劇場公開日 2025年10月17日

「江戸時代の話で、西暦表記の年号だけクレジットするのは最低でもやめてね。」おーい、応為 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

2.5 江戸時代の話で、西暦表記の年号だけクレジットするのは最低でもやめてね。

2025年10月21日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

お栄が出戻ったのが文政三年という設定で、北斎が亡くなった嘉永二年まで40年近く一緒に暮らした父と娘の物語である。(ちなみに嘉永六年にペリーが来航している。そんな時代)
タイトルから。「おーい」と呼ぶから「応為」の雅号になったわけだが、ほとんどの人が間違っていてこのサイトの説明も間違っている。「おーい」と北斎がお栄を呼んでいるのではない。逆にお栄が父親を「おーい」と呼んでいたのである。
原作のひとつ、飯島虚心の「葛飾北斎伝」には、お栄が「オーヰ、親父ドノ」といへる、とある。一方で北斎はお栄のことをその顔の特徴から「アゴ、アゴ」と呼び慣らしていたようだ。「葛飾北斎伝」は明治26年の出版。北斎死後40年以上たっており、直接交流のあった人はほとんど物故者で又聞きではあるものの第一級の史料である。特にお栄についてはこれ以外の史料は存在しない。(本人の手紙とかは残っている)
「おーい」について話を戻すと、北斎とお栄=応為は、父と娘であり、師匠と弟子であり、共同制作者であり、同居者である。密接かつ濃厚で常識はずれな関係を象徴するのが、娘が父を「おーい」と呼び、父は応為という雅号を授ける逸話にある。だから私はこの二人を題材とした作品のタイトルとしては実にふさわしいと思っている。
さて、今、父と娘の密接かつ濃厚な関係と書いたが、この映画作品はそこを中心に父娘の日常を描こうとしたようにみえる、でも失敗している。
原作はもうひとつあり杉浦日向子の「百日紅」である。30の短編で構成される連作漫画。映画ではうち「野分」がほぼそっくり採用されている。この作品にこそ、お栄とその盲人の妹が登場するが、他の「百日紅」の短編には北斎とお栄はあまり主役として登場せず、周辺の者たち、善次郎や初五郎、国直や国芳らが主役となる愛憎や因縁、怪異ばなしなどが語られている。ここでは、北斎とお栄は最初から日常的にしっかりと結びついていて、物語の核となっている。
ところが、映画では、周辺の者たちへの言及はなるべく省いて、北斎とお栄の結びつきをもう一度、一から描こうとしているようにみえる。例えば、応為の作品である「吉原格子先之図」(応為の代表作であり実に魅力的だが不思議な作品)を、北斎が「俺の絵じゃない、お前にしか描けない絵だ」っていうところなんかは原作にはないオリジナルで父と娘のたどり着いた心境をうまく表していると思う。
でも、大部分はうまく行っていない。その理由はたくさんありそうだ。まずは役者が説明的にかつ自己主張強く、大声で常にセリフをいうところに閉口した。そして特にこの「女優」が全く役柄に合わないとも感じた。手足が現代的に長く、常にびっしりメークしたツルンとした顔をして、時代を経た設定ながら年もとらない。画工には見えず、父や母、兄弟子などへの複雑な感情も表現しきれない。貴女は何をしようとしてこの作品に出演したのか?ミスキャストである。
「葛飾北斎伝」には「異相」という表現がある。まあ個性的であるということである。三浦透子さんや若いところでは売出し中の奥山葵さんなんかを起用したら面白かったと思う。
キャスト以外にも撮影にしても美術にしても音楽にしても、江戸情緒というものを基本に考えたとき、駄目すぎるのだけど、長くなってしまうので以上で。
映画はあまりおすすめできません。でも「百日紅」は素晴らしいですよ。

あんちゃん
ノーキッキングさんのコメント
2025年10月21日

汚部屋で長澤まさみがゴロゴロしてたら面白いかもの発想が貧しい。やはり長澤まさみは“ちがう”に同感です。

ノーキッキング
トミーさんのコメント
2025年10月21日

せめてお栄何歳・・の表示にして欲しいですね。お客さんみんな、一瞬で経過年を計算出来る理系脳じゃないと思います。

トミー
PR U-NEXTなら
映画チケットがいつでも1,500円!

詳細は遷移先をご確認ください。