「果たして捏造は是か非か」ベートーヴェン捏造 猿田猿太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
果たして捏造は是か非か
捏造の是非。それがこの映画を見終わった後に考察し、自分の意見で議論したくなるポイントだと思うのですが、果たして主人公シンドラーが何のために捏造したのか。その是非は?
人の行動って動詞や述語が大事だと思います。「何を」が主語で名詞で、「どうした」が述語で動詞。その人のために説教しても、どんな話であれ「攻められた」ことに腹を立てて逆ギレする。
シンドラーの捏造に対し、ジャーナリストのセイヤーが「ウソをついた」ことに腹を立てて責め立てる。そりゃあジャーナリストにとって、嘘は許せない。じゃあ、シンドラーがしたことは「嘘をついた」ということか。
確かに「嘘をついた」と思う。でも違う言い方も出来る。「演出をした」とも云える。「運命の扉を叩いた」と言えば面白い。格好いい。彼も音楽を学んだ芸術家である。芸術ならば飾り立てたり、削って整形しなおして、美しく仕上げるのが本領。まずそこがジャーナリストとシンドラーとの違い。
もう一つ、「護った」とも云える。過去の筆談のノートを焼き捨てて隠蔽し、書き足して捏造した。それは彼の面白からぬスキャンダルな過去を世間から伏せるため。誰にでも墓穴まで持って行きたい黒歴史はあるでしょう。
しかし、亡くなったベートーヴェンの意向はどうだろう。捏造に奔走するシンドラーの傍らに感謝の意を述べて立つ亡きベートーヴェンの亡霊は、ヤンデレ・シンドラーが描いた妄想ではないか。「護るために敵を刺す」と自分から言い放つほどのヤンデレマネージャー・シンドラーをベートーヴェンは本当に認めたのか。シンドラーの独りよがりな「ベートーヴェン像」を世間に押し広めただけではないのか。
それはもう、ベートーヴェンこそジャーナリストでもない芸術家であるし、黒歴史は誰だって隠したい。ベートーヴェン本人からみれば、「ちょっとそこは違う」と言いたいところはあっただろうけど、面白くないことはかくして欲しいのは当たり前。
それにもう一つ、シンドラーには絶対の自信があったと思う。それは、チケットの売り上げを着服したと、ありもないことを責め立てたヴェートーベン、それに逆らわずに「さようなら」と言い残して立ち去ったこと。ここに何故か大きな信頼関係を感じました。互いにそれが嘘だと知っている。判りきっているけどシンドラーは何も言わずに去ったし、何も言わずに立ち去ってくれることをベートーヴェンは知っていたのではないでしょうか。それはもう、ベートーヴェンの甘えだと思う。だから、戻ってきたシンドラーと信頼関係を取り戻したのもそのためで、老後に遠慮なく甘えることの出来る相手、それがシンドラーであったと思う。
つまりはまあ、ベートーヴェンの意向通り。ただし、やっぱり嘘は良くないですね。良くないからこそ、こうした「暴露映画」が面白い。まあ、面白かったから感謝すべきでしょうか。「利は無い」と生徒はいったけど、お陰で本は売れるし映画化もされているし。
まず、映画の在り方も判りやすくてよかったです。ベートーヴェンといえば音楽室の肖像。この捏造の話なら、アレ抜きには語れない。学校の音楽室を舞台に、なんだかドライな生徒に構って貰いたがってる寂しそうな先生のやりとりも何だか面白い。肖像については、Youtubeで山田五郎先生が解説をしていたはず。どんな話だったかな。後で見返そう。この映画を機に再生数が増えると良いですね。
そもそも「なんで日本の役者で撮ったの?」って思った。見始めは「チコちゃん」かなんかのチープな再現ドラマっぽく見えたけど、なんか漫画的で非常に面白かったし、いろんな役者さんが偉人を演じているのも楽しみ。フランツ・リストもなかなか美少年だったから、もうちょっと活躍してほしかった。再現ドラマの冒頭で理想と現実、双方のベートーヴェンを出しているの良かった。それだけで何の映画かを象徴していた気がする。
そんなわけで見終わってみればしっかり構成された面白い映画だったと思う。最近、邦画が面白いな。これからも楽しみです。
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