「真実?そんなものはベートーヴェンの本質ではない」ベートーヴェン捏造 てんぞーさんの映画レビュー(感想・評価)
真実?そんなものはベートーヴェンの本質ではない
楽聖の神話を綴った男の物語
ベートーヴェンの秘書シンドラーが「俺の考えた最強のベートーヴェン」を綴る話。
愛というか狂信というか、とにかくイキすぎた男っぷりのシンドラーがとても良い。
「多少の誇張は仕方ない」「そんなものは彼の本質ではない」などと言って、歴史に残るべきベートーヴェン像を追い求めて暴走するシンドラーがついにイマジナリーベートーヴェンを呼び出すシーンは狂気の沙汰すぎて最高。山田裕貴のテンション抑え目な演技とも相まって何だかんだ憎めないキャラ。
当のベートーヴェンの実像は小汚くて癇癪もちの気難しい男という、けっこう大概な感じだが、古田新太が演じることによって絶妙な人間味が加わっていて魅力的。
そもそもこの男がもっとちゃんとした人間だったら、シンドラーもあんなに悩まずに済んだのだ。歪められた偶像を拡散された本人ではあると同時に全ての元凶でもある。
作中一番の山場は、やはり「第九」の初公演。
もはや過去の人として忘れ去られようとしていたベートーヴェンがその才能を再び世に解き放つ瞬間はまさに英雄の凱旋。シンドラーと共にその姿を目撃する観客も「この瞬間を後世に残したい」と思わずにはいられないカタルシスがある。
ただ、このエモーションは「第九」の音楽性の素晴らしさに支えられたものなので、「音楽が良いだけじゃん」と言われるとぐうの音も出ない。だが、ベートヴェンの偉大さを伝えるのにベートーヴェンが残した音楽に頼るのは全く正しいし、物語ではなく音楽そのものに極めて高いエモーションが宿っている証でもあるので、このシーンはこれで正解だと主張したい。
結局、シンドラーの行いは罰せられるべきなのかどうか。
現代まで「第九」が偉大なる名曲として残されている事実の一部に、シンドラーの功績が含まれている事は間違いない。
ベートーヴェンのどうしようもない部分と、後世に語り継ぎたい輝きと、その両方を見せてくるので、観客もまた実像と理想との間で思い悩む。最後には功罪打ち消し合って、シンドラーの執念だけがそこに残される。一念で岩どころか歴史を貫いてしまったシンドラーの信念には、善かれ悪しかれ感服するしかない。
