おーい、応為のレビュー・感想・評価
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応為の内面のドラマはあまりない、芸術家親子の日常系映画
タイトルロールは葛飾応為だが、終盤にはいつの間にか北斎の物語になっていた。
応為関連のエピソードの多くが断片的で、ただ日常を淡々とたどっているように見えたこと、そして永瀬正敏の北斎の方がキャラ・ビジュアル共に作り込まれている印象だったことがその原因だったように思う。
先によかった点から書くと、長澤まさみはとても魅力的だった。北斎の部屋でくつろぐ彼女の、着物の裾から覗く膝下の長くて美しいこと。江戸時代に本当にいたら周囲から浮くのではといらぬ心配が湧くほどのスタイルのよさ。そんな彼女が着流しのようにマニッシュに着物を着こなして強気な物言いをすると、独特の婀娜(あだ)な雰囲気がただよう。
ところどころで見られた、江戸のレンブラントとも呼ばれる応為の画風に寄せたような光と影のコントラストが美しい映像は、応為へのリスペクトを感じられてよかった。
ずっと美しかった長澤まさみの横で、老けメイクばっちりなだけでなく老いを段階的に演じ分けた永瀬正敏の演技力が際立った。
正直なところ、人間的な魅力も北斎の方が上手く描けている気がした。馬鹿にしていた長寿の煎じ薬(wikiによると茯苓(ぶくりょう)という生薬らしい)をしれっと常飲していたり、迷惑がっていた子犬のさくらを添い寝するほど可愛がるようになる様子は人間味があって微笑ましかった。愛する者の姿に死の影を見ることに耐えられないのか、病床の息子にも会いに行けなかった彼が、取材旅行から帰ると死んでいたさくらの墓の前で、肩を震わせる姿に胸が痛んだ。
パンフレットの年表と、以前見た「新美の巨人たち」の応為の回での情報を合わせると、応為が夫と離縁して北斎のもとに身を寄せた1820年、彼女は20歳位だったと思われる(厳密には生没年不詳)。長澤まさみの美しさと演技で、この時期の描写にはさほど年齢的な違和感はない。
ところがこの後、11年ほど時間が飛んだ場面で、北斎はがっつり加齢が進んでいるのに応為の顔はつるんとしたままなのを見てちょっとだけ「あれ?」と思った。
まあいいか、と思っていたら、時間の経過と共に北斎だけがさらに年を取っていき、応為は終盤で少し白髪が生えたもののお肌はツルツルなままで(北斎が亡くなった1849年、応為はアラフィフのはず)その落差に対する違和感が雑念になって気が散ってしまった。
もう少し、2人の加齢のペースを揃えてもよかったのではと思う。
また、応為に関するエピソードがどれも北斎の横に並べて語るにはインパクトが弱すぎる印象だった。
そして「自分の意思で父親の世話をしていた」と応為に語らせたことで、親子愛の話にはなったが応為の内面のドラマがさらに薄くなった気がした。
実際の応為の気持ちは当然わからないのでこの辺はもう完全に私の好みの話になってくるが、十分な才能を持ちながら天才である父の助手に甘んじざるを得ない人間の葛藤を描く方が人間描写としても面白いし、応為が女性だからこそ現代に通じるテーマ性も出てくるのにと考えてしまった。
まあ、私が勝手にそういう物語を期待して、蓋を開けたら日常系&親子愛の話で肩透かしを食らった、それ以上のことではないのかもしれないが。
あと、映画を観ている時は気づかなかったが、キャストは自分で浮世絵を描く練習をかなり重ねたそうだ。にもかかわらず、北斎が障壁画を描く時以外、吹き替えなしにここまで描くのだとびっくりするようなシーンはほとんどなかった気がする。障壁画のシーンも、実際は浮世絵指導担当の想定の3倍ほど長回しで撮って、その間永瀬正敏はずっと描き続けたらしいが、映画では最初の数タッチしか使われていない。
せっかく練習したなら、長澤まさみが、永瀬正敏が実際にここまで描いてるんだ!と驚けるような映像が見たかった。そのような映像は役柄のリアリティも向上させる。
パンフレットの浮世絵指導担当者インタビューには、「監督は欲張らず、見せきらない選択をされて、すごい」とあったが、いやいや見せてくれよ。もったいない。
葛飾北斎の事全然知らない
髙橋海人くん出てるから、観に行かなきゃなーって思ってて、シネリーブル池袋でやっていたから、株主優待券使って観てきた。
そんな程度の動機で観に行ったから、葛飾北斎に画家の娘がいたことも全然知らない状態で、どんな話しかもよくわからず観に行ったけど、良き作品。
喧嘩をしながらも、父の北斎を師匠として尊敬している娘が、父にずっと寄り添っていて、父も娘の才能を認めていて…ほっこり心地よかった。
葛飾北斎って、あんな昔であんな長寿だったんだ。しかも絵を描きながら死ぬって、全うしてるな。
好き嫌い分かれそう
ドラマチックではなく、芸術天才肌の不器用な親子愛のドキュメンタリー
全体的に淡々としている
あと、唐突に女性が上裸になるシーンがある
(そこに海人くんはいないのでご安心を)
かいつまんで言うと
かいつまんで言うと婚家で同じく画家の旦那の絵をボロクソけなして北斎の家に出戻ってから、北斎が亡くなるまで約30年寄り添った娘の日々を綴ったもの、出て来るエピソードは
ほぼ「百日紅」(エンディングにも参考文献として「百日紅」出ていたし)個人的に思ったのは長澤まさみの髪型、下ろした姿も含めて現在なら違和感ないが、江戸末期なら違和感ありありだなと。あと、近年の邦画としては珍しくオッパイが丸出しのシーンがあったのにビックリした。それだけ!!
内容はない
貧乏絵描き親子の貧乏暮らしをただ繰り返していくだけで何も起こらず。
この親子を題材にするにはあまりにも材料が足りなさすぎるからなのではないか。
このタイトルを付けたかっただけな気もする。
永瀬正敏の特殊メイクは途中から永瀬かどうかも分からなくなって頑張ってるなとなったけど長澤まさみはさすがにまだ若いから無理がある感じ。
どうにも長澤まさみにはこういう役が似合ってるとも思えないのは何でだろう。ただ暗いだけだからなのかな。
これは過大評価ではなく私が本当に感じた感想です。
色々な意見があると思いますが、役者さん達のなりきり様が上手いなと感じました。応為役の長澤まさみさんは男勝りな女の人だが好意を持っている男性の前になると乙女な表情がチラリと出てたり(それはあざといとかじゃなく素直な心の表情がちょっと出る感じ)自然に演じられてて役者長澤まさみの上手さを感じれました。恋する時と絵に向き合う時の表情が素晴らしいです。男っぽい着物を着て歩いていても全然変じゃない。むしろカッコいいです。筆の持ち方も練習されたんでしょうが、まさに絵師になりきっていました。近所で火事を見た時に普通の人なら不謹慎だと思われる「綺麗だった」なんて感想を言う所があるんですが、美術に関わっている人だからこその感性なのかなと思いました。北斎役の永瀬正敏さんも90歳までの北斎を演じられてて凄かったです。メイクもあるのでしょうが、本当に永瀬さん?と思うぐらい後半晩年の北斎は本当に90歳に見えました。絵を描いてるシーンが多かったですが長澤まさみさんと同じく筆の持ち方、姿勢が絵師そのものでした。口は悪く出戻りの応為を邪魔者扱いするけど、本心は娘の事を心配している。後半のシーンで年老いた北斎が応為に人生は1度しかないから北斎を捨てて好きな事をして生きろと言ったシーンはボロ泣きでした。善次郎役の髙橋海人さんも応為の友人役でしたが、自然な感じて良かったです。絵が好きだった訳じゃないが生活の為(妹達を養う為)、絵師になったと言う役でした。女好きで遊び人っぽいんですが、本当は応為の事が好きなのかな?と思いました。(応為を抱き寄せてキスしようとしていたシーンがあったので。でも応為に避けられてました)犬も可愛くて、「さくら」と名付けられてました。なんか他の役者さんの事や書きたい事が山ほどあるんですが、主要3人までにしておきます。(((^_^;)後は劇場の皆さんの目で確認して下さい。
面白かったと言うのは違うような
北斎と応為、父娘の日常を描いた作品でした。
大きな事件が起こるわけでもなく、淡々と過ぎていく毎日。
口は悪いが愛情が伝わる父娘の会話にくすっとしたり、可愛い「さくら」と「善次郎」にほっこりしたり、これを「面白かった」と表現するのも違うような・・・
私は好きな映画でしたが、人に薦めるには言い方に困るタイプかなw
好きなシーンは、娘に雅号を渡すところ。
いつもより豪華な食事を買いに行かせる北斎、「祝い事?」と聞く娘、雅号を渡されて自分が発した「祝い事」が自分事だったことが分かって、ちょっと嬉しそうな父と娘が良かった。
それから、善次郎と応為の艶っぽいシーンも良かった。違う形の愛情の交換が行われた感じがして、最期の時まで北斎と応為に愛されていた善次郎を演じたのが、髙橋海人くんなのはキャスティング大正解だと思いました(ファンの贔屓目だけじゃないと信じてる)。
あと音楽が好きでした。
大河ドラマを期待してはいけない
いま放送中の大河 べらぼうを見ていて 蔦重という人間が色々な画家や戯作者をプロヂュースしていたと知り、また先の映画里見八犬伝で馬琴の挿絵画家だと知り、それを期待して見に来たが、あくまで応為と北斎の親子関係しか描かれていなく(それも表面的な物しか)て、他の画家などの歴史背景、人間関係がかかれていなくて、見ていて残念でした。事前にそれらの情報が入っていれば(東海道53次を書きに旅に出たとか)まあこの時がそうだったんだなとかわかるけど。
ただ改めて大河ドラマってうまく(創作も多いけど)つくるんだな、と感心だけはしました。せめてエンドロールで北斎の経歴とか、応為の作品年表とか写したらなるほどと思えたんだけど・・・・。映画鑑賞後に応為の作品調べたら、劇中で書いていたものがそれとわかりましたが、せめてそれをエンドロールとかで見せて欲しかった。
あと終始画面が暗いですので、白内障とかあると疲れます。室内シーンが多く逆光のシーンが多いので役者さんの顔が見にくい。
ただ北斎の老後の特殊メイクは良くできてました。
仕事の極道
広く知られている葛飾北斎と、まだそれほど知られていない娘、葛飾応為(お栄)の物語。
焦点は二人の日常生活に当てられている。
女優の美しさは観ている側に取って邪魔になる時がある。
美しさがストーリーやキャラクターとシンクロしていれば無敵だが、映画やドラマの多くは日常が描かれる事が多いわけで美男美女が演じている事自体無理がある。
そういった意味では主演の長澤まさみさんは、存在感と演技でその違和感をねじ伏せていると思う。
時代考証は大事だと思うけどね。でもそれが
中心になる必要はない。
前田利家の身長の様な例もあるわけで、江戸時代にモデルのようなプロポーションの女性もいたかもしれない。それがたまたまお栄だったと言う楽しみ方もある。実際はともかくとしても。
1番印象に残ったのは、お栄と盲目の妹お猶(おなお)のシーン。普段は無頼の様なお栄だが、その優しさが強く表現されている。ほんの少しだけ自分も似た経験があるので、画面が見えなくなるほど感情移入してしまった。
お栄は綺麗なものと一緒にいたかったんだろうな。
恋をしていた相手。北斎の描く絵。北斎の絵に向き合う姿。それが見える隣に居たかったんじゃないかと思う。
芸術の極道の様な葛飾北斎に永瀬正敏が嵌まっている。いや永瀬さんが嵌めているわけだが、もう少し若い頃からの北斎も見たかった。
最後にあの年号だけはいただけないなあ。
誰か進言する人いなかったの?
何が描きたいんですか
ちょうどいい時間にやってたから、という適当な理由で特に期待もせず鑑賞
いや、ただひたすらに退屈でした…。
わたしはフランス映画なども観るほうで、静かな映画は嫌いじゃないんですが、それでも退屈すぎて2回ほど寝ました。
静かにしても心情描写がなさすぎる。
長澤まさみの演技は単調で、べらんめえ口調でかっこつけてるか怒鳴るかの二択
何を考えているのかも表情などでは伝わってこず、主人公なのにペラペラの人物像
序盤の火事のシーンなど、火事に対してどう思っているのかが伝わらず、のちのセリフで(ああ、火事が好きなのね、ちょっと表情ではわからなかったな)と困惑しました。
なにかが起きてもそれに対してなにを思っているのかが伝わらなかった。
北斎のほうは一貫してたのでまあ、という感じ。
ただ汚い家で偏屈に絵描いてるだけの人ではあったけど。
ほかの登場人物も、物語にとって別にいてもいなくても変わらない人間たち。必要なのはお母さんぐらいか。
彼らとの交流で心情描写が深まるっていうこともなく、ただ少し普通にちょろっと話して終わり。
だから死んでも(ああ死んだんだな)という感想しか抱かないし、悲しんでる親子を見ても そこまで深い交流があったわけじゃないのになんで悲しいのかわからない、という感じ。
前半に心情描写が深まっていないのに後半に急に心情描写が出てくるので、急にどうした?と思います。
そして浮世絵師の話なので、作品に対する思いとか制作の苦労とかの話があるかと思いきや、なんか絵描いてるな、っていうだけ。
2時間の尺ですが、ほとんどのシーンが心情描写やのちのストーリーには関係なく、ずーっと日常風景を見せられていただけでした。
終盤親子の絆みたいなのを描きたいのかな?ってやっとちょっとわかったけれど、それまでに親子が交流したりお互いを気にしたりするシーンもほとんどなかったなと。
そして、長澤まさみはひとりだけ老けなさすぎて不自然。
ホタルのシーンも安っぽい演出すぎてびっくりしました。あんなんならあのシーンいらなくない?
セリフ回しもなんか江戸っ子っぽいところと現代女性っぽいところがあって、統一感がないなあと思いました。
散々酷評しましたが、まあ強いて良いところを挙げるとすれば、
・犬がかわいい
・エキストラの人や街のセット、部屋のセット、遠くで聴こえる雑音がリアルな江戸な感じがして良い
・北斎の老け方が良い
以上です。
あとは特に見どころはないかな、ひたすらに眠かったです。
長澤さんと永瀬さんの親子良かった。
江戸の人ってそんなに蕎麦食べたの?と思うくらいに
蕎麦食べること強調してる感じでしたが
しゃがんで食べる長澤さんの俺っぷり良かった。
大道芸の飴屋と金魚やなど江戸を強調するシーンが多かったのに、北斎の絵を描く凄さは強調されずに長澤さんとのやりとりでだけ強調された。最後の方の小屋のシーンには泣けた。最後の最後に北斎っぽいのがいい
普通であることは不幸か、それとも幸福か
物語構成にはせず、アルバムをめくるように、その時々の応為と父・北斎の生活が描かれる。
せっかくの北斎なのだから、一枚ずつ絵を眺めるように、とでも言いたいところだが、写真のほうが近い。
凝縮されたものはなく、写真のように、蓮っ葉な態度を貫く応為は、普通なのである。
それなりに期待もしたのだろう結婚は破綻し、恋しい人には想いを伝えることすらできず、応えるだけで得られた幸福を掴むこともしなかった。
家族を普通に愛し、また家族からも愛されていた。
その普通さが、やけに侘しく感じられてしまうのは、傍にずっと北斎がいたからか。
絵に対する感性もあり、それなりに父や周囲に認められもした。
けれどーー彼女は北斎のレベルからは程遠い。
本人が一番それを解っていたのだろう。
北斎が何度も自分の傍から応為を離そうとしたところは印象的だ。
それでも応為は父の傍から離れなかった。
離れられなかった。
面白くはあったが…正気言えば眠くもあったかな。
波が収まっていくように、話の起伏が進むにつれて小さくなっていったから。
いつでも幸不幸ともに抱える応為のように、面白さと退屈さが常に同居していた…そこがいいとも言えるのだが。
役者陣は皆、素晴らしかった。
神々の対話
言わずと知れた日本が誇る大画伯「葛飾北斎」の娘「葛飾応為」を主役とした物語。私は、以前何かの機会に「吉原格子先之図」を見たのをきっかけに応為の存在を知ったが、父親の作風が太陽だとしたら、月の光を思わせる彼女の作品の画力に圧倒され、知名度は父親程では無くとも、娘も負けず劣らず後世に名が轟く程のとんでもない仕事人という認識をしていた。そのため、本作品で描かれたこの親子の会話、表情、一挙手一投足の全てがまさに神の領域にいる人物同士の対話のように思えてならなかった。
それから、ストーリーだけでなく、主演長澤まさみさんはじめ役者陣の演技、表情、仕草は、まさに、いかに「吉原格子先之図」という大傑作が生まれたか、ということを感じさせるものとなっており、作品を生むことの奥深さを味わうことができた。また、こだわり抜かれたカメラワーク、光量のバランス、江戸の町並みや長屋、季節の風景があったればこそ、そのように思わされた訳で、映画職人の方々の仕事の素晴らしさにも感服せずにはいられなかった。
最後に、「HOKUSAI」「北斎漫画」「百日紅 Miss HOKUSAI」と北斎および応為を描いた映画を見てきたが、本作の永瀬正敏さんの老北斎先生が、私が選ぶザベストオブ老北斎となった。特に、第4形態か第5形態だろうか、頭が丸まってからの北斎先生の、出来上がっちゃった感、体使い、死に様が堪らなかった。私は、永瀬さんの役作りに、おそらく北斎が作品作りの際に見せたであろう、狂気とも呼ぶべき命がけの姿を重ねて見ることができ、終盤はひたすら『こうなりてぇなぁ』と心の中で呟き続けてしまった。そのことを思い返すだけでも贅沢な2時間だったと言える。
監督の持ち味と噛み合っていない?
「北斎漫画」(81年)という作品がある。新藤兼人作品で、データによると緒形拳さんが葛飾北斎役で、応為役は田中裕子さんだった。
北斎の描いた浮世絵をスクリーン上に再現させようとする目論見があるように感じられる作品というのが公開当時の私の印象だ。
TV放映も何度かされたと記憶するが、平成以後にはないかもしれない。
葛飾応為という人を私は知らなかった。映画「北斎漫画」にもでているはずだが、私の記憶からすっぽりと抜けていた。
かの北斎の娘とはいえ、武士や公家の娘ではないので残された資料は少なく、詳細はよく分からないようだ。映画の最後にも、北斎が亡くなった後の応為について諸説ありとしているくらいだ。生没年すら不詳ということだ。
北斎が引っ越し魔(本作でも幾度も引っ越しをしている)で当時としては長生き(享年88才)だったことはクイズ番組等ではよく出される事柄なので、その程度の基礎知識で映画を観た。
応為は、江戸落語に出てくるような小気味良い啖呵を切る人物として描かれる。嫁いだ先の夫(絵師)に罵詈雑言を浴びせて三下り半を突きつけるところから映画が始まる。長澤まさみさんはいい感じで演じていたと思う。
ただ、映画に臭いが立ち上がって来ないという印象か。
江戸の長屋に、散らかり放題で、歴史に残る浮世絵師の仕事部屋には特有の臭いがあるはずだが、何故か無臭の印象だ。
4D映画じゃあるまいしと思う人もいるかもしれないが、優れた映画には湧き立つ匂い(臭い)がするものだ。
食事シーンとかもっと工夫してもよかったのではないかと思う。
トランペットやギターといった楽器で劇伴がなされているが、意外と時代劇ではこうした西洋楽器がよく使われれる。「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」では、テーマ曲や格闘シーンでトランペットやホルン等が鳴り響いている。
「木枯らし紋次郎」では、上條恒彦さんがフォーク調の「誰かが風の中で」(脚本家・和田夏十さん作詞、小室等さん作曲)をテーマ曲として歌っている。
永瀬正敏さん演ずる北斎は仙人のようにどんどん老けていくが、応為はあまり年をとっていく感じがしない。これは敢えての演出なのだろか。
優れた先達や同輩が同じ世界にいるということは、心強い面もあるが窮屈な面もあるだろう。
応為は北斎をどう思っていたのだろうか。良き先輩あるいはライバル、あるいは超えられぬ高い壁? そういった面を強く打ち出したほうが良かったと思う。
大森立嗣監督の実父は舞踏家で怪優の麿赤兒さん、弟は俳優の大森南朋さん。そういった環境がこの映画に強く反映されていけば、もっと面白くなったかもしれない。
「まほろ駅前」シリーズのやや緩めさが大森監督の持ち味と思うが、今回は上手く噛み合っていないように思われた。
お栄がくるりと 絵を描いた おーいの応為(オィ
葛飾応為については存在すら知らなかったが、映画にするような話だったかな。
髪型も、着流しっぽい格好も、口調も、立ち振る舞いも、ほぼ浪人のような応為。
ポスターの雰囲気からも破天荒なキャラと期待した。
しかし離縁して早々に恋する乙女モードに入り、年月と共にどんどん尖りが消えていく。
キャラとしての面白さは最初だけだった。
話としても主題があまりに不明瞭。
絵への傾倒は感じず、北斎ともそれぞれ勝手に描いてるだけで師弟としての描写はほぼナシ。
時折絵のアップは入るが世間的な評価には触れず。
絵師としての苦悩や盛衰はオミットされ、父娘の話としては半端で、その他の要素もごく薄い。
人の死にすら特に大きな情動は感じなかった。
応為が絵を描きはじめてサクラが急成長したかと思ったら、放置されてた侍が再登場。
何年待ってたのかと思いきや、一年経ってないの!?
長澤まさみは1848年に雑に老けるまで変化なさすぎだし、善次郎も髭が生えたくらい。
サクラの成長と永瀬正敏の老けメイク(一番の見どころ)くらいでしか時間の経過が見えなかった。
主役も応為なのか北斎なのかという微妙さ。
というか善次郎は、ポスターに北斎と同じ大きさで載るようなキャラでしたかね。
「絵、やめようかな」と言われても、特にドラマもなかったので何も感じません。
サクラの可愛さでもっていたのに、死後は断片的な描写ばかりでコメディ要素も消え、より退屈に。
作劇の面白さもなく、応為という人物も掴めず、何故撮ったのか疑問しか浮かばなかった。
なかなか老けなかったお栄(長澤まさみ)
私の中では大学生の時に鑑賞した「北斎漫画」(1981年公開 新藤兼人監督)の北斎(緒形拳)とお栄(田中裕子)が、未だにインパクト強いです。ほぼ全裸の樋口可南子さんが、タコと絡みあっていたような記憶がありますし、田中裕子さんもヌードを披露していて感激したことを思いだしました。
今作は、北斎を永瀬正敏さんが演じていましたが、中年から亡くなるまでの老けかたが良かったです。お栄を演じた長澤まさみさんは、出戻りで北斎の家に戻ってからなかなか老けなかったようで、老年期になってやっと白髪が目立つ程度という感じで、出戻りしてから30年近く経過しているのに全然老けてこないので、ルックス的に違和感を感じてしまいました。
北斎と娘であるお栄の親子愛、同時に師弟関係でもあるので師弟愛を描きたかった作品かもしれませんが、そこはあまり響きませんでした😭。DVD で「北斎漫画」を観たくなりました。
北斎の娘のその後は?
葛飾北斎の娘で、画業で名を残した葛飾応為に関心があったので観てみた。作中にも使われているが、応為の作品は、光と影を際立たせて西洋絵画のような美しさがある。
しかし、本作を見終わって印象に残ったのは、北斎の生に対する異常なほどの執着の方で、応為の心情や創作の秘密といったものは、拍子抜けなほど薄味にしか描かれていない。
応為は自分の意志で北斎について行ったと語るが、それは本当か、そこに葛藤はなかったのか。北斎が亡くなった後にこそ、応為の人間像が浮かび上がってきそうだが、その後の消息が不明なので描かないという結末には、がっかりした。
長澤まさみは、威勢良く啖呵を切るあたりは持ち味だが、全体として深みに欠ける。演技の面でも、永瀬正敏の方が、老けメイクの見事さも含めて、強烈な印象を残す。
大森立嗣監督は長回しを多用しているが、臨場感や緊張感を高めるというより、間延びしてしまっているような感じ。長屋や屋内のセットは良かった。
絵描きはどの時代でも同じだ
日常系で最近のテンポいい邦画と違い途中までたるいなーと思ってたけど、ふと、これ同じじゃんうちらと…と気がついたらツボにきたwww
私も仕事で絵を描いているのだがどの時代も絵描きは同じで、絵描きやフリーランスのクリエイターが見たらじわる
そこに気が付くと絵描きバカの生活を垣間見る映画で、絵描きあるあるでちょっと楽しいww
ひたすら絵を描く以外ポンコツな変わり者たち
人の温もりが欲しくなった善次郎をお栄が拒むと、寂しいから犬を飼ってるのかと善次郎がお栄に聞き、お栄はだからお前は酒と女なのかと善次郎に言うww
絵描きはどの時代もずーっと家で作業に没頭してその間は人と接さないから孤独でみんな寂しいww
そのシーンは作家やクリエイターだけがわかるシーンだと思う
執筆業の最低条件は「孤独」だと言われたことがある
予想より高橋海人の出番が少ないが、筆を立てて絵を描いてる指の長さが色っぽくて、高橋海人ファンはそれだけ観に行く価値はありそうww
とてもステキな指でした
北斎役の永瀬正敏がびっくりするぐらいいいジジィ!
ジジィ好きは観るんだ!
なんだろうイケメンすぎずでもクセのある職人でかっこいい
数年ごとにハゲて老いていく特殊メイクもとても自然なジジィ化で特殊メイクの人に賞をあげたい!
今まで見た永瀬正敏で1番好き!
長澤まさみは男まさりな感じがかっこよすぎて私は禁煙中なのに長澤まさみみたく煙草吸いたい!!とすごい煙草を吸いたくなってるのを我慢しているwww
途中までは☆2.5くらいかなーと思っていたが、途中から個人的には☆4つけたくなった
が、人に勧めるにはたぶん6割の人は眠いんじゃないかなwwと☆を少し減らしたw
悪くはないが特にハラハラする起承転結があるわけではないので
物足りなさを挙げるとしたら、葛飾応為の絵の腕の凄さをもっと見せて欲しかった
口だけではなく美人画は応為には敵わないと北斎が言ってるほどなので
一応映えが欲しかったというか
でも一般的に寄せるにはそうなのだが、天才奇才のトンチキ絵描きの生活を垣間見る映画と言われたらこれでいいんだろうなみたいな
途中まで退屈な映画だなーと思ってたはずが、途中から絵描きあるある生活映画だと気が付くととても見ててもじわじわ心地がよかったですww
私も多分火事を見たらお栄と同じ感想思ってそう…
不謹慎だから口には出さないけど
絵描きはおかしいw
お~い、XXと言いたかっただけで終わる
あるう日 街の中
熊さんに 出逢った
花咲く 市内の道
熊さんに 出逢った・・・
熊の出没の多いこと。どうにか成るわけでは
無かったのだが、地元の連絡網では 変質者出没と同等以上の
扱いとなってしまっている。ウ-ム・・・恐るべし。
と言う中で 今日は「おーい、応為」を見ましたよ。
お-いと言うと ”お茶” と来ちゃうんだよな。
だから お-い、応為では ちょっとぬるい感じ。
タイトル付け安易過ぎたね。
大してエピソ-ド無く 破天荒な娘って感じで終える。
内容に深さが無く 面白みも大して感じなかった。
きっと タイトルの思い付きだけで盛り上がったので
中身を詰める計算まで出来てなかったのでしょう。
柴犬だけは メチャ可愛かった。
総評:3.2
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監督・脚本:大森立嗣氏
MC:
葛飾北斎:永瀬正敏さん(渋さはあって良かった)
葛飾応為(お栄):長澤まさみさん(ちょっと繊細さが感じられない)
渓斎英泉(善次郎):髙橋海人さん(現代っぽい人)
魚屋北渓(初五郎):大谷亮平さん(いい男)
こと(2番目の妻):寺島しのぶさん(頑固妻)
津軽の侍:奥野瑛太さん(真面目男)
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川村鉄蔵(北斎)と娘のお栄の二人の日常を中心に
世間様に流されること無く自分を貫いて行く
浮世絵師の姿を描く。
こと(母)と、娘お栄、そして お猶(目が見えない病弱)との会話が一番心に残ったかな。父に会いに来て・・・と強く申し上げたのに 時既に遅く。
お猶が亡くなってしまう。
どうしようも無い男 鉄蔵といい、娘お栄の破天荒な気性といい
見ていても どうでも良くなってしまうのは 私だけであったであろうか。
二人とも絵に向き合って真摯に描いているところは良いのだが
お金や地位名誉には無頓着。
それが 川村親子(葛飾師弟関係)なのだろう。
唯一、父が娘を思って ”家を出て行け” と言っては見たものの
娘の 今更そんな事を言われてもどうする事も出来ないという 開き直りがあり、
流石 似たもの同士の親子だなと思わせる場面が少し盛り上がったかな。
全体的にそれぞれの展開に心情の深さがさほど無く
その点が惜しい所でしょうか。
話筋を絞った方が良かったかも知れません。
ご興味御座います方は
劇場へどうぞ!!
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