「応為という眼、北斎という執念」おーい、応為 ころさんの映画レビュー(感想・評価)
応為という眼、北斎という執念
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葛飾北斎の業績や性格、そして当時の社会のありさまを考えると、応為という存在は実に興味をそそられる。
絵の良し悪しを見抜く眼力があり、気性の激しい人物としてまず応為(お栄)は登場する。
長屋での生活や近所付き合いなど、興味深い場面は多いが、生母の住む家を訪ねるシーンはとりわけ印象深い。
雑然とした江戸の長屋と、郊外にある慎ましくも整った生母の家。その往来は、応為が絵だけではない“何か”を求めていたようにも見える。
そこにいる目の見えない妹(北斎の娘)の存在は、視覚的な表現に人生をかけた北斎と応為の才能をいっそう際立たせている。
蟷螂の姿を妹に語る応為の言葉には、簡潔ながらも愛情がこもっており、彼女が見たときの感覚や色、指先の感触までもが伝わってくるようで微笑ましい。
見たものを自分の手で描くことにもどかしさを感じ続けたのが北斎であり、
その北斎の絵の鑑賞者であり、理解者であったのが応為だったのだろう。
北斎の描くことへの異様な執着も、応為という「眼」の存在があったからこそ深まったのかもしれない。
富士山の稜線をゆっくりなぞるようなシーンは、まるで絵師の筆運びを見ているようで、
何かを写し取るというより、突然そこに新しい世界が出現したような感動を覚えた。
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