シンガーソングライター、役者、作家、、様々な顔を持つパギやんは日本生まれの在日朝鮮人二世。彼を一言で表現するなら『マイノリティーの代弁者』。在日コリアン、障がい者、被差別部落出身者、アイヌ、原発事故被害者、オキナワ、、各地を回って当事者たちと語らい、渾身のメッセージを発信する。歯に衣着せぬ、核心をついたパギやんの言葉と、周りの人たちから見たパギやんの印象を、ランダムに記録しておく。(一部、記憶が曖昧で、パギやんの言葉と周りの人たちの言葉とかがゴッチャになってるかもしれない)
【パギやん】
ぼくは在日関西人。
長屋の路地裏でウジウジしてる子どもだった。
不思議な親父だった。あの時代に、女房こどもに手をあげたことがない。
孫は在日六世なのに、まだ“外国人”なの?
良い人でも、団体になったら戦争を起こす。
正義的なことを言ってる活動家が、家に帰ったら家族にひどいことしてたりする。
学ぶ権利と生きる権利は、全てに優先する。
上手で演奏がうまくても、伝わらん歌がある。なぜ、なにを聞かせようとしているかが大事。
伝えたいことがあるから、歌おうとする。(→フォークソング)
子どもを抱いた母親を破壊するのが戦争だ。
無関心になったらダメ。
わけへだてなく、みんな一緒や、というのは、当たり前のこと。それを子どもたちに伝えたい。(グーチョキパーの歌)
差別する自由、人を搾取する自由、人を殺す自由はない。
抑圧と苦しみから脱却する力が、自由。
みんなが言わなさすぎる。ぼくは普通や思ってる。
(コリアンタウンについて)観光公害や。(観光客を見て)この地域の人たちの歴史を勉強するわけがない。人が来るのはいいとは思うけど、、来すぎや。「共生の碑」を建てる意味を、観光客の1%でもわかってくれたらいいんだけどね。
今は、在日コリアンを知らない若者もいる。
人間は矛盾だらけ。
許す心、受け入れる心が大事。
人の心を開くために、もっと寛容な心が大事。
(歌詞)「ワテら陽気な非国民」「殺さない、殺されない、殺させない」「お国の役には立ちません」「だまさない、だまされない、だまさせない」
「みんな弱くて、みんな強い。みんな強くて、みんな弱い」
【周りの人】
強い人。人に媚びない。意志が強い。ケンカっ早い。
やばい人。近づきたくない人。
(体重)110キロの時代もあって怖かった。
豪放磊落だけど、繊細で優しい。
インテリっていう印象。
人間的に面白い。
どこからあの反骨精神が出てくるのか。
ちゃんと本質をつくから、それが痛快。
思想性。
賢すぎる役者。
何を憂い、思い、伝えようとするのか。
重大な問題提起をしてくれてる。だから、パギやんは自分の考えで発信すればいい。それを私たちがどう受け止めるかだ。
(重いテーマを)エンタテイメント化するのが上手い。
そこにいて絵になる。
歌を通して教えてもらった。
魂をつかまれた。
信頼できる人。ブレない。責任感が強い。
絶対に反体制。
悪いものは悪いと。それを表に出してるだけ。
パギやんはアングラよ。
これからも、やりたいことをやりはったらいい。
アカンことをアカンと気づく能力、見抜く力に長けてる。
何が大事かをわかっている。(関東、東北に住む人たちの放射能被曝を解毒するための保養キャンプ主宰者談)
パクさんは日本ではマイノリティー。韓国ではマイノリティーがあまり発言しない。韓国に不満は多いが、それを表現できない。商業的にして面白ければいいというようなものばかりで、、(韓国人談)
被差別と言われる立場同士わかり合える(被差別部落出身者談)
【知らなかったこと、学んだことや考え方】
(福島の原発事故を通して)途方もない危険性を持っている原子力はやめなきゃいけないと気づいた。科学技術的に言って徹底的に破滅的であると同時に、差別的なもの。だが、言っても仕方ないと黙らされている。あんなものを国内に50基以上作るなんて異常。国や企業が事故から学んだのは、どんな悲惨なことが起きても責任を負わずに済むし、つぶれないということだった。(京都大学原子炉実験所・京都大学大学院工学研究科都市環境工学専攻助教/小出裕章先生談)
日本に帰化したら好きな名前を名乗れる。(自分で自分に好きな名前をつけ、法的に認められる)
4世紀くらいまで、日本と朝鮮の区別はなかった。
演歌はもともと社会風刺の歌だった。
サンフランシスコ講和条約→沖縄を日本から分離してアメリカの支配下に置いた。→「屈辱の日」
たった一度の人生、今を楽しく生きなきゃ。
(障がい)当事者じゃなくても、みんなが関係者。(障がい者を見て)あんなんなりたくないとか、あないなるくらいなら死んだ方がマシとか。子どもは男でも女でもええけど五体満足がええとか、、世界共通でしょ、、(障がい当事者談)
京都宇治のウトロは在日地区。
「パンチョッパリ」は、中途半端な朝鮮人という意味。
米軍基地の被害は韓国でも問題化している。
韓国語の“恨”は、恨を晴らさらない。恨を超える。(韓国人談)