黒川の女たちのレビュー・感想・評価
全34件中、1~20件目を表示
戦争はいつでも男の顔をしている
黒川開拓団のことは以前から知っていたが、当事者の方々の実際の声を聞いたことがなかったので、とても興味深かった。
戦争だから
生きるためだから
みんなを守るためだから
様々な大義名分を無理やり突きつけて、半ば強制的に犠牲にさせた乙女たち。
戦争が無ければ、青春を謳歌し、人によっては素敵な恋をして、様々な選択肢ある未来を歩めた乙女たち。
本来ならば、守ってあげなければならない立場の乙女たちに、戦争を起こさせた大人たちが、さらに地獄を味合わせた現実に反吐が出る。
そしてそれを恥ずかしいことだと隠し、そのせいで周りに歪んだ認知を引き起こし、差別や偏見を招く状況にさせたこと、彼女たちが立ち上がるまで何もしなかったことにも反吐が出る。
この事実を無かったことにしないように尽力した人々には頭が下がるし、これを記録として映像に残したことは素晴らしいことだと思った。
ただドキュメンタリー映画という視点で見ると、もう少し構成や編集はブラッシュアップできたのでは無いかと思う。
当時の様子をわかりやすいイメージ図に起こすとか、加害者の男性側のインタビューを複数入れたりだとか、もう少し作り込みや工夫が欲しかった。
なので、点数をつけるのが難しく、ドキュメンタリー映画としての観点と、映画のテーマ性やこの作品の目的の間を取り、ちょっと厳しめにつけました。すみません。
劇中でもある男性が言っていたように、なぜこんなことが起こってしまったのかを考え続けることが、今の私たちには必要だと思う。この作品はそのきっかけを与えてくれるような作品だった。
評価するものじゃないと思ってます。
全く知らない事実を知り,日本という国の弱さに気付かされる。映画の中で犠牲になった女性の息子さんが,語る言葉、戦争を誰も総括していない。何故こんなことが起こったのか,曖昧なまま戦争が終わっている、この言葉にハッとなる。日本て、政治もそうだな、変わってないんだなぁと思ってしまった。誰も責任取らないのだ。
黒川の女性たちが勇気を出して、無かったことにしてはいけないと声を上げてくれた。そしてそれに応えた今の開拓団の団長の方も本当にすごいと思う。過去の史実を自分ごととして、碑文を作成し、女性たち一人一人に心から陳謝する姿勢に、女性たちも自分は悪くないんだ、堂々と伝えていこうと前を向き始める。顔や名前を出さずにいた方も最後は映画に出てくれていた。辛い体験を言葉にする勇気に涙がでる。これを題材に授業をする先生も素晴らしかった。勇気のあるすべての登場人物に拍手したい。
日本の政治家が見るべきだと思った。
戦争は人を狂わせる。加害者でもあり被害者なのだ。
あの戦争による「性接待」
希望を感じるラスト 見てよかった
戦後80年。戦前・戦中・戦後の「事実」の検証はなにも終わっていない
この映画は岐阜県黒川村の村人がなぜ満蒙開拓団員となって、満州に渡りどのような生活をしていたかを、映像で説明しているので当時の状況をよく把握できた。ことはソ連が侵攻してからおこった。関東軍は開拓団員になにも知らせず退却し、そして敗戦。開拓団員は誰の助けもなくソ連の支配下に入る。そして満州を支配していた日本人は、現地の中国人を侮蔑する扱いをしていたから、中国人から復讐を受けることになる。
黒川開拓団の上層部は、中国人から身を守るためソ連将校に協力を依頼した。その見返りは、若い女性の性接待であった。なんとか黒川村に引き上げた開拓団の上層部は、性接待をなかったこと不問にした。村では性接待した女性たちに噂をたて汚れた女として差別した。
時を経た後、当事者の老女数名が性接待の事実をありのままに話し出した。誰が呼びに来てどのように性接待したのか、詳細に。見ていて驚いたのは、自分たちの行為を堂々と話す老女らの姿だ。
老女たちの行為は、恥部ではなく、黒川開拓団員全員の身の安全を守るためだという信念からのものだった。誰に恥じることもない、自分に恥じることのない勇気は、このあった「事実」を後世に伝える、残さなくてはいけないというただ一つの思いだけだ。その気迫に圧倒されてしまうばかりだ。
松原文枝監督は「事実」を語る老女たちと真正面から向き合う。本人たちだけでなく、遺族や関係者にもカメラを回し「事実」をあぶりだす松原監督は伝承者として老女とともに存在し、特に村の「男社会の論理」が今まで不問にしてきたことに大きな疑念を持ち、問い正す強い意志を感じた。
今年は戦後八十年。戦争は本当に終わったのだろうか。今まで知らなかったことが幾多もあるのではないか。戦後八十年の「検証」は本当になされているのか。戦前・戦中・戦後におきたすべての国民の死と生きる苦しみの「事実」が、すべて伝承されていないし「検証」できていないのだ。松原監督は「事実」をフィルムに刻印し残し伝える使命感を持ち「検証」したのだ。
乙女の碑に行ってきました。
映画を観て、パンフを購入して読み、岐阜県白川町にある「乙女の碑」に行って花を手向けて来ました。「岐阜県の白川」と言っても合掌造集落で有名な白川村とは全く別の場所です。「美濃白川」と呼ばれています。静かな山村ですが極端に辺鄙な地域ではなく、名古屋や岐阜からもまずまず行きやすい場所ではあります。黒川集落の鎮守の神様である佐久良太神社の境内に「乙女の碑」はありますが、碑文は本当にぎっしり書いてあって、これをしっかり読むことによっておおよそのことが分かるようになっている丁寧でかつ学びの多い碑文だと思いました。猛暑日の午後、神社の境内に30分ぐらいはいましたが、地元の方も含めて誰もいませんでした。境内は非常に良く手入れがされていてこの場所が昔も今も村の鎮守としての役割をしっかり果たしているなあと思いました。前述の飛騨の白川村とは異なりほぼ観光色のない場所(失礼)なのでオーバーツーリズムの心配はないと思います、地元にしっかりお金を落として訪れてみてはいかがでしょうか。
別の話です。作品やパンフの中(主にパンフ)でどうしても納得できない部分があります。自分の中でまだ整理ができていません。また投稿したいと思います。
戦争と性暴力の事実
ひとつづつ明らかにされるべき満蒙開拓団の悲劇
80年前に満州で性被害にあった女性たち。これは彼女たちの証言により史実を未来に伝えんとするドキュメンタリー。
1932年(昭和7年)、中国の東北部に日本の実質的な植民地として建国された満州国。日本政府の国策のもと農業移民団である満蒙開拓団が日本各地の農村から入植した。
まずは多くの人が満州へ渡ったシステムを再認識する。
1941年から44年にかけて岐阜県黒川村(現・白川町)から渡った黒川開拓団。1945年8月にソ連軍が侵攻し、過酷な状況に追い込まれた。18歳以上の女性15人を性の相手として差し出すことでソ連軍に守ってもらう道を選択した。
帰国後の差別と偏見。
事実は長年にわたり封印されることに。
しかし終戦から68年が経った2013年、黒川の女性たちは手を携え、加害の事実を公の場で語りはじめた。女性たちの証言を松原文枝監督が丁寧に紡いだ。感動的なドキュメンタリーになった。
ただし黒川開拓団の悲劇は氷山の一角。
日本全国で約800の開拓団、27万人が満州り、8万人が犠牲になったという満蒙開拓団。困窮する農民を嘘のプロパガンダで誘導し、満州に置き去りにした日本政府が「死者の数では計り知れない悲劇」を産んだ。
タイトルなし(ネタバレ)
日本って都合の悪い事は黙ってなかっと事にしてしまう。それもいつもは大和魂はと言いながら女性をソ連軍(当時)に差し出す事にした男達に呆れ果てる。また戦後も黙ってない事にしている男性達に怒りを感じる。それでも、開拓団長の孫がその女性達の慰霊碑を建立するのに尽力する姿に感動しました。
哀れ棄民政策の果ての陵辱
冒頭、「満蒙開拓」の実態がいかなるものであったかが明かされる。傀儡国家・満州を実質支配する関東軍が入植者を配置したのはソ満国境沿いであり、ひとたび急あれば入植者を徴用する意図があったこと。日本各地から貧農を集め、甘言を弄してあてがった土地は、現地農民の家屋田畑を接収したものであったこと。未開の地を開拓するのではない、武力をもって収奪した農地を居抜きであてがったのだ。さらに、入植した日本人部落の人員構成など詳細な情報がソ連側に知られていたこと。
黒川開拓団の悲劇がそのあと語られるのだが、まずもって杜撰ででたらめな植民地である満州に、多くの日本人を送り込んだ政府・軍部の棄民政策にこそ原罪がある、と制作者はこの序章を忘れなかった。
戦時中の性被害というと慰安婦問題が想起されるが、これも当事者からの告発がきっかけであった。なかったことにされては2度死ぬことになる。悲痛な声に我々は耳を傾けなければならない。
男性の愚かな弱さと女性のしなやかな強さに眩暈がしました。
昭和40年代生まれの私にとって、第二次世界大戦は、過去であり、歴史の授業で学ぶものでした。
満州という言葉は知っていましたが、それが何か、明確に理解はしていませんでした。
そして、そこに希望を抱いて赴いた日本人が、どんな末路を辿ったのかも。
「性接待」がどういう意味かは、知っています。
けれど、満州撤退時、村民が無事に日本に帰るために、共に暮らしてきた村の若い女性たちを護衛するソ連兵に差し出すなんてことが行われていたことに衝撃を受けました。
選ばれたのは、数えで18歳以上の女性15名。
彼女たちは、その場に行くまで、お酒を注いだりするような接待だと思っていたのです。
この時代なら、皆さんきっと男性経験もないでしょう。
このむごさを、段取りした男性たちは、想像できないのでしょうか。
また、彼女たちの母親は、これに同意したのでしょうか。
私には娘はいませんが、母親だったら、娘の代わりに自分がと思わないのでしょうか。
日本に帰ってから、この「性接待」そのものがなかったことにされ、皆のために身を犠牲にした女性たちが貶められる状況に、胸が痛くなりました。
むしろ、日本に帰国してからの方がつらかったという女性の言葉が、心に沁みました。
私は、危険な目に遭ったことも、ひもじい思いをしたこともありません。
けれど、今、この瞬間も、争いは世界中で起き、亡くなっていく方がたくさんいます。
黒川の女性たちのような、弱い立場の人たちが虐げられているという状況は、過去の話ではありません。
こんなに強烈に、見て見ぬふりをせず、向き合わなきゃと思ったのは、初めてです。
まず、乙女の碑に、お参りに行きます。
戦後80周年映画として現在暫定1位
タイトルなし(ネタバレ)
終戦時、満州開拓団を襲った悲劇・・・
太平洋戦争後半、貧農たちは満蒙開拓へ急き立てられるように海を渡った。
岐阜県黒川村の農民たちも、そんな集団のひとつだった。
開拓とは名ばかりで、既に開拓されてた土地を現地の人々から安く買い上げて農業をするのだ。
だが、終戦間際、ロシアの参戦により状況は一変する。
開拓団を守るべき日本の関東軍は知らぬうちに撤退。
土地を奪われた満州の人々が開拓団の集落を襲う。
身の安全を得るために開拓団が採った手段、それはロシア軍に守ってもらうかわりに、村の若い女性を差し出すことだった・・・
という太平洋戦争秘話。
犠牲になるも生き延びた女性たち、遺族たちの証言。
十数年に渡る取材・インタビューをまとめたドキュメンタリー。
事の陰鬱さとその後の対応は、いま振り返るべき重みがある。
このことについては「隠すべきこと」として、封印されてきた。
「なかったこと」にするよりも酷く、「あったこと」だが「忌むべきこと」としても封印。
犠牲になった女性たちの扱いは、帰国後の方が酷かった。
団長ほか、開拓団をまとめる立場の者たちが、生き延びるために若い女性たちを差し出すという決断をしたにもかかわらず・・・
この構図は、戦争についての責任を追及せずに、GHQ指導の元に戦後生活を得た日本そのものに重なる。
というわけで、描かれる内容は非常に重要である。
が映画作品としては、テレビの報道特番のような印象を受ける。
これは、同じようなショットや証言が繰り返されるからか。
それとも、本件を次代へ繋ぐ、という流れ・作品のつくり自体が綺麗事にみえるためか。
映画としては「惜しい」感じがしました。
いうなれば、ルポルタージュ本として、じっくり読みたかったなぁ、という感じなのだ。
事実
戦後80年 見るべき映画とはこの作品
仕事が休みだった平日。自宅から地下鉄に乗って映画の上映館がある渋谷に向かう。
電車の席に座ると、目の前になかなか素敵なマダムが一人。年齢は50過ぎか。僕よりは若いだろう。
その彼女をチラリと見て、ぼくは渋谷に向かう30分、電車に揺られた。
で、映画館に着き、上映までしばらく待っていたら、そのマダムが連れと一緒に隣にいた。ちょっとびっくりした。まあ、それはこの映画とは無関係の話。
この手のドキュメンタリーを見る人って、どういう人なんだろう。日本の戦争犯罪、戦争責任とかに関心のある「左」の人だろうか。きっとそうだろうな。
平日の昼間、予想外に客は入っていた、3割弱はいたかな。でも、ほとんどが60、70代の男女だった。僕もそのひとりだが。
ドキュメンタリー映画である。内容的には過去にテレビで放送されたり、ノンフィクションとして出版化もされたことである。新事実があるわけではない。
過去にNHKなどで放送されたものに比べると、彼女らの深刻な体験についてはマイルドな伝え方になっている、と感じた。
ただ、「性接待」を強要された人たちの証言だけでなく、戦後生まれの人たちが彼女らとどうかかわったか、という今日的視点が織り込まれ、考えさせる内容になっていた。
テレビ朝日の社員ディレクターによる作品だが、ミニシアターでの上映だけでなく、広くテレビでも見られてほしい内容だと思った。
にしても、彼女らのことを書いた「碑文」が参政党やら維新やら保守党やらの極右、歴史修正主義者らにペンキでもかけられないか、なんてことがなければいいけど。
映画「国宝」のレビューが、僕が書いた1本を含めて1500を超えているにのに比べると、本作はたったの15本のレビューしかない。
戦後80年。歴史を知り、そして考えないといけないのである。
せめて50、60のレビューがついてほしいものだ、と思う。
地下鉄の中で見た、あのマダムは映画を見て、どう思ったかな…。
全34件中、1~20件目を表示