おーい、応為のレビュー・感想・評価
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おーい応為 美しい江戸時代を体験できる映画
おーい応為 は、
江戸の長屋テーマパークに 行った気分になる
体感型映画なのかなと
下町の人の息づかい、町の臭い、騒音
こんなに身近に江戸感を感じた映画なかった。
この表現が あっているか わからないけど
日本人の 所作の美しさ 景色、四季の美しさ
素晴らしかった。
ただ この主人公の
応為さんに 私は、同じ女性として
好感をもてなかった
長澤さんは、カリスマ性のある
人を惹きつける 女優さんだなと
仕草を 綺麗にみせられる女優さん
今回は、御免なさい
女性として おえいさんに
まったく 好感がもてなかった。
マザーは、凄く 良かったのに。
俳優さんは、こういう評価をうけるのが
忍びないのですが
そこは、
選ばれた特別な女優さん 主役なので すみません
女性として
応為さんを 好きになれませんでした。
好きになりたかったのに
この映画の
あえて 庶民的な目線を表現しているところは
わたしは、好きでした。
永瀬さんの北斎さんは、可愛い天才北斎。
流石 永瀬さんという感じでした
髙橋海人くんは、天性なのかな
彼がでると 明るくなる。ほっこりする
またでないかなとみてしまって そう思わせる
そこが 凄い俳優さんだなと思いました。
この監督さんは、新しい才能を見つけるの
上手な方なのかなと
江戸時代体験 楽しかったと いう
映画でした。
静か、でも熱さを感じる映画
派手な演出もなく、ただ静かに北斎と応為の生活と生き様を見守っているような感覚だった。
似てるが故にぶつかるけど、お互いの絵の良さは分かり合ってる2人の関係性がよく分かった。
その中で、時おり現れる善次郎の舎弟感に場が和んで、さくらにひたすら癒された。
その善次郎自身もなかなかにしんどい人生を歩んできたようなので、善次郎の半生も見たくなった。
天才クリエイター応為の活躍がみたかったのですが。
葛飾北斎の三女で彼を陰で支え、彼女自身も天才浮世絵師であったお栄さん(雅号 応為)の半生を綴ったストーリーです。
予備知識として葛飾応為の有名な作品「吉原格子先之図」は存じ上げておりました。この浮世絵は、闇の中にグラデーションをつけて浮かび上がる光、明暗で描きわけられた人物(花魁や通行人)などがとても印象的で、同時期に描かれた浮世絵とは一線を画すオリジナリティ溢れる傑作といえるでしょう。浮世絵というよりこの明暗のコントラストの際立ち方は西洋絵画の油絵をみるようです。
私は、葛飾北斎の影に隠れた天才応為がこの作品をいかにして作ったのか、それが当時、世間ではどの様な評価を受けたのか・・・それが詳細に作中で語られるのではないか、と強い興味を持っていたのです。無論フィクションでも良いのでしっかりとストーリーに組み込まれることを期待しました。
しかし、結論から申し上げますとちょっと肩透かしをくらって残念な内容となっておりました。
応為の人物像に関しては史実に沿ってポイントを押さえつつ設定していて無難な仕上がりです。しかも男勝りな性格の人物の演技では定評がある(笑)、長澤まさみさんが演じられるということ。彼女ではちょっと史実に反し美人すぎるかも知れませんが、それもまた良しです。
天才クリエイター応為の活躍の土台は、人物像の設定と的確なキャスティングでしっかりと固まり、ほぼ成功が約束されてるよね・・・など確信しつつストーリー追っていきましたが何やら不穏な気配が!
もしかしたら史実に忠実なのかもしれませんが、序盤、彼女は絵を描こうとせず、なんだったら親の北斎を支えさえせず、なんだかフワフワとそこらを徘徊し、汚い部屋で寝っ転がってるだけ。北斎譲り癖の強さだけは健在なのですけど彼女からクリエイター魂はほとんど感じられません。
無論、彼女の作品の創作に必要なポイントは脚本上押さえてはいるんです。ただそれらは掘り下げ方が非常に甘くてだだ北斎の隣で浮世絵描きましたってだけでインパクトが弱く、父親である北斎の癖の強い創作ストーリーで上書きされちゃうんですよね。
これではどっちが主役なんだか分かりませんよ。
近年の葛飾北斎とその子供応為についての研究で、北斎の晩年の傑作があまりに繊細な筆致なのでかなりの部分、応為の手が入ってるんじゃないかという仮説が論じられ、フィクションではありますが小説にもなっているそうです。
応為を主人公にするなら、北斎を支える娘の側面ばかりではなく、もう少し彼女の作り出した数少ない傑作にフォーカスするのはもちろんのこと、時に大胆な設定で脚本を作るべきと思いました。
では。
応為の選択
あくまでも、応為の話し。 応為が刺し身で、この映画では葛飾北斎はつ...
期待度○鑑賞後の満足度○ いっそ夏目雅子で観たかった葛飾北斎の娘の話。ミスキャストで佳作になり損ねた一編。
①冒頭から長澤まさみに感じた違和感。結局最後までそれは消えなかった。スタイルが良いから着物が似合わない以上に、映画の中の江戸時代とはいえ、江戸時代の風景・世界に全く溶け込めていなくて浮きまくっている。では他に誰が適役だろうかと映画が始まって暫くはスクリーンを観ながらそればっかり考えていた。
しかし、思い付かない。現在活躍している女優さん達を一人一人思い浮かべても本人と役とがピタッと収まる或いは重なる人が思い当たらない。
決して今旬の女優さん達が悪いというのではないが、やはり皆さん小綺麗でこじんまりとしてしまっていて、主演女優のオーラを放ちながらも同時に江戸時代の長屋の貧乏暮らしをしている女性をそれらしく演じきれるとは思えない。
そうこうしているうちに、お栄が若侍に啖呵を吐くシーンがやってきて、その時に夏目雅子が演じている画が脳裏をよぎって、“そうだ。夏目雅子なら良かったのに。”と思った次第。
その後、お母さん役で寺島しのぶが出てきたときにも、若い頃の寺島しのぶなら合っていたかも、とも思えた。
②対して永瀬正敏はまことに上手い。存在感もたっぷりなので、此れは葛飾応為という女性の一代記ではなくて、娘から見た葛飾北斎の映画という気がしてくる(脚本も兼ねた)大森立嗣監督の意図もその辺りに合ったのかもしれないけれど)。
とにかく永瀬正敏の演技力と存在感の前では長澤まさみの力量不足が目立ってしまう。
特にある意味クライマックスといえる後半半ばの富士山麓の小屋の中で、北斎から「お前も俺の世話はもういいから自分の人生を生きろ」と言われた時に、(劇中ではじめて)自分の秘めた思いを吐露して激昂するシーンでは、まるで駆け出しの女優のような演技。お栄が秘めてきた思い、抱えてきた思いが全く伝わらない。口ではそう言っているが全身からそういう思いが伝わってこないのだ。
永瀬正敏演じる北斎からは北斎という人間の生き様がよく伝わってくる。台詞だけでなく表情・振る舞い・佇まいで北斎という人間を見事に造形している(それが演技というものだろう)。
長澤まさみからは残念ながらお栄という女性の生き様というか人間造形というか、恋に落ちた時の風情・苦悩・絵(を描くこと)への複雑な思い/情熱・決意・悲しみ・父親への複雑な想いといったものが匂ってこない。
③というわけで不満が少なからずある作品ではあるが、永瀬正敏の名演と浮世絵を色々見られたので点数は甘くしてあります。
『鉄蔵』の呪い
異才と奇才が一つ屋根の下で暮らしたらどうなるか。
『ゴーギャン』と共同生活をおくった『ゴッホ』の
「耳切り事件」のようなコトが起きるだろう。
もっとも、本作の二人の場合はそうならない。
血の繋がりもあり、お互いを思いやる愛情もある。
父『葛飾北斎(永瀬正敏)』は
圧倒的画力と奇想で当代の傑物。
エキセントリックな人柄でも、世に知られている。
娘の『応為/お栄(長澤まさみ)』の性格は父譲り。
男勝りで、きっぷ良し。
絵を描いていれば幸せだ。
才能が無ければ、多少器量が悪くても
幸せな結婚生活を送れたかもしれないのに
なまじ審美眼もあり腕も立つので絵師として独り立ちする。
婚家を飛び出した経緯が象徴的。
やはり絵師であった夫の絵を悪しざまに言う。
その時の彼女の科白が「悪かったな!北斎の娘で!!」
結果、『北斎』晩年の二十年を共に住む。
二人とも家事はからっきしで、
当然料理もできない。
絵を描くことのみに集中したため、
借家が住むに耐えなくなるほど汚れる度に
引っ越しを繰り返したという。
本作は『応為』の物語りを期待して観に行った。
が、実際は父娘の関係性に収斂する。
老いた父を気に掛け労わる孝行な娘。
世間的には評価の対象も、こと彼女に限っては、
そうした姿を見るのもフラストレーションが溜まる。
彼女の絵は、斯界でも至極普通に受け入れられる。
それほどの画力と構成力だったのだろう。
なので、レジスタンスのストーリーにもなっていない。
父の弟子『魚屋北渓/初五郎(大谷亮平)』への淡い思慕の情にも、
深く立ち入ることはない。
二人の日常が淡々と語られ、
『北斎』の死を以って、突然に終わってしまうのだ。
その『北斎』の描写も如何なものか。
度毎に年代が表示されるので照らし合わせるのだが、
1945年(85歳)に小布施に赴き
天井絵〔龍図〕〔鳳凰図〕をものしている。
ここでのよぼよぼな老人に、
あの迫真的な絵が描けるのか。
場所が場所だけに他作のように『応為』の代筆も無理だろう。
原作の一つとしてクレジットされている
『杉浦日向子』の〔百日紅(1983年)〕のアニメ化
〔百日紅 ~Miss HOKUSAI~(2015年)〕の方が
よほど『応為』が躍動していた。
最初の方こそ破天荒だったものの、
その後はあまりにも普通過ぎる彼女の日常描写が
どうにも不満だ。
芸術ホームドラマ!
全ての画が浮世絵のように美しい、今年最高の映画
映画は画の連続だから、全ての画が美しい必要がある。
全ての画が美しければ、奇抜な脚本は必要無い。
全ての画が美しくなるためには、美しい俳優、美しい美術、美しい演出、画に映るあらゆるものが完璧でなきゃならない。
この映画は、画に映るあらゆるものが美しく、歴代最高レベルに完璧な映画に私には観えた。
しかも、日本的なわびさびの美しさだった。
よく映画にありがちな作り物の美しさじゃなく、凄まじくリアリティーのある美しさ。
江戸時代の町並み、日常生活、風景、全てが丁寧に用意されていて、その時代に生きていなかったのに懐かしさを感じて、まるでそこにいたような錯覚を感じた。
淡々とした演出は、まるで風景や日常を描き続けた絵師の画のようだった。台詞には無くても美術や演技で情報は充分だった。毎日、淡々と画を描き続けた絵師の情熱をその場にいて体感するようだった。
ずっとこんな、静かで、日本的な美しい映画が観たかった。今年最高の映画でした。
北斎を知りたいならwikiへ
永瀬正敏の変わりように驚く
 自分と性格が似た子供というのは、自分の欠点を否が応でも気付かされて気が滅入ることがあると思う。だが、北斎親子のように才気に溢れ、周りのことなんか気にならない独善的な性格同士だとケンカしても後に引くことがないのだろう。
 津軽侍演じる奥野瑛太と長澤まさみの生命をかけた応酬は、見応えがあった。武士が「覚悟」を口にしたからには、ただ事では済まされない。お栄の向こうみずな啖呵は気持ちがよく、武士の「覚悟」を吹き飛ばす威力があった。
 説明セリフやナレーションもなく北斎親子のことを知らない人は、置いてけぼりになってしまう。
 北斎のことが好きで、北斎のことを知っている自分にとっては、今までに見た事がない北斎で面白かった。べらんめえ調で、出戻り娘や弟子に毒づきまくる。そうかと思えば、犬コロ呼ばわりしていたサクラと一緒に眠る可愛い面も見せる。
 北斎が老けていく様子に驚きでございます。
長澤まさみさん演じるお栄の男勝りな性格と色気がとてもよかった。 そ...
長澤まさみさん演じるお栄の男勝りな性格と色気がとてもよかった。
そして、永瀬さんの北斎の老いが、見た目はもちろん声質や話し方までも老いを感じさすがだなとおもいました。
そして、髙橋さんの善次郎が出てくることによって重く単調になりそうな所がぱっと明るく軽やかになってよかったです。
あと、なんといっても時代を感じる音楽(トランペット)とろうそくや火事の火の光がとても雰囲気がありよかったです。
この画像のタッチ、結構好きかも・・
長澤まさみが観たかったからOK
長澤まさみ観たさに観たので、長澤まさみを観ることができたから、その時点でもう半分はOK。
さて、あとは内容ということだが、北斎の演出が、芸術家にしては怒りっぽい感じなので、自分の先入観とすれば、絵に集中して才能ある人は、とにかく静かな変わった人のイメージ(ただし内面は常軌を逸した集中力と激情)なので、あんまし怒りっぽくうるさい感じは違和感あった。
お栄が勝気でおてんば(長澤まさみのイメージに合う)というセッティングなのだから、父の北斎は物静かな感じの方が、バランス取れて面白みがあって、もっと深みのある感じになったのではと勝手に想像してしまった。
なので、内面の深さの描き方というところ、脚本の妙というところではもう少しリアリティが欲しいところだったかなと。但し、江戸時代の風物的な演出は本気さが感じられていたので、入り込むことはできた。それでも長澤まさみがきれいなルックスなので浮きまくるのはご愛嬌で、ある意味、これ観たさに来ているので文句ナシ。
この意味では、もし長澤まさみをキャスティングに入れずに、地味な感じのキャスティングをして、こうした映画を作る場合は、もっと脚本にリアリティ(静かな間、静かなやりとり)が必要ということになるとは思う。
雰囲気満点
作中のちょっとした音だったり、昔の生活感が溢れる雰囲気がよく描けていて、とても美しい映像作品だなあと感じて、観ていました。夕空に富士山がうつる、山並みもとても綺麗です。あとはわんちゃんがどうしようもなく、本当にかわいい。。。
ちょっと残念だなと思ったのが、言葉がよく聞き取れなかったこと、人物の関係性が少し理解しづらかった事です。薄暗い雰囲気も相まって、人物の顔がややわかりにくいです。また、ストーリーはどこに焦点を当てているのかが分かりづらく、物足りないと感じるところもありました。
それでも、最後に監督の話を聞く機会があり、ひとつひとつのシーンに込められた意味を理解し、なるほどなあと、点数が上がった作品です。
脚本不出来で退屈地獄
 大森立嗣、すっかりベテラン監督の名に安住したのか、及第点に留まってしまうのが昨今の彼。脚本も任され自由闊達にコントロール出来得る立場なのに、年間2本の勢いも1本に減り、その分熟成しているかと思いきや却って希薄にしか見えないのが残念です。本作も葛飾北斎の弟子であり娘でもあった葛飾応為を主人公に何を描くのかと思いきや、何にも描かれてないのに驚きました。
 出戻った以降の親子の描写にフォーカスしても、所詮北斎の動向に殆ど左右され、応為すなわち無為無策とまで言いたくなってしまう。当然に北斎ほどにその実像は判らないのであれば、思い切った脚色を施せばいいものを、だらしない惰性の夫婦よろしく、怠惰な親子を続けるのみ。引っ越しも津軽遠征も北斎の決めたこと、映画の主人公として何を決めどの方向にベクトルを定めてたいのか。何にもしない事を多分描きたかったのかもしれませんが、北斎はお栄を邪見にするばかりである以上、無為そのものを描こうったって無理がある。
 もちろん長屋の風情から光の差し込み方やら背景の作りこみはしっかりしており、着物が少しはだけるあたりまで、しっかり行き届いた描写なのは確かですが、応為を際立たせるまでには行っていない。そもそもあれだけ長屋の住民がいるのだから、彼等を通じて親子を客観的に描いてもよかろうに。髙橋海人扮する浮世絵師・渓斎英泉からの視点もあってよさそうなもので。長澤まさみとの歳のバランスも合わず、親子3代にすら見えてしまう。
 なにより人間でしょ、恋煩いなりエロティシズムなり、創作への壁も、スランプもなんにも描かれない。面白くなる要素がゼロでしね。まさに女だてらに肩で風切り、キセルを吸う姿といい、そんな様相が江戸の下町にどんな波紋を投げかけるのか、そこにこそお栄の真実が見えるってものだと思うのですがね。結果的に久々の適役を十分にこなした永瀬正敏の演技に主軸が移ってしまい、お栄は脇役としか見えない。北斎の登場する映画は結構描かれ、脇役に娘も登場するけれど所詮世話係のようなものでしかない。娘として、父親の能力にひれ伏し金魚のフンのように付きつつも自らの創作への努力なりを観たかった。
 貧乏長屋のくせに、ほどほどの収入もあり、引っ越しそばを食うのも楽々で、荷車一杯の物持ちでもある。津軽行きの決断も観客には理解出来ず、奥野瑛太扮する田舎侍のしてやったり顔のカットもなし。篠井英介扮する粋な小唄師匠を明確にゲイとして描いているものの、だから何?と中途半端。
 要するに大スター長澤まさみ主演の作品としてが第一義なわけで、もちろん長澤まさみはほぼ完璧に主演をこなし、この男勝りを演ずるのに不足はない。なによりタイトルが「お~い」でしょ、誰が編中でお栄を必要と呼びかけましたか? この根本的祖語が躓きの原因なのでしょう。
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