「悲しみを乗り越えるには、対話と温もりが必要なのだと思う」カーテンコールの灯 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
悲しみを乗り越えるには、対話と温もりが必要なのだと思う
2025.7.3 字幕 アップリンク京都
2024年のアメリカ映画(115分、PG12)
家族に問題を抱える偏屈親父が街の劇団で奮闘する様子を描いたヒューマンドラマ
監督はケリー・オサリバン&アレックス・トンプソン
脚本はケリー・オサリバン
原題は『Ghostlight』で、誰もいない劇場などにずっと灯り続けている照明のこと
物語の舞台は、アメリカ・イリノイ州ウォーキガン
建設作業員として働いているダン(キース
カプフェラー)は、家族に起きたある事件からずっと立ち直れずにいた
彼には学校の先生をしている妻シャロン(タラ・マレン)との間に、15歳になる娘デイジー(キャサリン・マレン・カプフェラー)がいたが、彼女は素行が悪く、学校から呼び出しを喰らいまくっていた
ある日、路上の工事中に通行人とトラブルになったダンは、そこに偶然居合わせたリタ(ドリー・デ・レオン)に声をかけられた
少し離れた先にある空きテナントに擦れてこられたダンは、そこで数人が演技の練習をしているのを目撃する
「なぜここに?」と聞くと、リタは「別人になりたがっているように見えたから」と答えた
リタは元女優で各地を駆け回っていたが、地元でも何かをしたいと考えていた
そこで「ループメカニズム」という劇団を立ち上げて、社会からはみ出してしまった人たちを集めて、内輪で寸劇を上演しようと考えていた
ダンはあまり乗り気ではないものの、同じように悩みを抱えた彼らとの時間を過ごす中で、能動的に参加していく事になった
彼はその行動を家族に内緒にしていたが、間が悪い事に、リタと抱き合っているところを妻とデイジーに見られてしまった
妻は浮気をしていると思い、デイジーは父の行動を追いかけるようになった
デイジーは楽しそうに演劇に没頭する父の姿を目撃する
ダンは「ここでは忘れていられる」と言い、デイジーもその劇に参加することになったのである
映画は、劇中で「ロミオとジュリエット」を演じるというベタな内容なのだが、「両家が呪いあう」とか、「愛する二人が両家の不寛容によって自死を選ぶ」というところが「問題」を彷彿とさせていた
映画では、ダンたちが抱える問題というものがミステリー要素になっていて、彼らの庭で何が起こったのかは後半になってから描かれる
デイジーの校内暴力に関しても、事件が起点となっていて、そこには相容れないものがあった
ダンは、相手の家族に事故の遠因があると訴えていて、そのための会合が設けられていた
だが、演劇活動を通じて変化していくダンは、相手の感情を汲み取って、「もし立場が違えば」と訴えることを辞めてしまうのである
映画の原題は『Ghostlight』で、これは「無人の舞台などでずっと点いている照明」のことで、舞台に対する敬意であるとか、慣習と言ったものが込められている
舞台のスポットライトを浴びることで、ダンに取り憑いていたものが浄化されていくという意味合いもあるのだろう
何者かになったことで、過酷な現実を乗り越える事になるのだが、見ないふりをするよりも、向き合って消化することのほうが大切なんだなあと思った
いずれにせよ、ダン一家がリアル家族というのが驚きで、夫婦のイチャラブを見せられる娘の反応がリアルで良かった
リタを含めた劇団員も個性的で、それぞれが抱えている悩みまでは描かれないけれど、その優しさというのは十分伝わる内容だった
ロミオとジュリエットを知らなくても問題ないくらいに説明は入るのだが、劇が始まる際の前口上をデイジーが行うのは感慨深いものがある
彼らは「ちゃんと悲しみたい」と考えていて、それを阻害しているのが訴訟沙汰だと思うのでが、ここまで家族を巻き込んで「自分だけが英雄になろうとする」という妻の言い分も最もだと思う
この家族には対話が少なく、それがブライアンの事件を引き起こしたのだと思うが、それを呪いと取るかどうかはそれぞれの思考に依るのかもしれない
だが、この劇を機に対話が増えていくと思うので、そう言ったセラピー的な効能もあったのかな、と感じた