマーで日本語を強要した。
政治的、経済的・就職可能性などの理由から話者が減り消滅の危機にある言語はたくさんある。アイルランド語はまだ大丈夫だが「危険」ゾーンだ。ニーキャップ、頑張れ‼️
おまけ
1)新宿シネマカリテが来年の1月に閉館するとのことで大変にショック。「ニーキャップ」はシネマカリテで見ました!
2)この映画のファスベンダーはとても素敵でかっこいい❗️「Black bag」のファスベンダーより、ずーーーっといいです!
アイルランド語でヒップホップの肝心要がボヤケていて残念
アイルランド版トレインスポッティング!
アイルランド版トレインスポッティングという売り文句通り、テンポよく笑わせてくれながらクライマックスまで導いてくれた
実在のヒップホップトリオを本人達が違和感なく演じていたし、彼らの経歴を調べてモグリー・バップの母のことを思うと・・・
トレインスポッティングが好きな人は観てほしい
言語が分からない自分からしてもニーキャップには得体の知れないパワーが宿っていることを感じた。
メッセージしたいことを何かに媒介してメッセージすることで世界は変わると思っている。例えば映画もそうだと思っている。ニーキャップの場合、言語へのリスペクトをその言語を使ったラップにてメッセージする。
それは当然、ものすごく強いパワーが生まれるに決まっている。
言語が分からない自分からしてもニーキャップには得体の知れないパワーが宿っていることを感じた。
自身のルーツなどのアイデンティティへの関心はあまりない方と思っていたが、サッカー日本代表についてはとても応援をするし、日本人が海外での活躍はやはり嬉しい。そんな時に自国へのリスペクトを感じることがある。言語が奪われるという事態は想像し難いがそれは尊厳が傷つけられることであったし、ニーキャップに指示が集まるのも必然だったのではと思った。
イギリス領北アイルランドの事をもっと知れる
北アイルランドのベルファストで生まれ育ったドラッグディーラーのニーシャ(MCネーム:モウグリ・バップ)と、幼なじみのリーアム(MCネーム:モ・カラ)。ある日、麻薬取引で警察に捕まったモウグリだが、取り調べの際アイルランド語しか話さず、英語を話すことを頑なに拒み、反抗的な態度をとった。そこに通訳として派遣された音楽教師・JJ(MCネーム:DJプロヴィ)は、モウグリの手帳につづられていたアイルランド語の歌詞を見て、その才能に驚いた。彼ら3人は抑圧されてきたアイルランドのアイデンティティと母国語の権利を取り戻すべく、アイルランド語のヒップホップを始めたが、内容が過激で・・・さてどうなる、という話。
2022年まで北アイルランドではアイルランド語が公用語として認められていなかった事を知らなかった。そのアイルランド語でラップを歌い、過激な言葉とパフォーマンスで注目を集めているKNEECAPが、アイルランド語法制化を求める抗議活動を背景にした半自伝的ドラマ。
占領したら言葉を押し付けるのはどこでも有る話だけど、強制すると反発されるのはよくわかる。
多少性的な部分があるからR18+なんだろうけど、そこまでかなぁ、という感じ。
KNEECAPのメンバー3人が本人役を好演してた。
ドラッグねぇ。
ストーリーは理解した。
メッセージも大筋で受け止められたと思う。
ただ、おそらくアイルランドでは常識的なのであろう習俗やローカルルールみたいなことが原因なのか、私の理解力が追い付かなかっただけなのか、細かな婉曲表現力や、「誰は誰のことを認識してるの?」みたいなことがよく分からなかった。
(わからなかった理由は、実は他にもあるのですが)
ラップはあまり聞き馴染みが薄いこともあって、そのラップを字幕で見るという違和感(読む作業に意識が向いて、音楽として楽しめない)もあるし、正直言うと、主人公が薬物キメてパフォーマンスするっていうところには感情移入なかなかしにくいな、と。
ドラッグやる主人公なんて映画の中に山ほどいる。でも、それを自分の才能を開花させる場でやられちゃうと、「それ、クスリの力じゃん。」ってなっちゃう。それをあえて薬物の怖さや本人の逃避のための悲哀として表現するならまだ受け止められるけど。
コメディなんだから、笑って済ませばいいんだろうとら感じながら、まあ、これも私が歳をとってしまったからからと思ってみたり。
全然この作品の内容とは関係ないですが、名古屋のセンチュリーシネマさん!
劇場内が暑すぎです。
おかげで映画に集中できませんでした。
勇気を感じ切なくなり、少し泣いちゃいました😅
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